2010年2月7日日曜日

草原の掟と日本で要求される品格

 「青い狼」によると草原では戦いに勝った側が負けた側のすべてを所有したらしい。所有とは財産である家畜、子供を産める女性、戦士の生命を自由にすることです。戦士を戦後処刑するのも子供を産める女性を女奴隷にするのも勝者が決めることができたそうです。一方負けた側はどんな屈辱、恥ずかしいことをしてもとりあえず自分が生き残ることを優先するそうです。人を生物と単純化すると生物は自己のDNA遺伝子をより多く残すように行動するという原則通りです。生き残り子孫を残しておけば捲土重来、復讐でその時の恥を雪げる可能性が残るのです。日本でも大名が戦国時代、滅亡が確定した側の家来が土壇場で裏切り、返り忠で家名を残そうとしたのは大きな大名が滅んだときよくあった。とりわけ生きていくのに厳しい草原では男女とも節を守るため自決などといった行動は理解の圏外にあったそうです。遊牧民は長城の内側つまり漢民族の将軍が遠征してきて敗戦時に主の王に面目ないと自害するのがどうしても理解できなかったそうです。
 日露戦争で捕虜にしたロシア兵を炭鉱などで強制労働をさせたとは聞いたことはないし、欧米は第二次大戦でも降伏した日本兵を自国のため強制労働をさせなかった。収容施設から逃亡をしない限り人道的な扱いを受けたのです。不可侵条約を破って敗色が濃厚となったとき攻撃して捕虜をシベリア強制労働というのは匈奴時代の草原の掟そのものです。確かにその国には草原があり遊牧民もいるようです。
 相撲のことは詳しくないのですが、勝者は敗者があってのみ存在するのは確かです。相手が立ち会ってくれたから今日運良く勝った。お互い厳しい勝負の世界で生きているんだ。明日は負けて賞金をもらえないかもしれない。そのように考えることができたなら行司から賞金を受け取る時、負けた相手を親の敵のように睨むこともないのです。「次も俺が勝つ。お前には負けない」とでも言っているようににらむ様子は見ていて気分のよいものではなかった。立ち会った力士の間柄に個人的な恨みがあると考えにくいからです。鬼になって戦い戦後も鬼のままというのは日本ではなじまないようです。
 日本で要求される品格とは勝負が決まるまでは「鬼になって」必死で勝負にこだわるが、勝負が決まってからは負けた力士に対する礼儀を外見だけでも払えということでしょう。確かに賞金を受け取る時、負けた相手を睨見つけるのはあの強い力士以外、見かけなかった。一番いいのは心も品格を持つのがいいのだが、それはとても難しいので立ち振る舞いだけでも演技せよということでしょうか。相手が土俵を割り、勝った瞬間から鬼のような心は捨てるべきでしょう。彼を育てた親方の徳が小さいのかな。彼のよいところは交友する芸能人が多く評判が良い点です。うその演技ができなくとても正直な人だからでしょう。今後騒ぎが収まったあと日本語はできるしタレントとして芸能界で生きていけるかもしれません。正直な人は安心できます。

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