2017年5月14日日曜日

三人の敵その1_3(最初に私から仕事を取り上げた上司はうつ発病で出社拒否)

LAN工事のチームから外され備品固定資産の管理の仕事も取り上げられた結果、本当にすることもありませんでした。企画部に引き取ってもらうまでも実質無仕事状態は何年か経験しています。だから仕事がないのに仕事をしているふりをして毎日終業ベルを待つのはそれ自体それほど苦になりません。しかし1998年当時はその数年前と事情が大きく異なっていました。当時は風潮として終身雇用制度が崩壊して、中高年層のリストラ大流行、リストラの嵐でした。同僚の50歳越えの大先輩も人事から君の給料で有名大学卒の新人2人雇えると何度も言われたとのことでした。現在の担当が存続する限り同僚の居場所はありますが、組織再編などを口実にこのまま仕事がないといつ人材開発担当に追いやられる危機感をヒシヒシと切羽詰まるようでした。そこで二三年先退職に追い込まれた時のために人があまり身に付けていないスキルを身に付けようと考えました。具体的には中級レベルだったアクセスの開発能力を上げることです。ビジュアルベイシックVBAなどの付加価値を付けたアクセス技術を身に付ける目標が出来ました。例えば都道府県を選択するコンボボックスがあり愛知県を選択すると次の市町村コンボボックスでは名古屋市や安城市など愛知県に関係する市町村だけを選択投入できるようにするなどです。入力を楽にする機能としてよく使われます。例えば現在は廃刊になっていますが株の業界紙ごとに紙面のコラムのタイトルは違います。その都度手入力では情報入力が大変なので以下のようにマスコミごとに新聞に特化したコメント、コラムなどを過去入力したものに限って表示するようにしています。
こうしたACCESSの技術はこの当時身に付けました。そして会社を辞めざるを得なくなった時、再就職の武器にしようと決めました。とりあえず周囲の情報を片っ端からDB化しました。DB化とは表にしてアクセスにすることです。
アクセスのスキルアップに没頭して1年後2000年2月ごろ新しく赴任してきた人事権のある人からオラクルが入っているサーバが故障したとき修復する業務の担当が人材を募集してる。枠は一人だけで貴方を推薦するつもりだ。断らないでください。貴方にとってこれが最後のチャンスになるでしょう。ここに残っても2年ほどでスキル不足で行くところがなくなります(人材開発担当候補?)。と言われ最後のチャンスに賭けることにしました。サーバトラブルの技術を身に付ければ将来安泰だが出来なくとも故障の原因、状態を申告者から聞き出してて解析部門に回す業務、受付でもできれば生き残れますとのことだった。サーバトラブル解決専門の部門でサーバトラブル解決の技術者として認められた2001年ごろ、かつてのLAN工事の同僚、KさんからMさんの動向が伝わってきました。Mさんは大出世して籍はわが社ですがサラ金業者に何でもできるシステムエンジニアとしてオラクルがインソールされているサーバ保守の仕事を任されていたそうです。Mさんの給料は額面でも50万以内で手取りは何も変わりませんが、サーバ保守の仕事をしているサラ金業者から我が社に100万円ほどの人材派遣料をもらう契約で、部下を2人連れてサラ金業者に派遣していたとのことでした。サラ金業者にすればMさんに月額100万円を払ってもソフトウェア会社にAPの修正改良を依頼するよりもMさんにメンテしてもらったほうが安くつく勘定でした。差額の50万円以上は我が社に入りこのまま仕事を続けると大変な貢献になります。しかしMさんはサーバトラブルを解決した実績もなく、ましてそのサラ金業者が期待したAPの改修メンテ能力など皆無なのは私がよく存じています。DOS窓コマンドプロンプトからサーバやルータにPING試験する以上のスキルはないのです。何でもできるシステムエンジニアと推薦されたのが命取りとなったようです。スキルがないのに多くのAP改修要求を出されて何か月たっても解決してくれないのでサラ金業者が進捗会議でMさんを攻め立てたとのことでした。サラ金業者としては何でもできるシステムエンジニアとの触れ込みで我が社に毎月100万円もの賃金を払っているのだから当然です。Mさんはお客であるサラ金業者からの要求や知りえた情報を部下二人と共有せずに一人で解決策を探り仕事と問題、課題を抱え込んだそうです。そうしてサラ金業者がMさんのスキルに疑問を持ち、激しくなる連日の進捗会議に耐えかねて出勤しない出社拒否になったそうです。病名はうつ病です。現在は病院の神経科に入院中で回復の予定は未定だそうでした。Mさんは病気休暇の最長2年を取り元の部門Kさんと一緒にLAN工事の仕事に復職しました。しかし一ヶ月勤務の後また長期の病休になりました。Kさんも愛想をつかしたとのことでした。Mさんは1ヶ月2ヶ月出勤の後必ず復職委員会の承認を得て病休を取りそのまま退職までほとんど病気休暇で10年前定年を迎えました。あの様子だと一生うつ病は治らないでしょう。家族はお嬢さんが二人いて2人を大学卒業させる目標だと私に語ってくれましたが、長期の病休は給料の減額を余儀なくされ二人のお嬢さんは大学への夢は断たれお気の毒です。私が中学2年まで住んでいた家を出た者を虐めるとわが先祖が虐めた人に何倍も仕返しをするという仙人お爺さんの予言はまた当たりました。ただし我が先祖の御霊がそうしたのかは不明ですが、仕事をすべて取り上げて私を虐めたMさんが不幸になったのは確かです。

さらえまか: 祖母は仙人と話していた(家の言い伝え)

2017年5月7日日曜日

三人の敵その1_2(最初に私から仕事を取り上げた上司の末路)

1998年初秋の頃でした。リーダであるMさんは私の自宅よりこの地域の中心地から3つ向こうの駅に住んでいました。自宅の話になると時々たびたびだったか、3つ向こうの自宅に来てくれ酒は飲まなくてよいから料理を楽しもうと誘われていました。秋になると少ししつこいほど誘うのです。何かの話のついでなく頻繁に自宅に来るように誘われたのです。どうしてそんなに熱心にという思いはありましたが、終業後、同じように会社を出て普段使わないその私鉄電車に一緒に乗ってMさんの自宅に向かいました。とても機嫌よく別れの酒宴とは想像できないほど歓待してくれました。18時前後に彼の自宅に到着、近所の行きつけの飲み屋に入り店を出るとき、精算時は決して私にお金を使わせようとはしませんでした。飲み屋を出た後はまた隣のつけの利く飲み屋での見直す、などと計3軒の行きつけの飲み屋でごちそうしてくれた。その時は歓待の理由は判りませんでしたが、その後すぐにわかりました。深夜11時ごろまで何を話題にしたか20年近い前なのでほとんど忘れてしまったが、包丁砥ぎの話だけは覚えています。まだ私は砥石で砥ぐという技術は身についていませんでしたが、Mさんは海釣りを趣味としており小型の出刃を持っていたそうで海釣りの獲物を処理するのに大変な活躍をする道具だとしつこいほど言っていた。包丁を研ぐという技術を身に付けると料理という素晴らしい世界が待っているとも力説していました。うまく研げた小出刃で刺身のツマのネギを輪切りにすると切り口がペッタンコにならず元の形である円形リングを保つとのことです。ネギの切り口を見れば研ぎの技量がわかるとも自慢げでした。翌日は休日だったので23時まで遊び駅まで送ってくれて3駅向こうの自宅に向かいました。
休み明けに出勤するとMさんは様子がおかしくこちらのあいさつを返してくれないのです。仕事もM&Kコンビで私を誘わず二人でこっそりしているようです。何か話しかけても取り付く島もないように口を閉ざしました。1週間もするとようやく自分は仲間外れにされたのだとようやく気付きました。別れの宴の翌日からLAN工事は私を除いてMさんとKさんの二人でするということが決まったらしい。人事権のある上司も承認した結果らしいとのことでした。仕事自体は前回説明の通り誰でもできるもので、自分がのけ者にされた理由がわからなかったが、私は大いに傷ついたのです。これからどうして時間をつぶそうかと考えていました。本当にすることがなかったのです。しかしLAN工事以外にもう一つ仕事があったのでした。会社の立地はそれぞれの部門が50㎞以内に4つのビルに分散してありました。私の担当が所有する固定資産や備品の数が大きく4つのビルの各階の部屋に分散して保管、使用されており年2回の固定資産備品の棚卸しですべての備品がどこかで適切に保管管理されていることを証明しなければなりません。責任者は管理している担当の人事権がある人なのですが、備品が所在不明となった場合、一番叱られるのは企画部経理です。各担当への指導が悪いということです。当時ACCESSのわずかな知識で備品台帳を作り各備品ごとに移動確認年月日、ビル名、3Fなどの階数、部屋名、部屋棚の位置などの履歴を付けて管理するデータベースを作って管理していました。わが担当の固定資産備品が会社で最大の金額、種類と品数が突出して大きかったので経理の人の悩みの種でした。4つのビルに所在がまたがっているのは私の担当だけだそうです。棚卸しの締め切りが近づくと毎日調査備品の探索依頼に来ています。経理とは同じ企画部だったので気安くしていました。また私の担当はもといた部門で居場所を見つけられず企画部に引き取ってもらった落ちこぼれのような人が多かった。もちろん私も落ちこぼれでした。でも経理の人から見れば私のEXELのスキルが彼らを上回っており、経理の人が目標としているACCESSでアプリを開発して改善活動発表会で発表しているのをご存じなので本当なら経理から馬鹿にされても仕方がない身分なのですが、EXELとACCESSのおかげで時々はありがたられていました。そしてACCESSで履歴機能が付いた備品台帳を開発しているという実績で馬鹿にされるということはありませんでした。それどころか履歴機能が付いた備品台帳が経理の人にとっていかに素晴らしいのか教えてくれました。最後の日付、何年何月何日、Aビル、4階、何々部屋の南東部にあったという履歴から次の移動場所が簡単に推定できるというのです。私に他の担当の備品台帳をACCESSで作成して運用の手順書を作成して他の担当に配ってほしいとの要望もありましたが、Mさんの妨害があったのか立ち消えになりました。EXELで備品台帳を作ると最新の備品の居場所しかわからず、一目で今までの履歴が全部見えるACCESSの入れ子表現にした履歴機能が付いた備品台帳を使って一番困難な私の管轄する備品の棚卸しが終われば、全体の峠を越えたような感覚になるとのことでした。経理からのあの備品を検索してくださいとかの依頼は結構楽しい仕事でした。人のお役に立てているという実感を感じられたからでしょう。私の担当の固定資産備品の移動があると経理の人が移動があった備品のリストを持ってきてくれACCESSのデータベースに登録してくださいとお願いに来たのです。しばらくして経理の人が来て検索で先日の移動備品の履歴がACCESSのデータベースに登録しているのを確認して経理の人は帰っていきました。備品が行方不明になると一番被害を受けるのは経理だと私には正直に言ってくれました。ところがある時期から経理が私に移動があった備品のリストを持って来なくなりました。経理の人に理由を聞くと移動があった備品のリストはMさんに渡すよう私の人事権のある上司から経理に通達があったそうなのです。経理の人は私にACCESSで管理してほしいらしいのですが、そんなことは言えないから仕方がないとのことでした。MさんはEXELで漏れがないように管理するから私に渡さず自分に渡してくれとのことでした。Mさんはとうとう固定資産備品管理の仕事まで私から取り上げたのです。Mさんの理由は判りませんでしたが断れば集団いじめの対象にされるなどの圧力を宴席などで受けたようです。そうこうしていくうちに腹が立つことがりました。出勤がだんだんつらくなっていった当時、うつむいて歩いていると背中をポンと叩くで見るとニヤニヤしたMさんでした。「うつむいて歩くと心の病気になる。胸を張って前を見て歩かないと」などと余計なからかいののような意見をもらったのです。私がうつむくような原因を作った人からのそうした言葉にさすがにむっと来ましたがどうすることもできませんでした。しかし数年後立場が逆転して出勤するうつむいて歩いているMさんの肩を叩いて「前を向いて歩こう」と本当に心の病気になって解雇されないよう出勤してきたMさんに仕返しができる日が来るとは当時は夢想だにしなかった、