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2018年1月3日水曜日

母が特養ホームで叔母を看取ってから2年間で母の5人の敵が亡くなりました。

母の敵とは朝方顔を合わせるとその日一日中、気分が悪いという近所のおばさん達でした。アンナ叔母が特養ホームに移ったと噂を聞きつけたらしく我が実家のすぐ近くにアンナ叔母を追い出した社長夫人の実家があり、その社長夫人が帰省のついでに母を訪ねてきました。私も丁度帰省して実家にいました。家の前に大型の外車のような車が止まり、重いドアを閉める重量感のある音がしました。早口でよくしゃべりなんだかその時の気分で話しているように軽薄な感じがした。でも祖母もアンナ叔母も彼女を信じたのです。ドア越しに「アンナ叔母と一緒に暮らしてわかるでしょう。無口で陰気でこちらの気分も暗くなりとても一緒に暮らしていけない。私をわかってよ」そんな言葉だけが記憶に残っています。帰ってから母が言うのは「それほど仕方がなかった。やむを得ないと思うなら我が家の仏檀に姑であるアンナさんの実母の位牌があるので一度参って今言った仕方がないという理由を説明してやって下さい。お寺の墓でもいい。お寺は知っての通りすぐ近くだから。寺の墓が無理ならぜひ仏壇に」と勧めるとお参りはできないと実家のほうに車を向けたらしい。彼女も我が先祖の噂は耳にして怖かったらしい。ところで母には遠くから嫁に来て以来、どうしても苦手で嫌いな同性のご近所さんが5人いたらしい。年齢別には70代が一人、60代が二人、50代が2人だった。憎まれ子世にはばかるように5人ともとても健康でお元気だったとか。私が実家にいた当時、母は誰が嫌いだとかあまり人の悪口は言わなかった。私への教育上よろしくないと考えていたのでしょう。アンナ叔母が他界して3年目ぐらいの時期でしょうか。「最近この集落での暮らしが楽しくて仕方がない。嫌な人が次々と全部あの世に行ってくれた。2年の間に5人も葬式で見送った。それが全部私が嫌いな人だった」名前を聞いてみると自分も子供の頃から嫌いな人だった。死因は脳梗塞、心筋梗塞など急死が多かった。癌など長患いの病気はなかったと思う。母も私だけでなく近所の母の友人も申し訳なさそうにそっと喜んでいるとのことでした。大勢の人から嫌われている方々だったのだ。朝集落の細い道で出会うと挨拶かお米の育ち具合、天気の話とか何か話をしなければならない。それがつらくて朝出没しそうな場所を避けているが5人もいると大抵一人か二人に毎朝顔が合う。田舎では口を利かないなど無視、けんかはできない。結果その日一日気分が悪かった。これからはそんな心配はいらない。毎日が楽しくて仕方がないとのことでした。
仏壇の世話は母の役目でしたが、本当は面倒くさくとても嫌なのは知っていました。その頃から毎朝線香の匂いがするようになった。お供えの花は山つつじ、野菊、山百合などお金がかからないものばかりでしたが5人のご近所さんが亡くなってからは、明らかにお金を出さないと入手できない供花が増えたのでした。私もこの当時からご先祖様を考えることが多くなったのでした。

2018年1月1日月曜日

実家の薄暗い居間には浮き上がるような白髪の老女がいました。

ある夕方帰省してテレビのある居間に入ると真っ白な白髪の老人がテレビを見ていました。誰かがドアを開けたのが気付かないほど注意散漫だったらしく入り口を見ないで熱心にテレビを見ていました。もしやと思いアンナ叔母さんと呼びかけるとやっとこちらを向きました。皺の量と浮き上がるような真っ白の髪かアンナ叔母が戦った神経戦争の激しさが感じられお気の毒でした。私が10歳ごろ目の高さを同じにして「年老いて行くところがなくなると面倒を見て下さい」と子供の自分を頼みにしてくれた10年以上前と何か生命力が随分衰えたような気がしました。60歳過ぎて兄嫁(母)の世話になりたくない気持ちを上回るような心の傷を負って帰ってきたのです。少し神経がやられて軽い心の病気にかかっているだろうとは推察できました。母はアンナ叔母が来た当時、これから一緒に暮らしていくつもりでしたが、アンナ叔母とは性格が合わないところもあり兄と相談して、入所できる特別養護老人ホームを探すことに変更しました。アンナ叔母は出ていけの集団いじめによる長期の強いストレスなどで軽い精神疾患があり初期の乳がんにも罹患していまして数年以内の将来を考えると特別養護老人ホームでなくてはいけないそうでした。現在でもそうですが、公立の特別養護老人ホームはどこも満員で入居待ちがわんさかです。何か月、1年近く何度も同じ特養ホームに問い合わせて一か所だけ受け入れてくれる特別養護老人ホームを母が見つけ出したのです。しかし難点が一つありました。入所するお年寄りの貯金現金、年金などを入所時にすべて特別養護老人ホームの所長に預けるのが条件とのことでした。おかしいと思ったらしいが他にもそうした財産管理を強要する特別養護老人ホームが何か所か実際にあったそうです。アンナ叔母を引き受けてくれる特別養護老人ホームが他にあるわけがなく母もアンナ叔母本人も了解してめでたくアンナ叔母の居場所が確定したのです。この時初めてまだ存命だったアンナ叔母の実姉と2人で母に深々とお礼を言ったそうです。特別養護老人ホームでの暮らしはアンナ叔母には極楽のようでした。ただ同室の女性が喫煙するのでタバコが嫌いなアンナ叔母はそれだけが嫌だそうです。しかしアンナ叔母を蝕んでいた乳がんは年単位でゆっくりと肥大していったそうです。皮膚にも転移したらしい。しかし不思議なことに痛みが全くなかったとのことでした。何度が見舞いにも行きましたがお元気でした。「アンナ叔母さん、痛みはないのですか」「ないよ。またお墓参りに行きたい」最後を看取った母によるとアンナ叔母は痛みを訴えないで眠るように逝ったとのことでした。まさに私の理想の亡くなり方です。
さてその後社長夫人の繊維工場経営ですが、アジア諸国の繊維工業の台頭などで経営が苦しくなり将来のことを考えると会社の不渡りを社長の財産で防ごうとせずに不渡りを出して倒産させてしまえば出資金がなくなるだけで一生遊んで暮らせるだけの財産があるわけだから従業員を倒産解雇さえすれば社長一族は一生お金持ちでいられるのですが、社長夫人の財産などをつぎ込んで何年か持ちこたえたそうです。そのうちに繊維産業の景気も持ち直してうまくいけばガチャマンの時代が再来すると思ったわけでもないでしょうが、繊維不況がこれほど悪く長く続いたとは想定外のようでした。社長一族は私有財産を会社に
つぎ込み全部の財産が抵当に入ってから自ら育てた繊維工場は不渡りを出したのです。
そして社長一族は破産して債権者から逃げるために行方不明との消息が母に届きました。結果的には4歳ごろ会った仙人お爺さんの言う通りあの家で生まれた者を苛めると何倍もの不幸に会うという家の言い伝えの通りとなりました。アンナ叔母を助けた母にはもっとすごいことが起こりました。私が先祖供養をするキッカケになったことを次回書きます。

さらえまか: 祖母は仙人と話していた(家の言い伝え)

2017年12月10日日曜日

アンナ叔母はついに老後の面倒は見る約束、家族にする約束を反故にされました。社長夫人は言ってはいけない大ウソをついて嫌がる老舗旅館の女将からアンナ叔母を引きはがしたのでした。

「叔母さん一緒に暮らしましょう。」と言って母がアンナ叔母のタクシーが出発するまで見送った後、「よく言った。満点の受け答えだった」と珍しく大いにほめてくれた。母が言うにはアンナ叔母は食費はまかないの会社持ち、家賃もたぶん取られていないのでは、もしくはごく安い。高価な衣服は着ていないし給料をほとんど貯金して今ではもう大変なお金を貯めこんでいるお金持ちだそうです。お前を育てたわけでないから同居して面倒を見なくてよい。繊維工場を万が一追い出された場合は養老院に入ればよいのです。これでお前は財産の相続人となり時々会いに行けばよいだけでアンナ叔母の何千万円かの現金の遺産を相続できる。私は機会あるごとに相続人が決まったとアンナ叔母の姉妹、甥姪に今日のことを周知する。全部相続できなくとも多くをもらえるはずだ。その代わりアンナ叔母が亡くなった後、位牌は仏壇を買ってお前が管理しなければならない。法要もしなければならない。とのことでした。結局アンナ叔母の遺産は特別養老院の経営者の財テク失敗の担保に入っていたそうで消えてなくなったそうです。
まだ小学校に行く前と思いますが、随分古いお話です。何かの法要で来れないとかいうアンナ叔母を除いた親族の集まりでアンナ叔母が話題になったことがあります。アンナ叔母は家族として寮長として迎えるはずだったが、どうして普通の社員と同じで寮の入り口近くの部屋をあてがわれているのか。家族なら社長夫人と同じ家に住むべきだがという意見でした。誰かがいきなり社長の家に直接入るとほかの社員たちに示しが付かないから会社に何十年か貢献してから引退後に広い社長の家の一室をもらうようになっているとのことでした。今から考えると早くも家族として迎えるは示しが付かないという理由にすり替えられ雲をつかむような引退後の何十年か先以降に、家族にするという約束にすり替えらえていたのです。当然その当時ですらたぶん祖母の法要なので社長夫人が何度も念を押されて老後の保障を約束した我が祖母はお墓の中でした。その後社長夫人から他人がいない時に限りことあるごとに老後は任せておけとか言われて、休暇も取らずに繊維工場のために社員にまかないを作り続けたのでしょう。工場は休みでも社員寮の社員の胃袋は日曜祭日我が祖父祖母の法要の日でも休みなく消化します。その後10歳前後の私に老後の面倒を見てくれという約束を母を立ち会わせはのは祖母と社長夫人の口約束を「そんなことは言っていない」とかいくつかの小さな約束をすでに反故にされていたのでしょう。
 今から20年前頃、母との電話でアンナ叔母の不幸な消息が伝わってきました。社長夫人から65歳になったから辞職して社員寮を出て行ってくれと言われているらしい。話が違う亡くなるまで家族として面倒を見る約束だと抗議すると何十年前のあったかどうかわからない口約束を持ち出されてもそんなものは無効だとか。現在社員総出で「出ていけ出ていけ」と集団いじめを受けているらしい。特にアンナ叔母と仲が良かった同僚が会社に忠誠を見せるためかアンナ叔母を強くいじめるそうです。現在アンナ叔母は頑張っているそうだが臨終まで面倒を見るような契約は無効で反故にされても法律的にはどうしようもないそうだとのことでした。家族にする約束も双方の同意が大前提だそうです。アンナ叔母は頑張っているらしいがいつまで精神的に持ちこたえられるかわからないとのことです。今回もここまでにします。

2017年10月29日日曜日

舌癌は完治と見なすという結果になりました。

2017年08月15日大学病院で頭頚部CTスキャンを実施しました。そして現在のお若い主治医のお望み通りレントゲンなどの画像専門医、画像診断医による今年2月のCTスキャン画像と8月分との比較突合をしてもらったそうです。因みに画像診断医による診断を受けたのは初めての経験です。転勤した執刀医のc先生はすべてご自分で診断なさっていました。2017年08月23日再度仕事を休み大学病院で、画像診断医が出した2月のCT画像と突合した結果の診断結果を聞きに行きました。もし頭頚部に癌再発していれば半年前のCT画像と半年後の8月の画像比較で不一致が出るから舌癌再発転移の確認ができるという理屈です。結果は〇で完全にCT画像が一致して再発なしとのご診断でした。思えば5年前、開業医は神技を使ったなどの助教授発言、神っている白昼夢、神がかりのような癌の発見、確定診断などありまして結果としては今まで命が助かりました。術後5年再発転移なしを迎えたのです。
 そして舌癌は完治とみなすというお墨付きを頂いたのです。先生曰く5年再発なければ90%以上の確率で再発しないのは統計上の事実ですが絶対とは言えない。今後体調で不審な点があれば遠慮なく来診して下さい。もうすぐ11月ですが癌再発なしは8月23日までは確かかもしれませんが、8月23日から今日までに気が付かない微小の癌が育っているのかもしれませんがキリがないので完治と見做すにして以降の予約はなくもう大学病院の耳鼻科を受診しなくてもよいわけですが、あとは厳しい自己責任による自己管理でしょうか。遠慮なく来診と言って下さいましたが今度は予約ないので初診5000円必要です。
舌癌告知時にお会いしたご先祖様の予言通りになったので、舌癌告知にご先祖様に教えてもらった癌は大したことないという白昼夢は、治りたいという強い望みからくる根拠のない自作自演の幻覚なのではなく、まさにご先祖様のお告げだったということでしょうか。
 完治と言われても10%の再発率があるし今も舌癌手術時に飛び散った癌幹細胞が私の免疫が弱るのを待っている状態で、おとなしく分裂しないで免疫に見つからないように息を潜めているのかもしれません。完治と言っても当然、舌癌罹患経験がない人より再発発症のリスクが高いわけですので私にとっては、舌癌は注意すべき生涯の敵です。

舌癌告知の白昼夢でお会いした美しいご先祖様の悲惨な一生

私がお会いしたご先祖様の雰囲気を持っていると考えた朝ドラヒロインが2017年10月で交代します。どちらかと言えば梨村佳澄さんよりブラタモリ出演の女子アナ旧滋賀アナのほうがやはり雰囲気は似ています。旧滋賀アナをもっと強く漂白した感じが癌告知の時にお会いしたご先祖様に近づくといった感じでしょうか。梨村佳澄さんのほうはいつも目じりが緩んでいるような絶えまない小さな笑顔があるようですが、旧滋賀アナウンサは笑顔より機嫌の悪そうな神経質な素顔を見せます。まだお若い(29歳らしいが童顔なのか見た感じ6歳ほど若く見える)のにもうすぐ21時のニュースキャスタに出世するかもわからないほど順調な人生なのに見た感じ大きな不幸に耐えたような暗い表情を見せます。私のご先祖様も旧滋賀アナより更に神経質陰気で不機嫌そうなお顔で梨村佳澄さんのように幸せそうな笑顔は全くありませんでした。彼女は32歳でお亡くなりになるまで絶えず生き地獄のような呼吸困難に苦しんだから当然といえば当然でしょう。2016年夏に縁あり巡り合った霊視能力のある占い師に聞いた情報によると私も白昼夢で一番最初に見た映像が、小さい顔が見えないで髪の毛だけ見えた3歳のご先祖様でした。その動き回るカツラのお化けに見えた幼児のご先祖様に注意を奪われてると手が届くような目の前に美しいご先祖様と対面していました。最初占い師も3歳で亡くなった女の子の陰に隠れて25歳前後に見えた童顔のご先祖様を見つけられなかったそうです。胸の病気がうつると命に係わると思われたためか友人などと交友関係がなく大変な人見知りをするお方だったのでしょう。それでも癌告知という私には大変な事態に人見知り気恥ずかしさを押して手が届く距離にまで会いに来てくれたのは感謝感謝です。きっと大きなご勇気を出してくださったのです。
 霊視できるとかいう占い師によると300年前、その我がご先祖様は幼い子供時代から胸の病気を患い咳などの発作で寝たきり状態だったそうです(お痛わしいです)。体調が良い時もあったらしいが離れの隠居小屋で老い先短い祖父祖母が看病していたそうです。300年前と言えば犬公方様、赤穂浪士討ち入りの時代です。当時胸の病気を患うというと不治の病であった労咳結核の疑いで近所親類縁者さえも寄り付かなかったでしょう。つまり我がお美しいご先祖様は家族以外社会生活の経験がないはずです。年頃になっても独身男性からチヤホヤされたり若い男女の駆け引きなど女性なら誰でも経験するような社会経験がないまま32歳で亡くなったということです。楽しいこともなく時々起こる息苦しさなどの苦しみの多い人生でおいたわしく気の毒な事この上ありません。周囲の彼女に対する恐れは顕微鏡などがなかった時代彼女の病気が人に移らないという保証がないからです。
 平安時代の源氏物語などの美人画ではオカメ・おたふく顔が美人とされていました。ほとんど例外がないようにお多福顔が描かれていました。ありていに言えば下膨れ顔、悪い表現では狸顔です。江戸時代の美人画と言えばお多福顔とかけ離れていました。元禄の北斎などの美人画は私の知る限りは縦長の四角い色白肌で、鼻はカギ鼻、目は細く吊り上がっていました。下ぶくれの目が大きい朝ドラヒロインなどは平安江戸時代の美人とはかけ離れています。しかし舌癌告知時にお会いした我がご先祖様は平安江戸時代の美人とはかけ離れていますがいつの時代でも、少なくとも外見で不快感を招くような醜女ではない筈です。

2017年7月9日日曜日

朝ドラヒロイン、旧滋賀アナウンサーもお目にかかったのは2017年4月です。心霊体験、白昼夢でお美しいご先祖様にお会いしたのは2012年2月です。ズレがあります

茨城県朝ドラヒロイン、旧滋賀アナウンサーもお見かけしたのは今年の4月なのに2012年当時からお二人をテレビで見たことがあるのかとご不審に思われる方がいらっしゃるかもしれない。実際読者におかしいといわれました。
2012年3月舌癌宣告を受け意識が遠のく中、目の前の25歳前後の女性に気が付いた。私のご先祖様は引いていたアゴをゆっくり上げて二人の視線が水平にばっちり合いました。こちらは誰なのか思い出そうとして必死で目の周り中心に見つめました。両目周辺だけで鼻や口、眉お顔の形までチェックできない時点で見知らない女性だが目と目の周辺は誰に似ているか考えると、演歌歌手だった不二恵子さんのお嬢さん光さんの目に少し似ているようでした。彼女のCD1枚だけ買っていて時々歌詞や彼女の写真を目にするから光さんの目を思い出したのでしょう。この写真が光さんの目だけを切り出した写真です。肖像権の問題もあるでしょうが、お金を払って購入したものでお顔の一部をブログに利用させてもらっても大丈夫でしょう。あくまでも目的が白昼夢でお会いしたご先祖様のイメージを説明したいだけです。人気芸能人を利用してクリックを増やす意図はありません。お名前から検索してもヒットしないようにお名前を変えています。彼女の実名を入れてお名前を利用して読者を増やすような意図がないのは明白です。
そんなわけでご先祖様にお会いして似た人を探して見つけたのがこの写真でした。しかし25歳前後のご先祖様のお顔全体はこの写真の主のお顔とは似て非なるお顔でした。25歳前後の私のご先祖様のほうが繊細なお顔だった気がします。共通点は目の周辺の雰囲気とどちらも童顔ということでしょうか。
舌癌告知を受けてから5年以上になり、茨城県朝ドラヒロイン、旧滋賀アナウンサーに似ているといっても記憶的に絶対の自信はありません。ご先祖様にお会いしたのも癌告知を受けたのと一ヶ月以上経験した舌の痛みで食事が減り精神状態及び精神が陰の極みと言った状態でした。そんな状態で見た白昼夢の思い出など頼りなくおぼろげなのは致し方ないでっよう。しかし茨城県朝ドラヒロイン、旧滋賀アナウンサー、不二恵子さんのお嬢さん光さん、心霊体験でお会いした私のご先祖の4人に共通するのは色白で童顔という点です。童顔の強さでは不二恵子さんのお嬢さん光さんが最強でしょう。

2017年6月4日日曜日

心霊体験を詳しく書きます。舌癌告知時、何秒か意識を失ってお美しいご先祖様にお会いしたのです。

2012年2月13日大学病院の2人の耳鼻科の先生の診察を受けました。一人目の先生にまぎれもない舌癌と言われ、二人目の主治医様の部屋に入り悪性の腫瘍と宣告を受けたとき、太い青竹の棒で頭を殴られたような衝撃を感じました。
よく臨死体験での体外離脱などで空中から病院のベットに横たわっている自分の肉体を見た。自分の周囲を家族などが囲んでいるのが見えたとのTV番組がありました。私も近いものを体験しました。数メートル四方の腰高程度の低い四角い黒い塀があり、黒い塀の中で一人の男性が両手でムンクの絵のように頭を抱え込んでいるのです。普段と違って梯子の上に立ったように上から下を見下ろしている視点でした。これが幽体離脱、体外離脱などと言われている上からの視界だったかと今振り返っての記憶になっています。その時黒い塀はなんとなくこの世とあの世の結界ととらえていました。ムンクの絵「叫び」のように頭を抱えている人は舌癌告知を受けた自分だとはなんとなくわかりました。それから数メートル四方の黒い塀伝いに小さい子供用の雀の巣のようなカツラがこちらをめがけて動いてくるのです。どうしたと見つめると二歩下がって止まり、しばらくすると三歩近づくというようなジグザグに近づいてきたのです。その時はもう視点が地面近くに戻っていて体外離脱は終わっていました。その雀の巣のようなぼさぼさのカツラも顔が見えなく3歳で肺炎など胸の病で夭折なさった明治20年頃のご先祖様とわかりました。こうした情報は霊視できるとかいう占い師に聞きました。通常より少し高い数千円の料金で霊視してくれます。3歳で亡くなった明治20年頃の女の子の記述は実家の過去帳に名前とともにありました。霊視できるとかいう占い師が観てくれた名前と過去帳の名前が一致したのでその占い師を信じています。
カツラに気を取られ気が付くと25歳前後のうら若い下の写真のような髪型の女性が顎を鎖骨 胸骨にくっつけるようにアゴを大きく引いて上目遣いに目の前、手が届く距離に座っていました。私はお目にかかった覚えがないのですが相手は私を知っているのか少しだけ含み笑いをしていました。それから首を動かさず瞳だけを左右に廻して私の左右を見たのです。まるで女子中学生のようなしぐさでした。それから少しづつ胸骨にくっついていたような顎をゆっくりと上げていって二人の視線が水平にばっちり合いました。こちらは誰なのか思い出そうとして必死で目の周り中心に見つめましたが全く記憶にない女性でした。
誰でもご存知でしょうが、写真は朝ドラのヒロイン梨村佳澄さんです。舌癌告知時にお会いした女性はこの朝ドラのヒロインに似ています。特に髪型など頭部の形がそっくりです。写真では前髪は視界の妨げにならないよう前髪をおかっぱ風に切っていますが、舌癌告知時にお会いした女性は前髪がこの倍ほど長かったです。前髪の曲げやカールもなかったです。4月から始まった茨木県北部を舞台とした朝ドラですが、茨木県北部時代、ヒロインが高校生時代のほうが向島電機の工場時代よりよくご先祖様の雰囲気を出しています。家族と共同でした稲刈り作業の風景、野菜畑の収穫、耕作など農作業を通じた土臭いイメージを醸し出した名演技でした。凛とした女優というより所作もゆっくりとした童顔の田舎くさい感じで親しみが持てるような演技が素晴らしかったです。東京のトランジスタラジオ組立工になってからは垢抜けして少し我がご先祖様と違うかなと思います。それに彼女はほお骨が前に出ておりお顔がなんとなくのっぺりとしていますが、私のご先祖様はそれほど頬骨は出ていませんでした。それに梨村カスミさんは少し日焼けしているようですが、舌癌告知時に白昼夢でお会いした女性はシミもなく色がとても白かったです。霊視できるとかいう占い師によると、舌癌告知時にお会いした女性はまぎれもなく300年前の私のご先祖様だそうです。300年前の私のご先祖様は小さい子供が大好きで明治の初めに3歳で亡くなったオワキ様を膝に乗せたりして霊界を連れ歩いていらっしゃるとのことです。何とか48などアイドルというより、容姿は抜群で女優並みだそうです。子供の時から胸の病がありほとんど寝たきりで32歳でインフルエンダ併発などで酸欠で亡くなったそうです。呼吸が苦しく病気で寝たきりなので野良仕事もしないで日光に当たらなかったのでしょう。享年33なのに二十五六歳に見えたのは色白で童顔だからと思います。胸の病気は結核か父の死因、父の妹の死因であった間質性肺炎か詳しいことは判らないそうです。とにかくこの連続ドラマをビデオで撮りだめして毎日見ています。朝の連続ドラマを見るとご先祖様に会えるような気がして最近の楽しみです。更に言いますと朝ドラのヒロインと国営放送の女子アナで今年4月からブラタモリに出演している童顔の旧滋賀アナウンサーとミックスしたような容姿でした。色の白さと目の大きさは朝ドラのヒロインより目が小さい旧滋賀アナウンサーに似ています。どちらにせよ普通なら私など鼻にも引っ掛けられない高嶺の花のような美しい女性です。
アゴを引いて見上げる視線からアゴを上げて水平視線になって数秒見つめ合った後、突然横を向いたのです。二度とこちらを向くことはありませんでした。髪の毛を遠慮なく観察したのですがあれほど櫛目が鮮やかなのは初めてでした。彼女はどれほど何回髪に櫛を通したのか、どのように髪を梳けばああしたくっきりした櫛目になるのか考えてました。彼女は一言も発しませんでしたが、横を向いてから老人のような初老の男性の声が聞こえました。「お前癌だったのか可哀想にのう。でもたいしたことにならないから、もうそんなに気に病むな。」若い女性の声でなかったので、どこからと横を向いた彼女だけでなく全体を見ると彼女の頭頂部に隠れて額の上だけのチョンマゲが見えました。額から上だけでお顔は見えませんでした。その時両肩を両手でゆすられて「○○○さん。しっかりしてください。聞こえていますか。癌と言っているのですよ。」これで白黒の白昼夢から舌癌告知の現実に引き戻されました。
ところで霊視できると触れ込みの占い師に面会したのは、彼女がどうして横を向いたのか。そして自分の先祖なのか誰なのか。明治以降の実家の過去帳には20歳前後の女性の記録がないのに誰なのか。横を向いたのは自分は嫌われたのでしょうかと聞いてみると「守護霊が守る人を嫌うこともありますが、嫌っていれば白昼夢などで会うことはないです。まず出てこない。顔が見えないように横を向いたのは『まだ私がいるこちらに来てはいけない。戻りなさい。寿命でないのでしっかり生きなさい』という意思表示です。あなたは彼女だけでなく大勢のご先祖に好かれています。常時近くに大勢のご先祖様がいます。近くにいらっしゃるご先祖様は他の子孫係累よりあなたに供養してほしいご先祖様だそうです。それから手が届く距離で守護霊と会うのは危険です。両手で抱き付かれればあの世に連れていかれてしまいこの世に戻れなくなる危険があるそうです。横向いたのは大きな愛だそうです。」白昼夢の登場人物は目の前の若い女性、髪の毛だけが見えた3歳の女の子、チョンマゲだけが見えた初老の声と3人ですが、顔が見えたのは手が届く距離にいた朝ドラのヒロインに面影が似た女性だけでした。機会があればなぜ一人だけ顔が見えたのかこれも聞いてみたい。チョンマゲの人は当然江戸時代の人で隣県出身だが私のご先祖だそうです。
 ところで将来病気で苦しんで、これは死病で助からないと思った時、楽になる方法を思いつきました。これから一層先祖供養に励みいよいよの時、朝ドラのヒロインに似たご先祖様を呼び出します。地面に額をこすりつけてこれまでのお礼を言上して、病気が苦しいので連れて行って下さいとお願いします。あのようなご先祖様に抱き付かれてあの世に行けるなら人生の終わりとしては、大きな幸せかもしれない。

2017年5月14日日曜日

三人の敵その1_3(最初に私から仕事を取り上げた上司はうつ発病で出社拒否)

LAN工事のチームから外され備品固定資産の管理の仕事も取り上げられた結果、本当にすることもありませんでした。企画部に引き取ってもらうまでも実質無仕事状態は何年か経験しています。だから仕事がないのに仕事をしているふりをして毎日終業ベルを待つのはそれ自体それほど苦になりません。しかし1998年当時はその数年前と事情が大きく異なっていました。当時は風潮として終身雇用制度が崩壊して、中高年層のリストラ大流行、リストラの嵐でした。同僚の50歳越えの大先輩も人事から君の給料で有名大学卒の新人2人雇えると何度も言われたとのことでした。現在の担当が存続する限り同僚の居場所はありますが、組織再編などを口実にこのまま仕事がないといつ人材開発担当に追いやられる危機感をヒシヒシと切羽詰まるようでした。そこで二三年先退職に追い込まれた時のために人があまり身に付けていないスキルを身に付けようと考えました。具体的には中級レベルだったアクセスの開発能力を上げることです。ビジュアルベイシックVBAなどの付加価値を付けたアクセス技術を身に付ける目標が出来ました。例えば都道府県を選択するコンボボックスがあり愛知県を選択すると次の市町村コンボボックスでは名古屋市や安城市など愛知県に関係する市町村だけを選択投入できるようにするなどです。入力を楽にする機能としてよく使われます。例えば現在は廃刊になっていますが株の業界紙ごとに紙面のコラムのタイトルは違います。その都度手入力では情報入力が大変なので以下のようにマスコミごとに新聞に特化したコメント、コラムなどを過去入力したものに限って表示するようにしています。
こうしたACCESSの技術はこの当時身に付けました。そして会社を辞めざるを得なくなった時、再就職の武器にしようと決めました。とりあえず周囲の情報を片っ端からDB化しました。DB化とは表にしてアクセスにすることです。
アクセスのスキルアップに没頭して1年後2000年2月ごろ新しく赴任してきた人事権のある人からオラクルが入っているサーバが故障したとき修復する業務の担当が人材を募集してる。枠は一人だけで貴方を推薦するつもりだ。断らないでください。貴方にとってこれが最後のチャンスになるでしょう。ここに残っても2年ほどでスキル不足で行くところがなくなります(人材開発担当候補?)。と言われ最後のチャンスに賭けることにしました。サーバトラブルの技術を身に付ければ将来安泰だが出来なくとも故障の原因、状態を申告者から聞き出してて解析部門に回す業務、受付でもできれば生き残れますとのことだった。サーバトラブル解決専門の部門でサーバトラブル解決の技術者として認められた2001年ごろ、かつてのLAN工事の同僚、KさんからMさんの動向が伝わってきました。Mさんは大出世して籍はわが社ですがサラ金業者に何でもできるシステムエンジニアとしてオラクルがインソールされているサーバ保守の仕事を任されていたそうです。Mさんの給料は額面でも50万以内で手取りは何も変わりませんが、サーバ保守の仕事をしているサラ金業者から我が社に100万円ほどの人材派遣料をもらう契約で、部下を2人連れてサラ金業者に派遣していたとのことでした。サラ金業者にすればMさんに月額100万円を払ってもソフトウェア会社にAPの修正改良を依頼するよりもMさんにメンテしてもらったほうが安くつく勘定でした。差額の50万円以上は我が社に入りこのまま仕事を続けると大変な貢献になります。しかしMさんはサーバトラブルを解決した実績もなく、ましてそのサラ金業者が期待したAPの改修メンテ能力など皆無なのは私がよく存じています。DOS窓コマンドプロンプトからサーバやルータにPING試験する以上のスキルはないのです。何でもできるシステムエンジニアと推薦されたのが命取りとなったようです。スキルがないのに多くのAP改修要求を出されて何か月たっても解決してくれないのでサラ金業者が進捗会議でMさんを攻め立てたとのことでした。サラ金業者としては何でもできるシステムエンジニアとの触れ込みで我が社に毎月100万円もの賃金を払っているのだから当然です。Mさんはお客であるサラ金業者からの要求や知りえた情報を部下二人と共有せずに一人で解決策を探り仕事と問題、課題を抱え込んだそうです。そうしてサラ金業者がMさんのスキルに疑問を持ち、激しくなる連日の進捗会議に耐えかねて出勤しない出社拒否になったそうです。病名はうつ病です。現在は病院の神経科に入院中で回復の予定は未定だそうでした。Mさんは病気休暇の最長2年を取り元の部門Kさんと一緒にLAN工事の仕事に復職しました。しかし一ヶ月勤務の後また長期の病休になりました。Kさんも愛想をつかしたとのことでした。Mさんは1ヶ月2ヶ月出勤の後必ず復職委員会の承認を得て病休を取りそのまま退職までほとんど病気休暇で10年前定年を迎えました。あの様子だと一生うつ病は治らないでしょう。家族はお嬢さんが二人いて2人を大学卒業させる目標だと私に語ってくれましたが、長期の病休は給料の減額を余儀なくされ二人のお嬢さんは大学への夢は断たれお気の毒です。私が中学2年まで住んでいた家を出た者を虐めるとわが先祖が虐めた人に何倍も仕返しをするという仙人お爺さんの予言はまた当たりました。ただし我が先祖の御霊がそうしたのかは不明ですが、仕事をすべて取り上げて私を虐めたMさんが不幸になったのは確かです。

さらえまか: 祖母は仙人と話していた(家の言い伝え)

2017年5月7日日曜日

三人の敵その1_2(最初に私から仕事を取り上げた上司の末路)

1998年初秋の頃でした。リーダであるMさんは私の自宅よりこの地域の中心地から3つ向こうの駅に住んでいました。自宅の話になると時々たびたびだったか、3つ向こうの自宅に来てくれ酒は飲まなくてよいから料理を楽しもうと誘われていました。秋になると少ししつこいほど誘うのです。何かの話のついでなく頻繁に自宅に来るように誘われたのです。どうしてそんなに熱心にという思いはありましたが、終業後、同じように会社を出て普段使わないその私鉄電車に一緒に乗ってMさんの自宅に向かいました。とても機嫌よく別れの酒宴とは想像できないほど歓待してくれました。18時前後に彼の自宅に到着、近所の行きつけの飲み屋に入り店を出るとき、精算時は決して私にお金を使わせようとはしませんでした。飲み屋を出た後はまた隣のつけの利く飲み屋での見直す、などと計3軒の行きつけの飲み屋でごちそうしてくれた。その時は歓待の理由は判りませんでしたが、その後すぐにわかりました。深夜11時ごろまで何を話題にしたか20年近い前なのでほとんど忘れてしまったが、包丁砥ぎの話だけは覚えています。まだ私は砥石で砥ぐという技術は身についていませんでしたが、Mさんは海釣りを趣味としており小型の出刃を持っていたそうで海釣りの獲物を処理するのに大変な活躍をする道具だとしつこいほど言っていた。包丁を研ぐという技術を身に付けると料理という素晴らしい世界が待っているとも力説していました。うまく研げた小出刃で刺身のツマのネギを輪切りにすると切り口がペッタンコにならず元の形である円形リングを保つとのことです。ネギの切り口を見れば研ぎの技量がわかるとも自慢げでした。翌日は休日だったので23時まで遊び駅まで送ってくれて3駅向こうの自宅に向かいました。
休み明けに出勤するとMさんは様子がおかしくこちらのあいさつを返してくれないのです。仕事もM&Kコンビで私を誘わず二人でこっそりしているようです。何か話しかけても取り付く島もないように口を閉ざしました。1週間もするとようやく自分は仲間外れにされたのだとようやく気付きました。別れの宴の翌日からLAN工事は私を除いてMさんとKさんの二人でするということが決まったらしい。人事権のある上司も承認した結果らしいとのことでした。仕事自体は前回説明の通り誰でもできるもので、自分がのけ者にされた理由がわからなかったが、私は大いに傷ついたのです。これからどうして時間をつぶそうかと考えていました。本当にすることがなかったのです。しかしLAN工事以外にもう一つ仕事があったのでした。会社の立地はそれぞれの部門が50㎞以内に4つのビルに分散してありました。私の担当が所有する固定資産や備品の数が大きく4つのビルの各階の部屋に分散して保管、使用されており年2回の固定資産備品の棚卸しですべての備品がどこかで適切に保管管理されていることを証明しなければなりません。責任者は管理している担当の人事権がある人なのですが、備品が所在不明となった場合、一番叱られるのは企画部経理です。各担当への指導が悪いということです。当時ACCESSのわずかな知識で備品台帳を作り各備品ごとに移動確認年月日、ビル名、3Fなどの階数、部屋名、部屋棚の位置などの履歴を付けて管理するデータベースを作って管理していました。わが担当の固定資産備品が会社で最大の金額、種類と品数が突出して大きかったので経理の人の悩みの種でした。4つのビルに所在がまたがっているのは私の担当だけだそうです。棚卸しの締め切りが近づくと毎日調査備品の探索依頼に来ています。経理とは同じ企画部だったので気安くしていました。また私の担当はもといた部門で居場所を見つけられず企画部に引き取ってもらった落ちこぼれのような人が多かった。もちろん私も落ちこぼれでした。でも経理の人から見れば私のEXELのスキルが彼らを上回っており、経理の人が目標としているACCESSでアプリを開発して改善活動発表会で発表しているのをご存じなので本当なら経理から馬鹿にされても仕方がない身分なのですが、EXELとACCESSのおかげで時々はありがたられていました。そしてACCESSで履歴機能が付いた備品台帳を開発しているという実績で馬鹿にされるということはありませんでした。それどころか履歴機能が付いた備品台帳が経理の人にとっていかに素晴らしいのか教えてくれました。最後の日付、何年何月何日、Aビル、4階、何々部屋の南東部にあったという履歴から次の移動場所が簡単に推定できるというのです。私に他の担当の備品台帳をACCESSで作成して運用の手順書を作成して他の担当に配ってほしいとの要望もありましたが、Mさんの妨害があったのか立ち消えになりました。EXELで備品台帳を作ると最新の備品の居場所しかわからず、一目で今までの履歴が全部見えるACCESSの入れ子表現にした履歴機能が付いた備品台帳を使って一番困難な私の管轄する備品の棚卸しが終われば、全体の峠を越えたような感覚になるとのことでした。経理からのあの備品を検索してくださいとかの依頼は結構楽しい仕事でした。人のお役に立てているという実感を感じられたからでしょう。私の担当の固定資産備品の移動があると経理の人が移動があった備品のリストを持ってきてくれACCESSのデータベースに登録してくださいとお願いに来たのです。しばらくして経理の人が来て検索で先日の移動備品の履歴がACCESSのデータベースに登録しているのを確認して経理の人は帰っていきました。備品が行方不明になると一番被害を受けるのは経理だと私には正直に言ってくれました。ところがある時期から経理が私に移動があった備品のリストを持って来なくなりました。経理の人に理由を聞くと移動があった備品のリストはMさんに渡すよう私の人事権のある上司から経理に通達があったそうなのです。経理の人は私にACCESSで管理してほしいらしいのですが、そんなことは言えないから仕方がないとのことでした。MさんはEXELで漏れがないように管理するから私に渡さず自分に渡してくれとのことでした。Mさんはとうとう固定資産備品管理の仕事まで私から取り上げたのです。Mさんの理由は判りませんでしたが断れば集団いじめの対象にされるなどの圧力を宴席などで受けたようです。そうこうしていくうちに腹が立つことがりました。出勤がだんだんつらくなっていった当時、うつむいて歩いていると背中をポンと叩くで見るとニヤニヤしたMさんでした。「うつむいて歩くと心の病気になる。胸を張って前を見て歩かないと」などと余計なからかいののような意見をもらったのです。私がうつむくような原因を作った人からのそうした言葉にさすがにむっと来ましたがどうすることもできませんでした。しかし数年後立場が逆転して出勤するうつむいて歩いているMさんの肩を叩いて「前を向いて歩こう」と本当に心の病気になって解雇されないよう出勤してきたMさんに仕返しができる日が来るとは当時は夢想だにしなかった、

2017年4月26日水曜日

三人の敵その1(最初に私から仕事を取り上げた上司の末路)

1998年当時、世間では中高年層のリストラ大流行、リストラの嵐でした。この当時の退職拒否した社員を退職させるための集団いじめや嫌がらせによる精神障害のまま退職、失業保険のあと退職金の食いつなぎの結果、退職金の枯渇、再就職先などあるわけもなく前途を絶望した当時のリストラ被害者のうつ病などを原因として列車の人身事故の遠因と私は考えてます。それにしても数年前から列車の人身事故によるダイヤの混乱が多すぎる。わが社でも代わりがある仕事をしている人には風当たりが厳しくなっていました。生き残るには会社にいないと困る人、必要な人材と認めさせる必要がありました。要するにだれでもできそうな仕事をしているとその仕事がなくなるとお客から重要な仕事を任されている部門からの引き合いがなく人材開発担当などに追いやられて退職を言い出すのを待たれる部門に行かされるということになります。そして正直に申し上げて1998年当時の仕事はスキルも必要なくやる気になればだれでもできる仕事でした。所属する組織、担当がなくなればいつリストラされても不思議でない境遇にいたのです。具体的には私の仕事は作業主任、リーダーであるMさん、Kさんと私の3人で社内向けのLAN工事をしていていたのです。ソフト開発部門に多かったのですが、新しいプロジェクト担当などを新設した場合Windows95がリリースされてから3年経っているのでパソコン、社内のホームページ閲覧機能、メール送受信機能がないと仕事になりません。必要に応じて倉庫に保管しているPCなどを引っ張り出してPCもこちらで用意しました。企画部門の一部なので仕事の環境を整えるのが仕事でした。LAN工事は近くのルータを押さえetherネットLANを伸ばした幹線を床下から追いかけて直径2㎝程の幹線に直行する穴を空け芯線まで届いた穴に先がとがった導電性の金属針をねじ込んでKAN幹線から支線を作りハブにつなげて新担当の各パソコンを集約ルータにつないで電子メールやインターネット環境を構築することです。その担当のためのハブにノートPCを繋いでDOS窓からルータにPING試験が通ればLAN工事めでたく完了です。
十字ドライバーを回したりLANケーブルをつなぐことが出来れば誰でもできる仕事でした。またこの施設を利用するのが社内の部門で何か間違いがあってもごめんなさいで済みます。さすがに毎日LAN工事はないので仕事がない時はネットにつなげている社員のパソコンのトラブル対応です。メールが送信できないとかインターネットに接続出来ないとかの問題解決です。企画部内のPC技術者と相談しながらLANボードのドライバなどを再インストールして解決させていました。暇な時もありますがLAN工事をする前よりはずっと会社に貢献できる仕事で人事権のある上司からも以前よりずっと仕事の内容がよくなり頑張っているとの評価を頂きました。1997年から1998年にかけてはリーダのMさん、先輩のKさんの3人で何とか給料分の仕事にありついていました。現在もそうだと思いますが、実際に給料分の利益を会社のために稼いでいなくても人事権のある上司が給料分の仕事をしていると認めればそうなのです。

2014年2月23日日曜日

20年以上故障なしで乗り続けた車を廃車にして買い換えました。当然新車は昨年1位の新車販売数を誇ったお水です。

2014年1月のある日めでたい納車の日でした。新車との出会いはわくわくドキドキですが、同時に25年連れ添った愛車との別れでもあります。この平成元年購入の車を○○○社販売店に持っていくと廃車の手続き、新車との交換です。平成元年購入時、故障しないだけでなく好きになれそうデザインが素晴らしいと感じた、今も飽きが来ないグッドデザインです。そして20年以上故障しなかったはそれだけで本物の名車です。そんな不朽の名車でもあと少しで廃車、要するにクズ鉄にされるのです。可哀そう。
新車に買い換え決断のきっかけは、一昨年夏のエアコンの中枢部品圧縮シリンダ交換でした。中古品で間に合わせても8万円の出費でした。25年はいつ部品に寿命がきてもおかしくない時期です。5万円以上かかる故障が頻発するかもしれない。そして何より新車への一番のハードル、資金的には与党選挙勝利による株価の上昇です。塩漬けになっている水浸しの株がトントンで換金できる価格まで上昇したのが昨年5月でした。4月あたりから株価大暴落の気配プンプンで儲けどころかヤレヤレ売りで売りを急ぎました。そして振り込まれたお金が200万ちょっとでした。売った日から1週間で5月の暴落が始まりました。大きな下げで通帳に残しておくとまた安値を拾おうとして相場に使う気がするので車に回したのです。下の写真がハイブリットエコカーです。部品故障、資金ができた、ガソリン価格の上昇、この3つが新車購入を決めました。
昨年10月には新車購入店を決めましたが、納車は第1位の人気車なので来年になると言われました。自分としてはデザイン的に好きな車ではありません。写真の前面フェイスは女性が好みそうな丸みがあります。決め手はなんと言っても23年間故障なしでいてくれた同じメーカーの車で、同じように一番売れて前の車種と同じくロングヒットになりそうな車種だったからです。大衆車ですがチェンジレバーの前にある現在地の位置情報を表示するナビゲータに「R」バックギアに入れると後方の景色が液晶スクリーンに映るようになっています。目的は車庫入れで、後ろに当たることがないように車庫入れができるためです。数センチギリギリに停車できます。それとバックする時、後方の子供などを確実に発見するためです。このオプションが11万円。決して無駄ではない出費です。写真のフロントライトは前の車では蛍光灯に例えれば昼白色のように黄色っぽい色でした。ハロゲンライトの青白い対向車に対して少し自分の車が安物のように思えてコンプレックスがありました。そこで青白い光を出すハロゲンランプでなくLEDライトにしました。このオプションが10万円でした。夜間は青白い光が雨の夜でもよく通ります。LEDライトは省エネで電気を消費しません。エコカーにはうってつけで、これまたそれなりに価値のある出費です。肝心の燃費はメーカ発表では、1リットル35kmですが、自分の計測では、1リットル20kmでした。昨日一ヶ月無料点検に販売店に行って来たのですが、「燃費が1リットル35kmに対して伸びないのは自分の運転に問題があるのか」聞くと普通の運転ではそんなものです。寒い冬場ではハイブリットでは最初室内を温めるため燃費が悪く、夏場はあと3kmほど伸びるそうです。また走行距離の半分近く時速60km以上出す高速道路を走ったため燃費が伸びなかったかもしれません。スピードが時速60kmを超えると燃費が悪いそうです。たとえ1リットル20kmでも前の車より倍以上の燃費です。円安ガソリン上昇でガソリン代が半分で済むのはありがたいです。

2013年12月23日月曜日

起承転結_結(入社5年目の躓き 即日に届いた訃報)

転勤後、会いたくないのに何度かJさんを見かけました。それ自体やむをえないことでした。距離的に10kmほど離れているといえ同じ会社ですし私が転勤したように他の多くの人がJさんNさんがいたビルから私のいるビルに転勤しています。したがってJさんが多くの知り合いが当然いるでしょうし仕事上の関連もあります。ただ腹立たしくウンザリしたのはJさんが私の顔を見るなり以前よりもっと親しげに走り寄って来た後何だかんだと話しかけて来ることです。いったいどの顔をさげて私に合わせることができるのか。どんな神経をしているのか。以前と同じ声を聞いてよけいムカつくのでした。最後のドアを閉めた時と同じように、返事しないでJさんから離れるのが常でした。Jさんは以前の薄笑いと違って目を合わせようとしていました。しかし今度は私が目をそらせました。こうしたJさんからの接触が年に1回から2回あったような気がします。今ならJさんの言い分がわかります。自分以外の人では常識となっているアフリカ以来の先祖から引き継いだ誰でも持っている人には言わない本音なのです。「あの状態では自分が助かるのが精いっぱいだった。」これは人間らしい当然の行動と思います。恨んでも仕方がない行動ですが当時は許せなかった。

転勤してから数年後、朝出勤時にこの冬一番の寒さだなと頬に当たる痛い寒気を感じた1月下旬の寒い日でした。私が仕事しているビルで、JさんNさんがいたビルから出張してきた人に会いました。私の顔を見るなり、驚くべきニュースを持って来たのです。Jさんが今朝遺体で発見されたというのです。Jさんの家から10分ほどの消防用の防火用水のプールの中で氷水の中でうつ伏せで浮いていたというのです。別居中の奥様と離婚した後、毎夜近所のスナックで飲み歩いていたとのことでした。そういえば「起承転結_承2(入社5年目の躓き 春から夏)」の頃から小学校の教師であるJさんの奥様との夫婦仲がうまくいかなくなったとのお話をよくしてくれました。Jさんは2年前に結婚、まだ新婚だった家庭事情を話してくれました。不仲の原因は奥様が世界3大宗教の一つに入信しており、ご主人のJさんにも入信を強要するようになったとか。たぶんそのころから私一人を悪者にして自分達は助かるつもりだったのでしょう。離婚後、話し相手もないので、飲み屋通いが常習化していたとか。氷が張った防火用水のプールは飲み屋からの帰路にあったらしい。私はJさんの家にお邪魔したことがないので当然、防火用水のプールは見ていないのです。プールはコンクリートの塀が1m以上ありその上にさらに1m以上の金網のフェンスがあり自分でよじ登らない限り中に入れない構造になっているそうでした。一応変死だが警察が事件性の疑いもあるとかで捜査中とのことでした。今夜お通夜であなたも来ないかと誘われました。「用事があるので行けない」と断るとJさんは私のことを折に触れて語っていたとのことでした。亡くなる数日前にも私を話題にしたそうです。彼はもう一度お通夜の出席を求めましたが、たぶん暗い顔をして断ったと思う。当時まだ精神的に、神経過敏症から立ち直っていなかった。その時も以前なら気にしなかったちょっとした刺激にも苦しんでいてこんなことになったのも、Jさんが仕事に穴を空けてくれという話を持ちかけて来たのが一番の原因なのに到底許せないという思いがありました。今考えると高校時代のH君の時も訃報がY先生を通じてその日のうちに届きました。さらえまか: 高校入学直後の躓きと後悔2
現在ならお通夜に倍席もするし彼から話しかければ何事もなかったように応じれる自信があります。しかしあの裏切りがなかった前の交友関係に戻ることは現在でも無理です。事実はなかったことには出来ないのです。







2013年11月16日土曜日

起承転結_転4(入社5年目の躓き 転勤即ち心機一転とはいかなかった)

新年のあいさつ以外、村八分で自分一人が孤立していた地獄のような前の職場から脱出できたのは幸運でした。友人人間関係がすべて破壊破綻され何の未練もなく負け犬としてしっぽを巻いて逃げるように転勤しました。新しい職場に行ってもNさんJさんから裏切りの予兆を感じたころからJさんから許しを乞われたのに返事しないで最後のドアを閉めた日までの出来事記憶の反芻でした。自分への仕打ちへの腹立ち、人の心は信じ難く醜いなど過去を引きずっていたのです。今から思うとまさにこれこそが心の病でした。振り返る値打も意味もないことに捉われ前を見ないで過去を振り返ることばかりでした。もし今もこの精神状態が継続しているなら入社5年後の失敗のブログなど絶対に書けません。人に知られたくない自分一人の悪夢として閉じ込めたいと考えるからでしょう。
振り返りで一番腹立たしいのは、日本の将棋の駒のように、相手側の陣営にまわった途端に、敵となって精神的ないやがらせを加えてくるのです。当然、集団でやられました。ここでHさんに忠誠心を見せておかないと次は自分が私と同じ運命をたどると集団いじめをエスカレートさせたのでしょう。その時まで自分の考えでしたが、友情と仕事は区別すべきもので、全く別物と考えていました。退職しても友人なら交際は続くでしょうし、友人関係に会社の事情を持ち込むべきではないと考えていました。でも他の人はこの反対の考えのようでした。一番大切なのは自分の会社での居場所を守ることのようです。雇用関係を守るためなら弱り目の仲の良い友人を踏みつけ、集団いじめの対象にしてもやむをえないという立場です。どうも自分以外の全ての人は友人・友情などに価値を置いていないようです。今、友情と仕事は区別すべきものというような甘い考えでは、生きていけない。かつての同僚は正しかったのだと思います。仕事、給料あっての友人なのです。勿論、誰もが秘した本音であって普段は友人は大切なのです。非常時どちらを選択かと切羽詰まった時は友情を捨てられました。神経科の先生は精神安定剤の副作用を認めようとしなかったのですが、安定剤の副作用は服用2年後から虫食みました。先生は副作用は医学的にはあり得ません。そこで脳に悪いものを排除する脳関門は鳥類にはありますか。あります。爬虫類は?爬虫類にもあるでしょう。では魚類には?あるはずです。では脳関門はアメーバなどにはあるのでしょうか?単細胞なのであるわけがないです。ほとんど無駄なご質問です。いいえ先生、私はアメーバに脳関門があるかを問題にしているのではなく、人類が脳関門を進化のどこかで必要があって獲得したものだと言いたいのです。必要があって獲得した脳関門を突破する精神安定剤は体に良いわけがない。医学的に体に悪いものに違いないのです。飲まない方がいいに決まっています。「安心して服用してほしい気持から副作用はないと言いました。少しあっても服用を中止すれば元に戻るものばかりです」私にとっての副作用は、だんだん無気力になりました。そうして込み入ったことを考えられなくなりました。確かに過敏症には少し効果がありましたが完全に楽になれるものではありませんでした。そうして無気力は1日、朝の起床から夜床に就くまで早く過ぎてほしいと願うようになりました。起きているのが苦痛なのでした。時々振り返り嫌な気持ちになりました。ダメージから立ち直るのに10年以上、人に話しても平気になるのは先祖供養を開始するまで尾を引いたのでした。

2013年11月10日日曜日

起承転結_転3(入社5年目の躓き 転勤できたが精神安定剤で心ぼろぼろ)

自分が望まなかったにしろ、仕向けられたにしろ、どういう理由であれ、自分に対する信用を裏切って仕事に穴を空けたのだから部内での制裁として「反省の態度が確認できるまで無期限に仕事をさせないというのは自分ながら納得できました。」またそれ自体それほど苦痛ではなかった。
私への陰湿な集団いじめは秋から年が明けても続いた。大いに傷ついたのは、私を見限ったことを証明するNさんからのイヤガラセでした。Sさんと同じことをして返り忠に励まれたのでした。
姉川の合戦後、朝倉家が一乗谷で滅亡する時、よくあることが朝倉家でも起こりました。(武田家では梅雪)自分の諫言を受け入れなかったのでこうなった。自分は嫌だが朝倉家の血を絶やさないために最後の土壇場で主家である朝倉家を累代の越前大野地方をもらっていた重臣が裏切るという醜い反逆です。当主朝倉義景は最後まで主人と運命をともにするという兄弟のように育てられた成人した近従小姓と親衛隊である馬廻り衆と一乗谷の城郭に籠っているのです。周囲の成人した近従小姓と親衛隊である馬廻り衆は朝倉家の名家から選りすぐられた勇者で構成され討ち死にを覚悟した朝倉家最強の部隊です。越前大野地方の裏切り者は命の保障と子孫を残せる食いぶちをもらうため返り忠として損害の大きい近従小姓と親衛隊を全滅させなければなりません。織田兵がそれをするとあまりにも損害が大きいからです。
結局、NさんJさんも私に対する嫌がらせを強要されたようです。神経戦争のような下品なことは裏切り者にさせろということでしょうか。年が明けた2月ごろ「もう駄目だ。」家に帰っても動悸が止まず、いつも早足で歩かないとおさまらない時間帯が毎夜ありました。社宅の階段を上ったり下ったり身体に運動負荷をかけるような意味のないことをするようになりました。神経科のコンサルティングを受け安定剤を処方してもらいました。最初に医師に面会した時、あまりにつらいので「入院させて下さい」と言うとあなたは自分がおかしいと思いますかと聞かれた。以前はこんな精神状態でなかったのは確かですから現在の自分は異常です。治療のために入院を希望します。先生曰く「あなたは入院する資格はありません。なぜなら自分が異常と認識しているからです。入院するほど悪い人は全員自分は正常であると思っています。そして宇宙人に監視されているとか根拠のない意味不明のことを主張するのが入院する人の症状です。」「病院のベットはあなたより症状の重い人のために空けていなければなりません。あなたは通院対象です。」そんなわけで精神安定剤の服用が始まったのです。
 そしてこの調子でここにいれば、さらに悪くなり転勤した方が自分のためと思うようになりました。
私は当時コンピュ-タ-の研修を受けるにあたって他の人より長い長期の簡単な試験のある研修を受けていました。それで一か所で最低2年勤めた後、希望すれば一度だけ転勤させてくれるという特権がありました。それをつてを頼って上部機関の研修の先輩にお願いして3月まで我慢すれば転勤できるようになりました。そして3月に神経がボロボロになって転勤の挨拶をして明日からは10Km離れた新しいビルの勤務地という時にJさんが話しかけてきました。「秋以降特にあなたと仲がよかった友人が○○君をいじめたが、すべてスパイHの差し金でみんな自分が苛められないために嫌々やっていたから悪く思わないでくれ」私は返事をしないで出口のドアを閉めました。

起承転結_転2(入社5年目の躓き 晩夏には自分一人が悪者にされた)

時々Jさんは人事権のある人に別室に呼ばれて1時間後に席に帰って来るということが何度かありました。私がプログラムの修正を遅らせて組織全体が困っている。開発設計部の担当としての処分を話し合っている。とりあえず先輩として私を指導しろと言われ続けたとのことでした。「それでもJさんは襟を正して毅然とその必要はないと言ったんですね」この返事はくれず話を逸らされた。その後Nさんは「俺もJさんも仕事に穴を空けるようなことは何もしていない。ただ○○君と話をしただけ」「Nさんは第3の矢を放つ約束では?」Nさんは逃げるように3人組から離れて行った。後から考えるとNさんは切り崩しに屈服したのを教えに来たのかもしれない。
いっそう親密さを増した3人組はHさんの働きもあり職場で孤立を深めました。お盆過ぎだった気がしますが、3人で食事をした後、Nさんは「最近寝付きが悪く精神的に参ったようだ。このままいくと頭がおかしくなりそうな恐怖でもう限界に来た。悪いが明日から3人組から離脱する。」思いつめたような真剣な目つきで言い出した。他人に迷惑をかけていない限り人間の行動、誰と付き合うかなどに制約をかけられるわけではないので「わかりました」これ以外の対応方法はありませんでした。その夜反芻するに、Nさんは、精神的に参っているようなことを言っているが3本目の矢を放つのが嫌で、頭がおかしくなってきたは理由づけで、ていのよい方便と考えた。でも本当はNさんのこの言葉にそんなに嘘がなかったと気が付くまでこの後数年が必要でした。そして3人組が2人組になったのです。Jさんは相変わらず人事権のある人を呪うような悪口ばかりを繰り返していました。
 お昼の休憩時間は行動をともにしていましたが、そのころからJさんはこずるそうな薄笑いを浮かべることが多くなった。返事に困った時などいつも私の嫌いなそういうまっすぐこちらの顔を見ないずるそうな薄笑いをよく見せました。晩夏のころ、「一体○○君(私のこと)に対してSもHもどんな報復をする気だろう。精神病も一種の傷害、障害罪に当たるのに」私に対する脅しとも取れないことはない。「Jさんはどうしてそんなことを知っていのですか。それは夜飲み屋でHさんから仕入れた情報ですか」Jさん薄笑いだけの返事をくれました。
そして2本目の矢を放つとかの9月に入って、Jさんは、聞いてもいないのに「あの9月の初秋の重要な小規模のグループ変更の仕事はする気がなかったが、出来てしまった。それで第2の矢は自動的に延期になった。いずれ放って人事権のある管理者に痛打を与えるつもりだか。しかし今回は期日までに出来てしまった。」最後に薄笑いを付けてこうした説明をしたのです。「要するにJさんもNさんと同じ道を歩むってことですか」「そのように解釈されても仕方がない」「私一人に矢を放たせ悪者にして自分は助かる気ですね」これがJさんと交わした悲しい最後の会話でした。
 3本の矢を1本づつ放つという約束が私の1本だけで私一人が悪者にされ、組織的な集団いじめが始まったのはこれからでした。次の日から朝から昼まで誰も口を聞いてくれないのです。挨拶も返ってこない。以前の仲良しと口を聞いていると彼はキョロキョロとHさんの方を見て逃げるように私から離れていったのです。
10月に入ったある日別の友人から「○○君には猛省を促して反省の態度が確認できるまで無期限に仕事をさせないということが幹部会で全員一致で決定された」と処分結果が伝わってきた。
以前仲がよかった友人に言わせたことにも彼らの悪意が感じられた。彼もそんなことを伝えるのは嫌だが断ると私の仲間と思われたくないのでメッセンジャーを引き受けたのでしょう。数年前までJさんNさんも私の1本目の矢に人事権のある管理者が耐えて簡単に交代する可能性がなくなってから私一人悪者にして自分たちは逃げることにしたと考えていました。最近は春真っ盛りまず私に仕事の穴を空けさせる計画を切りだした時から私一人を悪者にする計画をJさんNさんに持ち込まれたのではないと思うようになった。結局JさんNさんも磁気テープ処理中心のバッチ処理からリレーショナルDB移行などの会社始まって以来の大規模なシステム変更実施には欠かすことのできないキーマンです。会社始まって以来の大規模なシステム変更のために集団苛めなどの制裁で万が一その頭脳にダメージを与えるようなことはできないのです。私は来て3年目だからスキルもないし私がいなくても会社始まって以来の大規模なシステム変更に支障はないのです。これが私とJさんNさんとの決定的な違いでした。彼らは初めから逃げ道が用意されていたのです。

2013年10月9日水曜日

起承転結_転1(初夏 裏切りの予兆)

起承転結_承2(入社5年目の躓き 春から夏)

起承転結は2011年3月28日から休んでいましたが、この続きです。
前回までのあらすじ
入社数年後、私は前時代的なアセンブラ言語を使った社内システム開発関係部門に配属される。そこは当然データ作成、汎用コンピュータ運用、作成した帳票を使った営業部門との調整、帳票発送部門などのを含めた中心的な開発設計部門で他の部門からコンピュータを理解できる能力を認められた1000人以上の組織の中で将来性のある潰しのきく部門でしたが、職人的であり過ぎるゆえに転勤させると代りがいないという理由で人事が停滞して昇進できないという不満が鬱積した部門でした。しかも仕事ができる人ほど転勤の話を潰され飼殺しにされているという不平不満が充満した担当でした。しかし他の部門からはよくシステム改修などで相談され尊敬もされているという実質と昇進が結びつかないような矛盾を抱えていた。その中でSさんから人の不満などを耳にしたり、高い技術を持っている人の仕事の秘密を知った時、教えてほしい。などの頼みを断ったため精神的な嫌がらせを半年以上も受けました。それも2人がかりでされたのです。気にしないでおこう、何でもないんだと考えるほど気になりだし神経過敏症がひどくなりました。こちらの神経がおかしくなったと気付いた時には遅かった。そんな時NさんからSさんがよく読んでいた「法律で罰せられないイヤガラセ、神経戦争にはこうやっつけろ」などの本をよく読んでいたという噂を聞きました。
そしてSさんの昇進、Hさんの不平不満を煽り扇動する背徳将軍ぶり、花見の宴、Hさんの豹変と裏切り、Jさん、Nさん、私の3人組を孤立させるHさんの活動が激しくなってきました。
期日があり遅れると全社的に困り、Jさん、Nさんに言わせると間に合わないと人事権のある人は確実に左遷されるような重要な仕事の期日が近付くと、口をそろえてやり方の説明が悪いからと言って遅らせてくれと言われた。そして最後のデバックでバグを出し理解できない、わからないを連発して期日が来て完成まで数日遅れた。約束の日前日から人事権のある人はほとんど席にいなく関係部門を走り回り数日の猶予を確保したようです。つまり切り抜けたのです。NさんとJさんの人事権を持つ人は交替していなくなるとの目論見は間違いでした。私は個人的には人事権のある人には係わった期間が浅い分何の恨みもなかったのでしたが、後で第二の矢、第三の矢をNさんJさんが放つのと約束で、言われるままに仕事で穴を空けたのです。Jさんの大仕事まで1ヵ月以上ありました。矢を放ったのは私の1本だけでした。
この数日後Jさん「襟を正して堂々としているのは○○君だけだ」と言いました。その時は疑問に思わなかったが、帰宅後よく考えると、裏返すとJさん、Nさんは、襟を正して堂々としていないの意味にも取れます。まさかHさんのの切り崩しにあい軍門に下ったのではと恐ろしいことは自分で否定して追い払う以外方法がなかった。私の1本の矢は確実に相手に刺さったのです。

2013年9月5日木曜日

道端のカボチャのその後の現状です。道路の空き地にカボチャを植えた世話人に会いました。

7月末の盛夏の青々とした道端のカボチャです。以前掲載分です
フェンスが撤去されてもう少しアングルを上にあげると民家が写るのでやむなくアスファルトの道路を写しました。このように道路は現在は手前右に曲がっていますが、元はカボチャの方向にあったのです。高い路肩にするため道路工事の残土を盛りつけて、路肩にしたのです。そこで土の深さは30cmか40cm程度で底は元の道、アスファルトです。深さが足りないのです。
梅雨明けから季節の進み具合はカボチャの葉の色に現れています。紅葉に近い黄色みを帯びてきました。
先日先祖供養の後の早朝にここに初老の人がいて、枯れたカボチャのツルを整理したり、捨てられたゴミをまとめていた人を見かけました。どう見てもカボチャを植えて手入れをしている方のようなので「美味しいカボチャは収穫できましたか」「まだ2しか収穫していない。いつも自分が収穫予定の3日前に誰かに収穫されてしまう。大きいのや完熟したカボチャを収穫するのは無理です。」とのことでした。その方は土地の所有権が自分にない以上、果実を取られても仕方がないのを知った上でカボチャを育てているようです。

2012年8月12日日曜日

ついにとらえた薬師如来の右手手相です。シンプルな四直紋でした。

以前投稿した国宝薬師如来の四直紋を撮影できるチャンスがありましたので簡単に投稿します。
以前撮れなかった法輪紋です。お偉い方に出るそうです。両手四直紋で薬師如来様と同じなのにどうして舌癌を2cm以上になるまで免疫が許容したのでしょうか。それでも今までは健康だった。
              
これが月光と日光を従えた国宝薬師如来様の右手の手相です。小指、薬指、中指、人差し指の真ん中から感情線に降りるように4本の短い直線です。これがよけいなものがない正真正銘の四直紋です。当然仏師は理想の手相四直紋を意識して線を入れたはずです。

2011年9月17日土曜日

ロウソク立ての針を覆うのでなく、針を埋め込み安定させました(アルミのフタから木の台に変えました)

 アルミのフタをリサイクル再利用して、ロウソク立ての針を覆うのは風呂桶に板でフタをして、上に物を置くのと同じです。さらえまか: 種まで愛してリサイクル 風呂桶の再利用参照願います。風呂桶に板でフタをするとお湯を入れたり、保温性、物を入れる機能にフタをしてただの台にしかなりません。台なしにするのです。同様にロウソク立ての針を覆うと、針で不安定なロウソクを安定させ支える機能もフタをしてしまうのです。事実、アルミのフタの下方を切りこみを入れて広げてもロウソク台の硬い磁器と柔らかいアルミとすれ合う部分がよく滑り不安定なのです。滑ってアルミのフタが傾いたりして、結果ロウソクが傾きます。そんなことを繰り返している中、先祖のお力添えがあったのかよいアイデアが浮かんだのです。針のフタをするのではなく埋め込むという方法です。埋め込めば針を支えにしてローソクの台は安定します。ロウソクの台を傾けようとすれば針そのものを曲げなくならないからです。埋め込む台は木製で埋め込む手段は針と同じ太さの細い穴にしました。木は加工が容易なバルサ材にしました。
石をくり抜いた灯篭用にバルサ材を出刃庖丁で円形に削ります。今回はガラス製のローソク立て用を紹介します。上の空気穴から雨水が入らない石灯籠にも応用が利きます。薄刃なら刃が傷みますが出刃なら大丈夫です。
バルサ材に細い穴をドリルであけます。
ロウソク台の針が穴にしっくり収まることを確認しました。
墓前でローソクの台をアルミのフタからバルサ材の台に乗せ換えをしました。
バルサ材の台に開けた穴の中に針が埋め込まれローソクが安定したのを確認しました。
アルミのフタよりバルサ材の台のほうが上の面積が広く水平な分だけなんとなく安定感が感じられます。埋め込まれた見えない針がそうさせているのでしょう。夕方遠くから私の墓を見るといつまでも消えない電球では表現できない柔らかい光を気味悪いと思う人もいるでしょう。
 火の玉と感じた人は勇気を出してご自分で柔らかい光を確認に来れば納得するはずです。

2011年5月5日木曜日

四直紋の持ち主を見つけました。四直紋を持つお人は、色が少し黒くてかなりお偉い方でした。

 国宝シリーズのテレビを見ていて目が釘付けになりました。薬師寺薬師如来三尊像の掌を映した像に移った時です。手首のほうから映像が始まり、円形の法輪を説明していました。さすが仏像仏様、人にはあり得ない法輪紋でした。その時4本の指の付け根を見たとき、指の付け根から感情線に向けて垂直に下りる四本の短い直線を見つけたのです。以下を参照してくださいさらえまか: おまけしてもらって左手は四直紋でした。鑑定結果
上の写真は真ん中に鎮座する薬師如来の右手です。法輪紋は写せませんでしたが、手首近くに薄くありました。
 二枚目の写真は月光菩薩の左手です。法輪はなく生命線から人差し指に伸びる向上線が不明です。また小指の下の財運線も判読できません。写真からはあるようでないようです。しかし垂直の運命線と太陽線は映っています。
四直紋を強調して書いたのが最後の図です。本尊像右手は4本の指の下にはどれも一本の垂線しかありませんでした。私の右手は、人差し指の下には少し曲がった向上線が1本、中指の下には垂線が2本、薬指の下の太陽線は1本ですが、小指の下の財運線は浪費癖があるという8本の財運線があります。薬師如来と比べて余計な直線があるのです。8本の財運線のうち左から3本目の財運線が長く直線になっています。この右から5本目の財運線によりかろうじて四直紋と鑑定されたのです。もし薬師如来を作った仏師が四直紋を意識して作ったなら本来の四直紋はそれぞれ感情線へ向かう1本の垂線ということです。改めてこんな人様から長年崇められたお方と同じ四直紋を下さったご先祖に感謝です。本尊も月光菩薩も親指と人差し指でお金のマークを作っています。どうかお金に縁がありますように。