参拝前に手を清める五十鈴川の手洗い場です。お願いを叶えてもらうために手酌と五十鈴川と2度清めました。川の中の一番奥の黒い石には数匹のアユが付いていました。でも群れアユで私の腕で釣るのは無理です。右手に照葉樹林の原生林が見えはじめると「私パワーを感じる、テンションが上がってきた」などと若い女性の声が耳に入っててきた。でも自分は鈍いのか空気の重さもパワーも何も感じませんでした。縄文人の生活の場であったこの照葉樹林の原生林を見て返って懐かしさと落ち着いた気分なのです。どこかで見た景色と思ったらこの近くの宮川上流大杉谷の源流、西の谷で見た気がします。20年近い前の記憶で頼りないのですがそんな気がします。内宮の神様はあの弥生時代の米倉のような神殿よりもこの原生林に御座しますのではないでしょうか。カメラはバックにしまいました。天皇家の神様は心が広いので御正宮にカメラを向けた程度では罰を与えまいかもしれませんが肝心のお願いを聞いてくれないかもしれません。 やがて参道がつき当たり左上方に石の階段があり、これを上ると御正宮の拝殿でした。伊勢神宮のお願いをどうすべきかを書かれたブログを拝見したことがあります。国家の安寧と国民の幸せを祈願すべきと書いていました。でもそのような大それたことは出来の悪い国民のため日々御宸襟を悩ませ奉るお方がなさることです。私のような庶民は個人的なお願いでもいいのではと思います。白い布の前ではすでにお二人が国家の安泰を?祈願されていました。白い布は縦方向に3枚あり空いているのは向かって左だけでした。大きなさい銭箱があり集金のためというより参拝者が白い布を触るのを防ぐ目的のようです。左端でたった一つを一心に祈願しました。 「天照大神様、神武天皇様お願いがあります。わが先祖は○○県◎◎に於いて居を構え明治の神社統合まで近くにあった小さな祠のような神社を拠り所として毎年の祭礼、豊年祭を営み1000年以上神武天皇様ゆかりのお方を祭った神社を守ってきました。先祖の生業は猫の額のような田畑を耕してきた水飲み百姓です。(ここで実家周辺の地形と現在集落の共有地となっている元神社があったとされる集会場などをイメージしました)ところが明治の御代になってお上の神社統合政策により数本あった樹齢1000年以上の神木が切り払われ隣村の神社に統合されたのです。呼べば聞こえるような家近くにあった代々守っておまつりしてきた心の拠り所であった神社がなくなったわが先祖の辛さを察してください。つきましては神武天皇様わが先祖の御冥福でなかった、冥福をお願いいたします。また冥界をさまよい成仏していない先祖がいましたたらどうか偉大なる御徳によりお救いください。私には自分の先祖が今どのようになっているか不明なのです。願いはそれだけです。眉間の奥が痛くなるほど念を込めて祈りました。
目を開けると右側のお二人はいなく、なんと目の前の白い布に大きな穴があいているのです。そして風穴の中で黒いものが迫ってきたのです。たとえて言うなら車を運転中バックミラーで後ろの大型ベンツが車間距離を詰めてくるようなものです。車間距離が縮まるとともにヘッドライトの間の黒いラジエータが大きくなってくるような感覚です。これは想像するに1m向こうの白い布に焦点があり風穴が開いたことにより、急に50mほど離れた黒い門に焦点を合わせた結果の錯覚と考えます。門の見た目は黒かった扉の中央にヒスイのような色がありこれが何なのか必死で考えた。古い屋根瓦に生える苔や地衣類にこうした発色のものがあります。あの時はそう考えましたが神官が苔などを放置するはずがなく、翡翠色は銅版の緑青とするのが自然のようです。門の屋根は茅葺で黒ずんでいました。門の両脇は京都で見た柴垣でした。中を守るというより中を隠して見えないようにするのが目的のようです。門の翡翠色に注意が集中してしまい他はよく見ていないのです。翡翠色を考えているうちに風穴は閉じられた。
もし願いがかなって、先祖が元気になり自分の運気が上昇すればお礼参りをしなくてはと考えながら帰路につきましたが、参拝後2カ月しか経っていないのに現在もう一度今年中に伊勢参拝しなければならなくなりました。さすがお伊勢さん願いを叶えてくれたようです。
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