2012_02_07火曜 開業医A先生の癌判定から2月13日B大学で正式な診断まで1週間ほどで癌による病死を覚悟して、何とか今回遭遇した事実を受け入れようとしました。A先生はしきりに自分の診断は正式なものではなく、あくまでB大の先生が判定を下す立場にあるを説明していましたが、なんとなくA先生が正しいのは分かっていました。仕事が終わると人の生き死にについていろいろ考えた。自分もどのような最後を迎えるのかなどを想像したのです。人間の生死について納得させるよい例を本で読んだことがあるのを思い出したのです。知りえた結論は、生あるものは必ず死を迎える。人においては何百年も生き続ける人間はいない。子供のころから病気知らずで何十年か生きられて、今寿命が尽きたとしても何の不思議もなく、今までの健康に感謝して死ぬべきということでした。親の期待に応えられなかったのは自分が悪いのであって私に生を与えた神様が悪いわけではない。
あれは1996年ごろでした。シンガポーに年に何度かトロピカルフルーツ、中華料理、海鮮料理を楽しみに行ってました。日本の冬に行けば、当地の気温も大変なご馳走でした。もともと夏大好き人間です。オーチャードにサマセットという駅がありその駅とつながっているような近くに日本人がよく利用するホテルがあります。シティホール駅まで歩いて20分もかかるマリーナスクウェアにも同名のホテルがあり、チャンギ空港で拾ったタクシーにはホテル名を告げるとき、「ダウン オーチャード」を付けるとニッコリしてくれます。あのときは日本の季節では新緑の5月、当地ではドリアンのシーズンです。
翌日は計画がありました。シンガポー北部のウッズランド駅から歩いてコーズウェイまで行き、パスポートを提示してマレーシアのイミグレーションを通過して歩いて対岸のジョホーバーまで行き散策後、再び歩いてウッズランド駅に歩いて帰るという冒険を計画していました。1995年はWin95がリリースされインターネットが大きく普及した時代です。シンガポーの2階建ての路線バスの側面に「Windows 95」と大きくかかれていたバスが走りまわっていた。そのインターネットのグーグル検索などでコーズウェイの情報などを検索するとガイドに案内されてジョーホーバーを観光するよりも自分の足でコーズウェイを渡って行くのが一生の思い出になるほどの経験になると紹介されていた。ただしウッズランドからガイドなしでマレーシア往復するには相当な英語力がいるとか勿体をつけていた。いかにもHPの著者、往復した経験者が英語力を自慢しているようでした。そんな大層なわけがない。英語が得意でない自分でいって証明しようと計画したのです。明日はジョホーバーという夜の10時ごろサマセットのホテルで何かの引き出しをあけると表紙がオレンジ色の本が出てきたのです。ページを空けると左のページには英分で右のページには同じ意味の日本語の文章があった。内容はある宗教の教祖様の説法を書いたものです。その教祖様は日本人で知らない人はいないほど有名な方です。その教祖様の教えはもともと難解な昔の中国語、漢文で書かれているようですがこの本では読んでみると誰にでもわかる文体で表現されていた。たいてい人間社会の真理、当たり前のことが平易な文体で書かれていた。明日はコーズウェイ。早く寝なくてはという思いもありましたがつい中を読んでしまったのでした。
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