新年のあいさつ以外、村八分で自分一人が孤立していた地獄のような前の職場から脱出できたのは幸運でした。友人人間関係がすべて破壊破綻され何の未練もなく負け犬としてしっぽを巻いて逃げるように転勤しました。新しい職場に行ってもNさんJさんから裏切りの予兆を感じたころからJさんから許しを乞われたのに返事しないで最後のドアを閉めた日までの出来事記憶の反芻でした。自分への仕打ちへの腹立ち、人の心は信じ難く醜いなど過去を引きずっていたのです。今から思うとまさにこれこそが心の病でした。振り返る値打も意味もないことに捉われ前を見ないで過去を振り返ることばかりでした。もし今もこの精神状態が継続しているなら入社5年後の失敗のブログなど絶対に書けません。人に知られたくない自分一人の悪夢として閉じ込めたいと考えるからでしょう。
振り返りで一番腹立たしいのは、日本の将棋の駒のように、相手側の陣営にまわった途端に、敵となって精神的ないやがらせを加えてくるのです。当然、集団でやられました。ここでHさんに忠誠心を見せておかないと次は自分が私と同じ運命をたどると集団いじめをエスカレートさせたのでしょう。その時まで自分の考えでしたが、友情と仕事は区別すべきもので、全く別物と考えていました。退職しても友人なら交際は続くでしょうし、友人関係に会社の事情を持ち込むべきではないと考えていました。でも他の人はこの反対の考えのようでした。一番大切なのは自分の会社での居場所を守ることのようです。雇用関係を守るためなら弱り目の仲の良い友人を踏みつけ、集団いじめの対象にしてもやむをえないという立場です。どうも自分以外の全ての人は友人・友情などに価値を置いていないようです。今、友情と仕事は区別すべきものというような甘い考えでは、生きていけない。かつての同僚は正しかったのだと思います。仕事、給料あっての友人なのです。勿論、誰もが秘した本音であって普段は友人は大切なのです。非常時どちらを選択かと切羽詰まった時は友情を捨てられました。神経科の先生は精神安定剤の副作用を認めようとしなかったのですが、安定剤の副作用は服用2年後から虫食みました。先生は副作用は医学的にはあり得ません。そこで脳に悪いものを排除する脳関門は鳥類にはありますか。あります。爬虫類は?爬虫類にもあるでしょう。では魚類には?あるはずです。では脳関門はアメーバなどにはあるのでしょうか?単細胞なのであるわけがないです。ほとんど無駄なご質問です。いいえ先生、私はアメーバに脳関門があるかを問題にしているのではなく、人類が脳関門を進化のどこかで必要があって獲得したものだと言いたいのです。必要があって獲得した脳関門を突破する精神安定剤は体に良いわけがない。医学的に体に悪いものに違いないのです。飲まない方がいいに決まっています。「安心して服用してほしい気持から副作用はないと言いました。少しあっても服用を中止すれば元に戻るものばかりです」私にとっての副作用は、だんだん無気力になりました。そうして込み入ったことを考えられなくなりました。確かに過敏症には少し効果がありましたが完全に楽になれるものではありませんでした。そうして無気力は1日、朝の起床から夜床に就くまで早く過ぎてほしいと願うようになりました。起きているのが苦痛なのでした。時々振り返り嫌な気持ちになりました。ダメージから立ち直るのに10年以上、人に話しても平気になるのは先祖供養を開始するまで尾を引いたのでした。
2013年11月16日土曜日
2013年11月10日日曜日
起承転結_転3(入社5年目の躓き 転勤できたが精神安定剤で心ぼろぼろ)
自分が望まなかったにしろ、仕向けられたにしろ、どういう理由であれ、自分に対する信用を裏切って仕事に穴を空けたのだから部内での制裁として「反省の態度が確認できるまで無期限に仕事をさせないというのは自分ながら納得できました。」またそれ自体それほど苦痛ではなかった。
私への陰湿な集団いじめは秋から年が明けても続いた。大いに傷ついたのは、私を見限ったことを証明するNさんからのイヤガラセでした。Sさんと同じことをして返り忠に励まれたのでした。
姉川の合戦後、朝倉家が一乗谷で滅亡する時、よくあることが朝倉家でも起こりました。(武田家では梅雪)自分の諫言を受け入れなかったのでこうなった。自分は嫌だが朝倉家の血を絶やさないために最後の土壇場で主家である朝倉家を累代の越前大野地方をもらっていた重臣が裏切るという醜い反逆です。当主朝倉義景は最後まで主人と運命をともにするという兄弟のように育てられた成人した近従小姓と親衛隊である馬廻り衆と一乗谷の城郭に籠っているのです。周囲の成人した近従小姓と親衛隊である馬廻り衆は朝倉家の名家から選りすぐられた勇者で構成され討ち死にを覚悟した朝倉家最強の部隊です。越前大野地方の裏切り者は命の保障と子孫を残せる食いぶちをもらうため返り忠として損害の大きい近従小姓と親衛隊を全滅させなければなりません。織田兵がそれをするとあまりにも損害が大きいからです。
結局、NさんJさんも私に対する嫌がらせを強要されたようです。神経戦争のような下品なことは裏切り者にさせろということでしょうか。年が明けた2月ごろ「もう駄目だ。」家に帰っても動悸が止まず、いつも早足で歩かないとおさまらない時間帯が毎夜ありました。社宅の階段を上ったり下ったり身体に運動負荷をかけるような意味のないことをするようになりました。神経科のコンサルティングを受け安定剤を処方してもらいました。最初に医師に面会した時、あまりにつらいので「入院させて下さい」と言うとあなたは自分がおかしいと思いますかと聞かれた。以前はこんな精神状態でなかったのは確かですから現在の自分は異常です。治療のために入院を希望します。先生曰く「あなたは入院する資格はありません。なぜなら自分が異常と認識しているからです。入院するほど悪い人は全員自分は正常であると思っています。そして宇宙人に監視されているとか根拠のない意味不明のことを主張するのが入院する人の症状です。」「病院のベットはあなたより症状の重い人のために空けていなければなりません。あなたは通院対象です。」そんなわけで精神安定剤の服用が始まったのです。
そしてこの調子でここにいれば、さらに悪くなり転勤した方が自分のためと思うようになりました。
私は当時コンピュ-タ-の研修を受けるにあたって他の人より長い長期の簡単な試験のある研修を受けていました。それで一か所で最低2年勤めた後、希望すれば一度だけ転勤させてくれるという特権がありました。それをつてを頼って上部機関の研修の先輩にお願いして3月まで我慢すれば転勤できるようになりました。そして3月に神経がボロボロになって転勤の挨拶をして明日からは10Km離れた新しいビルの勤務地という時にJさんが話しかけてきました。「秋以降特にあなたと仲がよかった友人が○○君をいじめたが、すべてスパイHの差し金でみんな自分が苛められないために嫌々やっていたから悪く思わないでくれ」私は返事をしないで出口のドアを閉めました。
私への陰湿な集団いじめは秋から年が明けても続いた。大いに傷ついたのは、私を見限ったことを証明するNさんからのイヤガラセでした。Sさんと同じことをして返り忠に励まれたのでした。
姉川の合戦後、朝倉家が一乗谷で滅亡する時、よくあることが朝倉家でも起こりました。(武田家では梅雪)自分の諫言を受け入れなかったのでこうなった。自分は嫌だが朝倉家の血を絶やさないために最後の土壇場で主家である朝倉家を累代の越前大野地方をもらっていた重臣が裏切るという醜い反逆です。当主朝倉義景は最後まで主人と運命をともにするという兄弟のように育てられた成人した近従小姓と親衛隊である馬廻り衆と一乗谷の城郭に籠っているのです。周囲の成人した近従小姓と親衛隊である馬廻り衆は朝倉家の名家から選りすぐられた勇者で構成され討ち死にを覚悟した朝倉家最強の部隊です。越前大野地方の裏切り者は命の保障と子孫を残せる食いぶちをもらうため返り忠として損害の大きい近従小姓と親衛隊を全滅させなければなりません。織田兵がそれをするとあまりにも損害が大きいからです。
結局、NさんJさんも私に対する嫌がらせを強要されたようです。神経戦争のような下品なことは裏切り者にさせろということでしょうか。年が明けた2月ごろ「もう駄目だ。」家に帰っても動悸が止まず、いつも早足で歩かないとおさまらない時間帯が毎夜ありました。社宅の階段を上ったり下ったり身体に運動負荷をかけるような意味のないことをするようになりました。神経科のコンサルティングを受け安定剤を処方してもらいました。最初に医師に面会した時、あまりにつらいので「入院させて下さい」と言うとあなたは自分がおかしいと思いますかと聞かれた。以前はこんな精神状態でなかったのは確かですから現在の自分は異常です。治療のために入院を希望します。先生曰く「あなたは入院する資格はありません。なぜなら自分が異常と認識しているからです。入院するほど悪い人は全員自分は正常であると思っています。そして宇宙人に監視されているとか根拠のない意味不明のことを主張するのが入院する人の症状です。」「病院のベットはあなたより症状の重い人のために空けていなければなりません。あなたは通院対象です。」そんなわけで精神安定剤の服用が始まったのです。
そしてこの調子でここにいれば、さらに悪くなり転勤した方が自分のためと思うようになりました。
私は当時コンピュ-タ-の研修を受けるにあたって他の人より長い長期の簡単な試験のある研修を受けていました。それで一か所で最低2年勤めた後、希望すれば一度だけ転勤させてくれるという特権がありました。それをつてを頼って上部機関の研修の先輩にお願いして3月まで我慢すれば転勤できるようになりました。そして3月に神経がボロボロになって転勤の挨拶をして明日からは10Km離れた新しいビルの勤務地という時にJさんが話しかけてきました。「秋以降特にあなたと仲がよかった友人が○○君をいじめたが、すべてスパイHの差し金でみんな自分が苛められないために嫌々やっていたから悪く思わないでくれ」私は返事をしないで出口のドアを閉めました。
起承転結_転2(入社5年目の躓き 晩夏には自分一人が悪者にされた)
時々Jさんは人事権のある人に別室に呼ばれて1時間後に席に帰って来るということが何度かありました。私がプログラムの修正を遅らせて組織全体が困っている。開発設計部の担当としての処分を話し合っている。とりあえず先輩として私を指導しろと言われ続けたとのことでした。「それでもJさんは襟を正して毅然とその必要はないと言ったんですね」この返事はくれず話を逸らされた。その後Nさんは「俺もJさんも仕事に穴を空けるようなことは何もしていない。ただ○○君と話をしただけ」「Nさんは第3の矢を放つ約束では?」Nさんは逃げるように3人組から離れて行った。後から考えるとNさんは切り崩しに屈服したのを教えに来たのかもしれない。
いっそう親密さを増した3人組はHさんの働きもあり職場で孤立を深めました。お盆過ぎだった気がしますが、3人で食事をした後、Nさんは「最近寝付きが悪く精神的に参ったようだ。このままいくと頭がおかしくなりそうな恐怖でもう限界に来た。悪いが明日から3人組から離脱する。」思いつめたような真剣な目つきで言い出した。他人に迷惑をかけていない限り人間の行動、誰と付き合うかなどに制約をかけられるわけではないので「わかりました」これ以外の対応方法はありませんでした。その夜反芻するに、Nさんは、精神的に参っているようなことを言っているが3本目の矢を放つのが嫌で、頭がおかしくなってきたは理由づけで、ていのよい方便と考えた。でも本当はNさんのこの言葉にそんなに嘘がなかったと気が付くまでこの後数年が必要でした。そして3人組が2人組になったのです。Jさんは相変わらず人事権のある人を呪うような悪口ばかりを繰り返していました。
お昼の休憩時間は行動をともにしていましたが、そのころからJさんはこずるそうな薄笑いを浮かべることが多くなった。返事に困った時などいつも私の嫌いなそういうまっすぐこちらの顔を見ないずるそうな薄笑いをよく見せました。晩夏のころ、「一体○○君(私のこと)に対してSもHもどんな報復をする気だろう。精神病も一種の傷害、障害罪に当たるのに」私に対する脅しとも取れないことはない。「Jさんはどうしてそんなことを知っていのですか。それは夜飲み屋でHさんから仕入れた情報ですか」Jさん薄笑いだけの返事をくれました。
そして2本目の矢を放つとかの9月に入って、Jさんは、聞いてもいないのに「あの9月の初秋の重要な小規模のグループ変更の仕事はする気がなかったが、出来てしまった。それで第2の矢は自動的に延期になった。いずれ放って人事権のある管理者に痛打を与えるつもりだか。しかし今回は期日までに出来てしまった。」最後に薄笑いを付けてこうした説明をしたのです。「要するにJさんもNさんと同じ道を歩むってことですか」「そのように解釈されても仕方がない」「私一人に矢を放たせ悪者にして自分は助かる気ですね」これがJさんと交わした悲しい最後の会話でした。
3本の矢を1本づつ放つという約束が私の1本だけで私一人が悪者にされ、組織的な集団いじめが始まったのはこれからでした。次の日から朝から昼まで誰も口を聞いてくれないのです。挨拶も返ってこない。以前の仲良しと口を聞いていると彼はキョロキョロとHさんの方を見て逃げるように私から離れていったのです。
10月に入ったある日別の友人から「○○君には猛省を促して反省の態度が確認できるまで無期限に仕事をさせないということが幹部会で全員一致で決定された」と処分結果が伝わってきた。
以前仲がよかった友人に言わせたことにも彼らの悪意が感じられた。彼もそんなことを伝えるのは嫌だが断ると私の仲間と思われたくないのでメッセンジャーを引き受けたのでしょう。数年前までJさんNさんも私の1本目の矢に人事権のある管理者が耐えて簡単に交代する可能性がなくなってから私一人悪者にして自分たちは逃げることにしたと考えていました。最近は春真っ盛りまず私に仕事の穴を空けさせる計画を切りだした時から私一人を悪者にする計画をJさんNさんに持ち込まれたのではないと思うようになった。結局JさんNさんも磁気テープ処理中心のバッチ処理からリレーショナルDB移行などの会社始まって以来の大規模なシステム変更実施には欠かすことのできないキーマンです。会社始まって以来の大規模なシステム変更のために集団苛めなどの制裁で万が一その頭脳にダメージを与えるようなことはできないのです。私は来て3年目だからスキルもないし私がいなくても会社始まって以来の大規模なシステム変更に支障はないのです。これが私とJさんNさんとの決定的な違いでした。彼らは初めから逃げ道が用意されていたのです。
2013年11月2日土曜日
脇芽と主幹の区別が困難でどちらを欠けばよいか迷います 大玉トマト脇芽欠き
ど根性トマトも夏まで活躍した葉っぱが枯れ美観上問題となってきました。また下の方の脇芽を管理するためにも、早期に除去できるよう枯れた葉っぱ枝などを取り去りすっきりさせました。
ど根性トマトの3つ目の秋期大玉トマトです。この大きさでも鳥害などの事故がない限り収穫は確実のような気がします。
さらえまか: 大玉トマトを夏収穫後、秋にも収穫する夢をど根性トマトが ...
この時の大玉トマトの実が2週間程度でピンポン玉大以上に成長しました。
予想通り結実後大豆以上の大きさになると収穫は保障されたようなものです。
今回の問題、テーマはこれです。葉の付け根から出ているのが欠くべき脇芽らしいのです。左から1葉っぱ 2新芽 3花芽 4新芽 5葉っぱとなっています。2と4の芽はどちらも葉の付け根から出ています。それでどちらが脇芽か判定に迷いました。最後は、最初に葉の付け根から出てと思われる左側の2番目の芽を脇芽と断定しました。
芽欠き後の写真です。たとえ脇芽の判定が間違っていても大きな問題ではないのだろうと思います。目的は1本仕立てにして栄養を主幹の実に行きわたらせ、葉っぱで作った養分を実に集中させるののが目的だからです。一か所ぐらい脇芽を主幹と間違っても1本仕立てが崩れるわけでもありません。
除去した脇芽と花芽です。ど根性トマトの3つ目の秋期大玉トマトです。この大きさでも鳥害などの事故がない限り収穫は確実のような気がします。
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