「叔母さん一緒に暮らしましょう。」と言って母がアンナ叔母のタクシーが出発するまで見送った後、「よく言った。満点の受け答えだった」と珍しく大いにほめてくれた。母が言うにはアンナ叔母は食費はまかないの会社持ち、家賃もたぶん取られていないのでは、もしくはごく安い。高価な衣服は着ていないし給料をほとんど貯金して今ではもう大変なお金を貯めこんでいるお金持ちだそうです。お前を育てたわけでないから同居して面倒を見なくてよい。繊維工場を万が一追い出された場合は養老院に入ればよいのです。これでお前は財産の相続人となり時々会いに行けばよいだけでアンナ叔母の何千万円かの現金の遺産を相続できる。私は機会あるごとに相続人が決まったとアンナ叔母の姉妹、甥姪に今日のことを周知する。全部相続できなくとも多くをもらえるはずだ。その代わりアンナ叔母が亡くなった後、位牌は仏壇を買ってお前が管理しなければならない。法要もしなければならない。とのことでした。結局アンナ叔母の遺産は特別養老院の経営者の財テク失敗の担保に入っていたそうで消えてなくなったそうです。
まだ小学校に行く前と思いますが、随分古いお話です。何かの法要で来れないとかいうアンナ叔母を除いた親族の集まりでアンナ叔母が話題になったことがあります。アンナ叔母は家族として寮長として迎えるはずだったが、どうして普通の社員と同じで寮の入り口近くの部屋をあてがわれているのか。家族なら社長夫人と同じ家に住むべきだがという意見でした。誰かがいきなり社長の家に直接入るとほかの社員たちに示しが付かないから会社に何十年か貢献してから引退後に広い社長の家の一室をもらうようになっているとのことでした。今から考えると早くも家族として迎えるは示しが付かないという理由にすり替えられ雲をつかむような引退後の何十年か先以降に、家族にするという約束にすり替えらえていたのです。当然その当時ですらたぶん祖母の法要なので社長夫人が何度も念を押されて老後の保障を約束した我が祖母はお墓の中でした。その後社長夫人から他人がいない時に限りことあるごとに老後は任せておけとか言われて、休暇も取らずに繊維工場のために社員にまかないを作り続けたのでしょう。工場は休みでも社員寮の社員の胃袋は日曜祭日我が祖父祖母の法要の日でも休みなく消化します。その後10歳前後の私に老後の面倒を見てくれという約束を母を立ち会わせはのは祖母と社長夫人の口約束を「そんなことは言っていない」とかいくつかの小さな約束をすでに反故にされていたのでしょう。
今から20年前頃、母との電話でアンナ叔母の不幸な消息が伝わってきました。社長夫人から65歳になったから辞職して社員寮を出て行ってくれと言われているらしい。話が違う亡くなるまで家族として面倒を見る約束だと抗議すると何十年前のあったかどうかわからない口約束を持ち出されてもそんなものは無効だとか。現在社員総出で「出ていけ出ていけ」と集団いじめを受けているらしい。特にアンナ叔母と仲が良かった同僚が会社に忠誠を見せるためかアンナ叔母を強くいじめるそうです。現在アンナ叔母は頑張っているそうだが臨終まで面倒を見るような契約は無効で反故にされても法律的にはどうしようもないそうだとのことでした。家族にする約束も双方の同意が大前提だそうです。アンナ叔母は頑張っているらしいがいつまで精神的に持ちこたえられるかわからないとのことです。今回もここまでにします。
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