2017年6月3日土曜日

今年の家庭菜園の後悔。遅すぎたジャガイモ植え付けが夏野菜に悪い影響がありませんように

ジャガイモ栽培のブログ記事を読んでいると茎が倒れると収穫の時期だそうです。本当は私のように支柱を立てないで育てることが正しい栽培方法だそうです。しかし私は手間をかけるとお返しがあるのが野菜と信じています。支柱をすると収穫時期がわかりづらくなりますが、倒れるまで待つに比べて支柱でまっすぐの状態を保つと日照を効率よく受けるためジャガイモのためにはいいのだと信じています。
支柱を取り外すと茎が倒れましたので芋の成長を期待しましたが、まだ未熟でした。
この場所の次の主役です。そうです。ピーマンの苗です。
4株分のジャガイモの芋ですが未熟です。未熟とわかっていましたが、ピーマンなどを植えるためには場所を空けなければなりませんでした。ジャガイモの植付は今年2017年は一回目が3月26日で2回目が4月1日でした。例年より半月以上遅い。こうしたずれ込みが茄子トマトピーマンキュウリの植え付けが遅れたようです。これら夏野菜の植え付けは4月に終わっていました。結局ジャガイモ収穫量を増やしたいとの思惑も遅れにつながりました。今年の夏野菜は大丈夫かいな。

2017年5月14日日曜日

三人の敵その1_3(最初に私から仕事を取り上げた上司はうつ発病で出社拒否)

LAN工事のチームから外され備品固定資産の管理の仕事も取り上げられた結果、本当にすることもありませんでした。企画部に引き取ってもらうまでも実質無仕事状態は何年か経験しています。だから仕事がないのに仕事をしているふりをして毎日終業ベルを待つのはそれ自体それほど苦になりません。しかし1998年当時はその数年前と事情が大きく異なっていました。当時は風潮として終身雇用制度が崩壊して、中高年層のリストラ大流行、リストラの嵐でした。同僚の50歳越えの大先輩も人事から君の給料で有名大学卒の新人2人雇えると何度も言われたとのことでした。現在の担当が存続する限り同僚の居場所はありますが、組織再編などを口実にこのまま仕事がないといつ人材開発担当に追いやられる危機感をヒシヒシと切羽詰まるようでした。そこで二三年先退職に追い込まれた時のために人があまり身に付けていないスキルを身に付けようと考えました。具体的には中級レベルだったアクセスの開発能力を上げることです。ビジュアルベイシックVBAなどの付加価値を付けたアクセス技術を身に付ける目標が出来ました。例えば都道府県を選択するコンボボックスがあり愛知県を選択すると次の市町村コンボボックスでは名古屋市や安城市など愛知県に関係する市町村だけを選択投入できるようにするなどです。入力を楽にする機能としてよく使われます。例えば現在は廃刊になっていますが株の業界紙ごとに紙面のコラムのタイトルは違います。その都度手入力では情報入力が大変なので以下のようにマスコミごとに新聞に特化したコメント、コラムなどを過去入力したものに限って表示するようにしています。
こうしたACCESSの技術はこの当時身に付けました。そして会社を辞めざるを得なくなった時、再就職の武器にしようと決めました。とりあえず周囲の情報を片っ端からDB化しました。DB化とは表にしてアクセスにすることです。
アクセスのスキルアップに没頭して1年後2000年2月ごろ新しく赴任してきた人事権のある人からオラクルが入っているサーバが故障したとき修復する業務の担当が人材を募集してる。枠は一人だけで貴方を推薦するつもりだ。断らないでください。貴方にとってこれが最後のチャンスになるでしょう。ここに残っても2年ほどでスキル不足で行くところがなくなります(人材開発担当候補?)。と言われ最後のチャンスに賭けることにしました。サーバトラブルの技術を身に付ければ将来安泰だが出来なくとも故障の原因、状態を申告者から聞き出してて解析部門に回す業務、受付でもできれば生き残れますとのことだった。サーバトラブル解決専門の部門でサーバトラブル解決の技術者として認められた2001年ごろ、かつてのLAN工事の同僚、KさんからMさんの動向が伝わってきました。Mさんは大出世して籍はわが社ですがサラ金業者に何でもできるシステムエンジニアとしてオラクルがインソールされているサーバ保守の仕事を任されていたそうです。Mさんの給料は額面でも50万以内で手取りは何も変わりませんが、サーバ保守の仕事をしているサラ金業者から我が社に100万円ほどの人材派遣料をもらう契約で、部下を2人連れてサラ金業者に派遣していたとのことでした。サラ金業者にすればMさんに月額100万円を払ってもソフトウェア会社にAPの修正改良を依頼するよりもMさんにメンテしてもらったほうが安くつく勘定でした。差額の50万円以上は我が社に入りこのまま仕事を続けると大変な貢献になります。しかしMさんはサーバトラブルを解決した実績もなく、ましてそのサラ金業者が期待したAPの改修メンテ能力など皆無なのは私がよく存じています。DOS窓コマンドプロンプトからサーバやルータにPING試験する以上のスキルはないのです。何でもできるシステムエンジニアと推薦されたのが命取りとなったようです。スキルがないのに多くのAP改修要求を出されて何か月たっても解決してくれないのでサラ金業者が進捗会議でMさんを攻め立てたとのことでした。サラ金業者としては何でもできるシステムエンジニアとの触れ込みで我が社に毎月100万円もの賃金を払っているのだから当然です。Mさんはお客であるサラ金業者からの要求や知りえた情報を部下二人と共有せずに一人で解決策を探り仕事と問題、課題を抱え込んだそうです。そうしてサラ金業者がMさんのスキルに疑問を持ち、激しくなる連日の進捗会議に耐えかねて出勤しない出社拒否になったそうです。病名はうつ病です。現在は病院の神経科に入院中で回復の予定は未定だそうでした。Mさんは病気休暇の最長2年を取り元の部門Kさんと一緒にLAN工事の仕事に復職しました。しかし一ヶ月勤務の後また長期の病休になりました。Kさんも愛想をつかしたとのことでした。Mさんは1ヶ月2ヶ月出勤の後必ず復職委員会の承認を得て病休を取りそのまま退職までほとんど病気休暇で10年前定年を迎えました。あの様子だと一生うつ病は治らないでしょう。家族はお嬢さんが二人いて2人を大学卒業させる目標だと私に語ってくれましたが、長期の病休は給料の減額を余儀なくされ二人のお嬢さんは大学への夢は断たれお気の毒です。私が中学2年まで住んでいた家を出た者を虐めるとわが先祖が虐めた人に何倍も仕返しをするという仙人お爺さんの予言はまた当たりました。ただし我が先祖の御霊がそうしたのかは不明ですが、仕事をすべて取り上げて私を虐めたMさんが不幸になったのは確かです。

さらえまか: 祖母は仙人と話していた(家の言い伝え)

2017年5月7日日曜日

三人の敵その1_2(最初に私から仕事を取り上げた上司の末路)

1998年初秋の頃でした。リーダであるMさんは私の自宅よりこの地域の中心地から3つ向こうの駅に住んでいました。自宅の話になると時々たびたびだったか、3つ向こうの自宅に来てくれ酒は飲まなくてよいから料理を楽しもうと誘われていました。秋になると少ししつこいほど誘うのです。何かの話のついでなく頻繁に自宅に来るように誘われたのです。どうしてそんなに熱心にという思いはありましたが、終業後、同じように会社を出て普段使わないその私鉄電車に一緒に乗ってMさんの自宅に向かいました。とても機嫌よく別れの酒宴とは想像できないほど歓待してくれました。18時前後に彼の自宅に到着、近所の行きつけの飲み屋に入り店を出るとき、精算時は決して私にお金を使わせようとはしませんでした。飲み屋を出た後はまた隣のつけの利く飲み屋での見直す、などと計3軒の行きつけの飲み屋でごちそうしてくれた。その時は歓待の理由は判りませんでしたが、その後すぐにわかりました。深夜11時ごろまで何を話題にしたか20年近い前なのでほとんど忘れてしまったが、包丁砥ぎの話だけは覚えています。まだ私は砥石で砥ぐという技術は身についていませんでしたが、Mさんは海釣りを趣味としており小型の出刃を持っていたそうで海釣りの獲物を処理するのに大変な活躍をする道具だとしつこいほど言っていた。包丁を研ぐという技術を身に付けると料理という素晴らしい世界が待っているとも力説していました。うまく研げた小出刃で刺身のツマのネギを輪切りにすると切り口がペッタンコにならず元の形である円形リングを保つとのことです。ネギの切り口を見れば研ぎの技量がわかるとも自慢げでした。翌日は休日だったので23時まで遊び駅まで送ってくれて3駅向こうの自宅に向かいました。
休み明けに出勤するとMさんは様子がおかしくこちらのあいさつを返してくれないのです。仕事もM&Kコンビで私を誘わず二人でこっそりしているようです。何か話しかけても取り付く島もないように口を閉ざしました。1週間もするとようやく自分は仲間外れにされたのだとようやく気付きました。別れの宴の翌日からLAN工事は私を除いてMさんとKさんの二人でするということが決まったらしい。人事権のある上司も承認した結果らしいとのことでした。仕事自体は前回説明の通り誰でもできるもので、自分がのけ者にされた理由がわからなかったが、私は大いに傷ついたのです。これからどうして時間をつぶそうかと考えていました。本当にすることがなかったのです。しかしLAN工事以外にもう一つ仕事があったのでした。会社の立地はそれぞれの部門が50㎞以内に4つのビルに分散してありました。私の担当が所有する固定資産や備品の数が大きく4つのビルの各階の部屋に分散して保管、使用されており年2回の固定資産備品の棚卸しですべての備品がどこかで適切に保管管理されていることを証明しなければなりません。責任者は管理している担当の人事権がある人なのですが、備品が所在不明となった場合、一番叱られるのは企画部経理です。各担当への指導が悪いということです。当時ACCESSのわずかな知識で備品台帳を作り各備品ごとに移動確認年月日、ビル名、3Fなどの階数、部屋名、部屋棚の位置などの履歴を付けて管理するデータベースを作って管理していました。わが担当の固定資産備品が会社で最大の金額、種類と品数が突出して大きかったので経理の人の悩みの種でした。4つのビルに所在がまたがっているのは私の担当だけだそうです。棚卸しの締め切りが近づくと毎日調査備品の探索依頼に来ています。経理とは同じ企画部だったので気安くしていました。また私の担当はもといた部門で居場所を見つけられず企画部に引き取ってもらった落ちこぼれのような人が多かった。もちろん私も落ちこぼれでした。でも経理の人から見れば私のEXELのスキルが彼らを上回っており、経理の人が目標としているACCESSでアプリを開発して改善活動発表会で発表しているのをご存じなので本当なら経理から馬鹿にされても仕方がない身分なのですが、EXELとACCESSのおかげで時々はありがたられていました。そしてACCESSで履歴機能が付いた備品台帳を開発しているという実績で馬鹿にされるということはありませんでした。それどころか履歴機能が付いた備品台帳が経理の人にとっていかに素晴らしいのか教えてくれました。最後の日付、何年何月何日、Aビル、4階、何々部屋の南東部にあったという履歴から次の移動場所が簡単に推定できるというのです。私に他の担当の備品台帳をACCESSで作成して運用の手順書を作成して他の担当に配ってほしいとの要望もありましたが、Mさんの妨害があったのか立ち消えになりました。EXELで備品台帳を作ると最新の備品の居場所しかわからず、一目で今までの履歴が全部見えるACCESSの入れ子表現にした履歴機能が付いた備品台帳を使って一番困難な私の管轄する備品の棚卸しが終われば、全体の峠を越えたような感覚になるとのことでした。経理からのあの備品を検索してくださいとかの依頼は結構楽しい仕事でした。人のお役に立てているという実感を感じられたからでしょう。私の担当の固定資産備品の移動があると経理の人が移動があった備品のリストを持ってきてくれACCESSのデータベースに登録してくださいとお願いに来たのです。しばらくして経理の人が来て検索で先日の移動備品の履歴がACCESSのデータベースに登録しているのを確認して経理の人は帰っていきました。備品が行方不明になると一番被害を受けるのは経理だと私には正直に言ってくれました。ところがある時期から経理が私に移動があった備品のリストを持って来なくなりました。経理の人に理由を聞くと移動があった備品のリストはMさんに渡すよう私の人事権のある上司から経理に通達があったそうなのです。経理の人は私にACCESSで管理してほしいらしいのですが、そんなことは言えないから仕方がないとのことでした。MさんはEXELで漏れがないように管理するから私に渡さず自分に渡してくれとのことでした。Mさんはとうとう固定資産備品管理の仕事まで私から取り上げたのです。Mさんの理由は判りませんでしたが断れば集団いじめの対象にされるなどの圧力を宴席などで受けたようです。そうこうしていくうちに腹が立つことがりました。出勤がだんだんつらくなっていった当時、うつむいて歩いていると背中をポンと叩くで見るとニヤニヤしたMさんでした。「うつむいて歩くと心の病気になる。胸を張って前を見て歩かないと」などと余計なからかいののような意見をもらったのです。私がうつむくような原因を作った人からのそうした言葉にさすがにむっと来ましたがどうすることもできませんでした。しかし数年後立場が逆転して出勤するうつむいて歩いているMさんの肩を叩いて「前を向いて歩こう」と本当に心の病気になって解雇されないよう出勤してきたMさんに仕返しができる日が来るとは当時は夢想だにしなかった、

2017年4月26日水曜日

三人の敵その1(最初に私から仕事を取り上げた上司の末路)

1998年当時、世間では中高年層のリストラ大流行、リストラの嵐でした。この当時の退職拒否した社員を退職させるための集団いじめや嫌がらせによる精神障害のまま退職、失業保険のあと退職金の食いつなぎの結果、退職金の枯渇、再就職先などあるわけもなく前途を絶望した当時のリストラ被害者のうつ病などを原因として列車の人身事故の遠因と私は考えてます。それにしても数年前から列車の人身事故によるダイヤの混乱が多すぎる。わが社でも代わりがある仕事をしている人には風当たりが厳しくなっていました。生き残るには会社にいないと困る人、必要な人材と認めさせる必要がありました。要するにだれでもできそうな仕事をしているとその仕事がなくなるとお客から重要な仕事を任されている部門からの引き合いがなく人材開発担当などに追いやられて退職を言い出すのを待たれる部門に行かされるということになります。そして正直に申し上げて1998年当時の仕事はスキルも必要なくやる気になればだれでもできる仕事でした。所属する組織、担当がなくなればいつリストラされても不思議でない境遇にいたのです。具体的には私の仕事は作業主任、リーダーであるMさん、Kさんと私の3人で社内向けのLAN工事をしていていたのです。ソフト開発部門に多かったのですが、新しいプロジェクト担当などを新設した場合Windows95がリリースされてから3年経っているのでパソコン、社内のホームページ閲覧機能、メール送受信機能がないと仕事になりません。必要に応じて倉庫に保管しているPCなどを引っ張り出してPCもこちらで用意しました。企画部門の一部なので仕事の環境を整えるのが仕事でした。LAN工事は近くのルータを押さえetherネットLANを伸ばした幹線を床下から追いかけて直径2㎝程の幹線に直行する穴を空け芯線まで届いた穴に先がとがった導電性の金属針をねじ込んでKAN幹線から支線を作りハブにつなげて新担当の各パソコンを集約ルータにつないで電子メールやインターネット環境を構築することです。その担当のためのハブにノートPCを繋いでDOS窓からルータにPING試験が通ればLAN工事めでたく完了です。
十字ドライバーを回したりLANケーブルをつなぐことが出来れば誰でもできる仕事でした。またこの施設を利用するのが社内の部門で何か間違いがあってもごめんなさいで済みます。さすがに毎日LAN工事はないので仕事がない時はネットにつなげている社員のパソコンのトラブル対応です。メールが送信できないとかインターネットに接続出来ないとかの問題解決です。企画部内のPC技術者と相談しながらLANボードのドライバなどを再インストールして解決させていました。暇な時もありますがLAN工事をする前よりはずっと会社に貢献できる仕事で人事権のある上司からも以前よりずっと仕事の内容がよくなり頑張っているとの評価を頂きました。1997年から1998年にかけてはリーダのMさん、先輩のKさんの3人で何とか給料分の仕事にありついていました。現在もそうだと思いますが、実際に給料分の利益を会社のために稼いでいなくても人事権のある上司が給料分の仕事をしていると認めればそうなのです。

2017年3月25日土曜日

舌癌骨転移して、強い痛みへの民間療法的備えがあります

私は先祖返りとかで大臼歯が3つありました。そうして都合の良いことにその一番奥の大臼歯、親知らずと呼ばれている大臼歯が普通の歯のように噛めたことなのです。特にてこの原理か何かで一番かむ力が強く例えばカンロ飴のような特別固いものは一番奥の親知らずで噛んでいました。大臼歯3本は他人もそうだと思い込んでいた。虫歯治療時にお世話になった歯医者で普通の人は大臼歯は2本で私のように親知らずが完全に生えて大臼歯3本は滅多にいないケースと教えてもらいました。その自慢の親知らずが虫歯になり、治療をお願いすると、「親知らずは治療しないで虫歯=抜歯が歯科の常識です。一番奥にあり歯を削る道具が入れず丸い鏡を入れる余裕がないので治療は不可で、あなたの親知らずはまっすぐ素直に生えているので抜歯が容易です。ついでにこの機に将来の虫歯のために4本の親知らず全部抜きましょう」保険の点数が高い抜歯をしたいのかなと考えましたが口に出せず「私の4本の親知らずは無用のものでなく普通に噛めるのです。歯としての仕事をしているため何とか治療していただけないでしょうか」と言いますと赤い紙を親知らずの上に置き噛んでくださいと言われた。そうして4本きれいに生えているだけでなくきちんと嚙める歯なので治療する価値があると納得していただいたのです。「治療してみましょう。しかし私には無理で明日○○先生が出勤しますので明日もう一度来てください」そして翌日きつい麻酔後に治療してもらった。その数年後再び右上の同じ親知らずが痛みだしたのです。その後引越していたので、また別の歯科医院で麻酔薬を綿に含ましたもので拭いたりして痛みを取る治療を受けていました。やはり抜歯を勧められましたが、前と同じように噛んでいる歯と説明して抜歯は免れていました。
 そうこうしているうちにある日曜日の午前、経験したことのない強い痛みが右上の親知らずに出たのです。前回京王線仙川駅周辺の3人の歯科医がいる大きな歯科医院で無理やり治療してもらった右上の親知らずです。強い痛みで明日は抜歯を決心しました。日中は2時間か3時間周期で強い痛みが10分ほど続くの繰り返しでしたが夜になると1時間周期と痛みの間隔が狭まってきたのです。午後11時ごろ痛みがない間隙を縫って寝付いたのですが午前2時か3時ごろ耐え難いような激しい痛みで目が覚めました。朝歯科医院が開く9時まで痛みが遠のいてほしいと思ったが痛みから痛みの間隔が夕方より更に短く10分間隔で強い痛みがやってきます。何とか痛みを和らげたいと必死で考えると以前民間薬などを勉強した枇杷の葉で痛みを取る方法を思い出したのです。そして枇杷の木が近くの通勤途上の公園にあるのも知っているのです。
2枚のビワの葉を取ってきてガスの火より比較的多くの遠赤外線を出す電熱器で枇杷葉を焙り右上の親知らずを狙って右の頬に当てて横になりました。数分で少しづつ痛みが小さくなった気がしました。
2枚目の電熱器で焙った枇杷葉を当てているとき痛みが我慢できるまで小さくなったのか寝入ってしまった。最近気づいたのですがビワの葉には眠気を誘う効果があります。当然私の自覚であってほかの人にも入眠作用があるかは存じません。痛みなく目覚まして通常通りに起きて休暇を申請して歯科医院に行き第一声が「親知らずを抜いて下さい」起床後も痛みは再発しなかったのです。10分間隔で痛みが来ていた午前3時ごろから、枇杷の葉を使った結果、午前9時まで6時間痛みなしです。
 ビワの葉の効用について書かれた本によると温めたビワの葉で痛みを取るのは、普通の痛みではあまり薬効がなく癌が骨に転移したり本当に激しい痛みに効くそうです。もし将来癌が再発して骨転移した時ビワの葉にお世話になろうと思います。

2017年2月13日月曜日

新しい大きなドーナツリングに入りました。最後のつもりだったCTスキャン

2月1日午前09時30分、放射線部CTスキャン室に入ると見たことがないシンプルな大ドーナツが目につきました。CTスキャン撮影は数回経験がありますが、これまでの機械とは違うようです。あいまいな記憶ですが患者から見るとトンネルのようなものに人間が入る筒状のものはなく患者はレールに乗せられて大きなドーナツだけをくぐると良いような構造でした。昨年春には患者がが入る筒状のものの途中にドーナツがあるという感じでした。現在の新しい機械は閉塞感のあるトンネルはなく大ドーナツだけを潜ればよいようです。圧迫感でなく解放感があります。音も静かでした。指示通り横になり仰向くと移動の妨げにならないように体に力を入れて引っかからないように意識する必要はなくすごく撮影が楽でした。リラックスできたのです。狭いトンネルに入るような圧迫感もありませんでした。
あんまり有難かったのでメーカの味方をして宣伝してあげたいと思うのですが、そうもいかないのですが、メーカーは現在米国で原子力発電事業で会社存続の危機にあるような損害を出しています。日本の総合家電メーカです。患者にやさしい大ドーナツ→CTスキャン装置をリリースしてくれてありがとう。米国の原子力事業では大失敗のようですが、CTスキャンやMRIで収益をカバーして頑張ってほしい。別に発行株式数が巨大なので投資的興味がなく株主になった経験が過去一度もなく、将来的にもないでしょう。でもこんな良い製品を出したので日本企業として何とか立ち直ってほしい。
撮影後3人目の主治医に聞きました。2012年ごろは癌と認識できる解像度の限界が5㎜でしたが、この新型のCTの解像度の限界は何ミリでしょうか。先生はそれには答えてくれず、私が観た感じでは癌はないようですが、撮影が今日の今日で、画像解析専門医のコメントを貰っていない。自分一人では自信がない。六か月後の8月に再度CT撮影して1週間後画像解析専門医の判断をもらって、たぶんOKと思うがそれで終わりにしましょう。との結論でした。リンパカクソウ手術をしない判断をしてくれた教授に判断を仰げばよいものをと思いましたが、もう一度CT撮影をすればそれで終わりだからとあきらめました。きっと新任の主治医も教授もCTの機械が新型になり以前の知識が通用しなくなったのでしょう。8月に二度も来るのは嫌ですが、それなりに一生懸命正確な診断をしようとしてくださってるのだから先生を傷つけることを言うのは我慢しました。それに再発癌がないという判断にほとんど疑いを持っていないようです。もし少しでも疑惑があれば成長が早い癌を2月から6ヵ月も放置しないでしょう。そんなわけで完治と見なす判断は8月までお預けのようです。

2017年2月4日土曜日

株の儲け方 ハウツウ、ノウハウ

株を始めたころ専門雑誌で書いていた一文がありました。とてもよいことと感心しましたので記録しておきます。「血のにじむような苦労と努力でもって相場で儲けた人は儲け方の極意を決して他人にもらしたり、教えようとはしないものである。自慢話などはもってのほかと考えている。なぜなら、ゼロサムのゲームである株式投資では、他人が儲けることは、その分自分の儲けが減ることを承知しているからである。」自分の儲け方を人に教えては同じ時期に同じ銘柄に自分と同じ買い注文が入り、売るときでも同じ売りが入るからである。いわゆる邪魔が入りことになり結局安く買って高く売れなくなる。自分が買いたいときは買いたい弱気で相場はさらに悪くなる、中国から土地が輸入されるのと同じで住宅地価はもっと下がるとか言って多くの売りを誘い少ない自分の買いで安く買うのが理想です。