酔っ払いの小唄の手伝いのリクエストもなく休憩していたときでしょうか、3人の見覚えのない40前後の男性に囲まれていました。3人は顔が赤く思いつめたような表情でした。我が郷里では子供に暴力を振るような人はなくそうした心配はなかったのですが何か決心したような気迫を3人に感じたのです。私を含めた数人の祭りの行事に参加した者、子供といえども祭りの期間中は一応「神の使い」待遇で大切にされます。
3人の見覚えのない中年男性はいきなり「先祖の御霊などはいない」と言い出したのです。誰も見たことはないというのが彼らの根拠でした。私が「先祖は天国にいるから見えないのだ」と反論すると「天国とはどこだ」上空を指さして「空の上」「ではスペースシャトルなどの窓に映っていたか」などと言い出したのです。さらに戦争をするのにミサイルの発射ボタンを押すだけでいい時代に先祖のみたまなど迷信じみたことを考えるのはおかしいなどと教えられました。
確かに先祖の御霊を見たことがないのは事実です。当時の自分には大変説得力のある言葉でした。先祖の御霊は天国に行く前しばらくはお墓にも眠っていると言うと、お墓、葬式、仏壇は先祖のためにあるのではなく残された生きている家族のためにあるんだ。生きている家族の悲しみを癒すための道具立てにすぎないとの理屈を言われました。それももっともな話と思い見たことがない物、つまり存在しないものにすがったりお祈りをするのは迷信でありそうした迷信の助けを借りようとするのは無能の人のすること。自分はそこまで落ちぶれないでおこうという考えにいつしか染まっていきました。そして社会人になってから実家の法要に参加しない、お墓参りはしないなどという取り返しのつかないことをしてしまったのです。仏壇には帰省のたびに線香をあげました。亡父の写真が飾っていたからです。
もし今そのようなことを言われたら相手の身元を聞いて見る(たぶん私の先祖を恐れているとかいう近所のお年寄りの縁者、親戚と思う)。相手が自分の名前住所を明かさないで、酒を飲みたくなったからこの神社に立ち寄っただけの通りすがりの者というでしょう。
「顔は憶えたのでお寺の墓の前で今日こんなことを言われたと報告してみる」あるいは亡父に禁じられた言葉「先祖が許さない」を言ってみるのも面白そうです。
「天国にいるはずのご先祖が宇宙船から見えない」の理由は地球の軌道よりもっと遠くの冥王星の軌道までいかないと見えないと答える。どうして冥王星だといわれると冥福、冥土というから先祖がいる天国は冥王星の近くなのです。あの当時は理路整然とした大人の理屈には抗すべくもありませんでした。祭りの後何度か思い返したのですがその通り正しいというのが何度もたどった結論でした。近所のお年寄りの方針 △わけしり爺さん△ あの祭りの日の3人の男性の行動は先祖供養から遠ざけるための私への刷り込みだった気がします。
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