思いだそうとしても正反対の思い出したくないという気持ちがより強く働くのが高校時代の記憶です。幼児が発した憶えたての言葉にお年寄りはこだわった「先祖が許さない」事件は太陽がさんさんとあり、まだ歩くときにお尻を振っていた。オムツがお尻をこすりながら左右に移動するのを面白がってさらにお尻を振りながら道普請の現場まで歩いて行ったのをはっきり思い出しました。この記憶は色でいえば黄色、仙人お爺さんの記憶は白色ですが、それから10年以上現在に近付いているのに高校時代の記憶は灰色です。全体にモヤがかかっています。振り返れば後悔が多いのが高校時代です。実家での思い出は祖母が亡くなってからよい思い出は少ないのです。
高校入学直後の5月の連休に入る前だった気がします。新入生は学区の多くの中学校から集まってきており、お互いの親睦と親交を図るためクラス対抗のソフトボール大会を学校が開いてくれたのです。ゲ-ム中観戦をしていて対抗チームが攻撃の時、野次を飛ばす役目だったと記憶しています。H君が打席に立ったのです。周囲が野次を飛ばすので同じようにしているとH君がボックスをはずしてバットを持ったまま私の野次が気に入らないと言ってきたのです。「ゲームもヤジも遊びだろ」言い返した。こちらがほかに何を言ったのか今では記憶にありません。大勢でヤジっていたのに自分の野次にだけこだわられたのも不満だった。これは喧嘩になると覚悟しました。そんなやり取りをしていると「H君戻れ、次のバッターが待ってる、何をしているんだ」遠くからそんな声が聞こえ、H君はこちらに未練たっぷりで打席に戻った。
私の出身中学は田舎でH君のそれは地方都市にあり在校生は私の出身中学の10倍はありました。今考えたのですが、私以外に彼をヤジったのは顔見知りの同じ中学出身者で許せたのかもしれません。私の友人は中学校卒業後全員就職したので仲のよい友人はこの高校にはいませんでした。
ソフトボール大会が終わり一人で自転車で校門を出た時、数人のグループに呼び止められた。自転車を止めると周囲をぐるりと囲んだのでした。話があると囲まれたまま暗い通路に連れて行かれ「Hに謝れ」「謝らない」などと言い合いながら寄ってたかって小突かれた。彼らは数人のうち一人を暗い通路の入り口に見張りを立てるという念の入れようだった。殴られた場所も彼らは跡が残る顔は避けたようです。
誰でも経験するようなことですが、その後も集会などで人ごみの中で立っていると後ろからドンと肩をぶつける人がいるので誰かとみるとH君だったということが半年ほど続いたのです。
その夏休みに隣の高校でふとしたことで知り合った友人が出来たのです。Mは約束したことは守るというのがとても気に入りました。ハッタリなどいい加減なことと無縁だった。後で知った話ですが、入学直後に恐そうな大柄の同級生と大喧嘩をして相手の前歯を折り、顔中を血まみれにしたそうです。その恐そうな同級生は針で縫うほどの大けがをしましたが、警察に行ったり学校の先生に言ったりはしなかった。それなりに恥を知っているのです。Mは大柄でもなく風貌は別に威圧感を感じることはなかった。そして驚いたことに暴力団を恐がらない高校生だった。交友関係は不良グループを束ねたり群れたりはしなかった。彼の学校に遊びに行くとたいてい二三人の女の子とおしゃべりしていた。
H君が数人を集めるなら私もM一人に相談すれば仕返しはできたが3つの理由で嫌だった。もう済んだことでその後お金をゆすられるような被害はなかった。Mに相談すれば自動的に彼に関係のないことで彼を巻き込むことになるからです。大切な友人をそんなことに巻き込むのは気がとがめました。最後に彼に知られると「けじめの付け方が悪い」と軽蔑されるからです。相談するどころかソフトボール大会の一件が噂でMの耳に入るのを恐れたのです。Mが知ると独特の情報網でH君の住所を聞き出し夕方か夜訪ねて行ってこういうのにきまっています。「○×高校のMだ。お前の学校の×組の○○の友人だ。済んだことはいいがこれ以上馬鹿なことは考えるな。今日から家と顔は憶えた。俺の名前が知らないなら人に聞け」彼は友人なら当然とH君の家に行くのです。そして心では「情けない奴だ」と思うに決まってます。幸い入学直後のことで1年生全員が他校出身の同級生の顔を知らない時期だったのか、私とH君のことは噂にはならなかったようです。ソフトボール大会から半年後後ろから突然ぶつかってくるH君が見えなくなった理由が2年生なる直前に判明しました。あの時一言私が「野次を言いすぎた」と言っておけばよかったと悔いが残ります。
高校入学直後の躓きと後悔2に続きます
0 件のコメント:
コメントを投稿