2012年4月29日日曜日

癌による病死を受け入れるまで1

2012_02_07火曜 開業医A先生の癌判定から2月13日B大学で正式な診断まで1週間ほどで癌による病死を覚悟して、何とか今回遭遇した事実を受け入れようとしました。A先生はしきりに自分の診断は正式なものではなく、あくまでB大の先生が判定を下す立場にあるを説明していましたが、なんとなくA先生が正しいのは分かっていました。仕事が終わると人の生き死にについていろいろ考えた。自分もどのような最後を迎えるのかなどを想像したのです。人間の生死について納得させるよい例を本で読んだことがあるのを思い出したのです。知りえた結論は、生あるものは必ず死を迎える。人においては何百年も生き続ける人間はいない。子供のころから病気知らずで何十年か生きられて、今寿命が尽きたとしても何の不思議もなく、今までの健康に感謝して死ぬべきということでした。親の期待に応えられなかったのは自分が悪いのであって私に生を与えた神様が悪いわけではない。

あれは1996年ごろでした。シンガポーに年に何度かトロピカルフルーツ、中華料理、海鮮料理を楽しみに行ってました。日本の冬に行けば、当地の気温も大変なご馳走でした。もともと夏大好き人間です。オーチャードにサマセットという駅がありその駅とつながっているような近くに日本人がよく利用するホテルがあります。シティホール駅まで歩いて20分もかかるマリーナスクウェアにも同名のホテルがあり、チャンギ空港で拾ったタクシーにはホテル名を告げるとき、「ダウン オーチャード」を付けるとニッコリしてくれます。あのときは日本の季節では新緑の5月、当地ではドリアンのシーズンです。

翌日は計画がありました。シンガポー北部のウッズランド駅から歩いてコーズウェイまで行き、パスポートを提示してマレーシアのイミグレーションを通過して歩いて対岸のジョホーバーまで行き散策後、再び歩いてウッズランド駅に歩いて帰るという冒険を計画していました。1995年はWin95がリリースされインターネットが大きく普及した時代です。シンガポーの2階建ての路線バスの側面に「Windows 95」と大きくかかれていたバスが走りまわっていた。そのインターネットのグーグル検索などでコーズウェイの情報などを検索するとガイドに案内されてジョーホーバーを観光するよりも自分の足でコーズウェイを渡って行くのが一生の思い出になるほどの経験になると紹介されていた。ただしウッズランドからガイドなしでマレーシア往復するには相当な英語力がいるとか勿体をつけていた。いかにもHPの著者、往復した経験者が英語力を自慢しているようでした。そんな大層なわけがない。英語が得意でない自分でいって証明しようと計画したのです。明日はジョホーバーという夜の10時ごろサマセットのホテルで何かの引き出しをあけると表紙がオレンジ色の本が出てきたのです。ページを空けると左のページには英分で右のページには同じ意味の日本語の文章があった。内容はある宗教の教祖様の説法を書いたものです。その教祖様は日本人で知らない人はいないほど有名な方です。その教祖様の教えはもともと難解な昔の中国語、漢文で書かれているようですがこの本では読んでみると誰にでもわかる文体で表現されていた。たいてい人間社会の真理、当たり前のことが平易な文体で書かれていた。明日はコーズウェイ。早く寝なくてはという思いもありましたがつい中を読んでしまったのでした。

大玉トマトを植えました

2011年11月に仕込んだ落ち葉腐葉土です。何も加えない落ち葉堆肥は堆肥 肥料の仲間でなく腐葉土と区別する説もあります。堆肥肥料は作物の収穫を増やすのを目的として畑に入れるものなら腐葉土も堆肥も区別はなさそうです。まだケヤキの落ち葉の形を残していますが、指でいじくるとすぐにぼろぼろになります。この腐葉土を大量に仕込んでいます。土の中はあったかいです。
2012年4月4日水曜 落ち葉腐葉土の中に入荷したばかりの大玉トマトの苗4本を植え付けました。本当は3本の予定ですが、1本は何らかの理由でうまく育たなかったための予備です。4本育てばそれも良しとします。
ビタミンC含有量が100g当たり柿の葉に次いで多いパセリも植えました。免疫力強化には天然のビタミンCが必須です。
2012年4月29日日曜 トマトは大きく育ちついに先端に花芽を付けました。秘密兵器のボカシを撒いて、4本の支柱も立てました。水道水を散布しないで自家製のボカシのために長雨を待ちます。トマトはあまり水をやり過ぎるとよくないそうです。

2012年4月15日日曜日

開業医A先生の技量は人がなせるものではなく、もう神技です(B大学耳鼻咽喉科教授に一番近いC先生の感想)

挨拶もそこそこに舌の診察から始まった。やはり前の先生と同じくガーゼ2枚使って舌を2度上に引っ張ってめくりました。「もうお聞きと存じますが癌です。」このとき心の中に黒い大きな枠、囲いのようなものを見ていた。その隅っこに影絵のような人がうなだれた人がいて、囲いの外にもう一人の影絵が中の影絵に「そうかお前癌なのか。かわいそうに。大したことないので気に病むな」と話しかけてきたのです。C先生「癌ですよ。意味わかりますよね」で影絵の世界から癌告知確定の現実に引き戻されたのです。「それにしても開業医A先生の技量は飛びぬけていらっしゃる(在野の町医者でこんな方がいらっしゃるとは驚きました)」「私の舌癌の場所がなぜ見つけにくいのですか」「場所が舌の下の最奥にあります。血管でデコボコしていて舌を上に引っ張っても目線と垂直面にならない。舌癌の診断は潰瘍を探すのですが、○○さんの場合潰瘍の周囲のギザギザが小さく色も露出した潰瘍部とギザギザの外とそんなに変わらない。少しの唾液があるだけでもう区別がつかない。私の場合はC先生が貸してくださったプレパラートで癌があるのは確信しているし、潰瘍の場所も紹介状で分かっていたのですが、一度舌をめくっただけでは確認できませんでした。開業医A先生は癌があるかどうかわからないのに長い集中力を以って辛抱強くお探しになったのです。このがんは心配いらないと見逃されて癌がもっと大きく悪化して発見されるパターンです。舌の奥、舌の付け根付近にありますからもう少し症状が進めば舌の全摘出になるところでしょう。あなたは良い先生にかかわって幸運です。」なんとなく初期癌を連想する言い分でした。
明後日15日にCTスキャンの予約を取ってもらった。MRは大学の予約が満杯で1カ月先だったので病院のお隣のPETとMRI CTスキャン専門の民間病院でMRIの予約を取ってくれました。
何か質問はないかというので、舌の癌はよそから転移、飛んできた癌ではないですかと一番恐れていたことを聞いた。舌癌はほとんど原発癌です。後でMRI PET検査で詳しく判明するが舌が原発癌でしょうと言われました。もうひとつは診察の契機となった声帯の痛みです。喉や声帯に癌ができていませんか。C先生は口から咽をみて「ご安心ください。咽喉には何もありません。発声時には動かすのは声帯と舌の奥ですから舌が痛んだのでしょう」口から見て咽がわかるのかと考えていると「ご不安でしたら鼻から入れて咽喉を診る内視鏡がありますからすぐに確認します」鼻の奥の少しの抵抗で内視鏡の先端が咽喉に落ちたのを感じました。上部と下部を先端部の電球で確認して「やはり咽喉には何もありません」「私もお聞きしたいことがあります。生検を取った時の局所麻酔はさぞ痛かったでしょう?」「腹の底から悲鳴が出るほど痛かったですが、麻酔はしませんでした。」痛かったでしょうとからかうようにいっていました。C先生は患者が痛がるのが大嫌いなのです。霧の麻酔を多用して局所麻酔ですら痛くないようにしてくれます。驚いた顔で「なんですって麻酔なしで舌の生検を取ったって。。。。。。。。聞いたことはありません。普通は麻酔して舌の生検を取るのが耳鼻科の常識になっていますが、麻酔などしないほうがいいに決まっている。あなたの癌は発見しにくく生検を取るのが大変な場所にあるのです。痛がる患者をあやしながら患部を挟むだけでも至難の業です。チャンスは一度しかなく、正確に一回で癌の標本を打ち抜いているのはこの標本プレパレートが証明している。私なら患者が痛がることを考えて手が震えてとてもできない」それから表題のようにA先生は神技を使ったの発言でした。C先生は自分の眉間を人差し指と中指で押さえてしばらくうつむいて固まってしまったのです。確かに標本を取るチャンスは1回だけでしょう。もう一度させてくださいと言われても無理です。他の舌癌関係のスレを見ても麻酔して確実に癌を捕捉できるように2回は生検を採取するようです。「でも先生、生検を取るまでは痛いのは食事のときだけでしたがあれ以降食事以外でもいつも痛いのです。感謝はしていますが」患者が痛がるのが大嫌いで耳鼻咽喉科の教授になれば私が住んでいる広い地域の指導的立場になるのが確実なお立場で町医者のA先生の技量を素直に褒めるC先生も良い先生と思います。医師も最後は人間性です。他人の痛みを知ろうとしない医師に看取られて死にたくはありません。A先生を褒めるのを聞いて少しさわやかな気分になりました。夢のように頭に出てきた枠の外の黒い影絵の人はわが先祖の御霊のような気がします。
C先生のB大耳鼻咽喉科の動向は私の生検を返しに行ったときB大出身の知り合いからA先生が聞いてくれたようです。現在の耳鼻咽喉科のトップであるたった一人の教授は最近の兆候として腫瘍・癌専門外科医だそうです。C先生も癌専門外科医で耳鼻咽喉科NO2だそうです。現在の教授が退官するとき当然のようにC医師を後がまに指名すると誰もが考えているようです。

B大学付属病院の二人の腫瘍医師の判定

2月13日、2時間待たされたあと診察室に呼ばれた。名字からは外国人のようですが、言葉のなまりは全くなかった。挨拶を交わした後、診察してくれました。例によってガーゼで舌の先端をつまみ中を見た後、何か呟いた後、もう一度ガーゼで舌の先端をつまみました。長いこと見た後、「残念ながら癌です。開業医A先生が採取された生検から作られたプレパラートを顕微鏡で見た細胞の形、今見せていただいた舌の状態から判断いたしますに間違いなく癌です。」わかっていたが、どこかで開業医A先生の誤診であってほしいとの思いがあったのか、その若い先生のお顔より、その時は視線がうつむいてしまって、今でも机の上の状態ばかり浮かんできます。「私も腫瘍専門ですが、○○さんほど潰瘍の位置が分かりにくいのは初めてです。舌の下の奥にあり、ちょっとした光の加減、唾液で潰瘍が見えなくなります。よほどの幸運が重ならなかったらこの潰瘍は見つけられない。当然私がA先生のお立場なら見逃すでしょう。よその病院で見逃されても致し方のない癌です。開業医A先生の腕前は相当なものです。」そんなことを話してくれました。確かに机に広げられた開業医A先生の紹介状には舌の漫画と、潰瘍の位置が書かれていた。それでも一度ガーゼでめくっただけでは確認できなかったのでしょう。
後はCTスキャンなどで造影剤注入に同意してほしいとか手術の切断面に動物由来の人工皮を使いたいなどの検査手術方法の説明に終始した。特に転移を判定する造影剤注入は危険もあるが見返りはそれ以上で右頸部のリンパ転移癌を見るに大変有効と力説された。ほとんど夢うつろで同意書にすべてサインしました。長い説明の後「主治医のC先生が隣の部屋でお待ちです。そのドアを開ければ主治医のC先生の部屋です。」といってC先生へのドアを空けてくれました。

2012年4月7日土曜日

癌検査 4度目はアウトで当たり

舌の生検を取った翌日朝から舌は勿論、両耳と喉が痛み仕事を休みました。
家で真剣に隣町耳鼻咽喉科A先生の態度、言葉を反芻するに癌の疑いがいよいよ濃くなりました。しかしこれまで3度のがん告知の危機があったのです。
2000年ごろです。会社の健康管理で便より潜血があったとの通知があり大腸の内視鏡検査を受けてほしいとの健康管理医からの業務命令が来ました。当然大腸がんの疑いがかかったのです。内視鏡検査を受けると円錐を底のほうで底辺と平行な平面で切ったような扁平なできものが見つかったのです。すぐに内視鏡より電線をその平べったいポリープに巻きつけ焼き切ってくれました。大腸は神経がないそうで全く痛みませんでした。平べったいポリープは前がんのようなもので放置すれば発癌の可能性が高いものだったそうです。おかげでそれ以降、検便で潜血が検出されることはありませんでした。
2番目は2004年でしょうか。仰向けに寝ていると背中が痛むのです。原因は高さ1cm太さ5mmほどの大きなイボができているようなのです。寝ているとき敷き布団でイボが圧迫されて曲がった時が痛いのです。仕方なく市民病院皮膚科に行くと、若い先生が「すぐに手術をします。」とこちらの了解も取らないで真剣な顔で手術の準備をしだした。皮膚がんを疑っているのかなと心配になりました。10分ほどで手術は終わり生体検査に出すので何日に必ず来てくださいと言われた。恐るおそる行くと大きなイボは血管を伴った良性の腫瘍でしたとのことです。もし癌なら大変でしたとのことでした。
3度目は昨年です。毎月血糖値を測っていますが、昨年5月6月と血液検査結果に異形リンパ球検出とあったのです。内科医はATL発病の疑いがあると言い出したのです。成人T白血病は発病すればまず助かりません。目の前が暗くなりました。親族に鹿児島出身の人がいないかと尋ねられました。そんな人はいないと言いましたが何度も同じことを聞かれました。南九州に多いらしいのですが私の記憶では高知県のほうが多かったような気がします。もう一度血液を採取して成人T白血病だけを診断してもらいました。病院に行くのは嫌でしたが、結果はそもそも成人T白血病のウイルスに感染していないから成人T白血病はあり得ないとのことでした。異形リンパ球も検出されていませんでした。いったいなんだったんだ。でした。そんなわけで今回もスルーできるのでないかと希望を持ちました。でも食事のときは痛みがひどくなっていました。結果は以下のようにアウトでした。
2012/2/7 火朝  隣町の耳鼻咽喉科へ 生体検査判定 細胞の形が悪い 悪性の舌癌の疑い。
A医師は「うちのような小さい病院ではここまでです。紹介状を書きますので病院を決めてください
舌癌でお勧めは がんセンタ A医科大 B大付属病院です。いずれも多くのデータが集積されており手術も上手な先生がいる」とのことです。家から一番近いB大付属病院に決めました。先方の診察の予約が取れたら電話するので紹介状を取りに来てください。2月13日に予約が取れ紹介状と生検の顕微鏡用のプレパレートをもらいました。相手は待っていますので必ず行ってください。そこで癌かどうか正式に決まります。どのような手術の名人、設備、薬より癌退治には早期発見が一番なのはわかっていました。

2012年4月1日日曜日

落ち葉堆肥の表面に置いた油かすやバークミンを除去することにしました。

落ち葉堆肥の作り方を説明したネット情報によると、落ち葉だけを積み上げて作るとは書いていません。大抵発酵を促進して温度を70度などの高温にするため図のように油かすなどの自然界にあまり存在しない高カロリーな肥料を各層にして落ち葉と混ぜるように説明しています。それに発酵を促進するために石灰なども層にします。そして温度を不自然な50度以上に上げて雑菌を殺菌したりするように書いています。こうすれば冬を越したよく春に完熟たい肥が完成するようです。
しかし前回私は、2007年から2008年まで1年かけてゆっくり20度から30度の低温で切り返しもせず1年かけて発酵させました。そして里芋、ジャガイモに効果があったのです。ネットの情報より自分の経験を大切にしたいと思いました。以前社宅に住んでいた時、油かすと石灰、発酵促進剤を使って失敗したのです。植えた覚えがないのに菜園にあった昼顔、ヨモギ、千草、ツクシなど招かざる雑草がすべて枯れました。手で引いてどうしても絶やすことができなかったこれらの雑草が、米ぬか、油かすと石灰、イスラムの教典のような名前の発酵促進剤を使った堆肥を土に混ぜるとすべて枯れたのです。魚が腐ったようなすごい匂いがしたので発酵途上だったと思います。悪臭は社宅で共同生活していましたから早く土に入れ悪臭を消そうと考えたのです。当然レタス、パセリなどの野菜は2年間決して育ちませんでした。昼顔、ヨモギ、千草を絶滅させたのは失敗ではなかったようですが。
なんとか温度を上げるために昨年秋油かすを20キロ1袋を落ち葉の一番上に層を作ったのです。そしてバークミンをこの上に撒きました。これは冬の間何度も考えましたが良くないことのように思えます。
自然の森の中では秋に落ちた落ち葉の上に大量の油かすやバークミンは当然積りません。これらは人間が作った高カロリーな人工の肥料なのです。自然の森の中では油かすなどを撒かなくても落ち葉だけで大きな木が育つ程の豊かな土が作られるのです。温度を上げるための黒いビニールシートを剥がすと黒いタール状になった悪臭を放つ人工肥料がありました。腐敗して下の落ち葉にしみ込んだものは仕方がないですが、せめて残っている油かすを取り除こうと決めました。
最初はミツマタなどの鍬で削るように取っていたのですが、細かく取り除こうとすると素手以上の道具はありません。ビニールの手袋をして丁寧に買い物袋6つほど取り除きました。これで窒素過多になることはないでしょう。やはり自然農法が一番です。ゆっくり1年かけて秋まで自然に発酵させます。切り返しは疲れるので今回もしません。自然の森の中でも落ち葉を切り返されることはないでしょう。晩秋に循環型菜園の土に混ぜるだけです。