転勤後、会いたくないのに何度かJさんを見かけました。それ自体やむをえないことでした。距離的に10kmほど離れているといえ同じ会社ですし私が転勤したように他の多くの人がJさんNさんがいたビルから私のいるビルに転勤しています。したがってJさんが多くの知り合いが当然いるでしょうし仕事上の関連もあります。ただ腹立たしくウンザリしたのはJさんが私の顔を見るなり以前よりもっと親しげに走り寄って来た後何だかんだと話しかけて来ることです。いったいどの顔をさげて私に合わせることができるのか。どんな神経をしているのか。以前と同じ声を聞いてよけいムカつくのでした。最後のドアを閉めた時と同じように、返事しないでJさんから離れるのが常でした。Jさんは以前の薄笑いと違って目を合わせようとしていました。しかし今度は私が目をそらせました。こうしたJさんからの接触が年に1回から2回あったような気がします。今ならJさんの言い分がわかります。自分以外の人では常識となっているアフリカ以来の先祖から引き継いだ誰でも持っている人には言わない本音なのです。「あの状態では自分が助かるのが精いっぱいだった。」これは人間らしい当然の行動と思います。恨んでも仕方がない行動ですが当時は許せなかった。
転勤してから数年後、朝出勤時にこの冬一番の寒さだなと頬に当たる痛い寒気を感じた1月下旬の寒い日でした。私が仕事しているビルで、JさんNさんがいたビルから出張してきた人に会いました。私の顔を見るなり、驚くべきニュースを持って来たのです。Jさんが今朝遺体で発見されたというのです。Jさんの家から10分ほどの消防用の防火用水のプールの中で氷水の中でうつ伏せで浮いていたというのです。別居中の奥様と離婚した後、毎夜近所のスナックで飲み歩いていたとのことでした。そういえば「起承転結_承2(入社5年目の躓き 春から夏)」の頃から小学校の教師であるJさんの奥様との夫婦仲がうまくいかなくなったとのお話をよくしてくれました。Jさんは2年前に結婚、まだ新婚だった家庭事情を話してくれました。不仲の原因は奥様が世界3大宗教の一つに入信しており、ご主人のJさんにも入信を強要するようになったとか。たぶんそのころから私一人を悪者にして自分達は助かるつもりだったのでしょう。離婚後、話し相手もないので、飲み屋通いが常習化していたとか。氷が張った防火用水のプールは飲み屋からの帰路にあったらしい。私はJさんの家にお邪魔したことがないので当然、防火用水のプールは見ていないのです。プールはコンクリートの塀が1m以上ありその上にさらに1m以上の金網のフェンスがあり自分でよじ登らない限り中に入れない構造になっているそうでした。一応変死だが警察が事件性の疑いもあるとかで捜査中とのことでした。今夜お通夜であなたも来ないかと誘われました。「用事があるので行けない」と断るとJさんは私のことを折に触れて語っていたとのことでした。亡くなる数日前にも私を話題にしたそうです。彼はもう一度お通夜の出席を求めましたが、たぶん暗い顔をして断ったと思う。当時まだ精神的に、神経過敏症から立ち直っていなかった。その時も以前なら気にしなかったちょっとした刺激にも苦しんでいてこんなことになったのも、Jさんが仕事に穴を空けてくれという話を持ちかけて来たのが一番の原因なのに到底許せないという思いがありました。今考えると高校時代のH君の時も訃報がY先生を通じてその日のうちに届きました。さらえまか: 高校入学直後の躓きと後悔2現在ならお通夜に倍席もするし彼から話しかければ何事もなかったように応じれる自信があります。しかしあの裏切りがなかった前の交友関係に戻ることは現在でも無理です。事実はなかったことには出来ないのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿