2013年12月28日土曜日

年の暮でもど根性トマトは黄色い花を咲かせています 大玉トマトの夏秋2期収穫達成しました

以前掲載した11月のど根性トマトの写真です。収穫直前の撮影を失敗したのでこれで代用します。
このど根性トマトの枝の中央葉っぱが霜で枯れた部分に大玉トマト2個がありました。当然収穫前に撮影したのですが、カメラのメモリーが満杯で撮影映像を保存できなかったようです。2GBのメモリなんてすぐ満杯になります。背景の中央はケヤキの落ち葉がぎっしりで最後の畳1枚で落ち葉を押さえています。
ど根性トマトの先端部分の黄色い花と奥にあるつぼみは12月27日今日撮影したものです。アンデスの高地を原産とするトマトは意外と寒さに強いのです。でも結実はいくらなんでもです。上の写真に写っている2個のトマトの実もこれ以上は大きくなりません。
室内で完熟させました。夢がかないました。大玉トマトを夏と秋2回収穫するのが目標でしたが、6月7月8月12月と夏と晩秋に収穫できました。他のブログによるとよほど技術がないと難しいとのことでしたが、ど根性トマトが夢を叶えてくれました。結実を確認した10月下旬に秘伝のボカシを投入しました。これが同じ株で夏秋二期収穫の成功のポイントでしょう。市販の肥料が入っていない秘伝のボカシは大玉トマト初収穫でも成功の鍵となりました。

2013年12月27日金曜日

お隣さんが収穫に失敗した2013年の無肥料栽培の里芋です

落ち葉を中央の溝に入れなければならないので、里芋を掘りました。時期は紅葉シーズン11月中旬でした。昨年芋が小さかったのでとても心配でした。
フタを空けてみると、実際掘って芋を見てみると大きさだけは平年並みでした。2009年の落ち葉堆肥と有機肥料両方使った時の芋の大きさには及びませんが、昨年のようなことがなかったので自分としては満足です。一応無肥料無農薬栽培で育てた里芋ですから。これでいいのです。

2013年12月23日月曜日

起承転結_結(入社5年目の躓き 氷水と深夜の事故の関連とNさんの便り)

Jさんが勤務していたビルから10km離れているのに訃報が即日伝わってくるとはタイミングが良過ぎました。Jさんが入水したのは飲み屋の閉店後の深夜だったそうです。以前4代前の先祖から良い畑を奪った近所の人が亡くなった我が家に関係のある場所とは、実家である我が家が所有する水田用のため池でした。長さが30mほどで深さは最深部で底の泥の深さを入れても1m少しです。そこで氷水が張っている日に我が家の畑を手に入れた人はうつ伏せで亡くなっていたそうです。長身だったとかいうその方は立ち上がりさえすれば溺れることはなかったのです。

さらえまか: 岩場崖と交換された畑

我が家が所有する水田用のため池の下には1反少しの我が家の水田があります。その近辺の水田は2キロメータほど離れた大池から水を引いています。大池から水の供給を受けるのは他家の水田もあります。大池以外に別に自分専用のため池を所有しているのは我が家だけでした。長さが30mほどのため池なら1週間から10日ぐらいしか稲を生かせることができませんが、干ばつは梅雨明けから9月にかけて起こります。9月まで雨がない干ばつになれば、大池の水が枯れて、他家の水田がダメになっても30mほどのため池で1週間少ししのげば雨が降る確率が高まり、江戸時代などのご先祖もこの池を水田にしないでとても大切にしていたのでしょう。大昔にはあの小さなため池のお陰で私の先祖を飢饉から救った可能性が高い。9月まで耐えれば台風がもたらす雨が期待できます。ジィーゼルエンジンやボンプなどの灌漑設備がなかった江戸時代、明治などわが先祖の命の糧となったほどの自家製のため池は我が家と大変縁のある場所です。Jさんもそうですが、どうして消防用の防火用水のプールの中に入らなければならないか誰も説明できないのです。いくら酔っていたと雖も大寒波の中、水につかる気には到底なれないでしょう。更に入水するには、1mほどのコンクリートの塀に登りそこからまた1m少しの金網のフェンスを乗り越える必要があります。警察もその辺を考えて事件性があるかもしれないと捜査対象にしたと思われる。4代前の近所の人も寒い深夜我が家のため池に行く理由がなくたとえ入水しても池の中で立ち上りさえすれば、溺れることもなく生還できる浅い水田用のため池なのです。
Nさんの噂もそのころ伝わってきました。あれほど頭脳明晰で優秀だったのですが最近簡単な仕事でもポロポロ凡ミスを繰り返したそうです。そうして心の病にかかりそうした人ばかり集められている部屋に集められ仕事にもならないような簡単な作業を毎日して暮らしているという便りです。当然別のビルに集められていたそうです。その後Nさんの消息は入ってこないのですが、2000年当時我が社にも吹き荒れたリストラの嵐でもう会社にはいないでしょう。仕事ができない人に給料を出す余裕は会社にはないでしょう。頭がおかしくなりそうと言って3人組から離脱したNさんも本当のことだったのかもしれない。自分で仕事に穴を空けることを勧めておいて「俺もJさんも何もしていない」は応えました。本当に心の病に罹ったとは気の毒です。心の病の苦しさは経験済みです。
Jさんの訃報に接した時はたぶん、伯母から聞いた4代前の先祖と争った近所の人がお亡くなりになった氷水と深夜の事故とJさんの最後の場所が同じとは関連付けられなかった。まだこちらの神経が病んでいたので細かいことを思考できなかったのでしょう。ではいつからと考えれば、新宿の占い師から聞いた「あなたは大勢の先祖に守られている。大勢の先祖があなたを守っている。」の呪文のような意味を真剣に考えだしてからでしょう。







起承転結_結(入社5年目の躓き 即日に届いた訃報)

転勤後、会いたくないのに何度かJさんを見かけました。それ自体やむをえないことでした。距離的に10kmほど離れているといえ同じ会社ですし私が転勤したように他の多くの人がJさんNさんがいたビルから私のいるビルに転勤しています。したがってJさんが多くの知り合いが当然いるでしょうし仕事上の関連もあります。ただ腹立たしくウンザリしたのはJさんが私の顔を見るなり以前よりもっと親しげに走り寄って来た後何だかんだと話しかけて来ることです。いったいどの顔をさげて私に合わせることができるのか。どんな神経をしているのか。以前と同じ声を聞いてよけいムカつくのでした。最後のドアを閉めた時と同じように、返事しないでJさんから離れるのが常でした。Jさんは以前の薄笑いと違って目を合わせようとしていました。しかし今度は私が目をそらせました。こうしたJさんからの接触が年に1回から2回あったような気がします。今ならJさんの言い分がわかります。自分以外の人では常識となっているアフリカ以来の先祖から引き継いだ誰でも持っている人には言わない本音なのです。「あの状態では自分が助かるのが精いっぱいだった。」これは人間らしい当然の行動と思います。恨んでも仕方がない行動ですが当時は許せなかった。

転勤してから数年後、朝出勤時にこの冬一番の寒さだなと頬に当たる痛い寒気を感じた1月下旬の寒い日でした。私が仕事しているビルで、JさんNさんがいたビルから出張してきた人に会いました。私の顔を見るなり、驚くべきニュースを持って来たのです。Jさんが今朝遺体で発見されたというのです。Jさんの家から10分ほどの消防用の防火用水のプールの中で氷水の中でうつ伏せで浮いていたというのです。別居中の奥様と離婚した後、毎夜近所のスナックで飲み歩いていたとのことでした。そういえば「起承転結_承2(入社5年目の躓き 春から夏)」の頃から小学校の教師であるJさんの奥様との夫婦仲がうまくいかなくなったとのお話をよくしてくれました。Jさんは2年前に結婚、まだ新婚だった家庭事情を話してくれました。不仲の原因は奥様が世界3大宗教の一つに入信しており、ご主人のJさんにも入信を強要するようになったとか。たぶんそのころから私一人を悪者にして自分達は助かるつもりだったのでしょう。離婚後、話し相手もないので、飲み屋通いが常習化していたとか。氷が張った防火用水のプールは飲み屋からの帰路にあったらしい。私はJさんの家にお邪魔したことがないので当然、防火用水のプールは見ていないのです。プールはコンクリートの塀が1m以上ありその上にさらに1m以上の金網のフェンスがあり自分でよじ登らない限り中に入れない構造になっているそうでした。一応変死だが警察が事件性の疑いもあるとかで捜査中とのことでした。今夜お通夜であなたも来ないかと誘われました。「用事があるので行けない」と断るとJさんは私のことを折に触れて語っていたとのことでした。亡くなる数日前にも私を話題にしたそうです。彼はもう一度お通夜の出席を求めましたが、たぶん暗い顔をして断ったと思う。当時まだ精神的に、神経過敏症から立ち直っていなかった。その時も以前なら気にしなかったちょっとした刺激にも苦しんでいてこんなことになったのも、Jさんが仕事に穴を空けてくれという話を持ちかけて来たのが一番の原因なのに到底許せないという思いがありました。今考えると高校時代のH君の時も訃報がY先生を通じてその日のうちに届きました。さらえまか: 高校入学直後の躓きと後悔2
現在ならお通夜に倍席もするし彼から話しかければ何事もなかったように応じれる自信があります。しかしあの裏切りがなかった前の交友関係に戻ることは現在でも無理です。事実はなかったことには出来ないのです。







2013年12月17日火曜日

2度目の夏を超えたピーマンです。越年ピーマンはミニ盆栽のようです。

赤い実が花のようですが、完熟したピーマンの実です。昨年2012年暮れから2013年春まで越年したピーマンです。そしてこのまま室内に入れると再度越年しそうです。しかし今年5センチ以上大きくならず、実もこれ一つの収穫では実を食べるための野菜としては不適切で失格です。ピーマンのミニ盆栽なら2度目の越年もいいのですが、あいにく盆栽の趣味は持ち合わせていないし、収穫できない可能性のあるピーマンを植える余裕はありません。自然栽培として種を取る選択はありますが、2代目は完全に先祖返りをして辛くて食べられないピーマンになるかもしれません。そんなわけで越年ピーマンはこれを最後にします。