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2010年1月3日日曜日

柿食えばインフルエンザこわくない

かつて仙人お爺さんが上ってきた西口の斜面には10本近い富有柿の木があった。普通の木が共存できない笹の中に生えていたのです。笹は斜面の崩落を防ぐ目的で先祖が植えたものらしい。富有柿は樹勢が強くあんな笹の中でも実をつけると思っていた。小学校の高学年ごろから果物の皮をむくことを覚えてよりおいしく食べられるようになり、11月になり富有柿が赤くなると毎日食べていたようです。小学生が包丁で柿の皮を剥くとは少し早すぎるかも知れませんがそれほど子供のころから食い意地が張っており懸命に練習したのでしょう。働き始めて数年後父親が亡くなると年々西口の富有柿の実が小さくなり甘みが弱くなった。そしてついには実をつけなくなった。親不孝の極みとしてようやく父親が富有柿周辺の笹を刈り取ったり肥料をやったりしていたのをはじめて知ったのです。生きているうちにどうしてお礼を言わなかったのかと富有柿を見るたび悔やまれます。インフルエンザの項でも書いたように子供のころは風邪には本当に強かった。インフルエンザ感染を予防した野菜炒め(免疫力アップのマル秘レシピ)  
「柿の実が赤くなると昔の漢方医の顔が青くなる。」柿を食べるころになると病人が減って医者が困るというたとえです。柿の実にはビタミンC豊富だのいわれていますが実際何が含まれているのかわからないのです。 確かなことは病気に対する抵抗力がある言い伝えと自分が風邪を引かなかった事実です。ここは素直に柿食えばインフルエンザこわくないを信じます。コラーゲンを入力、人体をブラックボックスと考えれば
 富有柿のシーズン中は一日3個を目標に頑張りました。まだ風邪はおろかインフルエンザにもかかっていません。

2009年11月15日日曜日

マイタケとの格闘

 マイタケの人工栽培に成功したのはそう古いことではありません。秋の山で見つけた人がうれしくて舞い上がったから舞いたけというキャッチフレーズで売り出したらしい。何がそんなにうれしいのかというと強い旨みがあるとのことでした。店頭に並んだ初期の頃その強い旨みとやらをぜひ賞味したいとさっそく味噌汁、吸い物、鍋料理に使いました。1年近く機会があればマイタケを料理に使ってみました。でも結果は強い旨みは出せませんでした。味噌汁に入れれば黒い汁が出て見た目が悪くなり旨みが感じられないのです。ついに料理方法が分からないまま舞い上がるほどの値打ち、強い旨みなどは人工栽培を成功させたキノコ業者の方便で人気を煽るために誇大な表現に走ったのだろうと結論付けたのです。そしてマイタケへの興味を失ったのです。

ある時カウンターに座り目の前で一品づつテンプラを揚げてくれる天ぷらコースを食べました。天ぷらセットで出されるのでなく揚げたての熱いうちに食べる高級コースです。確か生シイタケの天ぷらの次に出されたと思いますが、マイタケですと和紙の上に置かれた天ぷらを見るとそれまでの失敗のシーンが頭に浮かび美味しいからでなくもったいないから食べようとしか考えなかった。まったく期待しないで口に入れたのにシイタケ以上の旨みがあったのです。その時しみじみと脳裏をよぎったのはそれまでは水を使った料理だった。マイタケはあまりお米がとれない山村の山の幸です。中国のような農産物豊かな大平原でもない日本の山村で昔から照明にも使える高価な油を使った料理が普及していたとは考えられません。安価ななたね油が開発されたのが戦国時代の終わりだそうです。庶民に油料理が普及したのは明治以降かも知れません。昔からあったマイタケ料理は当然味噌汁、吸い物などの水を使った料理のはずです。あくまで山奥い山郷をイメージしてみそ汁などに使って試食したのでした。水を使う料理では60度前後の低い温度でマイタケは旨味を出すそうです。とにかくテンプラがおいしかったので家に帰って真似をしたところ旨みが強く感じられました。
 もう一つの販売促進のキャッチフレーズは免疫力アップです。マイタケ成分のなんとかがガンの免疫療法に聞いたかという紹介記事があった記憶がありました。現在の科学ではキノコ、植物に含まれるたんぱく質のすべてを分析するのは不可能なのです。ですから発見できた成分の一つを捉えて免疫力を強めると主張しても他の未知の含有成分で打ち消されるかも助長されるかもわからないのです。たった一つの有効成分に注目するのは意味がないことかも知れません。マイタケは油を使うという新しい発想がこの野菜炒めの作成に役立ちました。
 ルーシー原人以来、人類は地上では大戦争の繰り返しでした。動乱→帝国の崩壊→大戦争→新帝国の成立の繰り返しが歴史でした。しかしどんな大戦争による政府、朝廷ができても私のような庶民にはあまり関係のない戦いでした。しかし庶民の体の中では駆逐するか生き残るかの激しい戦いの歴史があったのです。水虫などのように人体と共存できる病原菌以外は、侵入した病原菌、自分の細胞から発生した新生物と免疫との大戦争です。もし私の先祖が子孫を残す前にミクロの決戦に負けていれば自分が存在しないのです。今世間を騒がせている新型インフルエンザにも先祖は何度も遭遇して駆逐したからこそ自分があるのです。既存のインフルエンザも過去には新型インフルエンザであったはずです。欧州で大流行したペストも人類が初めて遭遇した未知の病原菌でした。日本の京都にも流行病(ハヤリヤマイ)という病名で大勢の病死があったといつの時代にも記録されています。テレビなどによると人類が遭遇して抗体をもった歴史が自分のDNAに記録されているとのことです。私も人様より、よりよい暮らしをするという地上での競争からは落ちこぼれましたが、免疫戦争では勝利して今のいのちをつないでいるのは確かです。もともと生まれながらにしてどんな病原に遭遇しても生き残れる素質を持っているのです。そしてほんの少しの栄養などの助けがあればもっと強力な免疫を持つことができるはずです。そのほんの少しの自分で工夫した天然のサプリメントがインフルエンザ感染を予防した野菜炒め(免疫力アップのマル秘レシピ)であって欲しいのです。

2009年11月1日日曜日

インフルエンザ感染を予防した野菜炒め(免疫力アップのマル秘レシピ)

冬なのに暑いと感じて診察室に行くと「その白線に沿って歩いてください」数歩白線の上を歩いたつもりが「インフルエンザです。すぐにタクシーで帰宅して下さい。電車は危険です。帰宅は健康管理医としての業務命令です。同僚を感染させてはいけません。」そんなわけで対症療法の薬で自宅でインフルエンザの治療に専念することになりました。20代後半の頃です。治療に専念するといっても薬を飲んで寝るだけです。処方していただいた薬を飲むと眠くなりました。床に就くと背骨が痙攣するようにガクガクとなり天井を見ているとまだ日の高いお昼なのに夕方のように視界が暗くなりました。奥歯が鳴るように震えこのまま眠ると二度と目覚めないかもしれないと怖くなった。それから三日三晩食事とトイレ以外は眠り続けました。それまで、今までもそうでしたがどんなに疲れていても睡眠は12時間が限度です。それ以上は寝れないのですがこのときばかりは三日72時間以上連続して眠れました。本当に体の具合が悪い時はいつまでも寝れるものです。そして更に具合が悪いときは永遠の眠りにつくのでしょう。水が飲みたいと目を覚ました時は敷布団とその下マットレスまで汗で濡れていました。そして水が飲みたくて仕方がなかったのです。起きてから半日ほどとても爽快な気分です。体が免疫がウイルスに勝ったのだ。悪い毒素は大量の汗とともに追い出したから気持ちがいいのだと納得しました。大酒の後アルコールが抜けたような爽快感の中で、高校を卒業して10年にもならないのに体力が落ちたのをしみじみ感じた。通学の帰路、見覚えのある場所で立ち止まると朝登校時に咳をして鼻をかんだのを思い出したのでした。朝咳や熱があっても昼には治っていました。風邪は学校で治していました。それが視界が暗くなるようなインフルエンザにかかるほど体力が落ちていたのです。その後これほどひどくはありませんでしたが、二三年に一度のペースでインフルエンザをもらっていました。どうしたものかといろいろ考えました。アフリカ東部で発見された原人ルーシー、アダムとイブなどの祖先から代を重ねていま自分が生きているということは医師の処方箋より優れた副作用のない最高の薬を体内にあることに気が付きました。祖先の一人でも病気でなくなっていれば自分が存在しないからです。細胞は普通役割仕事があり肝臓の細胞なら生きていくために毒素などの分解をして生命維持に貢献する仕事をしています。日頃はリンパ節などに隠れて仕事もしない遊び人の生き物ですが、外敵を見つけると脳に体温を上げる命令を出し筋肉などからATPを奪い取り(背骨が痙攣したのは背筋からATPを奪い取ったのでしょう)爆発的に増殖する免疫のことです。高校生の時代はこれが強くてインフルエンザが増える前に感染した細胞を破壊したが体質が変わり撃退するまで時間がかかるから仕事を休まなければならなくなったのと思い至りました。
 そこで免疫力アップの食事を試行錯誤の結果完成させたのが以下のレシピです。
材料 5品  オリーブオイル 味を良くするため岩塩 ピーマン 玉ねぎ マイタケ
これだけです。これらは年中いつでもスーパーで売っています。玉ねぎは地下の食べ物で中国風に陰陽で分ければ陰です。マイタケも日陰のキノコで陰陽で分ければ陰です。実症陽症の自分の体質を中庸にしてくれると考えました。味に関してはピーマンは苦味 玉ねぎは甘み マイタケは強い旨みと三つそろっており量の調整で自分好みに変えられる。そして大切なのはおいしいと感じるものを食べることです。まずいと思うと継続できません。青ピーマンが苦手な方は黄色や赤に変えるといいかも知れません。
ピーマン 玉ねぎ マイタケを千切りにします。要点は太さを均一にすることです。熱が均一に伝わります。ピーマンだけはアクがあるので穀物酢を入れた沸騰水で湯通しします。
穀物酢を入れた沸騰水で湯通したピーマンをパンチざるで受けてピーマンが暖かいうちにすぐにオリーブオイルを引いたフライパン(フライパンは油蒸気が上がるまで熱します)にぶちまけます。ジューと音が鳴りピーマンの水分を飛ばします。フライパンの温度がピーマン周囲の水で100度前後に下がるはずです。そこで千切りした玉ねぎを30分以上空気にさらしたのとマイタケを入れます。千切りした玉ねぎを30分以上空気にさらすと血液サラサラ効果があるそうです。 このマイタケと玉ねぎの千切りを加えることで100度前後からマイタケの旨みを出す温度60度前後に下がります。フライパンと違って本格的な中華鍋です。1mm程度の薄い鉄板を半球状に加工しています。底に溜められる余熱はほとんどありません、
岩塩で味付けして完成です。夏期も2週間に一度のペースでこれを食べるようになってからインフルエンザにかかったことはありません。ただし他の方に効果があるか、新型インフルエンザに効果があるかは保証の限りではありません。自分はこれで予防できると信じていますが。

2009年8月15日土曜日

胸が熱くなったのはご先祖のお告げ、ご先祖の啓示でしょうか(ご先祖はいつも私を見ている)

 この家の購入契約が2005年秋でした。一度よく見ないで購入を見送ろうとしたことがありました。その時、何者かに導かれるように家の中に入りました。どのように導かれたのか後で書くつもりです。そして購入を決めたのです。その何者かが家の場所、一等地にこだわった亡き父親だったのかもっと古いご先祖だったのかを考えているのですがわかりません。新宿西口の手相占い師から聞いた「あなたは多くのご先祖に強く護られている」という言葉などが気になっていました。
ある時街を歩いていると仏壇店を見つけました。風で消えないローソクを探そうと思って入りました。仏壇店に入って、展示している仏壇が安い物で5万円で買えるとわかったのです。当然外国製です。自分には分相応の仏壇と思い購入を決めました。購入後持ち帰る必要はなく土曜日に配達してくれるのもありがたかった。
 2007年8月21日にお金を持って仏壇屋に行きました。そこで少し大きめの仏壇が気になり値段は7万円でした。なんとなくこれの方が2万円以上に優れていると感じたのです。お墓はワンランク上げると50万円差でしたが、2万円ではほとんど悩まなかった。位牌やローソク立て一切のセット7万円を仏壇店の店主に差し出した時です。胸が何の前触れもなく息ができない程、カァーと熱くなったのです。5秒間だと思います。胸が熱いというよりもっと正確に言いますと左右の肺の上部が熱くなったのです。 胸が熱いとは丁度高温のサウナなどで熱い水蒸気を吸いこんだ感覚です。外国のホテルでサウナの室温を上げるために、ヒーターの上に置いている匂い消しの石に水をかけて発生する水蒸気で室内の温度を上げるサウナがありました。日本ならそんなことをすればヒーターが痛んだりフィンランドの石割れたりするのであり得ませんが。その水蒸気を吸いこんだ感じなのです。熱くなったのは左右の肺の上部です。社会人になって墓参りをしない実家の法要に参列しない私が仏壇を買ったのがご先祖を驚かしたのか確かに見たぞというご先祖のお言葉、ご先祖のメッセージかも知れません。仏壇が届いた土曜日さっそく梱包を開けて2階の南東の部屋の腰ぐらいの高さの台に置いたところ仏壇の幅と台の幅がぴったり一致しました。5万円の仏壇は10cm以上幅が狭いので台の幅が余ります。最初5万円に目をつけて7万円の仏壇が気になって目移りしたのもご先祖が教えてくれたともいえます。位牌には戒名も入れてなくお坊さんに頼んでお性根入れもしていません。子孫である私の朝夕の供養で必要ないと考えました。ただこの家で一番最初に朝日を浴びるのはこの南東に位置する仏壇です。
 その後実家のお墓参りは月一度程度の頻度で行いました。実家のお墓参りの御利益は確かに仕事をしているとき運が良い、ツイていると感じたことが頻繁に起こりました。実家のお墓参りの御利益の期間は2週間程度でしょうか。お墓の代金は墓地の永代使用料と墓石台とほぼ半分づつを2回に分けて支払いました。1回目は仏壇のこともあり左右の肺が熱くなるのを身構えて待ちましたが何も起こりませんでした。それであの仏壇の時、肺が熱くなったのは体調のせいでご先祖のお告げとはあまり関係がなかったのかと思い直したのです。2回目に残りの現金を支払った時、左の肺の上部が熱くなったのです。右側は何もなかったのですが、やはりご先祖様からの啓示メッセージのようです。だとするとありがたいことにご先祖はいつも私を見ているということです。先祖供養に使った金額とは無関係のようです。
 青信号に変わったり踏切の前で遮断機が上がるようなことは6月に入ってから徐々におさまりました。現在は青信号の確率は寿陵建立を思いついた3月以前に戻っています。いつまでもそんなことが続く訳がありません。きっといいことがあるから、新車などにお金を使わないで寿陵を建立しろというご先祖のお告げだったのでしょう。赤信号は待つことで必ず青になります。さほど重要でないことでご尽力いただかなくとも2、3分で解決できるのです。でも急いでいるときは青信号が多いです。
 この写真は苔が燃えたご先祖のお言葉により実家の墓から持ち帰った墓地の苔です。捨てるわけにもいかないので家庭菜園に入れました。次回の実家の墓参ではへらを使って徹底的に苔を除去するつもりです。苔を燃やすことでご先祖のお告げを伝えてくれたのです。そう思っています。

2009年7月25日土曜日

深夜のお灯明は周りのお墓も引き立て役にします。

 墓石が立ち開眼法要前夜のお墓です。法要式典のためかさらしをまいています。さらしはお坊さんの読経の前に霊園の方に手伝ってもらって下から巻き取りました。墓標の文字には自分の名前を入れておりません。あくまで先祖供養のための竿石だからです。名前は建立者として遠慮がちに左側面に小さく彫ってもらいました。
 さて23時の誰もいない墓地です。両側サービスしてもらった石製の灯篭と上二つのガラス製のローソク立てに火を入れました。ガラス製のローソク立ては石製の灯篭が出来たら持ち帰り実家のお墓に移すつもりでした。明るさが断然優れているので残すように決めました。深夜四本のローソクの灯明は自分のお墓だけに明るくともっています。この広い霊園を夜の海に例えれば、ご先祖や船を導く灯台のようです。10代20代とさかのぼれば何百もあるこの霊園のお墓でご先祖様が共通するお墓も必ずあるはずです。どこのどなた様のご先祖様かは存じませんが。他のお墓で休んでおられた古い私のご先祖様もこの明るい灯明でこちらに来て下さるかも知れません。
 私の墓の強みはお骨がなく何のしがらみもない新築の家ということでしょうか。供養の回数も真心も自信があります。お墓が外界と赤土でつながっているのは安い小さいお墓ではここだけのはずです。周囲のお墓はコンクリートと分厚い花こう岩で密閉され熱がこもる息苦しいお墓です。真夏の直射日光も赤土の水分で内部の温度を下げるはずです。そんなわけで加護して下さるご先祖を募るためにも大きな霊園を選んだのは良かったかもしれない。すこし気味が悪いですが、他に墓参者がいない分深夜の墓参は功徳が大きそうです。見たことはないのですが火の玉や幽霊が人に危害を加えたという話は聞いたことがありません。おまけに片側2車線で交差点では片側3車線4車線になる高速道路のような霊園までの道路は車が少なく事故の心配がほとんどありません。深夜の燈明と墓参はいいとこずくめです。
 下が墓石を立つ前の最後の写真です。何枚も撮りましたが背景が暗くローソクの火が目で見たように強調されている写真はこれ一枚だけでした。ストロボが昼間と同じように背景も明るくしてしまいます。夜の灯明の撮影は難しいです。
 誰でも知っている由緒ある大きな寺院に行った時です。先祖をこのお寺で供養したいのでどのような方法がありますかと尋ねると生前の名前か戒名を僧侶が唱えて7日間灯明をあげるサービスがあるそうですが、線香をあげる供養の方法はないそうです。灯明サービスは一人2000円ほどでしたので申し込みました。こうしたことから線香より灯明の方が霊験あらたかということでしょう。

2009年7月13日月曜日

お墓を覆うコンクリートに息抜きの穴を開けてもらいました

 側面がコンクリートで埋められたのに苦情を言った基礎工事です。このままでは文字通りうわべだけの赤土になってしまいます。見えている赤土が地中深くお骨を納める中までつながっていないと意味がありません。  石屋さんから電話があり、ブロックを割って側面に穴をあけ穴の深さは地面に達していますとの電話をもらいました。気になってその穴はそのままにしているのですかと聞くと、土をかけていますとのこと。後で検分に行くといったのにどうしてそのままにしておいてくれないのかわからない。まだ見られたくない事情でもあるのでしょうか。土曜の朝カメラを持っていくと一ヶ所づつ穴をあけるという約束が二か所開けてくれていた。長さも数センチあり十分でした。
 深さをチェックするため金串を用意しました。 長さは30cm少しあります。

 土を入れた側面に差し込むと金串全部が埋まりました。割りばしも抵抗なく差し込めました。
 別の場所でもチェックしました。問題ありません。

 地面に出ている縁石より穴の深さが、赤枠で囲んだ分だけ数センチ下までの深さに達しているということです。

 基本的には、傾いたら施工業者が無料で修繕するシステム。強度ばかり気にして快適さを考えない。見えないところには手間をかけたくない。安い墓地で面積の小さいお墓。1グラムでも大きい墓石にしたいのか墓石が大きすぎ重い。思うにお墓は墓石より地面(墓地)が肝腎と考えます。こうした事情が息苦しいお墓を作っている原因のようです。お金があればもっとゆっくりできる大きな面積のお墓にできますのに。ご先祖様大金が転がり込むようにして下されば必ずもっと大きなお墓を立てます。これがいま自分にできる精いっぱいなのです。お許しください。

2009年7月11日土曜日

見えないところはゴミだらけ。(地表から20cm下の墓地の中)

 墓地表面の苔を取り除いた後、表面に小さい黒いゴミのようなものが2個見つけました。いずれも指で取り除こうとしてもビクともしなかった。雨上がりの後だったので指で赤土をほじくると、小さい黒いゴミは文字通り氷山の一角でした。写真こそは残していませんが、長さ20cmを超えるようなアスファルトの塊だったのです。ほとんどが墓地の赤土に埋まっておりほんの一部だけが表面に出ていたのです。霊園周囲にアスファルトを使った部分はありません。アスファルトは道路以外の使い道が考えられませんので道路工事の際発生した捨てるべき廃土を墓地に使った可能性が高い。

 そんなことがあり表面は小石などが少なかったのですが、墓地の地下が気になりました。常識的に考えて、もしご先祖の御霊がこの墓地に宿って下さるなら赤土以外の小石やゴミが混ざった状態が居心地がいいとは到底考えられません。契約時に石屋さんにスコップで掘り返して赤土の中のゴミを取りたいといいますと、30cm以上掘るのはやめてくださいとのことでした。理由を聞くとあと二か月で重い墓石を立てるので掘り返して基礎がゆるくなると墓石が傾く恐れがあるとのことでした。墓石が傾くと工事した石屋さんがやり直さなければならない契約になっているそうです。20cm程度ならいいだろうと家庭菜園で使う移植ごてで掘り返してみました。土に湿り気があるので、移植ごてを差し込んでこねると大きな赤土の塊となります。その赤土の塊を両手でもみこんでつぶすと土や砂は細かいので指をすり抜けゴミだけが手に残ります。そうして取り除いたのがこの写真です。ゴミだけでなくご先祖様の御為にできる限りのことはしたという満足感も残りました。  土が付いていてわかりにくいのですがゴミは小石だけでなくコンクリートの小片も多かった。アスファルトとコンクリート、道路工事の廃土の疑いが強まりました。あとは溜まるほど水を混ぜ合わせて土を軟らかくして、ステンレスのヘラで表面を整地しました。
 一週間後来てみると周囲のどの墓地よりきれいでした。雑草が一本もなく日光の加減か自分の墓地が光っているようです。じっと見ていて思い出した光景があります。甲子園常連組の有名な野球部の練習を見に行ったことがあります。その時は招待試合で一人の野球部員もグラウンドで見かけませんでした。誰もいないグランドはチリ一つなく白く光っているようでした。さすがに100人以上の部員が何十年も手入れしたグラウンドだと感心したものでした。墓石がないのに線香立てやろうそく立てで供養した跡があり、丁重に扱っている痕跡のある墓地ならお墓の工事をする方も手荒い工事はしないと期待しています。

2009年5月23日土曜日

汗の匂いがしないお金を土に埋めるとチラリと浮かんだことが現実になりました

売り時を逃して悲惨な幕引き2009年3月売買記録からの続きです。購入代金より半分近くになったお金ですが、使い道はいろいろあります。新車の購入、以前のような海外旅行、取り返すために証券会社に買い注文を出す。これは一瞬で使えます。今から思い返せばお墓建立のやる気は5%から10%でしょうか。新車、旅行、投資これらは楽しい見返りが期待できます。梨地模様の中山砥石、京都の砥石店で50万円以上しますがこれを最後にするつもりで欲しいのです。見返りは研いだ直後の食材への刃の食い込みです。一度経験すると悪い薬のように病みつきになります。こうした物はいるもの必要なものでなくあればいいなという程度のものです。バブルの頃どうだとばかりに思い切って手に入れた新車の感触もそうです。こちらの意思が静かに伝わる乗り心地などは忘れられないほど快適なものでした。お墓はというと陰気なイメージでお祈りすれば楽しい音楽や小銭が出てくる訳でもありません。周囲は大きな石ばかりで冬の寒気、夏の熱気を物理的に強調する環境にあります。竹林と同じく水たまりが多い墓地は夏の夕方は蚊が多いかもしれません。亡父の納骨以外お墓に行ったことがないので蚊が多いとは想像に過ぎません。新仏がないお墓建立に踏み切れなかったのはこうした事情です。 確かな見返りが期待できないのです。
 心の片隅でお墓のことを考えた時から新聞の折込のチラシで家から数キロの霊園が毎日のように目にするようになりました。その目玉商品(一番安いお墓より50万程安い)は手が届く金額なのです。週単位で心の中にお墓のイメージが成長していったようです。取り返しがつかないことですが、生家を出て以来、実家の法要に一度も参加していないのです。私が参列しない言い訳のために実家の家族が肩身の狭い思いを何度もさせたことが繰り返し思い出していったのです。そしてお墓を考える機会が増えていきました。お墓のことを思い浮かんだ日以来、毎朝の通勤でも遮断機が下りた踏切に近づくと上がるとか、赤信号に出会わなくなりました。仕事でもトイレに行ったタイミングなどで自分に嫌な仕事が廻ってこなくなりました。3月の末にはパソコンでこれができたらどんなに楽になるかというアイデアが浮かびました。とうとう朝から雨なのに霊園に行ってみたくなり車をガレージから出そうとすると薄日が差していました。霊園では傘を差さずに見学できました。3月ごろは一対で6万円のローソク立てがサービスでしたが、現在はローソク立てがチラシから消えていたのでそれを聞くとセールの時期は過ぎたが購入していただけるならサービスしましょうとのことでした。こうした幸運の事象が墓と因果関係があるかはわかりません。関係がないと言われれば反論できないのです。とにかく遮断機の上がった踏切、青信号の交差点が続いているのは事実です。
 下の写真はまだ3段の石がない縁石・巻き石だけの特売品の墓地です。左がまだ所有者が未定、右のプレートのあるのが売却済みでしょうか。特売品で面積の狭いのは仕方がないでしょうが、耐えがたいのは左の完成品の右端を見てください。石がフタをして地上に露出した赤土が全くないのです。

完成品の前面もそうです。境界の縁石・巻き石を土台の板状の石が完全に塞いでしまう構造です。もし先祖の霊がありこれに宿るというなら夏は蒸し暑く冬は極寒、密閉状態ですから息苦しい限りです。墓地を管理する石屋さんに土台を小さくして地面を出せないかと相談すると墓石の規格を変えるとこんな値段では提供できませんとのこと。あと50万円以上出せば少しだけ赤土を出せるランクのお墓がありますとの返事。

 最後の写真がずいぶん悩んでから購入を決めた赤土が露出できる墓地です。左の完成したお墓の白黒の玉石を敷いた部分が欲しかった赤土の部分です。左右両側にある煙草の箱ぐらいの土地が50万円とは銀座より高い。玉石は雑草が生えないために置いているそうですが私は雑草を管理するつもりなので不要です。霊園は家から車で10分の距離です。今までお墓参りをしなかったのを補うつもりです。おかげさまで現在自分は、南側が道路の家で、差し込む朝日で目が覚める部屋で寝ています。お墓も当然朝日が射し込むよう東面のお墓です。少し高かったのですが。

お墓を購入してからなんとなく心がどっしりしたようです。自分の感覚ですが性根が座った感じです。お墓とは生きている人の最後の心のよりどころのようなものでしょうか。