2012年4月15日日曜日

開業医A先生の技量は人がなせるものではなく、もう神技です(B大学耳鼻咽喉科教授に一番近いC先生の感想)

挨拶もそこそこに舌の診察から始まった。やはり前の先生と同じくガーゼ2枚使って舌を2度上に引っ張ってめくりました。「もうお聞きと存じますが癌です。」このとき心の中に黒い大きな枠、囲いのようなものを見ていた。その隅っこに影絵のような人がうなだれた人がいて、囲いの外にもう一人の影絵が中の影絵に「そうかお前癌なのか。かわいそうに。大したことないので気に病むな」と話しかけてきたのです。C先生「癌ですよ。意味わかりますよね」で影絵の世界から癌告知確定の現実に引き戻されたのです。「それにしても開業医A先生の技量は飛びぬけていらっしゃる(在野の町医者でこんな方がいらっしゃるとは驚きました)」「私の舌癌の場所がなぜ見つけにくいのですか」「場所が舌の下の最奥にあります。血管でデコボコしていて舌を上に引っ張っても目線と垂直面にならない。舌癌の診断は潰瘍を探すのですが、○○さんの場合潰瘍の周囲のギザギザが小さく色も露出した潰瘍部とギザギザの外とそんなに変わらない。少しの唾液があるだけでもう区別がつかない。私の場合はC先生が貸してくださったプレパラートで癌があるのは確信しているし、潰瘍の場所も紹介状で分かっていたのですが、一度舌をめくっただけでは確認できませんでした。開業医A先生は癌があるかどうかわからないのに長い集中力を以って辛抱強くお探しになったのです。このがんは心配いらないと見逃されて癌がもっと大きく悪化して発見されるパターンです。舌の奥、舌の付け根付近にありますからもう少し症状が進めば舌の全摘出になるところでしょう。あなたは良い先生にかかわって幸運です。」なんとなく初期癌を連想する言い分でした。
明後日15日にCTスキャンの予約を取ってもらった。MRは大学の予約が満杯で1カ月先だったので病院のお隣のPETとMRI CTスキャン専門の民間病院でMRIの予約を取ってくれました。
何か質問はないかというので、舌の癌はよそから転移、飛んできた癌ではないですかと一番恐れていたことを聞いた。舌癌はほとんど原発癌です。後でMRI PET検査で詳しく判明するが舌が原発癌でしょうと言われました。もうひとつは診察の契機となった声帯の痛みです。喉や声帯に癌ができていませんか。C先生は口から咽をみて「ご安心ください。咽喉には何もありません。発声時には動かすのは声帯と舌の奥ですから舌が痛んだのでしょう」口から見て咽がわかるのかと考えていると「ご不安でしたら鼻から入れて咽喉を診る内視鏡がありますからすぐに確認します」鼻の奥の少しの抵抗で内視鏡の先端が咽喉に落ちたのを感じました。上部と下部を先端部の電球で確認して「やはり咽喉には何もありません」「私もお聞きしたいことがあります。生検を取った時の局所麻酔はさぞ痛かったでしょう?」「腹の底から悲鳴が出るほど痛かったですが、麻酔はしませんでした。」痛かったでしょうとからかうようにいっていました。C先生は患者が痛がるのが大嫌いなのです。霧の麻酔を多用して局所麻酔ですら痛くないようにしてくれます。驚いた顔で「なんですって麻酔なしで舌の生検を取ったって。。。。。。。。聞いたことはありません。普通は麻酔して舌の生検を取るのが耳鼻科の常識になっていますが、麻酔などしないほうがいいに決まっている。あなたの癌は発見しにくく生検を取るのが大変な場所にあるのです。痛がる患者をあやしながら患部を挟むだけでも至難の業です。チャンスは一度しかなく、正確に一回で癌の標本を打ち抜いているのはこの標本プレパレートが証明している。私なら患者が痛がることを考えて手が震えてとてもできない」それから表題のようにA先生は神技を使ったの発言でした。C先生は自分の眉間を人差し指と中指で押さえてしばらくうつむいて固まってしまったのです。確かに標本を取るチャンスは1回だけでしょう。もう一度させてくださいと言われても無理です。他の舌癌関係のスレを見ても麻酔して確実に癌を捕捉できるように2回は生検を採取するようです。「でも先生、生検を取るまでは痛いのは食事のときだけでしたがあれ以降食事以外でもいつも痛いのです。感謝はしていますが」患者が痛がるのが大嫌いで耳鼻咽喉科の教授になれば私が住んでいる広い地域の指導的立場になるのが確実なお立場で町医者のA先生の技量を素直に褒めるC先生も良い先生と思います。医師も最後は人間性です。他人の痛みを知ろうとしない医師に看取られて死にたくはありません。A先生を褒めるのを聞いて少しさわやかな気分になりました。夢のように頭に出てきた枠の外の黒い影絵の人はわが先祖の御霊のような気がします。
C先生のB大耳鼻咽喉科の動向は私の生検を返しに行ったときB大出身の知り合いからA先生が聞いてくれたようです。現在の耳鼻咽喉科のトップであるたった一人の教授は最近の兆候として腫瘍・癌専門外科医だそうです。C先生も癌専門外科医で耳鼻咽喉科NO2だそうです。現在の教授が退官するとき当然のようにC医師を後がまに指名すると誰もが考えているようです。

B大学付属病院の二人の腫瘍医師の判定

2月13日、2時間待たされたあと診察室に呼ばれた。名字からは外国人のようですが、言葉のなまりは全くなかった。挨拶を交わした後、診察してくれました。例によってガーゼで舌の先端をつまみ中を見た後、何か呟いた後、もう一度ガーゼで舌の先端をつまみました。長いこと見た後、「残念ながら癌です。開業医A先生が採取された生検から作られたプレパラートを顕微鏡で見た細胞の形、今見せていただいた舌の状態から判断いたしますに間違いなく癌です。」わかっていたが、どこかで開業医A先生の誤診であってほしいとの思いがあったのか、その若い先生のお顔より、その時は視線がうつむいてしまって、今でも机の上の状態ばかり浮かんできます。「私も腫瘍専門ですが、○○さんほど潰瘍の位置が分かりにくいのは初めてです。舌の下の奥にあり、ちょっとした光の加減、唾液で潰瘍が見えなくなります。よほどの幸運が重ならなかったらこの潰瘍は見つけられない。当然私がA先生のお立場なら見逃すでしょう。よその病院で見逃されても致し方のない癌です。開業医A先生の腕前は相当なものです。」そんなことを話してくれました。確かに机に広げられた開業医A先生の紹介状には舌の漫画と、潰瘍の位置が書かれていた。それでも一度ガーゼでめくっただけでは確認できなかったのでしょう。
後はCTスキャンなどで造影剤注入に同意してほしいとか手術の切断面に動物由来の人工皮を使いたいなどの検査手術方法の説明に終始した。特に転移を判定する造影剤注入は危険もあるが見返りはそれ以上で右頸部のリンパ転移癌を見るに大変有効と力説された。ほとんど夢うつろで同意書にすべてサインしました。長い説明の後「主治医のC先生が隣の部屋でお待ちです。そのドアを開ければ主治医のC先生の部屋です。」といってC先生へのドアを空けてくれました。

2012年4月7日土曜日

癌検査 4度目はアウトで当たり

舌の生検を取った翌日朝から舌は勿論、両耳と喉が痛み仕事を休みました。
家で真剣に隣町耳鼻咽喉科A先生の態度、言葉を反芻するに癌の疑いがいよいよ濃くなりました。しかしこれまで3度のがん告知の危機があったのです。
2000年ごろです。会社の健康管理で便より潜血があったとの通知があり大腸の内視鏡検査を受けてほしいとの健康管理医からの業務命令が来ました。当然大腸がんの疑いがかかったのです。内視鏡検査を受けると円錐を底のほうで底辺と平行な平面で切ったような扁平なできものが見つかったのです。すぐに内視鏡より電線をその平べったいポリープに巻きつけ焼き切ってくれました。大腸は神経がないそうで全く痛みませんでした。平べったいポリープは前がんのようなもので放置すれば発癌の可能性が高いものだったそうです。おかげでそれ以降、検便で潜血が検出されることはありませんでした。
2番目は2004年でしょうか。仰向けに寝ていると背中が痛むのです。原因は高さ1cm太さ5mmほどの大きなイボができているようなのです。寝ているとき敷き布団でイボが圧迫されて曲がった時が痛いのです。仕方なく市民病院皮膚科に行くと、若い先生が「すぐに手術をします。」とこちらの了解も取らないで真剣な顔で手術の準備をしだした。皮膚がんを疑っているのかなと心配になりました。10分ほどで手術は終わり生体検査に出すので何日に必ず来てくださいと言われた。恐るおそる行くと大きなイボは血管を伴った良性の腫瘍でしたとのことです。もし癌なら大変でしたとのことでした。
3度目は昨年です。毎月血糖値を測っていますが、昨年5月6月と血液検査結果に異形リンパ球検出とあったのです。内科医はATL発病の疑いがあると言い出したのです。成人T白血病は発病すればまず助かりません。目の前が暗くなりました。親族に鹿児島出身の人がいないかと尋ねられました。そんな人はいないと言いましたが何度も同じことを聞かれました。南九州に多いらしいのですが私の記憶では高知県のほうが多かったような気がします。もう一度血液を採取して成人T白血病だけを診断してもらいました。病院に行くのは嫌でしたが、結果はそもそも成人T白血病のウイルスに感染していないから成人T白血病はあり得ないとのことでした。異形リンパ球も検出されていませんでした。いったいなんだったんだ。でした。そんなわけで今回もスルーできるのでないかと希望を持ちました。でも食事のときは痛みがひどくなっていました。結果は以下のようにアウトでした。
2012/2/7 火朝  隣町の耳鼻咽喉科へ 生体検査判定 細胞の形が悪い 悪性の舌癌の疑い。
A医師は「うちのような小さい病院ではここまでです。紹介状を書きますので病院を決めてください
舌癌でお勧めは がんセンタ A医科大 B大付属病院です。いずれも多くのデータが集積されており手術も上手な先生がいる」とのことです。家から一番近いB大付属病院に決めました。先方の診察の予約が取れたら電話するので紹介状を取りに来てください。2月13日に予約が取れ紹介状と生検の顕微鏡用のプレパレートをもらいました。相手は待っていますので必ず行ってください。そこで癌かどうか正式に決まります。どのような手術の名人、設備、薬より癌退治には早期発見が一番なのはわかっていました。

2012年4月1日日曜日

落ち葉堆肥の表面に置いた油かすやバークミンを除去することにしました。

落ち葉堆肥の作り方を説明したネット情報によると、落ち葉だけを積み上げて作るとは書いていません。大抵発酵を促進して温度を70度などの高温にするため図のように油かすなどの自然界にあまり存在しない高カロリーな肥料を各層にして落ち葉と混ぜるように説明しています。それに発酵を促進するために石灰なども層にします。そして温度を不自然な50度以上に上げて雑菌を殺菌したりするように書いています。こうすれば冬を越したよく春に完熟たい肥が完成するようです。
しかし前回私は、2007年から2008年まで1年かけてゆっくり20度から30度の低温で切り返しもせず1年かけて発酵させました。そして里芋、ジャガイモに効果があったのです。ネットの情報より自分の経験を大切にしたいと思いました。以前社宅に住んでいた時、油かすと石灰、発酵促進剤を使って失敗したのです。植えた覚えがないのに菜園にあった昼顔、ヨモギ、千草、ツクシなど招かざる雑草がすべて枯れました。手で引いてどうしても絶やすことができなかったこれらの雑草が、米ぬか、油かすと石灰、イスラムの教典のような名前の発酵促進剤を使った堆肥を土に混ぜるとすべて枯れたのです。魚が腐ったようなすごい匂いがしたので発酵途上だったと思います。悪臭は社宅で共同生活していましたから早く土に入れ悪臭を消そうと考えたのです。当然レタス、パセリなどの野菜は2年間決して育ちませんでした。昼顔、ヨモギ、千草を絶滅させたのは失敗ではなかったようですが。
なんとか温度を上げるために昨年秋油かすを20キロ1袋を落ち葉の一番上に層を作ったのです。そしてバークミンをこの上に撒きました。これは冬の間何度も考えましたが良くないことのように思えます。
自然の森の中では秋に落ちた落ち葉の上に大量の油かすやバークミンは当然積りません。これらは人間が作った高カロリーな人工の肥料なのです。自然の森の中では油かすなどを撒かなくても落ち葉だけで大きな木が育つ程の豊かな土が作られるのです。温度を上げるための黒いビニールシートを剥がすと黒いタール状になった悪臭を放つ人工肥料がありました。腐敗して下の落ち葉にしみ込んだものは仕方がないですが、せめて残っている油かすを取り除こうと決めました。
最初はミツマタなどの鍬で削るように取っていたのですが、細かく取り除こうとすると素手以上の道具はありません。ビニールの手袋をして丁寧に買い物袋6つほど取り除きました。これで窒素過多になることはないでしょう。やはり自然農法が一番です。ゆっくり1年かけて秋まで自然に発酵させます。切り返しは疲れるので今回もしません。自然の森の中でも落ち葉を切り返されることはないでしょう。晩秋に循環型菜園の土に混ぜるだけです。

2012年3月31日土曜日

現れた口中の異変

正月は本枯れと仙台味噌の雑煮 鍋料理と好きなものが堪能できました。これまで通り食事には違和感がなかった。雑煮の餅を噛んで舌でこね回し、舌の運動で食道に運んでも痛みはなかった。脱化学調味料で作った雑煮の味に大満足の正月でした。
1月10日 成人の日の3連休ごろから食事中に口の中の右がわに異変と痛みを感じました。何が痛いのかと気にしだすと舌の下側でした。たちの悪い風邪でも引いたのかそのうち治るだろうと気楽に考えていた。10日たっても良くならなかったので、熱も咳もない風邪から口内炎と自分で診断を変えて自分を納得させていた。そのくせ鏡で口の中を見ようとはしなかった。
2012/01/24 昼食はあまり痛みを感じなかった。夕方新宿地下の京王モール地下街を歩いているとうどん屋の看板に誘われてざるうどんを注文。のどに流し込み昼と同じようにあまり痛みを感じなかった。とたんに急に食欲がわき血糖値が高いのを忘れた。うどん屋の隣は中華風のお粥屋でした。ネギ油を浮かした中華粥を食べた。その粥で十分満腹感を感じたがその隣が美味しそうなウナギの匂いをまき散らしているウナギ屋でした。小うな丼と赤だしセットで2200円と高価で躊躇したが、うどんお粥と痛みが少なかった記憶が強い食欲に変わり自制心がなくなった。注文してうな丼を待っていると客筋は中国人観光客が多かった。店員も一人だけ中国語ができる中国人留学生のような女性を置いていた。中国人はうな丼が好きなのだ。この日が今年最後の幸せな日でした。翌日からは痛みを我慢しながらの食事が始まった。
2012/1/30 月 夕方お客からの電話で10mほど離れた同僚を少し大きな声で呼ぶと喉が痛んだ。かなり激しい痛みで声帯が痛んだような気がした。ようやく口の中の痛みが声帯などの喉に広がった。風邪、口内炎などでなくもっと恐ろしい病気ではないか。もう仕事どころではなく、19時まで診察している耳鼻咽喉科を探さなければとGoogle検索をしてみた。すると自宅の最寄りの駅から一つ向うの駅前で18時40分に行ける耳鼻咽喉科があった。糖尿の面倒を見てもらっている内科病院のすぐ近くだった。その隣町は結構規模が大きくバブルのころは地域で最大の土地の値上がりをした町です。2012/1/30 18:45 隣町耳鼻咽喉科へすべりこむ
「舌の右下が痛い 今日は声帯も痛んだ ただ事でない気がします」とまくし立てると先生はガーゼで舌の先端をつまみめくった。それだけでも痛みましたが。「我慢してください。奥のほうではないですか おかしい何もない」などと言いながらガーゼを4枚使って4度舌をめくってくれた。4度目に「ついに見つけた」急にはしゃぎました。舌を曲げられて痛かったのでよくは憶えていないのですが、急に不気味な長い沈黙に変わりました。沈黙は私を気遣ったものではないか。「生険を取ります。」といって女性に鉄パイプを切るのこぎりのような形をしたハサミを用意させた。「生検取りますが、学生時代生物で自分の頬の細胞を取ったご記憶がおありでしょうがその程度のことをします。少しコスルだけです」自分で学校で自分の細胞を顕微鏡で見るため綿棒で口の中をこすって細胞を取り出したのを思い出した。その程度のものと想像してしまった。再びガーゼで舌をつまみそのハサミのようなものを口に入れてごそごそしていた。時々冷たい金属が舌に当たり気持のよいものではなかった。突然動きが止まりガチャンという音がした。舌の下では「パッツ-ン痛い(伸ばしたゴムを切った様子がパッツ-ンです)」と表現したものでしょうか、すぐに回復しないほどの大きな痛みと直感したほどの大きな痛みを感じた。次に食道全体が管状であるのを感じながら食道を大きく上下にけいれんしたのを感じた。最後に自分で胃を膨らませ急に空気を胃の圧力で噴出しながら本当に腹の底からグエーと悲鳴が出たのです。勿論、舌・食道・胃・悲鳴と4つの動きは実際は一瞬に違いないが、それぞれが独立したストップモーションとして記憶に残っています。舌の下方部の潰瘍部分を金属筒で打ち抜き生検を鋏の筒の中に確保したのでした。呼ばれて診察椅子に座った時ガラスの上に金属筒と取り出した血まみれの肉片(生検?)と顕微鏡プレパレートにも更に小さい肉片が乗っていました。それで生検は鋏に付けた筒で打ち抜いて取得したと理解しました。大きな痛みは麻酔なしを自覚させられた。「血止め処理をしましたので待合室に戻り5分後呼びます」待合室で口の中で唾液が溜まったようなので洗面台で吐き出すとうがいの水を吐き出すようなかなりの出血があった。待合室内の洗面器は真っ赤になっていた。血止めをしたのか少し疑うほどの出血量でした。。5分ほどで再び呼ばれたので行くと、「痛かった」その「た」の文字がだんだん大きくなってきてすごく腹が立ってきたのです。「先生、先ほどのことは済んだことでいいのです。痛かったでなく今まだ痛いのです。痛み止めの頓服か何か処方してください」大声を出したと思う。「生検の結果は1週間後です。来週絶対忘れないで来て欲しい」それからしんみりした口調で「癌でなかったらいいですね」やさしい声はかなり恐怖を感じた。先生は癌と思っているのに違いない。

2012年3月13日火曜日

ヒット件数1億以上のトップ表示が達成できました

おかげさまでグーグル検索で「これまで一番の料理」を入力して検索すると、トップ表示されます。

さらえまか: これまで一番の料理は9枚の白無垢の小皿に盛りつけてい ...



日本の王宮料理に由来する9枚の白無垢の小皿に盛られたこれまで一番の料理に出合った感動がさめないうちにブログを書きました。その後タイトルをどうするかで悩んだつもりです。

投稿前調査でグーグル検索で「これまで一番の料理」を入力して検索すると2000万件ほどが
2011年10月初めにヒットしました。これではタイトルにこれまで一番の料理の文言を使っても、
5ページ以内に表示されるのはとても期待できない。

そんなわけで「これまで一番の料理」の使用をためらったのですが、ほかによい表現も見つけられずに、このキーワードから「これまで一番の料理」ブログにたどりついてもらうのはあきらめました。

そして投稿、つい最近まで「これまで一番の料理」で検索後、10ページめくっても自分のブログは見つけられませんでした。何せ一時はヒット件数1億数千万件もあったのです。

半年後の2012年3月10日携帯でトップ表示になっているのを確認しました。
ブログ冥利に尽きます。グーグルのブログに引っ越してよかった。

今年に入って生死にかかわることが私の体内で発生しました。2月からつい最近までブログ更新どころではなかったのです。

実のところ自分の生き死に関することをブログには書きたくありません。もうブログなどやめようかとも思いました

ヒット件数1億以上のトップ表示ができたことで、このネット社会に何がしかの謝礼をしなければならないといった気もします。謝礼とは貴重な体験を公開して不幸にも同じような体験をされた方が
現れた時、何らかの役に立てそうな情報を残しておくということです。
そんなわけで病床からあまり書きたくない体験を残そうとします。写真はありません。

2012年2月1日水曜日

不要になった鍋をリサイクルして炭火をリサイクル再利用する(火消壷で炭火を制する)

もうずいぶん前に商店街の空き店舗で臨時開催したリサイクルショップで3000円で買ったなべです。普通に百貨店などで買えば2万円近くする米国製とか。外国製の最高級品だそうです。擦り切れかけた品質証明書のような取扱説明書もありました。次に転売するなら品質証明書は必要でしょうが煮物が美味しくなるという機能だけで買いました。自分で使うのを前提ですので品質証明書は捨てました。ボロアパート時代に買ったのでした。確かにアルミの普通の鍋より美味しくなったような気がする。10年以上たった現在、今度は欧州製の高級鍋が中国で生産したらしい安いのが出回っています。
これがフタがガラス製の欧州メーカの製品です。煮物を美味しくする機能では上のリサイクルショップで買った鍋を上回ります。そんなわけで出番がなくなった鍋ですが別の使い道、リサイクルのアイデアが浮かんだのです。フタが熱に強いステンレス製なのと密閉性を利用したものです。炭火の残り火を二酸化炭素を出しながら灰になるのを待つのはあまりにも勿体ない。炭火の火消壷としてリサイクル再利用を思いつきました。火消壷は炭火のリサイクル再利用にもなります。
炭火でお湯を沸かした後、用済みとなった七輪の炭火です。白炭は火持ちがよく、まだ完全に灰になっていない炭火です。これもこのまま七輪の中で灰になってもらうのを待って、黒い土を維持するために南側が道路の家庭菜園に入れるのがこれまででした。炭火が灰になるまで待つとなるとその間外出はできません。実家にいたころ祖父の代に使っていた鋳物の火消し壺を思い出したのです。使い方は赤い炭火を入れてフタをするという簡単なものでした。要は酸欠にして炭火を消すのです。
そこで使わなくなったこの鍋を火消し壺に仕立て再利用することを思い出したのです。火のついた炭を鍋に入れます。フタをすれば作業は終わりです。
数分待ってフタを取り酸素を入れてももう発火しません。金属の鍋で酸素ばかりか熱も奪われて、温度が下がり消火されたのです。残った火が消えた炭火は再利用できます。何よりありがたいのは新品の炭よりスカスカになった分、点火時間が短くすみます。ガスコンロ5分で真っ赤になるのです。それを次回の種火にするのです。これで炭火を効率的に利用できるようになり炭火を制したのです。