2017年6月18日日曜日

切り花でないカサブランカを買いました。菜園がなければ無理でしょう。

この季節になると故郷の野山にピンクの花を咲かせるササユリ、郷里ではヤマユリと呼んでいました野生のユリを思い出します。強い香気は離れた場所でもササユリの存在を教えてくれました。小学校などにお花を持ち込む殊勝な生徒がいましたが、私は花に関心はありませんでしたがササユリだけはうれしかった。10本を超えるササユリの香気は教室いっぱいに広がったのを憶えています。現在郷里ではほとんど絶滅したようなササユリを偲んでカサブランカを時々仏壇に供えています。少し変わったカサブランカを買ったのです。上のつぼみの部分ですが全体を映しますと…
 根付きのカサブランカです。切り花は花への養分供給が限られますが、根付きだと葉っぱで光合成された養分が余すところなく花に送られそうです。それだけ良い香気が期待できます。
根付きカサブランカ販売店の店主によると地植えしたほうが良い花が期待できるとのことでしたので地植えに決めました。場所を空けなければなりませんのでこのジャガイモを掘ってここに植えます。
 ジャガイモを掘りました。結果的にはジャガイモは未熟でした。
ジャガイモの跡地にカサブランカを無事に植付けました。肥料は上げれませんが水やりだけは頻繁にするつもりです。うまく咲けばまた投稿します。

2017年6月13日火曜日

収穫できないかもしれない2017年の夏野菜。

先週植えたピーマンです。見た目には枯れそうです。再度水やりをして今週から来週にかけてこのピーマンの運命が決まりそうです。枯れるか生き延びるか心配です。何よりも先っぽの芯が枯れているのが嫌な感じです。先っぽで新芽の脇芽が出たとしても早い時期の枝分かれは良いイメージが湧きません。
全体にシャキットしたピーマンですが先ほど植えたばかりで根付いているわけではありません。昨日まで毎日水やりなどの管理されている店頭にありました。翌日の今日植えたので元気です。最後の5本のうちの2本です。同じようなピーマンの写真2枚もアップできないのでこれだけにします。
先週植えたキュウリです。葉っぱの色が悪いので心配ですが大丈夫でしょう。
これも先週植えた大玉トマトです。家庭菜園の華ですが、今年これ一本だけです。何とか大玉トマトの実を成らせれば最高です。
1本だけのナスです。一番日当たりの悪い場所になってしまいました。ジャガイモを早く収穫して里芋を植えたいです。今年の夏野菜のすべてを披露しました。どうかうまく育ってください。

2017年6月4日日曜日

心霊体験を詳しく書きます。舌癌告知時、何秒か意識を失ってお美しいご先祖様にお会いしたのです。

2012年2月13日大学病院の2人の耳鼻科の先生の診察を受けました。一人目の先生にまぎれもない舌癌と言われ、二人目の主治医様の部屋に入り悪性の腫瘍と宣告を受けたとき、太い青竹の棒で頭を殴られたような衝撃を感じました。
よく臨死体験での体外離脱などで空中から病院のベットに横たわっている自分の肉体を見た。自分の周囲を家族などが囲んでいるのが見えたとのTV番組がありました。私も近いものを体験しました。数メートル四方の腰高程度の低い四角い黒い塀があり、黒い塀の中で一人の男性が両手でムンクの絵のように頭を抱え込んでいるのです。普段と違って梯子の上に立ったように上から下を見下ろしている視点でした。これが幽体離脱、体外離脱などと言われている上からの視界だったかと今振り返っての記憶になっています。その時黒い塀はなんとなくこの世とあの世の結界ととらえていました。ムンクの絵「叫び」のように頭を抱えている人は舌癌告知を受けた自分だとはなんとなくわかりました。それから数メートル四方の黒い塀伝いに小さい子供用の雀の巣のようなカツラがこちらをめがけて動いてくるのです。どうしたと見つめると二歩下がって止まり、しばらくすると三歩近づくというようなジグザグに近づいてきたのです。その時はもう視点が地面近くに戻っていて体外離脱は終わっていました。その雀の巣のようなぼさぼさのカツラも顔が見えなく3歳で肺炎など胸の病で夭折なさった明治20年頃のご先祖様とわかりました。こうした情報は霊視できるとかいう占い師に聞きました。通常より少し高い数千円の料金で霊視してくれます。3歳で亡くなった明治20年頃の女の子の記述は実家の過去帳に名前とともにありました。霊視できるとかいう占い師が観てくれた名前と過去帳の名前が一致したのでその占い師を信じています。
カツラに気を取られ気が付くと25歳前後のうら若い下の写真のような髪型の女性が顎を鎖骨 胸骨にくっつけるようにアゴを大きく引いて上目遣いに目の前、手が届く距離に座っていました。私はお目にかかった覚えがないのですが相手は私を知っているのか少しだけ含み笑いをしていました。それから首を動かさず瞳だけを左右に廻して私の左右を見たのです。まるで女子中学生のようなしぐさでした。それから少しづつ胸骨にくっついていたような顎をゆっくりと上げていって二人の視線が水平にばっちり合いました。こちらは誰なのか思い出そうとして必死で目の周り中心に見つめましたが全く記憶にない女性でした。
誰でもご存知でしょうが、写真は朝ドラのヒロイン梨村佳澄さんです。舌癌告知時にお会いした女性はこの朝ドラのヒロインに似ています。特に髪型など頭部の形がそっくりです。写真では前髪は視界の妨げにならないよう前髪をおかっぱ風に切っていますが、舌癌告知時にお会いした女性は前髪がこの倍ほど長かったです。前髪の曲げやカールもなかったです。4月から始まった茨木県北部を舞台とした朝ドラですが、茨木県北部時代、ヒロインが高校生時代のほうが向島電機の工場時代よりよくご先祖様の雰囲気を出しています。家族と共同でした稲刈り作業の風景、野菜畑の収穫、耕作など農作業を通じた土臭いイメージを醸し出した名演技でした。凛とした女優というより所作もゆっくりとした童顔の田舎くさい感じで親しみが持てるような演技が素晴らしかったです。東京のトランジスタラジオ組立工になってからは垢抜けして少し我がご先祖様と違うかなと思います。それに彼女はほお骨が前に出ておりお顔がなんとなくのっぺりとしていますが、私のご先祖様はそれほど頬骨は出ていませんでした。それに梨村カスミさんは少し日焼けしているようですが、舌癌告知時に白昼夢でお会いした女性はシミもなく色がとても白かったです。霊視できるとかいう占い師によると、舌癌告知時にお会いした女性はまぎれもなく300年前の私のご先祖様だそうです。300年前の私のご先祖様は小さい子供が大好きで明治の初めに3歳で亡くなったオワキ様を膝に乗せたりして霊界を連れ歩いていらっしゃるとのことです。何とか48などアイドルというより、容姿は抜群で女優並みだそうです。子供の時から胸の病がありほとんど寝たきりで32歳でインフルエンダ併発などで酸欠で亡くなったそうです。呼吸が苦しく病気で寝たきりなので野良仕事もしないで日光に当たらなかったのでしょう。享年33なのに二十五六歳に見えたのは色白で童顔だからと思います。胸の病気は結核か父の死因、父の妹の死因であった間質性肺炎か詳しいことは判らないそうです。とにかくこの連続ドラマをビデオで撮りだめして毎日見ています。朝の連続ドラマを見るとご先祖様に会えるような気がして最近の楽しみです。更に言いますと朝ドラのヒロインと国営放送の女子アナで今年4月からブラタモリに出演している童顔の旧滋賀アナウンサーとミックスしたような容姿でした。色の白さと目の大きさは朝ドラのヒロインより目が小さい旧滋賀アナウンサーに似ています。どちらにせよ普通なら私など鼻にも引っ掛けられない高嶺の花のような美しい女性です。
アゴを引いて見上げる視線からアゴを上げて水平視線になって数秒見つめ合った後、突然横を向いたのです。二度とこちらを向くことはありませんでした。髪の毛を遠慮なく観察したのですがあれほど櫛目が鮮やかなのは初めてでした。彼女はどれほど何回髪に櫛を通したのか、どのように髪を梳けばああしたくっきりした櫛目になるのか考えてました。彼女は一言も発しませんでしたが、横を向いてから老人のような初老の男性の声が聞こえました。「お前癌だったのか可哀想にのう。でもたいしたことにならないから、もうそんなに気に病むな。」若い女性の声でなかったので、どこからと横を向いた彼女だけでなく全体を見ると彼女の頭頂部に隠れて額の上だけのチョンマゲが見えました。額から上だけでお顔は見えませんでした。その時両肩を両手でゆすられて「○○○さん。しっかりしてください。聞こえていますか。癌と言っているのですよ。」これで白黒の白昼夢から舌癌告知の現実に引き戻されました。
ところで霊視できると触れ込みの占い師に面会したのは、彼女がどうして横を向いたのか。そして自分の先祖なのか誰なのか。明治以降の実家の過去帳には20歳前後の女性の記録がないのに誰なのか。横を向いたのは自分は嫌われたのでしょうかと聞いてみると「守護霊が守る人を嫌うこともありますが、嫌っていれば白昼夢などで会うことはないです。まず出てこない。顔が見えないように横を向いたのは『まだ私がいるこちらに来てはいけない。戻りなさい。寿命でないのでしっかり生きなさい』という意思表示です。あなたは彼女だけでなく大勢のご先祖に好かれています。常時近くに大勢のご先祖様がいます。近くにいらっしゃるご先祖様は他の子孫係累よりあなたに供養してほしいご先祖様だそうです。それから手が届く距離で守護霊と会うのは危険です。両手で抱き付かれればあの世に連れていかれてしまいこの世に戻れなくなる危険があるそうです。横向いたのは大きな愛だそうです。」白昼夢の登場人物は目の前の若い女性、髪の毛だけが見えた3歳の女の子、チョンマゲだけが見えた初老の声と3人ですが、顔が見えたのは手が届く距離にいた朝ドラのヒロインに面影が似た女性だけでした。機会があればなぜ一人だけ顔が見えたのかこれも聞いてみたい。チョンマゲの人は当然江戸時代の人で隣県出身だが私のご先祖だそうです。
 ところで将来病気で苦しんで、これは死病で助からないと思った時、楽になる方法を思いつきました。これから一層先祖供養に励みいよいよの時、朝ドラのヒロインに似たご先祖様を呼び出します。地面に額をこすりつけてこれまでのお礼を言上して、病気が苦しいので連れて行って下さいとお願いします。あのようなご先祖様に抱き付かれてあの世に行けるなら人生の終わりとしては、大きな幸せかもしれない。

2017年6月3日土曜日

今年の家庭菜園の後悔。遅すぎたジャガイモ植え付けが夏野菜に悪い影響がありませんように

ジャガイモ栽培のブログ記事を読んでいると茎が倒れると収穫の時期だそうです。本当は私のように支柱を立てないで育てることが正しい栽培方法だそうです。しかし私は手間をかけるとお返しがあるのが野菜と信じています。支柱をすると収穫時期がわかりづらくなりますが、倒れるまで待つに比べて支柱でまっすぐの状態を保つと日照を効率よく受けるためジャガイモのためにはいいのだと信じています。
支柱を取り外すと茎が倒れましたので芋の成長を期待しましたが、まだ未熟でした。
この場所の次の主役です。そうです。ピーマンの苗です。
4株分のジャガイモの芋ですが未熟です。未熟とわかっていましたが、ピーマンなどを植えるためには場所を空けなければなりませんでした。ジャガイモの植付は今年2017年は一回目が3月26日で2回目が4月1日でした。例年より半月以上遅い。こうしたずれ込みが茄子トマトピーマンキュウリの植え付けが遅れたようです。これら夏野菜の植え付けは4月に終わっていました。結局ジャガイモ収穫量を増やしたいとの思惑も遅れにつながりました。今年の夏野菜は大丈夫かいな。

2017年5月14日日曜日

三人の敵その1_3(最初に私から仕事を取り上げた上司はうつ発病で出社拒否)

LAN工事のチームから外され備品固定資産の管理の仕事も取り上げられた結果、本当にすることもありませんでした。企画部に引き取ってもらうまでも実質無仕事状態は何年か経験しています。だから仕事がないのに仕事をしているふりをして毎日終業ベルを待つのはそれ自体それほど苦になりません。しかし1998年当時はその数年前と事情が大きく異なっていました。当時は風潮として終身雇用制度が崩壊して、中高年層のリストラ大流行、リストラの嵐でした。同僚の50歳越えの大先輩も人事から君の給料で有名大学卒の新人2人雇えると何度も言われたとのことでした。現在の担当が存続する限り同僚の居場所はありますが、組織再編などを口実にこのまま仕事がないといつ人材開発担当に追いやられる危機感をヒシヒシと切羽詰まるようでした。そこで二三年先退職に追い込まれた時のために人があまり身に付けていないスキルを身に付けようと考えました。具体的には中級レベルだったアクセスの開発能力を上げることです。ビジュアルベイシックVBAなどの付加価値を付けたアクセス技術を身に付ける目標が出来ました。例えば都道府県を選択するコンボボックスがあり愛知県を選択すると次の市町村コンボボックスでは名古屋市や安城市など愛知県に関係する市町村だけを選択投入できるようにするなどです。入力を楽にする機能としてよく使われます。例えば現在は廃刊になっていますが株の業界紙ごとに紙面のコラムのタイトルは違います。その都度手入力では情報入力が大変なので以下のようにマスコミごとに新聞に特化したコメント、コラムなどを過去入力したものに限って表示するようにしています。
こうしたACCESSの技術はこの当時身に付けました。そして会社を辞めざるを得なくなった時、再就職の武器にしようと決めました。とりあえず周囲の情報を片っ端からDB化しました。DB化とは表にしてアクセスにすることです。
アクセスのスキルアップに没頭して1年後2000年2月ごろ新しく赴任してきた人事権のある人からオラクルが入っているサーバが故障したとき修復する業務の担当が人材を募集してる。枠は一人だけで貴方を推薦するつもりだ。断らないでください。貴方にとってこれが最後のチャンスになるでしょう。ここに残っても2年ほどでスキル不足で行くところがなくなります(人材開発担当候補?)。と言われ最後のチャンスに賭けることにしました。サーバトラブルの技術を身に付ければ将来安泰だが出来なくとも故障の原因、状態を申告者から聞き出してて解析部門に回す業務、受付でもできれば生き残れますとのことだった。サーバトラブル解決専門の部門でサーバトラブル解決の技術者として認められた2001年ごろ、かつてのLAN工事の同僚、KさんからMさんの動向が伝わってきました。Mさんは大出世して籍はわが社ですがサラ金業者に何でもできるシステムエンジニアとしてオラクルがインソールされているサーバ保守の仕事を任されていたそうです。Mさんの給料は額面でも50万以内で手取りは何も変わりませんが、サーバ保守の仕事をしているサラ金業者から我が社に100万円ほどの人材派遣料をもらう契約で、部下を2人連れてサラ金業者に派遣していたとのことでした。サラ金業者にすればMさんに月額100万円を払ってもソフトウェア会社にAPの修正改良を依頼するよりもMさんにメンテしてもらったほうが安くつく勘定でした。差額の50万円以上は我が社に入りこのまま仕事を続けると大変な貢献になります。しかしMさんはサーバトラブルを解決した実績もなく、ましてそのサラ金業者が期待したAPの改修メンテ能力など皆無なのは私がよく存じています。DOS窓コマンドプロンプトからサーバやルータにPING試験する以上のスキルはないのです。何でもできるシステムエンジニアと推薦されたのが命取りとなったようです。スキルがないのに多くのAP改修要求を出されて何か月たっても解決してくれないのでサラ金業者が進捗会議でMさんを攻め立てたとのことでした。サラ金業者としては何でもできるシステムエンジニアとの触れ込みで我が社に毎月100万円もの賃金を払っているのだから当然です。Mさんはお客であるサラ金業者からの要求や知りえた情報を部下二人と共有せずに一人で解決策を探り仕事と問題、課題を抱え込んだそうです。そうしてサラ金業者がMさんのスキルに疑問を持ち、激しくなる連日の進捗会議に耐えかねて出勤しない出社拒否になったそうです。病名はうつ病です。現在は病院の神経科に入院中で回復の予定は未定だそうでした。Mさんは病気休暇の最長2年を取り元の部門Kさんと一緒にLAN工事の仕事に復職しました。しかし一ヶ月勤務の後また長期の病休になりました。Kさんも愛想をつかしたとのことでした。Mさんは1ヶ月2ヶ月出勤の後必ず復職委員会の承認を得て病休を取りそのまま退職までほとんど病気休暇で10年前定年を迎えました。あの様子だと一生うつ病は治らないでしょう。家族はお嬢さんが二人いて2人を大学卒業させる目標だと私に語ってくれましたが、長期の病休は給料の減額を余儀なくされ二人のお嬢さんは大学への夢は断たれお気の毒です。私が中学2年まで住んでいた家を出た者を虐めるとわが先祖が虐めた人に何倍も仕返しをするという仙人お爺さんの予言はまた当たりました。ただし我が先祖の御霊がそうしたのかは不明ですが、仕事をすべて取り上げて私を虐めたMさんが不幸になったのは確かです。

さらえまか: 祖母は仙人と話していた(家の言い伝え)

2017年5月7日日曜日

三人の敵その1_2(最初に私から仕事を取り上げた上司の末路)

1998年初秋の頃でした。リーダであるMさんは私の自宅よりこの地域の中心地から3つ向こうの駅に住んでいました。自宅の話になると時々たびたびだったか、3つ向こうの自宅に来てくれ酒は飲まなくてよいから料理を楽しもうと誘われていました。秋になると少ししつこいほど誘うのです。何かの話のついでなく頻繁に自宅に来るように誘われたのです。どうしてそんなに熱心にという思いはありましたが、終業後、同じように会社を出て普段使わないその私鉄電車に一緒に乗ってMさんの自宅に向かいました。とても機嫌よく別れの酒宴とは想像できないほど歓待してくれました。18時前後に彼の自宅に到着、近所の行きつけの飲み屋に入り店を出るとき、精算時は決して私にお金を使わせようとはしませんでした。飲み屋を出た後はまた隣のつけの利く飲み屋での見直す、などと計3軒の行きつけの飲み屋でごちそうしてくれた。その時は歓待の理由は判りませんでしたが、その後すぐにわかりました。深夜11時ごろまで何を話題にしたか20年近い前なのでほとんど忘れてしまったが、包丁砥ぎの話だけは覚えています。まだ私は砥石で砥ぐという技術は身についていませんでしたが、Mさんは海釣りを趣味としており小型の出刃を持っていたそうで海釣りの獲物を処理するのに大変な活躍をする道具だとしつこいほど言っていた。包丁を研ぐという技術を身に付けると料理という素晴らしい世界が待っているとも力説していました。うまく研げた小出刃で刺身のツマのネギを輪切りにすると切り口がペッタンコにならず元の形である円形リングを保つとのことです。ネギの切り口を見れば研ぎの技量がわかるとも自慢げでした。翌日は休日だったので23時まで遊び駅まで送ってくれて3駅向こうの自宅に向かいました。
休み明けに出勤するとMさんは様子がおかしくこちらのあいさつを返してくれないのです。仕事もM&Kコンビで私を誘わず二人でこっそりしているようです。何か話しかけても取り付く島もないように口を閉ざしました。1週間もするとようやく自分は仲間外れにされたのだとようやく気付きました。別れの宴の翌日からLAN工事は私を除いてMさんとKさんの二人でするということが決まったらしい。人事権のある上司も承認した結果らしいとのことでした。仕事自体は前回説明の通り誰でもできるもので、自分がのけ者にされた理由がわからなかったが、私は大いに傷ついたのです。これからどうして時間をつぶそうかと考えていました。本当にすることがなかったのです。しかしLAN工事以外にもう一つ仕事があったのでした。会社の立地はそれぞれの部門が50㎞以内に4つのビルに分散してありました。私の担当が所有する固定資産や備品の数が大きく4つのビルの各階の部屋に分散して保管、使用されており年2回の固定資産備品の棚卸しですべての備品がどこかで適切に保管管理されていることを証明しなければなりません。責任者は管理している担当の人事権がある人なのですが、備品が所在不明となった場合、一番叱られるのは企画部経理です。各担当への指導が悪いということです。当時ACCESSのわずかな知識で備品台帳を作り各備品ごとに移動確認年月日、ビル名、3Fなどの階数、部屋名、部屋棚の位置などの履歴を付けて管理するデータベースを作って管理していました。わが担当の固定資産備品が会社で最大の金額、種類と品数が突出して大きかったので経理の人の悩みの種でした。4つのビルに所在がまたがっているのは私の担当だけだそうです。棚卸しの締め切りが近づくと毎日調査備品の探索依頼に来ています。経理とは同じ企画部だったので気安くしていました。また私の担当はもといた部門で居場所を見つけられず企画部に引き取ってもらった落ちこぼれのような人が多かった。もちろん私も落ちこぼれでした。でも経理の人から見れば私のEXELのスキルが彼らを上回っており、経理の人が目標としているACCESSでアプリを開発して改善活動発表会で発表しているのをご存じなので本当なら経理から馬鹿にされても仕方がない身分なのですが、EXELとACCESSのおかげで時々はありがたられていました。そしてACCESSで履歴機能が付いた備品台帳を開発しているという実績で馬鹿にされるということはありませんでした。それどころか履歴機能が付いた備品台帳が経理の人にとっていかに素晴らしいのか教えてくれました。最後の日付、何年何月何日、Aビル、4階、何々部屋の南東部にあったという履歴から次の移動場所が簡単に推定できるというのです。私に他の担当の備品台帳をACCESSで作成して運用の手順書を作成して他の担当に配ってほしいとの要望もありましたが、Mさんの妨害があったのか立ち消えになりました。EXELで備品台帳を作ると最新の備品の居場所しかわからず、一目で今までの履歴が全部見えるACCESSの入れ子表現にした履歴機能が付いた備品台帳を使って一番困難な私の管轄する備品の棚卸しが終われば、全体の峠を越えたような感覚になるとのことでした。経理からのあの備品を検索してくださいとかの依頼は結構楽しい仕事でした。人のお役に立てているという実感を感じられたからでしょう。私の担当の固定資産備品の移動があると経理の人が移動があった備品のリストを持ってきてくれACCESSのデータベースに登録してくださいとお願いに来たのです。しばらくして経理の人が来て検索で先日の移動備品の履歴がACCESSのデータベースに登録しているのを確認して経理の人は帰っていきました。備品が行方不明になると一番被害を受けるのは経理だと私には正直に言ってくれました。ところがある時期から経理が私に移動があった備品のリストを持って来なくなりました。経理の人に理由を聞くと移動があった備品のリストはMさんに渡すよう私の人事権のある上司から経理に通達があったそうなのです。経理の人は私にACCESSで管理してほしいらしいのですが、そんなことは言えないから仕方がないとのことでした。MさんはEXELで漏れがないように管理するから私に渡さず自分に渡してくれとのことでした。Mさんはとうとう固定資産備品管理の仕事まで私から取り上げたのです。Mさんの理由は判りませんでしたが断れば集団いじめの対象にされるなどの圧力を宴席などで受けたようです。そうこうしていくうちに腹が立つことがりました。出勤がだんだんつらくなっていった当時、うつむいて歩いていると背中をポンと叩くで見るとニヤニヤしたMさんでした。「うつむいて歩くと心の病気になる。胸を張って前を見て歩かないと」などと余計なからかいののような意見をもらったのです。私がうつむくような原因を作った人からのそうした言葉にさすがにむっと来ましたがどうすることもできませんでした。しかし数年後立場が逆転して出勤するうつむいて歩いているMさんの肩を叩いて「前を向いて歩こう」と本当に心の病気になって解雇されないよう出勤してきたMさんに仕返しができる日が来るとは当時は夢想だにしなかった、

2017年4月26日水曜日

三人の敵その1(最初に私から仕事を取り上げた上司の末路)

1998年当時、世間では中高年層のリストラ大流行、リストラの嵐でした。この当時の退職拒否した社員を退職させるための集団いじめや嫌がらせによる精神障害のまま退職、失業保険のあと退職金の食いつなぎの結果、退職金の枯渇、再就職先などあるわけもなく前途を絶望した当時のリストラ被害者のうつ病などを原因として列車の人身事故の遠因と私は考えてます。それにしても数年前から列車の人身事故によるダイヤの混乱が多すぎる。わが社でも代わりがある仕事をしている人には風当たりが厳しくなっていました。生き残るには会社にいないと困る人、必要な人材と認めさせる必要がありました。要するにだれでもできそうな仕事をしているとその仕事がなくなるとお客から重要な仕事を任されている部門からの引き合いがなく人材開発担当などに追いやられて退職を言い出すのを待たれる部門に行かされるということになります。そして正直に申し上げて1998年当時の仕事はスキルも必要なくやる気になればだれでもできる仕事でした。所属する組織、担当がなくなればいつリストラされても不思議でない境遇にいたのです。具体的には私の仕事は作業主任、リーダーであるMさん、Kさんと私の3人で社内向けのLAN工事をしていていたのです。ソフト開発部門に多かったのですが、新しいプロジェクト担当などを新設した場合Windows95がリリースされてから3年経っているのでパソコン、社内のホームページ閲覧機能、メール送受信機能がないと仕事になりません。必要に応じて倉庫に保管しているPCなどを引っ張り出してPCもこちらで用意しました。企画部門の一部なので仕事の環境を整えるのが仕事でした。LAN工事は近くのルータを押さえetherネットLANを伸ばした幹線を床下から追いかけて直径2㎝程の幹線に直行する穴を空け芯線まで届いた穴に先がとがった導電性の金属針をねじ込んでKAN幹線から支線を作りハブにつなげて新担当の各パソコンを集約ルータにつないで電子メールやインターネット環境を構築することです。その担当のためのハブにノートPCを繋いでDOS窓からルータにPING試験が通ればLAN工事めでたく完了です。
十字ドライバーを回したりLANケーブルをつなぐことが出来れば誰でもできる仕事でした。またこの施設を利用するのが社内の部門で何か間違いがあってもごめんなさいで済みます。さすがに毎日LAN工事はないので仕事がない時はネットにつなげている社員のパソコンのトラブル対応です。メールが送信できないとかインターネットに接続出来ないとかの問題解決です。企画部内のPC技術者と相談しながらLANボードのドライバなどを再インストールして解決させていました。暇な時もありますがLAN工事をする前よりはずっと会社に貢献できる仕事で人事権のある上司からも以前よりずっと仕事の内容がよくなり頑張っているとの評価を頂きました。1997年から1998年にかけてはリーダのMさん、先輩のKさんの3人で何とか給料分の仕事にありついていました。現在もそうだと思いますが、実際に給料分の利益を会社のために稼いでいなくても人事権のある上司が給料分の仕事をしていると認めればそうなのです。