2009年9月27日日曜日

リサイクルの受益者は自分であった方が長続きする(ペットボトル


ペットボトルの回収ボックスをスーパーで見つけた時は本当にラッキーでした。今もそうですが、その頃は市役所のペットボトル回収日は月2回でした。6畳一間の昭和30年築のアパートに住んでいた住環境では2リットル名水のペットボトルはあまりにも大きすぎた。中に水が入っている分にはまだ我慢が出来たが空のペットボトルを足に引っ掛けカランコロンの音を聞くと情けなくなった。回収ボックス設置によりその大きなゴミが月2回の回収日を待たずに6畳一間から消えるのです。空いたスペースは名水入りの予備のペットボトルに置き換えられたのです。スーパーも小さいマンション、賃貸文化住宅住人の2リットル名水のペットボトルの事情を知ってなんとか来店数を増やすために回収ボックスを設置したと思われます。ラベルはがし、押しつぶして体積を減らせる、ペットボトルを網袋などに移して回収ボックスのスペースを作るなどかなりの維持管理費がかかったと思います。それでも来店数増加のためと耐えたのでしょう。これに刺激を受けたのか近くの2軒のスーパーも競うように回収ボックスを設置しました。

家を購入してからスーパー設置の回収ボックスのありがたみがかなり薄れました。空のペットボトルは空き部屋に一時保存すればこと足りるからです。最近こんなことを考えています。資源リサイクル運動の推進で税制の後押し、石油高騰で純度が高い空の透明ペットボトルは買い上げ価格が上がったのではないか。最初の感謝を忘れて商品を買って儲けさせ空のペットボトルも献上してさらに儲けさせているのではないかとなんとく不公平感を持ち始めている現在です。回収ボックスも最初は入口においていました。回収ボックスの背面は大きなガラスでそこからはレジが見えました。回収ボックスは店員からも見える場所にあったのですが、最近は店員から見えない駐車場の近くに移動させさらに利用しやすくなっています。蓋をつけたままのペットボトル、つぶさないラベル付きのペットボトルで回収ボックスはすぐに満杯になります。それでも来店客の車を誘導するガードマンが知らせるのか3つの回収ボックスが満杯になる前に回収ボックスを空にしてくれています。ますますペットボトル回収ボックスは儲かるのかなとの思いが強まってきました。そこでペットボトルリサイクル再利用の受益者はまずは自分がと、ペットボトルの透明性を利用して生け花の水管理を実践しています。毎日交換するより2リットルの水資源の節約になります。回収ボックスに入れる前にペットボトルをリサイクル再利用する(生け花は蕾を買います)

2009年9月21日月曜日

回収ボックスに入れる前にペットボトルをリサイクル再利用する(生け花は蕾を買います)

 仏壇を買うまで花はお金を出して買ったことがありません。仏壇を設置してからご先祖には祖母など女性がいると気が付きなるべく生け花は絶やさないようにしています。小さい仏壇なので大抵中に入れずに前や横に飾るようにしています。当初は仏壇の金属製の花入れに活けていましたが、重さが軽く背の高い大菊、カサブランカなどはとても不安定でよく倒れて水をこぼしたものです。習慣になっている起きたての煎茶のためいつも2リットルミネラルウォータの透明なペットボトルが転がっています。2リットルの水は重さが2Kgで口が小さいためひっくり返してもこぼれる水が少量のうちに元に戻せると都合のいいことが重なります。重くて倒れにくい倒しても被害が小さいと使いやすいのです。水が十分にあり花が吸い上げても水が涸れる前に花が枯れます。花を買ってきた当初は新しい水に切り花を活けるのですが、もともと横着でズボラな性格であまり水を変えないのです。花があれば心がうきうきするほど好きなほうでないのですからなおさらです。透明なペットボトルを使い続けているうちにあることに気がついたのです。
 花が変色したり枯れるときは例外なく活けている水が濁るということです。左が汲み立てのみずで右が大菊を何日か活けた水です。言いかえれば水を濁らせずに変え続けていると本来花が持っている天寿を全うできる筈です。購入してから枯れる期間が長くなればそれだけ花代を節約できるということです。半年一年と積もれば相当な花購入代金の差となるでしょう。

 濁った水に活けていた大菊です。葉っぱが何本か黄色くなっています。放置すればもうすぐ花がしおれます。切り口の先端部分が水に繁殖した微生物でヌルヌルしていますので白線部から手で折ります。花屋の女主人によるとハサミで切るより手で折った方が花が長持ちするそうです。花を痛めた微生物はペットボトルの内面にもついているはずです。ブラシを突っ込んでヌルヌルを取り除くというよりペットボトルを交換します。飲み水を入れていたものですから完全に滅菌されています。使ったペットボトルはリサイクル回収ボックスに戻します。ミネラルウォータを入れていた透明なペットボトルを回収ボックスに返す前にもう2~3回使ってから回収ボックス戻すというペットボトルのリサイクル再生利用です。
 生け花は菊にしろカサブランカでもつぼみで買います。それの方が持ち帰り時に花を痛めません。開花から枯れるまで長く楽しんでもらえます。水を濁らせなければ真冬なら大菊で一か月はもちます。毎日水を換えることが出来たらいいのですが、それでも花瓶の内側に付いた微生物まで毎日ブラシで落とす人はいないでしょう。カサブランカは開化の瞬間に最高に香りを放出します。帰宅すると匂いで開花したのがわかります。
 自分でつぼみから咲かした花は愛着もわきます。再利用したペットボトルは汚れが目立たないうちに早目にスーパーの回収ボックスに返します。スーパーも大変です。近くに3軒もあるのです。ペットボトルが汚れているからと回収を断れば他店に逃げられかねないのです。便利の良い駅の近くに住むのはありがたいことです。

2009年9月20日日曜日

まっ、まっ、まつたけを買いました 日本産との触れ込みです

 松林の下を歩いているとグリッと弾力のある反発を足に感じた。わずかに松の落ち葉を持ち上げただけのまだつぼみの松茸を踏み抜いた感覚です。今なら相当叱られる失敗ですが、その当時は一度に大きなかごに何杯もマツタケが取れたのです。足で踏んだりナメクジに食べられたのは夕食に回されました。父母の時代より高価だったらしいが、今のように高価なものではありませんでした。小学校入学の前だった頃のことでした。その後忌わしいマツクイ虫の大発生で、立ち枯れて赤くなった赤松を子ども心に傷ついて眺めてきました。中学生になる頃は実家が所有している小さな松林の赤松はすべて枯れました。陸のダイヤと言われるようになったのはそのころからだった。
 今年店を覗くと3本で7500円とリーズナブルな値段だったので思い切って買いました。昨年はマツタケが不作で2本で20000円であきらめました。有名な京都丹波産ではありません。その近くの〇〇産が次に値が高くそして一番安いのが〇●産です。 とりあえず土瓶蒸しにします。土瓶蒸しは経験ありません。カツオの厚削りと奮発した羅臼昆布です。少し千切って口に入れましたが後味まで甘い。贅沢な昆布は贅沢なキノコに合いそうです。


ラウスコンブは吸いものと同じく沸騰直前に上げました。野菜は三つ葉か水菜か悩みましたが三つ葉に決めました。

昆布とカツオ、みそ汁用のスープ少々の元のだし汁です。脱化学調味料主義で化学調味料、だしの素、昆布茶など市販の調味料は入れていません。昆布の塩分が上品な塩味を演出しています。三つ葉とマツタケ一本を土瓶に入れました。深底の鍋に入れて20分ほど蒸しました。蒸しあがりです。ダシの色はマツタケからのエキスもあるのか写真よりも濃くなっていました。元のダシはカツオが本物だったのか結構な酸味があり好みでした。この松茸を入れたダシはもっと酸味がきいていてさらにおいしかった。ただマツタケの香りが全くしません。この松茸が日本産なのか外国産なのか見た目では区別がつきません。次回は別の県のブランドにしようと思う。食感も郷里のマツタケはもっと弾力があった気がする。たまたま今回に限りこの松茸だけがが悪かったかもしれない。原因は産地より商人か料理方法にありそうな気がする。

2009年9月7日月曜日

タラの木は里芋と日照権を争っています

2009年5月2日に見つけたタラの芽です。あきらめていたのに芽が出ました 一週間後、何者かにこの新芽希望の芽がすべて食べられました。今年の運勢も尽きたかとかなり暗い気持ちになりました。タラの木は高麗人参と同じくウコギの仲間なのです。新芽を食べた何かの虫もさぞかし精がついて子孫を残したかも知れません。そうした悪い虫がこの南側が道路の家庭菜園で増えるのはこちらとしては困るんですが。また来年数百円出して棘なしタラの木の根を買おう今度は成長するまで室内で育てようとも考えました。
 次の雨のあと最後の力を振り絞ったのか再び芽を出したのです。最初の発芽より一回り大きかった気がします。希望の芽を守るために工夫をしました。かねてよりたき火の跡を見つけるたびに集めていた木灰を、新芽の周囲にお城の堀のように囲んだのです。雨で木灰が流されるたびに木灰の防衛線を再構築しました。木灰の防衛線は効果がありそれから新芽が食べられることはありませんでした。希望の芽は再び成長を開始したのです。その後みずみずしい緑色の新芽は芽を出すたびに前回の葉っぱより大きな葉っぱに成長しました。梅雨から夏の間その繰り返しでした。水やりは欠かしませんでした。
 上は道路から撮った写真です。発芽から4ヶ月たった現在タラの木は里芋と日照権を争うまでに成長しました。大自然の原理として、生物は自己のDNAをより多く残すように行動するらしい。植物にとって光はどれだけ光合成をして大きくなれるかの重要な条件です。日照権獲得で負ければ大きくなれない結果として少しの種しか残せなくなるという実りの秋に向けた必死の競争です。お互いにフィトンチッドを出し合って妨害しているかもしれません。下は金網の中家庭菜園から撮りました。タラの葉も里芋の葉もいっせいに右側つまり南側の道路を向いています。この調子では現在数十センチの丈ですが来年には2mほどになるかもしれません。そして再来年にはタラの芽のテンプラが期待できます。
 下の写真はタラの芽の大きさを暗示させるようなタラの幹です。直径1cmはあります。脇芽も確認できます。棘なしタラの木との触れ込みでしたが、写真では棘はありません。目で見ても確認できませんが、幹を握ると時々チクリとします。野性のタラの木は葉っぱも握ると棘があります。この程度は許そうと思う。何せ再来年の春の希望の幹です。