2011年7月3日日曜日

黒い土を維持するために、青葉を入れています

 我が家の循環型菜園のもともとの土の色は車で10分の墓地の土の色と同じです。引っ越してきた当時の家庭菜園はこんな色の土でした。
畳のワラを入れたり落ち葉堆肥を入れたりで数年の努力の積み重ねの結果、黒い土に変わりました。 さらえまか: 畳のリサイクル参照願います
毎年5月に近ずくとイネ科の雑草が50cm程に育ち6月には種を付けて枯れます。種を付ける前に刈り取ると栄養が葉に残っており秋には土に帰ります。種が循環型菜園に持ち込まれることもありません。ケヤキの落ち葉のように1年以上も寝かせる必要はないのです。
このジャガイモの芋は黒い土で育っているのです。この土は信州などに見られるように火山灰で黒いわけではないのです。有機分を多く含んだ豊穣を意味する黒い土を持った循環型家庭菜園です。
鎌を研ぐ砥石を用意しました。右が包丁用の青砥です。幅を見ていただくために用意しました。左が水を十分含ませた人造の赤砥石です。鎌用に幅が狭い砥石がいるため幅の狭い側面を研ぎ面にします。鎌研ぎは初めてですがここが要点です。
             
            
包丁研ぎをマスタするまでは、河原のクコ採集などに使った鎌は錆びると捨てていました。しかし今回からは農家のように鎌を研いで切れ刃をリサイクル再生します。何度も研いで刃がなくなるまで使い切るのは、昨今の社会的風潮に合った使い方です。経済的でもあります。
光っています。なんとかシノギを削らないで切れ刃を付けました。次回はもっと上手に研ぐようにします。
 ケヤキの落ち葉拾いに使用したのと同じ大きさのビニール袋を用意して8袋分刈り取り、この循環型家庭菜園に入れました。ケヤキの落ち葉の上にかぶせれば風で落ち葉が飛び散るのを防げます。初夏の強い陽光はイネ科の雑草の緑色を茶色に変え乾燥させ、梅雨の長雨で土に変える準備とお手伝いををしてくれます。来年には立派な有機肥料として巡りまわりジャガイモの養分となってくれれば、青葉が巡りまわっておいしいジャガイモ、葉物野菜に変わります。

2011年6月18日土曜日

天災でもし家に住めなくなったら?損害を計算しました

今日でこの家に入居して5周年という記念すべき日を迎えた。そこで、どうしようもない自然災害で家に住めなくなるという考えたくない運命を想像してみた。
        
 家に住めなくなる事態に遭遇するには、地震、津波、火事、竜巻、台風などが考えられます。幸い2002年当時の給料明細が見つかりそれで実質荷物置き場と化していた社宅費用が分かりました。会社援助込みで社宅使用費と車の駐車費用が約1万円と安くなっています。      
 アパート費用が6畳一間が1.8万円、青空駐車費月当たり1.5万から比べるとかなり安いです。
         
  社宅の共益費ですが、会社に荷物を整理して退去手続きを取らない限り請求されるのは止むを得ないのでした。アパートでは荷物を収容するスペースがなく、家を買うまで退去が出来なかったのです。

 アパートは2部屋借りていました。最初は1部屋でしたが、直下の住人がリストラされた人で心の病に罹っていたそうです。大家さんによると会社が辞めてほしいと言ったのに辞職願を出さないので、集団いじめにあい止む無く辞表を書いたという気の毒な方でした。長年経理の仕事をしてきたのにPC導入で会社からは余剰人員になったそうです。現在は生活保護で暮らしているそうです。会社を辞めても、組織的な集団苛めに何年か耐えた後遺症として神経が病んだのは治らなかったのです。私が困ったのが、彼が深夜、雨傘で天井をつつくのです。音がうるさく寝れないのです。精神病から来る妄想です。組織的な集団イジメで神経を病んだ気の毒な隣人だったのです。今まで仲が良かった同僚が彼も保身のため自分をいじめる側に変わっていく。そうした辛さは経験があり、他人事と思えないほど想像がつきます。そこで寝室用にともう1部屋借りたのでした。寝室の下のお方は中国出身の外国人で身分は大学に通わない留学生、仕事は新聞配達でした。19時就寝、午前3時起床で、安眠のためにはとても都合がよかった。余りやすいアパートに住むとこうした人と同じ屋根の下で暮らさなければならないということです。

 もし家を購入しなければ5年間で330万の出費があるということです。この古家はタダですが改装費用が350万円掛かりました。家庭菜園のフェンス工事、車の駐車場設置込みです。住めなくなれば、20万円の損ですみます。あと4カ月すれば毎月55000円貯金するのと同じです。
 でも住めなくなれば20万以上に困ります。現在の生活を再建するには1500万円以上の住宅建設費がかかりそんな大金が都合できるわけがないのです。

2011年5月5日木曜日

四直紋の持ち主を見つけました。四直紋を持つお人は、色が少し黒くてかなりお偉い方でした。

 国宝シリーズのテレビを見ていて目が釘付けになりました。薬師寺薬師如来三尊像の掌を映した像に移った時です。手首のほうから映像が始まり、円形の法輪を説明していました。さすが仏像仏様、人にはあり得ない法輪紋でした。その時4本の指の付け根を見たとき、指の付け根から感情線に向けて垂直に下りる四本の短い直線を見つけたのです。以下を参照してくださいさらえまか: おまけしてもらって左手は四直紋でした。鑑定結果
上の写真は真ん中に鎮座する薬師如来の右手です。法輪紋は写せませんでしたが、手首近くに薄くありました。
 二枚目の写真は月光菩薩の左手です。法輪はなく生命線から人差し指に伸びる向上線が不明です。また小指の下の財運線も判読できません。写真からはあるようでないようです。しかし垂直の運命線と太陽線は映っています。
四直紋を強調して書いたのが最後の図です。本尊像右手は4本の指の下にはどれも一本の垂線しかありませんでした。私の右手は、人差し指の下には少し曲がった向上線が1本、中指の下には垂線が2本、薬指の下の太陽線は1本ですが、小指の下の財運線は浪費癖があるという8本の財運線があります。薬師如来と比べて余計な直線があるのです。8本の財運線のうち左から3本目の財運線が長く直線になっています。この右から5本目の財運線によりかろうじて四直紋と鑑定されたのです。もし薬師如来を作った仏師が四直紋を意識して作ったなら本来の四直紋はそれぞれ感情線へ向かう1本の垂線ということです。改めてこんな人様から長年崇められたお方と同じ四直紋を下さったご先祖に感謝です。本尊も月光菩薩も親指と人差し指でお金のマークを作っています。どうかお金に縁がありますように。

2011年4月17日日曜日

二度目のタラの芽の収穫

待ちきれなくて2本だけ収穫しました。昨年の芽より一回り小さい気がします。
 ずいぶん前秋田の知り合いに聞いた話ですが、タラの芽はその人の郷里でも春の楽しみだそうです。そうしてアクの抜き方のとっておきの方法を教えてもらいました。切り口に木灰をぬって3時間ほど放置するのだそうです。ワラビと同じ灰を使ったアク取りです。秋田には囲炉裏があり灰には不自由しませんでしょう。私も最近七輪を愛用して家庭菜園に撒くのを残しておけばいいのです。さっそく試してみました。
 2時間たって灰を洗い4つに切りました。
 油で上げたのがこれです。味は昨年のほうが頭頂部でおいしかったようです。今年は昨年の枝芽に当たります。独特のヌメリが昨年のほうが多かったようです。それから木灰の効果は感じられなかった。木灰は野生のタラの芽で何らかの事情で採集が遅れ色が黒くなり相当アクがあるものに効果があるのでしょう。家庭菜園で毎日タラの芽の成長を監視して採集しした物には不要だったと思います。
葉が開いたのは今年二度目の収穫です。翌週まで一週間でここまで成長するとは予想できませんでした。4月17日の今日まで毎週4本5本と収穫して昨年の何倍もタラの芽を堪能しました。来年もう一度収穫して根を煎じて血糖値が下がるかどうか実験するつもりです。家庭菜園がタラの根に占領されないように管理が必要です。

2011年3月28日月曜日

起承転結_承2(入社5年目の躓き 春から夏)

                            
 花見の宴以降Hさんの奔走と根回しが効いてきたのか3人組への同調者は少なくなってきた。ちょうど3人とも同じ眼科へ通っていたので昼休みの往復40分ほど昇格した人の悪口と今後どうするかを毎日話し合ったのでした。
Nさんの言い分
 これまでの頑張りがすべて他人に利用されて何の見返りもなかった。無性に腹が立つ。なにか腹の虫が癒えるようなすっきりするものを見ないと収まらない。
Jさんの言い分
 腹が立つのはNさんと同じ。Sさんの昇格でこれからもこうしたことが続くようになったのはすべて人事権を持つ人が悪い。仕返しのため仕事を遅らせて期日に間に合わないようにするのが、一番効果があるし困るはずだ。ここで3人でグチってもせせら笑われるだけだ。その時の人事権のある人が来てからすべておかしくなった。
 丁度その頃、私に重要な仕事が回ってきていたのです。遅れるようなことがあれば全社的な影響がありました。JさんもNさんも事前に形式的な説明があるから理解できないを連発するとよいと言うのです。私のような平社員は会社からは責任を問われない。すべて人事権のある人の責任になるからあとで調査があっても、何をどのようにしてよいのか説明が悪くて理解できなかったと言えばよい。調査もないだろう。平社員は仕事が出来ないから平社員となっているので処分されることはない。私は一度ポカをすると当分仕事が来ないのではないかと不安を口にすると、JさんもNさんも私の次、初秋にも同じような仕事がある予定で、私の後に続くとの口約束でした。2度か3度失敗があると人事権を持つ人は交替していなくなるとの目論見だった。
 しかしその目論見も会社側からは平社員が処分されることはないが、部内では陰湿なイジメを受けるということまで予測できなかったのです。そしてJさんもNさんも私の後に続くことはなかったのでした。私は人事権を持つ人に恨みはなかったのでした。昇格したSさんには許せないという気持ちだけだった。NさんによるとSさんは犯罪にはならないがどうすれば心にダメージを与えられるかという主旨の本をよく読んでいたらしいのです。もしSさんが神経科の医師なら傷害罪が成立するのではないかというような嫌がらせを受けたのです。2人で組んで行うものです。効果を確認するようにある行為をした後、遠くから2人で私を見て何事かをささやくといった嫌がらせです。今もよくもあのような卑劣なことを考えたものだとあきれるような嫌がらせでした。
 

2011年3月27日日曜日

本能寺の変発生時、数の上では秀吉の天下は決まっていた。


浅井家3女のドラマは羽柴秀吉が柴田勝家との賎ヶ嶽決戦に勝利して、いよいよ名目上の天下人織田三法師から天下を簒奪する手順に入った。


この数年前、浅井家を滅ぼした後、近江の美田と歌われた湖東旧浅井長政の所領、およそ20万石を信長にもらったのである。

ほぼ織田家の出頭人明智光秀とバランスよろしく西坂本城に対比して同じような20万石だが、浅井家の所領のほうが平野が集中しており効率がよいのではと考えられる。なんといっても斉藤道三がうらやんだ近江の美田は坂本城周辺でなく湖東の小谷城、長浜城周辺でした。

2年ほど旧浅井領を慰撫して戦乱の後を鎮めて人心を掌握の後、8000人の兵を徴収して西国兵庫県、当時赤松氏が納めていた播磨の国を征伐に向かったのです。赤松氏の支族別所氏が篭もる堅城三木城を3年近い兵糧攻めで播磨の国を攻略して本拠を中国の雄、毛利氏に近い姫路城に置いたのです。播磨国は近畿の生産力が高い上国で15000人程の動員能力があるでしょう。その後名門山名氏が篭る因幡の国、鳥取城も2年かけて兵糧攻めにして秀吉の領地となった。鳥取県の東半分因幡は動員能力は5000人でしょうか。この時点で秀吉の動員兵力は28000人ほどでしょうか。

福井県、石川県の一部、富山県を領する柴田勝家の動員兵力25000人を少し上回っただけです。柴田勝家には越中富山で境界を接する戦国最強と噂される上杉景勝と戦闘中で全兵力を上方に割けないという弱みがあった。賎ヶ嶽会戦にも20000人で参加しただけでした。

一方秀吉の対毛利方には播磨の西、備前、備中の半分を征服した宇喜多直家がありました。宇喜多直家の所領、備前、備中の半分は当時日本一豊穣の土地です。宇喜多直家は吉井川の下流部の大穀倉平野で戦国大名として身を起こしたのです。

直家はお隣さんの大名を滅ぼすに当り、宣戦を布告して平原で決戦に及ぶというような正々堂々としたものでなかった。絶えずお世辞、贈り物をして油断させ宴会に誘い酔った帰り道、闇夜に弓矢の名手を大勢を伏せた襲撃で城主をあの世に送り
当主がいなくなった城を攻めるという一番確実で安全な方法でした。招いた宴会で毒を盛ったという噂もあります。

多分直家の動員兵力は岡山の半分強の領地でも日本一豊穣の土地らしく20000人ほどでしょう。しかし宇喜多直家には大きな弱みがありました。当時不治の大病に取り付かれており、二三年の命と宣告されていたのです。
溺愛していた一粒種の嫡男は10歳にも満たず自分が墓に入れば、家来たちがよってたかって嫡男秀家を滅ぼしてしまうと考えていたのです。全員自分の前では忠臣面をしているが、自分がいなくなれば幼君宇喜多秀家の直轄領を取り上げてしまうと言う心配です。自分の今までの行いが悪いという罪を背負っていたのです。かくいう秀吉も信長の直孫から天下を奪ったために豊臣秀頼の行く末をとても心配したらしい。安心して往生できなかったのです。因果応報です。直家はせめて数年、当主の地位を維持して成人するまで領地を守ってやりたいとそれだけが直家の願いだった。

成人した後の失敗で宇喜多家を滅ぼしてしまうのは戦国の習いであの世からも諦めがつくが、世の中の理屈も分からない少年時に滅ぼされるのはあまりにも不憫という理屈でしょう。
裏切り騙しでのし上がった男だけに家来もそうだという考えに取り付かれたのです。秀吉の調略が直家に伸びてきたときのやり取りやその戦いぶりから、後の豊臣秀吉こそが溺愛していた一粒種の嫡男を保護してもらい託せる男と睨んだのです。秀吉なら天下人になるとまでは思わなかったでしょうが、戦国乱世を生き抜く器量と
見込みを付けたのです。それでも全面的に信用できないが絶対安全に秀家を保護してもらえる策を考えました。

宇喜多直家は頭がいいのです。次回は宇喜多直家の戦略考えを書きます。

2011年3月20日日曜日

タラの芽が弾けました。新芽が冬のこげ茶のベールを脱いだのです。収穫までもう少しです

 2010年7月2階に達したタラの木に菜園が占領されてしまう恐怖をおぼえて強めの剪定をしてしまい、成長が止まりました。剪定時と同じ背丈でこの春を迎えました。一時は昨年と同じようなタラの芽の収穫をあきらめましたが、茶色のベールの中ではタラの芽は成長していたのです。2011年3月19日茶色の冬用の薄皮を弾き飛ばして、緑色の発芽前のタラの芽が出たのです。
 昨年収穫した脇芽の場所の新芽です。地面の茶色いのは昨秋集めたケヤキの落ち葉です。ケヤキの落ち葉を敷き詰めたことで環境は野生のの山と同じです。
 大きさは少し小さいです。
これが一番大物になりそうな頂点の新芽です。昨年より小ぶりなのは仕方がありません。成長が止まってから今年の発芽をあきらめたのですから、ないよりはましです。もう少し大きくなって蓄えた栄養を爆発させてほしい。収穫時にはもう一度アップします。