心の片隅でお墓のことを考えた時から新聞の折込のチラシで家から数キロの霊園が毎日のように目にするようになりました。その目玉商品(一番安いお墓より50万程安い)は手が届く金額なのです。週単位で心の中にお墓のイメージが成長していったようです。取り返しがつかないことですが、生家を出て以来、実家の法要に一度も参加していないのです。私が参列しない言い訳のために実家の家族が肩身の狭い思いを何度もさせたことが繰り返し思い出していったのです。そしてお墓を考える機会が増えていきました。お墓のことを思い浮かんだ日以来、毎朝の通勤でも遮断機が下りた踏切に近づくと上がるとか、赤信号に出会わなくなりました。仕事でもトイレに行ったタイミングなどで自分に嫌な仕事が廻ってこなくなりました。3月の末にはパソコンでこれができたらどんなに楽になるかというアイデアが浮かびました。とうとう朝から雨なのに霊園に行ってみたくなり車をガレージから出そうとすると薄日が差していました。霊園では傘を差さずに見学できました。3月ごろは一対で6万円のローソク立てがサービスでしたが、現在はローソク立てがチラシから消えていたのでそれを聞くとセールの時期は過ぎたが購入していただけるならサービスしましょうとのことでした。こうした幸運の事象が墓と因果関係があるかはわかりません。関係がないと言われれば反論できないのです。とにかく遮断機の上がった踏切、青信号の交差点が続いているのは事実です。
下の写真はまだ3段の石がない縁石・巻き石だけの特売品の墓地です。左がまだ所有者が未定、右のプレートのあるのが売却済みでしょうか。特売品で面積の狭いのは仕方がないでしょうが、耐えがたいのは左の完成品の右端を見てください。石がフタをして地上に露出した赤土が全くないのです。
完成品の前面もそうです。境界の縁石・巻き石を土台の板状の石が完全に塞いでしまう構造です。もし先祖の霊がありこれに宿るというなら夏は蒸し暑く冬は極寒、密閉状態ですから息苦しい限りです。墓地を管理する石屋さんに土台を小さくして地面を出せないかと相談すると墓石の規格を変えるとこんな値段では提供できませんとのこと。あと50万円以上出せば少しだけ赤土を出せるランクのお墓がありますとの返事。
最後の写真がずいぶん悩んでから購入を決めた赤土が露出できる墓地です。左の完成したお墓の白黒の玉石を敷いた部分が欲しかった赤土の部分です。左右両側にある煙草の箱ぐらいの土地が50万円とは銀座より高い。玉石は雑草が生えないために置いているそうですが私は雑草を管理するつもりなので不要です。霊園は家から車で10分の距離です。今までお墓参りをしなかったのを補うつもりです。おかげさまで現在自分は、南側が道路の家で、差し込む朝日で目が覚める部屋で寝ています。お墓も当然朝日が射し込むよう東面のお墓です。少し高かったのですが。
お墓を購入してからなんとなく心がどっしりしたようです。自分の感覚ですが性根が座った感じです。お墓とは生きている人の最後の心のよりどころのようなものでしょうか。