
・工場の住宅地転化論 昭和40年代構造不況に陥っていた日本の繊維産業、ガチャ万と言われた工場を手放さないで企業のリストラクチャの原資にしたのです。バブルの時は少しづつ売って莫大な利益をだし土地持ち繊維企業は生き残っているのです。カネボウはつぶれたようですか。工業製品生産を中国などに移転して日本の工場が稼動しなくなっても売りに出されて住宅に変るかどうかは分からないのです。また大都市近郊の駅近くに大きな工場は少ない気がします。よほど古い大企業で鉄道ができる前に工場があった場合は別でしょうが、駅近くは社員の通勤に便利ですが、大企業といえども至便の地はまとまった大きな工場用地は取得しにくくコストも大きかったはずです。
一方私の見解は2005年夏で住宅地価は大底を打った。宅地が欲しい人は今から物色し、来年の春には実需となるだろう。早く中古物件を買わなければ手持ちの資金では買えなくなる。とにかく住宅土地の手当てを急がなくては。家の方はお金が出来たとき新築すればいいのではないか。もうボロアパート暮らしは卒業しよう。こうした偉い人の市場予測を真に受けて売り急ぐ人がいるかもしれない。一方虎視眈々と不動産底値買いの機会をうかがっていた人は、この番組を見てもう少し様子見と決め込んだかもしてない。えてして最高の機会にはこうした邪魔がなぜか入るものです。ありがたや。私の住宅購入希望条件。近くにスーパー2軒、銀行4つ、郵便局、病院ある駅から徒歩5分以内。早朝から夕方まで日が当たる南向きで家庭菜園がある。車庫が作れる広さ。築20年以上のリフォームすれば住める古屋が付いていること。出来たら高級住宅地に住みたいと身の程をわきまえないわがままなものでした。しかしあの評論家先生達のおかげか希望はすべてかないました。不動産屋との契約は2005年秋ですが、2006年に入ると不動産屋に呼び出され年明けから、今まで売れなかった物件が全部売れた。お客さんの予想は当たっているのかもしれない。どうでしょうか。200万円ほどの利益と引き換えに買い戻したいとか言い出した。2度と手に入らない物件ですからと売却を断ると購入した不動産屋に依頼していたリフォーム工事をなかなか始めなくなりました。すったもんだの挙句別の業者にリフォームを依頼して、外国人も住んでいた月1万7千円のボロアパートからこの家に引っ越したのは2006年6月でした。周囲のフェンスもま新しい三角の空き地に、すぐに里芋、トマトを植えたのがこの写真です。大きな石もありまだ土は硬かった。写真右側に移っている汚いものは、前の住人が使っていた畳2枚です。現在は腐葉土に変っています。
生ゴミもあまり汁こそ出ませんが、ゴミに出し忘れると腐って悪臭を放つのは同じです。写真の生ゴミ処理用の穴は雑草の色鮮やかです。今年の夏に撮影したものです。穴の周囲で黒くなった点のようなのが一ヶ月ほど前に堆肥となり、家庭菜園に撒く時こぼれた残りです。夏なら一ヶ月ほどでミミズがするりと潜る堆肥になります。
一つだけあった深みのある味の茶湯を抽出したビール樽型備前焼急須ですが、備前祭りから一ヵ月後少しの高さから木の床に落としてしまった。大きな音を立てて粉々に割れてしまったのです。この程度の高さなら備前焼急須は割れない高さなのです。コンクリート床、浴室のタイル張り床ならあきらめるのですが、当時住んでいた昭和30年建築の一番安いボロアパートです。炊事場の木の床は固い」弾力を失い足を乗せると恐怖を感じた。焼き物にはやさしい炊事場の木の床だったのです。内側に傷がなかったら無事だったのかも知れません。いつまでも割ってしまったのをくよくよしたのは備前焼祭りのどこの会場で買ったのか思い出せないからです。つまり店が分からないので同じものを入手できるか保障がないからです。一応割れた破片を大切に保管して次の備前祭りにそなえました。




