2011年1月25日火曜日

起承転結_起(入社5年目の人生最大の躓き)

半年ほどの研修の後JさんとNさんが活躍していた職場に配属されたのは入社後5年ほどたった頃でした。新しい職場は膨大なデータの計算をバッチ処理でコンピュータにさせるプログラムを作成することでした。現在のようにサーバーやPCは普及するほど安価でなく、コンピュータといえばエアコンの効いた専用の大部屋がありそこにデンと鎮座する高価な汎用コンピュータでした。
それは私が入社した時期より大昔に会社が購入した超旧式の汎用コンピュータで言語はメンテに稼働がかかるアセンブラ言語でした。処理スピードは当時主流の高級言語より格段に早く高価なメモリなどのリソースを食わないなどの長所がありますが、あまりにも人件費がかかりその当時でも戦闘機のミサイル軌道計算や人工衛星など採算を度外視出来るシステムにしか使われていなかったアセンブラ言語でした。新汎用コンピュータを買うお金がなかったのも理由の一つですが、新コンピュータを導入すればその間システムを止める必要があり、業務量が数年で急拡大して新しい大容量の汎用コンピュータを導入できずにアセンブラで大容量化に対応していました。
 職場は全員アセンブラという特殊技術を持った技術者で他部門から人を入れても向き不向きがあり使い物にならないという危険性があった。アセンブラの向き不向きは頭がよいとか偏差値が高いとか全く無関係なものと言えます。向いていない人はどれほど頭が良くても努力しても上達しないのでした。転勤した人と入れ替わりに新しい人が来るようになっていなかった。転勤はたいてい昇給昇格を伴っていました。同じ職場で昇格は難しく昇給するには転勤しかないのが実態でした。技術が高く有能な人ほどなくてはならない人材となり昇給できなくなっていました。本当は人事権のある人がシステム大改造のために手放したくなく、転勤のチャンスがあっても、協調性がないとか理由を付けられて握りつぶされているという噂でした。
 出来る人の人事への不平不満が充満していました。JさんもNさんも10年以上転勤なしで定期昇給しか昇給していません。よその会社に転職するにもアセンブラではつぶしがききません。アセンブラが分かるならどんな言語にも対応できるというのは素人考えです。
 Jさんの得意技は特定のデータが処理される時期を変更する大規模な工程の変更です。グループ変更と言っていました。データベースならセレクト文で抽出してそれに対してアップデートを実行するで済みますが、磁気テープで1データづつ処理していた当時では大規模な工程処理になります。これを短期間で成し遂げられるのはJさんだけでした。当然全体のシステムを把握してるのが大前提です。やはり10年以上の経験が必要なのです。NさんはアセンブラOSに精通しておりメンテを楽にする共通モジュールが得意でした。実行ステップのメモリ番地をすべて表示させるトレースソフトを作成したのもNさんです。バグ発見に大幅な時間短縮を成し遂げた画期的な業績です。それを文書でまとめ自分の手柄にして栄転した上司がいるのです。暇があれば他人が書いた分かりにくいシステム設計書を読破しており、システム全体を把握しているのはJさん以上かもしれません。大勢の上司が大きな仕事の前にはこれでできるかとNさんやJさんに相談するのが普通でした。お二人は日常はチヤホヤされていたのです。どうしたわけかお二人と仲が良くなり3人で昼食に行っていました。キーマンであるお二人と仲が良いのが最若年の自分の密かなホコリだったのでした。技量がほとんどない人を相手にしないのがそうゆう人の常だからです。
 配属されて3年目でしたか、技量が普通でいつでも転勤出来る人が人事権がある人のハートを掴み突然転勤なしで内部昇格したのでした。50人近い同僚のやっかみが強く昇格した人以外人事権のある人と口をきかなくなったのです。桜の花見の宴を昇格した人と人事権のある人に声をかけないで開きました。そうして彼らの悪口を言い合って不満を晴らしたのでした。JさんNさんと私はこの頃から一層緊密になりました。3人組に共通するのは転勤なしで昇格したSさんへの憎悪でした。他人は利用するためにあるとSさんが考えていると仮定すれば日頃の言動がすべて説明できるのです。JさんとNさんはこれまで苦労してきたことが、他人の批判ばかりしてきたSさんのお手柄にされてしまったことが気に入らなかったようです。私の方は経験が浅かったので手柄になるような仕事はしていませんでした。

2011年1月10日月曜日

大きくなりすぎた朝顔(想定外の生命力)

花は数輪咲いたらの希望でした。この段階までは種の栄養で育ったが、これ以上は側溝の隙間だけではとうてい無理なんじゃないかと心配していました。
8月の後半こうなりました。朝顔の向こうに剪定したタラの木がありますが、まったくみえません。南向きの日光を朝顔が独占しました。側溝の養分だけでこうなるわけがありません。朝顔の根は側溝のコンクリートを突き破ったか隙間から家庭菜園に達したような気がしました。循環型家庭菜園として、せっせと投入した野菜果物の生ごみ堆肥や落ち葉堆肥を朝顔が相当消費した気がします。側溝に種をまいたのもそうならない願いを込めたつもりです。
 このように2階にまで朝顔のツルが進出したのです。野菜のための肥料を消費していると思わずにはいられませんでした。もはやタラの木の朝の東からの日照権でさえ完全に奪い、タラの木を日蔭者にしています。朝顔は恐ろしい。川辺で自生しているのを見かけました。 最後の写真は晩秋に家を覆うようになった朝顔を処分して1週間たった根元の部分です。かわいい二葉どころかしおれる前は蛇が緑色の棒に巻きついているようでした。黄色いのは比較のための鉛筆です。循環型家庭菜園に朝顔のツルや葉っぱを入れたかったのですが、種がたくさんありゴミ収集車のお世話になりました。来年何十個の種が発芽したらと考えると引き抜く手間が追いつかなくなります。もう朝顔はこりごりです。

2011年1月8日土曜日

タラの芽収穫後のタラの木

タラの芽収穫から2か月後のタラの木です。南向きの家庭菜園に降りそそぐ日光と蓄えた有機肥料分は信じられない成長を見せました。なんと樹高が2階に達したのです。このままでは根が張りすぎ家庭菜園をタラの木に占領されてしまうという恐怖心が起こりました。その恐れが強めの剪定につながったのです。そして日光が大好きなタラの木にも日照権を争う恐ろしい敵が写真に写っていました。写真では手前の金網にひ弱に伸びる朝顔のツルです。これがひ弱ではなかった。とんでもない花でした。この金網全部を占領してタラの木の日照権を奪ったのでした。

庭木などでは強めの剪定は著しく樹勢にショックを与え何年か成長を阻害するものがあるそうです。このタラの木も朝顔の日陰になり剪定のショックからか剪定以降成長が止まりました。
最後の細長いのが現在の写真です。現在は葉が落ちて冬の装いです。この春に2010年春のように4か所から大きな芽が出るか未知数なのです。一回り幹が太くなった気がしますが、面積と厚くなった木皮に蓄えられた養分が3月に発芽となって爆発してくれたらいいのですがよい方に事が運ぶか心配です。両手四直紋の運気に願いを賭けます。どうせ来年あたりタラの木は家庭菜園から撤去するつもりです。タラの芽は年に1日しか楽しめないからです。

2011年1月3日月曜日

黒い土はこうした努力の積み重ねです(リサイクルと循環型菜園)

炭火は雑煮をおいしくしたり、正月のお茶を美味しくしただけで役目を終わらせるのはもったいないです。副産物として木灰が出来ます。茶ガラの乾燥に使うのはいろんな薬品が入った煙草の灰で十分です。この灰は奮発した白炭の灰なのです。不純物ゼロの正月用の炭です。茶ガラのタンニンで中和してもらう必要が全くありません。直接南側が道路の家庭菜園に入れても大丈夫です。
下の写真で右半分が白いのは昨年のカレンダーの裏です。所有者への最後のご奉公です。新聞のチラシも最近は裏が白いのはパチンコ屋の広告ぐらいでそれも写真撮影すれば表の文字が写るかもしれません。備長炭の最後のご奉公が家庭菜園にまいた写真の左側です。燃え残った炭がありますがバイオリアクタとしての最後のご奉公の仕事があります。カレンダーの上に乗っている黒い物は当然、こうした努力の積み重ねの象徴である菜園の黒い土です。

2011年1月2日日曜日

落ち葉リサイクル やっぱり落ち葉堆肥は効果絶大

通勤帰りに、はらはらと落ちるケヤキを見て家庭菜園のこれまでを振り返りました。失敗の連続だったナス科トマト、ジャガイモですがジャガイモが2年連続うまくできたのはケヤキの落ち葉の堆肥のおかげと再認識した。ネットによるとジャガイモは肥料のやりすぎはいけないらしい。確かに原産地アンデスの高原は肥沃ではないようです。落ち葉堆肥は油粕などの人工肥料の吸収を抑止する作用があるとか。なんにせよおいしいジャガイモが取れたのでした。落ち葉堆肥作成の準備として2007年と同じく真ん中の溝を出来る限り掘りました。三角の頂点奥が一番深く掘れます。手前は大きなコンクリートの塊が埋まっており浅いのです。
可能な限り畝を高くして目いっぱい掘りました。落ち葉堆肥の準備完了です。
次の週になりましたが、最初の落ち葉の一杯を入れました。透明なごみ袋80cmX90cmにケヤキの落ち葉をぎゅうぎゅう詰めにしたのを2袋自転車に積んで運びました。
2008年の記録と同じゴミ袋40杯分です。40杯集めるのに2週間かかりました。これに水をかけて足で踏みこみ藁でできた畳一枚を載せています。来年2012年1月に土に混ぜる予定です。下の写真は引っ越してきて間もない2006年秋に、同じ南側が道路の家庭菜園を2階から撮影したものです。右端に写っているプラスチック製のものは壊れた雨樋です。当時から少しでも有機物を入れようと種がついていない雑草を三角畑に敷いて枯れたのがあちこちに写っています。今の黒い土はこうした努力の積み重ねです。でも当時は本当の荒れ地に里芋が生えていました。小石だらけでした。現在は荒れ地は、乾燥が続いても水分を保つ黒土に変わり指を入れてもすっと入ります。
今年は里芋の植え付けをやめます。両側の畝で葉物野菜を細々と栽培します。

2011年1月1日土曜日

スーパーで買った里芋と有機肥料による自家栽培した里芋

スーパで買った里芋を皮むきしようと包丁を入れた時透明でした。除去しないでとても食べる気がしませんでした。これは親芋とつながる根の部分です。化学肥料か砂地などの水のやりすぎがこうなるのでしょうか。
反対に上の方向芽の部分が下の写真です。芽のほうは半透明になることはめったにありません。成長点があるからでしょう。ここが半透明になった里芋を一度買いましたが食べる気がしなくて買った里芋全部を刻んで有機肥料になってもらいました。。
皮をむいて半透明の分布がどうなっているか分かりました。ケーキのようです。
下の写真が2009年ケヤキの落ち葉堆肥で作った写真です。みずみずしさと白い根が見えるので買った里芋ではありません。親芋とつながっていた根の方向部分を切ってもおしろい花の種のように白かった。何年もかけて有機肥料を継続してきた苦労が報われた気がします。落ち葉堆肥の見返りは確かにありました。

炭火で沸かしたお湯はお茶を美味しくさせる(正月の煎茶はやっぱり炭火で)

今日の元旦の朝時間がたっぷりあるので、炭火を起しました。抹茶の茶会ではガスコンロで鉄の茶釜を沸かしません。今までガスで沸かした湯、炭火で沸かした湯どちらもH2Oなる個々の分子粒子を激しく震動されるだけで同じと信じていました。抹茶の茶会で炭火や管理した木灰を使うのはムード、恰好を付ける、儀式的なものでお茶の味にかかわる理由があるなんて夢にも思わなかった。昨年餅を焼いた後、残り火で上に何かで覆わないと紙が落ちたりすれば正月から家を失うなどと心配して鉄ビンに水を入れたのを七輪に置いておいた。忘れたころチンチンとお湯が沸いたのでせっかくと茶を入れるとこれがガスコンロで沸かしたお湯で入れたお茶と全然違うのです。
 個人のし好の問題ですが、苦味が消えて渋みが出てきます。苦味が消えて渋みが増すのは自分の好みに合います。煎茶と炭火はよく合います。抹茶の茶会に炭火が出るのは儀式でないというのがとてもよく分かりました。炭火を使うのは合理的な理由があったのです。
ちなみに根拠はありませんがお湯はH2Oでなく(H2O)nです。H2Oは蒸気だった。このnの値が炭火では小さくなるのではと思いますが、重要なことは炭火はお茶を美味しくさせるということです。ところで私の鉄ビンは内部を加工していなく赤い錆がいっぱいあります。元旦今日の雑煮は炭火で煮ました。心なしか餅が柔らかく溶けないでさめにくい気がします。