南向きの窓辺に置いて日光に当てると、一週間で大玉トマトの色が白から赤に変わりました。白いまま収穫したのは正解でした。大玉トマト全体の負荷を確実に減らせたからです。大玉トマトも子孫を残したいでしょうから次の青いトマトを早く大きくして完熟させようとするでしょう。食事情が悪い国ほど多産で幼児期に死亡率が高いのと関係があるのかもしれません。
大玉トマトに包丁を入れました。研いだばかりでしたが引いて切った感じが少し硬いようです。
花があった方向から包丁を入れましたが、最後に軸のところでさらに抵抗を感じた。青○の部分です。よく見るとこの大玉トマトに養分を供給していた部分が空洞になっています。水分が南向き窓の日光で蒸発して枯れた状態になっていたのです。硬いはずです。それでも勝負砥石で研いだ切れ味は枯れたほぞを上回り刃こぼれもしないでスパッと切れたのです。大玉トマトの味のほうは歯ごたえがあり幼児のころ初めて食べたトマトの香りがしました。酸味より甘みが強く水っぽい市販のトマトとは別物と断言できました。濃厚なトマトでした。改めて野菜くずを自家製肥料にした循環型菜園のすごさを味わいました。2階から撮ったトマトの写真です。今日数えると大玉トマト予備軍が6個ありました。早く白く大きくなあれ。霜が来る前に。
2011年10月22日土曜日
2011年10月17日月曜日
二つ、三つ目の大玉トマトのために枯れるまで頑張ります。
落ち葉堆肥以外にあるもう一つの武器です。果物の皮、野菜くずを集めて熟成させた完熟堆肥です。今年一年の成果である風呂桶で発酵させたとっておきの堆肥を投入します。大玉トマトに失敗しても完熟堆肥は来年のジャガイモに引き継がれるはずです。土の中の完熟堆肥は一本の大玉トマトで完全に消費されることはあり得ないでしょう。
バケツに野菜くずの堆肥がありますが、トマトの根の周囲にある黒い完熟堆肥は昨日の大雨以前に撒いた堆肥です。有効成分は雨で何時間もかけて土に入っています。すでに大玉トマトは成分の一部を吸収している気がします。今日の快晴で根も活気づくでしょうう。大玉トマトに残された時間は少ないのです。
大玉トマトの敵である3本の脇芽を見つけたので除去しました。すべての養分を大玉トマトに集中してほしいものです。
大玉トマトが、2mほどの真竹の支柱を追い越したので2つのフェンスの頂点を張り巡らしたテープに幹を添わせました。植え付けが7月中旬で後れを取り、冬が来るまで残された時間は少なく、南側が道路の家庭菜園の日光をエネルギーをすべて大玉トマトに集めたいものです。
バケツに野菜くずの堆肥がありますが、トマトの根の周囲にある黒い完熟堆肥は昨日の大雨以前に撒いた堆肥です。有効成分は雨で何時間もかけて土に入っています。すでに大玉トマトは成分の一部を吸収している気がします。今日の快晴で根も活気づくでしょうう。大玉トマトに残された時間は少ないのです。
大玉トマトの敵である3本の脇芽を見つけたので除去しました。すべての養分を大玉トマトに集中してほしいものです。
大玉トマトが、2mほどの真竹の支柱を追い越したので2つのフェンスの頂点を張り巡らしたテープに幹を添わせました。植え付けが7月中旬で後れを取り、冬が来るまで残された時間は少なく、南側が道路の家庭菜園の日光をエネルギーをすべて大玉トマトに集めたいものです。
2011年10月16日日曜日
大玉トマトの収穫(大玉トマトが野鳥や虫に食べられたり、初霜にあたる前に収穫します)
大玉トマトを見つけて以来、朝の通勤前に毎朝監視しています。早く赤くならないかとそればかり見ましたが、一週間では僅かに白くなった程度です。あさっては低気圧が北海道の東に進み平地でも降雪の寒気が来るとお天気予報です。霜ももうすぐです。野鳥もようやく餌が少なくなり大玉トマトが赤くなれば食べられると判断するかもしれません。いろいろ考えた末、生命力が強いアンコウは確実に火が通った鍋に入れてフタをするという格言通りに収穫を決めました。
1週間前より青から白、ひいき目に見て黄色になっています。プロの農家は色づく前に収穫して店頭に並ぶころには赤いトマトになっているそうです。この白いトマトを切り離したことで養分が他のトマトに向かうのが促進されるという期待もあります。大玉トマトも枯れる前に確実に種を熟成させ子孫を残したいでしょう。大玉トマトに残された時間は少ないのです。屋内で赤色に熟成するつもりです。これで野鳥、害虫の心配は消えました。
大玉のトマトが3度目の挑戦で一つだけ実がなりました。冬の使者:霜さんにはあと一カ月待ってほしいです。
2011年07月17日 日曜 家庭園芸のコーナーで1本の大玉トマトが売れ残っていた。苗は長さ30cmほどで、植付けの時期が2ヶ月ほど過ぎているのはわかっていました。梅雨はとうに明けており明けの猛暑のせいか先端部分しか葉っぱがなく、時期的に考えてもあと1週間で処分されるのは当然予想される運命でした。なんだか売れない買い取り手がいないペットショップの犬や猫を見ている気になったのです。このままでは可哀そうでなないか。幸い今年は里芋栽培をやめて家庭菜園は遊ばしている。何かの縁と考えてその一本を買いました。2ヶ月経った9月2mほどに成長しました。また茎だけが大きくなりろくな実をつけないだろうと自分で植えたにもかかわらず注目もしていなかった。7月に植えてまともな大玉が出来るとはとても期待ができないのです。これまでのように黄色い花が咲いてすぐに落ちるだろう。実を付けてもピンポン玉程度で霜か初雪で苗が枯れてしまうのが落ち程度に考えていた。
少しピンボケしていますが、これが最下段最初に付けた実です。大きさはピンポン玉より小さく成長が止まりました。出来が悪い売れ残りを買ったのだから当然と期待していなかった分、損をしたという感覚はなかった。茎が2m以上に育っただけで満足していたのです。10月に入りもうひとつ見つけたのです。これが中断の大玉トマトです。右の赤い丸は絶縁テープです。このトマトが店で売っているトマトと同じ大きさに育ったという証拠品です。トマト栽培のプロである農家でも大玉トマトは難しいそうです。たった一つでも落ち葉堆肥が起した奇跡の証拠品のような気がしてきました。
3枚目の写真はトマトの一番高い位置に同じ枝から出た3個の実です。大きさはピンポン玉より一回り大きい程度です。同じ枝から3個は時期的には無理だろう。残り2つのトマトのために真ん中の大豆程度の青いトマトを除去したのです。糖度を知りたくなり吐き出す体制のまま口に入れました。渋くて苦いと先入観を持ったまま噛みました。信じられないことに濃い甘みがありました。落ち葉堆肥を入れてから3年目ですが、ケヤキの落ち葉堆肥の奇跡としか考えられません。最下段のトマトも上段の実のために撤果して食べる予定です。
2011年10月9日日曜日
これまで一番の料理は9枚の白無垢の小皿に盛りつけていました(京は和食の都、京都御所は和食のふるさと)
いつかは市内の路地の料亭で食べたいと願っていたが、その路地には見渡して数件の料亭がありました。どれも間口の狭い京町屋造りです。料理を出してくれるお店だとはわかるのですが献立表、オシナガシなどましてやサンプルも何もないのです。知らない町で値段のわからない店に入るほど不安なことはありません。どうも一見客を意図的に拒否しているようです。一軒だけ変な読みづらい字体で昼食3000円と張り紙していましたのでここに決めたのです。これだけの密度で飯屋があるとどこに入っても同じレベルに違いない。そうでなかったら淘汰されて閉店に追い込まれるからです。入り口の杉戸を開けると玄関では線香とは違うタイプの甘い香の匂いが迎えてくれました。もう一度引き戸を開けて「一見で一人でよろしいか」と聞くと招き入れてくれました。小さい庭に面したカウンタ席に案内されたのです。波目模様と自然石はあの有名な禅寺を模したのでしょうか
左はそばつゆでなく本場の番茶です。右が以後の料理にすべてかかわってくるお店の最高機密の汁ものです。具はそうめんとどこまでも膨らんだ薄く柔らかい京あげです。味付けの濃い尾張で育った信長が、最初に出会った京料理の汁ものに口を付けた時変な顔をしたという恐ろしく薄味の汁ものです。なんというか酸味が始めに感じられ苦くなる一歩手前の濃い鰹の味がするのです。20年前ならおいしいとは感じなかったでしょう。香港の中華コースにも最初に血抜きした鳥ガラをベースにした薄味のスープ(清湯)が出ます。あれと同じような気がします。共通しているのは最初のスープがあとの料理の下味となる点です。その多くの材料で作られた清湯は当然最高の企業秘密です。
そうめんの汁ものを平らげると出されたのが9つの白無垢の小皿に別々に盛られた料理でした。上段の左から3番目は2度目来店のサービスにつけてくれた活きの黒マグロの中トロだそうです。この前は湯通しした鰆2切れでした。海から離れた京都の魚に期待していなかったのですが噛むと甘い油がどっと出てきて歯ごたえのあるトロのようでした。黒マグロよりサワラのほうが個人的には好きでした。京都出身の方に聞いたのですが9品の小皿の料理は昔からの京料理の正当な形式だそうです。味はそうめんの出汁が効いているのかすべてこれまでで最高のものでした。因みにこの小皿は裏にも模様がなくどう考えても朝鮮李朝の白磁ではないのです。安物の小皿です。料理が素晴らしければ器などなんでもいいのです。器にこだわった魯山人も本当の自信がないから器に頼ったのかもしれない。
下段の左から3番は魚の握りではなくみょうがの握りでした。精進料理のようです。お米とみょうがの味しかなく9品の中で味が一番劣りました。みょうがの握りは自分にとって初物でしたので拡大しました。みょうがの左は玉ねぎの煮込みで恐ろしく甘く柔らかかった。
そうめんの汁ものから一転して少ししつこいしょうゆ味の効いた汁ものです。牛肉の薄切りのようですが、牛より味が出る豚肉をドライ乾燥したのを戻して薄切りして最初のそうめん汁の出汁で煮つけたものです。こってりとした味に強い鰹の旨みを感じました。塩味のおかげでより強くなった気がします。これに中華めんを加えると和風ラーメンに十分なりえます。和風ラーメン発祥は京都のような気がしてきました。ずいぶんあちこちの和風ラーメンを食べ歩いたがこの味には程遠い気がします。最大の原因は化学調味料が障害となっているのではと考えます。
小皿と言え9品を食して満腹になったのです。最後に九条ネギをあしらった煮込みご飯がでました。やはりそうめん汁がテーマのように下味を付けていた。満腹でもおいしい物はネジ込めるものでした。なんとか茶碗2杯分を残さずに食べきりました。
左はそばつゆでなく本場の番茶です。右が以後の料理にすべてかかわってくるお店の最高機密の汁ものです。具はそうめんとどこまでも膨らんだ薄く柔らかい京あげです。味付けの濃い尾張で育った信長が、最初に出会った京料理の汁ものに口を付けた時変な顔をしたという恐ろしく薄味の汁ものです。なんというか酸味が始めに感じられ苦くなる一歩手前の濃い鰹の味がするのです。20年前ならおいしいとは感じなかったでしょう。香港の中華コースにも最初に血抜きした鳥ガラをベースにした薄味のスープ(清湯)が出ます。あれと同じような気がします。共通しているのは最初のスープがあとの料理の下味となる点です。その多くの材料で作られた清湯は当然最高の企業秘密です。
そうめんの汁ものを平らげると出されたのが9つの白無垢の小皿に別々に盛られた料理でした。上段の左から3番目は2度目来店のサービスにつけてくれた活きの黒マグロの中トロだそうです。この前は湯通しした鰆2切れでした。海から離れた京都の魚に期待していなかったのですが噛むと甘い油がどっと出てきて歯ごたえのあるトロのようでした。黒マグロよりサワラのほうが個人的には好きでした。京都出身の方に聞いたのですが9品の小皿の料理は昔からの京料理の正当な形式だそうです。味はそうめんの出汁が効いているのかすべてこれまでで最高のものでした。因みにこの小皿は裏にも模様がなくどう考えても朝鮮李朝の白磁ではないのです。安物の小皿です。料理が素晴らしければ器などなんでもいいのです。器にこだわった魯山人も本当の自信がないから器に頼ったのかもしれない。
下段の左から3番は魚の握りではなくみょうがの握りでした。精進料理のようです。お米とみょうがの味しかなく9品の中で味が一番劣りました。みょうがの握りは自分にとって初物でしたので拡大しました。みょうがの左は玉ねぎの煮込みで恐ろしく甘く柔らかかった。
そうめんの汁ものから一転して少ししつこいしょうゆ味の効いた汁ものです。牛肉の薄切りのようですが、牛より味が出る豚肉をドライ乾燥したのを戻して薄切りして最初のそうめん汁の出汁で煮つけたものです。こってりとした味に強い鰹の旨みを感じました。塩味のおかげでより強くなった気がします。これに中華めんを加えると和風ラーメンに十分なりえます。和風ラーメン発祥は京都のような気がしてきました。ずいぶんあちこちの和風ラーメンを食べ歩いたがこの味には程遠い気がします。最大の原因は化学調味料が障害となっているのではと考えます。
小皿と言え9品を食して満腹になったのです。最後に九条ネギをあしらった煮込みご飯がでました。やはりそうめん汁がテーマのように下味を付けていた。満腹でもおいしい物はネジ込めるものでした。なんとか茶碗2杯分を残さずに食べきりました。
これまで京都市以外で1万円以上の大金を払って食べてきた京懐石、京都で修業した板前の京料理とかいった料理は何だったのだろう。確かに薄味で京都で修業したのは事実だとしても、途中で自分は芽が出ないと悟ったか、板前修業のあまりの辛さに途中で逃げ出した落ちこぼれの料理人が作った料理に大金を払った気がしてならない。もちろんすべての京都以外の京料理店を食べ歩いたわけではないので本物の店もあるでしょう。たまたま自分が運が悪かっただけかもしれないが、しみじみと京は和食の都の感が強くなりました。この和食の材料の名前がついた路地の名前を生涯忘れないと思う。
2011年10月4日火曜日
マツタケ専門店を見つけました。現在は松茸だけを販売しています
京都市内のとある商店街に紛れ込みました。糺すの森に向かっている時、寄り道をしたのです。これまで見たこともないお店を見つけたのです。まつたけの単品販売の専門店です。大ぶりに編み上げた青い竹かごが壁にかけていました。これで中にまつたけを入れて店に届けられたのでしょう。以前の失敗で数千円を棒に振ったのを思い出し、ちらりと見ながらゆっくり通り過ぎました。さらえまか: まっ、まっ、まつたけを買いました 日本産との触れ込みです2009年9月に買った松茸が日本産でないのはよくわかったのです。相当な関心をもって通り過ぎた後、同じ商店街で喫茶店を探しました。とりあえず地元の評判を聞いてみようと50m離れた喫茶店に入りました。咽が乾いていたのでお水とアイスコーヒーも欲しかった。煙草も欲しくなった。そこでおしゃべり好きなママに外国産を日本産という触れ込みで販売していないかなどとそれとなく聞いてみたのです。そんな噂はないとのことでした。以前買った場所は一見客が多い有名観光地、近くに有名料亭が多いこの商店街でそんな商売をすれば客が寄り付かなくなるとのことでした。喫茶店を出てすぐに引き返しました。立ち止まって丹波産と表示の松茸を見ていたが店員は近付いてこないのです。この態度で性懲りもなく購入を決めました。子供のころ郷里で経験したあのコリッとした歯触りをもう一度経験したいの思いが強くなりました。
炭火をおこしました。2009年9月の時も焼きまったけをしようとしたのですが、手で裂けないのです。裂こうとすると折れるのでした。仕方なく包丁で切って土瓶蒸しにしたのが本当の事情です。
しかしこの丹波産と触れ込みの松茸は手で裂けました。茎の繊維がしっかりしているのです。満足したのはコリッとした歯触りです。そして噛むと少しヌメリがあったのです。前のはぼそぼそとした歯ごたえでした。香りは今回よりありましたが。間違いなく日本産でしょう。
看板に松茸専門店と書いていたのにびっくりしたのはまつたけの季節は今の時期だけで長くて3カ月です。12月から8月までは何を販売して暮らすのだろうかという余計な心配です。正月以降再び訪れてこの店が何を売っているのかまた楽しみが増えました。
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