2011年3月28日月曜日

起承転結_承2(入社5年目の躓き 春から夏)

                            
 花見の宴以降Hさんの奔走と根回しが効いてきたのか3人組への同調者は少なくなってきた。ちょうど3人とも同じ眼科へ通っていたので昼休みの往復40分ほど昇格した人の悪口と今後どうするかを毎日話し合ったのでした。
Nさんの言い分
 これまでの頑張りがすべて他人に利用されて何の見返りもなかった。無性に腹が立つ。なにか腹の虫が癒えるようなすっきりするものを見ないと収まらない。
Jさんの言い分
 腹が立つのはNさんと同じ。Sさんの昇格でこれからもこうしたことが続くようになったのはすべて人事権を持つ人が悪い。仕返しのため仕事を遅らせて期日に間に合わないようにするのが、一番効果があるし困るはずだ。ここで3人でグチってもせせら笑われるだけだ。その時の人事権のある人が来てからすべておかしくなった。
 丁度その頃、私に重要な仕事が回ってきていたのです。遅れるようなことがあれば全社的な影響がありました。JさんもNさんも事前に形式的な説明があるから理解できないを連発するとよいと言うのです。私のような平社員は会社からは責任を問われない。すべて人事権のある人の責任になるからあとで調査があっても、何をどのようにしてよいのか説明が悪くて理解できなかったと言えばよい。調査もないだろう。平社員は仕事が出来ないから平社員となっているので処分されることはない。私は一度ポカをすると当分仕事が来ないのではないかと不安を口にすると、JさんもNさんも私の次、初秋にも同じような仕事がある予定で、私の後に続くとの口約束でした。2度か3度失敗があると人事権を持つ人は交替していなくなるとの目論見だった。
 しかしその目論見も会社側からは平社員が処分されることはないが、部内では陰湿なイジメを受けるということまで予測できなかったのです。そしてJさんもNさんも私の後に続くことはなかったのでした。私は人事権を持つ人に恨みはなかったのでした。昇格したSさんには許せないという気持ちだけだった。NさんによるとSさんは犯罪にはならないがどうすれば心にダメージを与えられるかという主旨の本をよく読んでいたらしいのです。もしSさんが神経科の医師なら傷害罪が成立するのではないかというような嫌がらせを受けたのです。2人で組んで行うものです。効果を確認するようにある行為をした後、遠くから2人で私を見て何事かをささやくといった嫌がらせです。今もよくもあのような卑劣なことを考えたものだとあきれるような嫌がらせでした。
 

2011年3月27日日曜日

本能寺の変発生時、数の上では秀吉の天下は決まっていた。


浅井家3女のドラマは羽柴秀吉が柴田勝家との賎ヶ嶽決戦に勝利して、いよいよ名目上の天下人織田三法師から天下を簒奪する手順に入った。


この数年前、浅井家を滅ぼした後、近江の美田と歌われた湖東旧浅井長政の所領、およそ20万石を信長にもらったのである。

ほぼ織田家の出頭人明智光秀とバランスよろしく西坂本城に対比して同じような20万石だが、浅井家の所領のほうが平野が集中しており効率がよいのではと考えられる。なんといっても斉藤道三がうらやんだ近江の美田は坂本城周辺でなく湖東の小谷城、長浜城周辺でした。

2年ほど旧浅井領を慰撫して戦乱の後を鎮めて人心を掌握の後、8000人の兵を徴収して西国兵庫県、当時赤松氏が納めていた播磨の国を征伐に向かったのです。赤松氏の支族別所氏が篭もる堅城三木城を3年近い兵糧攻めで播磨の国を攻略して本拠を中国の雄、毛利氏に近い姫路城に置いたのです。播磨国は近畿の生産力が高い上国で15000人程の動員能力があるでしょう。その後名門山名氏が篭る因幡の国、鳥取城も2年かけて兵糧攻めにして秀吉の領地となった。鳥取県の東半分因幡は動員能力は5000人でしょうか。この時点で秀吉の動員兵力は28000人ほどでしょうか。

福井県、石川県の一部、富山県を領する柴田勝家の動員兵力25000人を少し上回っただけです。柴田勝家には越中富山で境界を接する戦国最強と噂される上杉景勝と戦闘中で全兵力を上方に割けないという弱みがあった。賎ヶ嶽会戦にも20000人で参加しただけでした。

一方秀吉の対毛利方には播磨の西、備前、備中の半分を征服した宇喜多直家がありました。宇喜多直家の所領、備前、備中の半分は当時日本一豊穣の土地です。宇喜多直家は吉井川の下流部の大穀倉平野で戦国大名として身を起こしたのです。

直家はお隣さんの大名を滅ぼすに当り、宣戦を布告して平原で決戦に及ぶというような正々堂々としたものでなかった。絶えずお世辞、贈り物をして油断させ宴会に誘い酔った帰り道、闇夜に弓矢の名手を大勢を伏せた襲撃で城主をあの世に送り
当主がいなくなった城を攻めるという一番確実で安全な方法でした。招いた宴会で毒を盛ったという噂もあります。

多分直家の動員兵力は岡山の半分強の領地でも日本一豊穣の土地らしく20000人ほどでしょう。しかし宇喜多直家には大きな弱みがありました。当時不治の大病に取り付かれており、二三年の命と宣告されていたのです。
溺愛していた一粒種の嫡男は10歳にも満たず自分が墓に入れば、家来たちがよってたかって嫡男秀家を滅ぼしてしまうと考えていたのです。全員自分の前では忠臣面をしているが、自分がいなくなれば幼君宇喜多秀家の直轄領を取り上げてしまうと言う心配です。自分の今までの行いが悪いという罪を背負っていたのです。かくいう秀吉も信長の直孫から天下を奪ったために豊臣秀頼の行く末をとても心配したらしい。安心して往生できなかったのです。因果応報です。直家はせめて数年、当主の地位を維持して成人するまで領地を守ってやりたいとそれだけが直家の願いだった。

成人した後の失敗で宇喜多家を滅ぼしてしまうのは戦国の習いであの世からも諦めがつくが、世の中の理屈も分からない少年時に滅ぼされるのはあまりにも不憫という理屈でしょう。
裏切り騙しでのし上がった男だけに家来もそうだという考えに取り付かれたのです。秀吉の調略が直家に伸びてきたときのやり取りやその戦いぶりから、後の豊臣秀吉こそが溺愛していた一粒種の嫡男を保護してもらい託せる男と睨んだのです。秀吉なら天下人になるとまでは思わなかったでしょうが、戦国乱世を生き抜く器量と
見込みを付けたのです。それでも全面的に信用できないが絶対安全に秀家を保護してもらえる策を考えました。

宇喜多直家は頭がいいのです。次回は宇喜多直家の戦略考えを書きます。

2011年3月20日日曜日

タラの芽が弾けました。新芽が冬のこげ茶のベールを脱いだのです。収穫までもう少しです

 2010年7月2階に達したタラの木に菜園が占領されてしまう恐怖をおぼえて強めの剪定をしてしまい、成長が止まりました。剪定時と同じ背丈でこの春を迎えました。一時は昨年と同じようなタラの芽の収穫をあきらめましたが、茶色のベールの中ではタラの芽は成長していたのです。2011年3月19日茶色の冬用の薄皮を弾き飛ばして、緑色の発芽前のタラの芽が出たのです。
 昨年収穫した脇芽の場所の新芽です。地面の茶色いのは昨秋集めたケヤキの落ち葉です。ケヤキの落ち葉を敷き詰めたことで環境は野生のの山と同じです。
 大きさは少し小さいです。
これが一番大物になりそうな頂点の新芽です。昨年より小ぶりなのは仕方がありません。成長が止まってから今年の発芽をあきらめたのですから、ないよりはましです。もう少し大きくなって蓄えた栄養を爆発させてほしい。収穫時にはもう一度アップします。

2011年2月24日木曜日

起承転結_承(入社5年目の躓き 花見の宴以降の同僚たち)

中国王朝などでも大飢饉などで地方の反乱がよく発生しました。警備が薄い地方での複数の反乱、動乱は王朝が衰え次の大革命(新王朝)が起こる予兆です。この時1000人の反乱軍より100,000人の反乱軍を鎮圧した方が時の王朝への手柄が大きくなるのは言うまでもありません。大軍の反乱軍が宮殿を取り囲み明日は総攻撃で王朝滅亡というとき、現れた現王朝の救世主によって王朝の余命を長らせた功のほうが皇帝からの褒美、与えられる領地は大きいのです。自分の手柄を大きくするために王朝の臣で禄を受けている者が、積極的に反乱軍を応援支援する不届き者が現れても不思議ではないでしょう。王朝が派遣予定の討伐軍の情報を与えたり、アドバイスを与え陰の指導者のようにふるまうのです。反乱軍が困った時など人を介して食糧の援助など反乱の火種が消えないように努めます。反乱の火種が消えれば自分の出世(将来の新皇帝が目標)の火種、チャンスも消えるのです。王朝の救世主は、反乱を煽り密かに支援して大きくして最後はだまし討ちにして反乱軍を鎮圧するという筋書きを描くのです。標的にされた反乱軍のリーダーは勇気決断力はあるが人をあまり疑わないで頭がそれほどよくないのが救世主の理想です。そして朝廷から与えられた正当な領地で兵を養うのです。ついには自分の王朝を開くために、本物の悪党は、その養った兵で挙兵します。この将来の新王朝の皇帝を目指す反乱を煽る現王朝の家臣、王朝の救世主をここでは仮に背徳将軍と名付けます。
 仕事のやる気をなくした50人のうち48人まで花見の宴が反乱軍の絶頂でした。花見に参加した人の中で一人憎しみをあおる人がいたのです。昇格したSさんの悪口を盛んに言い出したのはHさんです。JさんやNさんにも「Sさんはチマチマした仕事ができるだけで統率力がなく上に立てない器」と言っていたとかなど、あとで考えれば誰も見たこと聞いたことがないお話をするのでした。アルコールと雰囲気が冷静な判断を鈍らせるのか誰も本当のことと疑わなかった。S語録とか言って盛んにSさんへの憎悪を煽っていたHさんは、花見の50人の中で最年長で平社員でした。相当な焦りがあり今回の不満の爆発が昇格の絶好の機会と考えたのでしょう。花見の宴以降は「お前はどんな不満があるのか」などと個別に聞きまわっていました。自分の考えは言わないで他人の考えばかりさぐり調べようとする行為です。今なら「そんなことはあなたが知らなくてもよろしいですよ」などと言って相手にしないのですが。当時はまじめだった。ご自分の気持ち考えを言わないで、「さらえまかさんのお気持ちをぜひお聞かせ頂きたいのです」といったアンケート要求を送りつけてくるのはどこにでもいます。魂胆は分かっています。ご自分の創意工夫であるコンテンツが何もないのに、他人のプログのコンテンツを利用して自分のブログ村の表示順位を高めクリック料金を頂くというおいしいお考えです。囲ったつもりの羊が馬鹿らしさに気がついて逃げ出したのです。勧められたリンクをすべて外し入会時に登録したブログを削除したのです。また今までのように自分のブログを経由してアクセスしてほしいと追いかけてきたという顛末です。3人は人がよいのかHさんの質問にまじめに答えて手の内を全部さらけ出したという毎日でした。
Mさんという人がいた。Mさんは仕事に向かない極端な例の人でした。NさんによるとNさんが事前に何度注意点を教えても、Mさんが作ったプログラムの中にいつも大きなバグがあり、Nさんは傷つけないようにMさんに内緒で修正していた。Mさんは自分が作ったプログラムが修正されていることに気がつかないほど向いていない人でした。Mさんはよい人でNさんに対する感謝を忘れない人でした。ある時3人でいるときMさんが来て、「Hさんに気を付けた方がよい。ここに来た時から言動と実際の行いが違う人だ。Hさんに情報を与えてはいけない。信じていたら大変なことになるよ。飲み屋で昇格した人と同席していたのを見かけた」3人は「そんなことはない」などと逆にMさんを非難した。これが今でもMさんへの負い目となっています。Hさんは花見の宴の直後から人事権のある人に近付き、全員の不満を伝えあたかも自分だけが人心を掌握しているように見せかけたのでしょう。めいめい勝手に長期休暇を取ったり、プログラムメンテの遅れが目立ってきていた時期でした。この時まさに反乱軍が王朝を囲んだような雰囲気でした。もし会社の意向計画通りにソフトメンテが達成されず、納期が遅れると顧客に迷惑をかけることになり人事権のある人は降格など処分される恐れがあります。Hさんは「仕事は必死でやれ。昇進を嫉妬するのはみっともない」などと急に態度を変えたのです。3人は嫉妬よりも一緒に仕事をしたくない気持ち、昇進で影響力が増すだろうとそれを怖れていたのです。嫌な仕事がさらに押し付けられる恐れが3人の心を支配していた。
三人組がつい立に囲まれた場所で話込んでいた時、席に戻ろうとするとHさんが衝立の裏に張り付いていました。3人がHさんに疑問を持った最初でした。今思うにその後いろんな職場を経験したがHさんのような人はどこにでもいるものなのです。出世のためなら恥知らずの忍者奉公もいとわないという人です。自分の知っていることを機嫌を取るため提供するだけでなく忍者のように積極的に情報収集することです。そして上に評価されるためには嘘もつくし平気で同僚を裏切るという人です。

2011年2月12日土曜日

入会登録が完了いたしましたが何度消してもでます。そして料金払い込みの案内も出るのです。(解決まで画像あり)

 手が滑って間違ったサイト・アドレスに迷い込み画面をクローズしても「入会登録が完了」の画面がホップアップして最前面に出てきます。タスクマネージャーでUserなんとかというアプリケーションを終了させてもすぐに起動され赤色の画面がホップアップされます。入会登録はもちろん嘘です。
 赤い画面だけでなくもうひとつの画面にIPアドレスまで表示されるのです。因みにDOS窓でそのIPアドレスにpingを打つとreplyで返ってきます。IPアドレスはハッタリでなかったようです。一時「もう逃れられないお金を払わなければ」と覚悟しました。ディスクのフォーマットでだめならPCの買い替えまで考え、ネットに助けを求めると(グーグルで「入会登録が完了しました」検索実施)解決策がありました。
1 ウイルスチェックを実施 駆除してくれれば解決 2 システムの復元実施とありました。そんなわけでディスクのフォーマットはこの次ということになりました。
 藁にもすがる思いでウイルスチェックをクィック検索でなくコンピュータ全体の総合検索で2時間もかけて行いましたが、ウイルススキャンはネズミを捕まえない猫でした。こちらが望まないAPですからウイルスと思いますが。
 結論は安全だそうです。そこでシステムの復元を実行しました。
 感染したのが2011年2月11日14時だったので2011年2月3時に復元ポイントを設定してシステムの復元を実行しました。
ネットに書いているように、サイトの「登録過程」を知る必要はありませんでした。登録していないのですから登録過程の調査は不要です。下手に登録過程とやらを調べると本当に登録されてしまう(入会を承認した)かもしれません。危険です。登録の記憶がないのですから『登録過程しだいでは「有効」』になりません。登録過程など初めからないのです。そのように錯覚してもらうのを相手は期待しています。復元ポイントの確認ボタンを押すとWinのリブートが始まり回復しました。幸いメールアドレスまで突き止めていないようで、変な請求メールは届いていませんでした。休暇の半日がこんなくだらないことでつぶれました。解決策の調査にグーグル検索は役立ちました。解決策を投稿してくださった方に感謝です。

焼き肉用鉄板にこびりついた脂の焦げ付きはプレートや金網を使わなければ落とす必要はありません2。(焼肉調理後掃除不要です)

焼肉を食べている時も焼いている時も頭から離れないのは、面倒なあとの処理です。こびりついた肉脂の掃除、清掃です。以下に思いついた解決策を書きました。

1 よい洗剤を使って楽にする。高価な洗浄剤、重曹を使うなど
2 金網、鉄板など洗わないで使い捨てにする

1 どんなよい洗浄薬を使っても針金がクロスする部分などを洗浄する労力から逃れることはできません。掃除洗浄しなければならないのです。
2 餅を焼く金網を使うと肉の匂いで次に餅焼きとして使えません。金網を使い捨てにして燃えないゴミとしてゴミ収集に持って行ってもらうのも、最近では1か月に一回です。燃えないゴミはすぐにはなくならないのです。また使い捨ては、資源浪費となり現在の風潮に合いません。いろいろ考えるより最高の解決策は、金網や鉄板を使わないで炭火焼肉を楽しむのが最良の策です。
               
前回は手を汚さないで串に肉を刺し七輪にのせました。その肉を置いた七輪を換気扇の直下に運びます。そして煙をすぐに厨房の外に出しながら焼くのです。こうすると脂の煙は室外に出て匂いがこもりません。肉から上に出た熱気を再利用するために、アルミホイルをすぐに肉の上にかぶせました。当然赤外線の反射を利用するために、よく光る面を下にしました。油は七輪の中や炭火の上にすべて落ちます。金網や鉄板の上には落ちません。使用していないため当たり前ですが。
焼きあがった炭火焼肉です。味の方は残念ながらフライパンで焼いたのとそんなに変わりませんでした。赤ワインが炭火焼肉に良くなかったのか今後の課題です。ただ脂がよく落ちたのかサッパリした焼肉でした。健康的な焼肉でした。次回は塩コショウ、ブランディーだけで再トライです。
かぶせたアルミ箔を食器として使いました。こうすれば皿洗いが不要になります。
使用した金串はウェットティッシュで拭けば清掃完了です。
炭火でしたり落ちた脂は炭火に落ちたか、それ以外は七輪の内側のヘリにへばりついています。しかしこの黒いしみはもう肉汁、脂ではありません。肉脂はすべて熱気で蒸発してしまい黒いシミは炭素です。つまり次回七輪に炭火を入れても匂いや煙を出さないのです。放置して何の問題もないのです。

2011年2月6日日曜日

本物の炭火焼き肉を家庭で楽しみました1。(焼肉調理後掃除不要です)

炉端焼きなどの看板をあげて焼肉をお客に提供するのは楽ではありません。
熱源は大抵本物の炭火ではなく汚れが取れやすい電気発熱器のようです。炭火と違って繰り返し何度も使えるからです。それに金網などに焦げ付いた汚れ取り、肉の脂の煙でべたついた店内の汚れ取り、客商場ではそれらを放置できません。
               
今回本物の炭火の遠赤外線利用、油の煙を発生と同時に室外に出す、焦げ付きを何もしないで残さないを実現しました。肉は霜降り脂が多いと冷凍しても味があまり変わりません。今回は値下げ前は100g1080円で売られていた最高級のステーキ牛肉です。すべて霜降り脂で半値の時冷凍したものです。冷蔵庫から出して2時間ほどで解凍できます。ラップに切れ込みを入れて、南米産の安物の赤ワインと塩をラップの切れ込みから多い目に浸して肉に半日しみ込むのを待ちます。
 適当に出刃包丁で切ります。肉の隙間に見える赤いのは肉汁と赤ワインと混じったものです。そうそう岩塩も混じっています。
 七輪の幅より少し長い金具串を用意して手を汚さないように刺します。魚のコラーゲン DHA EPA 血圧降下作用を自然に摂る(生臭い移り香の被害をなくす) 参照願います。
            
 肉を串ごと取り出します。肉と肉の間に隙間を空けます。
肉の部分の幅が七輪に収まることを確認します。今回はここまでです。