2010年9月30日木曜日

おまけしてもらって左手は四直紋でした。鑑定結果

 以前私の僅かな昇給を言い当てた手相占い師に左手が本当に四直紋かを見てもらいました。何年か前「もうすぐ昇給するよ」対して「あり得ないです。ご機嫌を取らず生意気で上司の受けが悪いのです。あの人は私の悪いところを探す人でよいところは見ない人です。昇給は信じられません。」「でも占いには出てます」???この先生はだめだ。!!私の予想に反して何週間後数千円ですが昇給しました。当時の「あの人」が一人で判断しただけでなく、周囲の押しがあったと今でも堅く信じています。職場が個人のスキル技術を売るような特殊な職場だからかもしれません

それ以来この手相占い師を信じています。年に1度は見てもらうようにしています。3年前、私の手相や生年月日から性格を論じるだけで手相のことはあまり言わなかった。昨年、手相はよいに変わりました。何がよいか言わなかった。こちらも聞きませんでした。

 左手は小指の付け根の財運線が4本ありそのうち右2本が明瞭で長い。そのどれか1本が財運線だそうです。あまりはっきりした財運線ではないとのことでした。よく見れば財運線らしきのが1本あるとのことでした。どちらかが財運線と断言しましたが、忘れました。向上線 運命線 太陽線 財運線4本そろっているので四直紋だそうです。四直紋の太陽線は生命線や運命線にくっつくまで長い必要はないそうです。四直紋の構成要素、財運線も感情線を突破するほどの長さが四直紋の条件にはならないとのことです。とにかく4本揃うのが珍しいとのことでした。特に人差し指に達する向上線、2本ある太陽線が珍しいと言われました。私が一番弱いのは財運だそうです。


 財運が弱いのは自分でもわかっています。自分の考えですが、四直紋の定義はなく占いの先生によって私の左手は四直紋でないと言われる可能性がありそうです。

下の右手の写真ですが、間違いがあります。薬指の下に黄色で向上線となっています。以前の画像の字を消し忘れたものです。前回の投稿にも間違いがあります。太陽線と努力線をネットのブログなどから同じように記述していますが、生命線から人差し指に向かうのが向上線。生命線から中指に向かうのが努力線だそうです。これは占い師から指摘されました。私の左手の努力線は向上線とは別に存在します。中指の下で運命線とクロスしているのがそうです。右手の太陽線ですが仏壇を購入した4年ほど前からありました。当時は太陽線が薄く感情線に達していませんでした。1cm程度と記憶しています。仏壇を購入してから、太陽線が陥没しはじめ濃くなってきました。そして凹んだまま下に伸びていったのです。現在の写真は感情線と頭脳線の中間くらいまで太陽線が成長しています。写真はストロボを焚いていますから分かりませんが、右手の太陽線には凹んで影が見えます。先祖供養と手相の変化は時期的には一致します。昨年お墓を建立したので今度は財運線が成長すれば嬉しいです。


最後が右手の向上線です。先生がおっしゃるにはS字状に曲がった左手の向上線より右手の向上線のほうがよいとのことでした。手相鑑定結果は両手が四直紋との結果でした
 さて高層ビルも何千人の生命を犠牲にしてきた嘆きの壁も移ろう定めでいずれなくなってしまうものです。手相も今よいと喜んで慢心すれば両手四直紋も高層ビルのように古くなって解体されていずれ消えてしまうものです。なかったものが出てきたのだから、あるものが消滅するのは自然なことです。先祖供養でよい方に手相が変わったのだから継続していき現状維持かもっとよくしたい。手相の変化は心がけの変わり目です。そしてご先祖が自分を加護しているといった会話メッセージでもあります。

2010年9月27日月曜日

ブログを利用して好みの鰹のタタキにする

 秋カツオの旬が来ました。時々利用する日本料理店でカツオのタタキを注文しようとしました。ところが私には一つタタキの難点があるのです。そうです鰹の血あいが嫌いなのです。そこで携帯のグーグル検索画面で検索キー「タタキ 嫌い」入力、検索実行で
カツオのタタキの嫌いな人読んでください。(私のタタキの流儀) を表示させます。現在おかげさまでトップ表示です。

GoogleBloggerですと自動的に携帯グーグル検索画面に載せてくれます。携帯によっていつでもどこでも自分のBloggerブログを見たり見せたりできます。この便利さを利用しない手はありません。


 そして日本料理店の給仕の方に携帯のこの二つの写真を見せます。

 タタキの料理をする板前さんにこのように血合いを取ってほしいとリクエストします。血合いを除去しないとタタキは食べられないと伝えます。注文を取りに来た人は私の携帯を持って厨房に走り板前さんと交渉です。

 もし出来ないというお返事なら、もう一度注文を取りに来た女性に「このプログは自分のブログです。写真は自分が料理した写真です。素人の自分に出来て板前さんに出来ないのは、天然の仕上げ砥石を使っていないから刺身包丁の切れ味が悪いのではないか」と挑戦的なことを言います。そうすればプロのホコリにかけてこちらの注文を受けてくれるかもしれません。鰹の血合いの除去は赤身と血合いの接地面が平面でないので一度の包丁で取り去るのは無理です。血合いは赤身に足の裏の魚の目のように食い込んでいるのです。

 この料理店ではすんなりと私の注文を聞いていただきました。少し失礼な挑戦的なことを言う必要はありませんでした。出てきたのがガラスの皿にきれいに盛られた鰹のタタキです。

 最後がハマチの刺身です。血合いがありました。この店の方針は血合いを取らないようです。
ハマチの刺身に関しては注文を付けなかったので文句は言いません。でも血合いが苦手なのは同じです。

 自分好みのカツオのタタキにしてもらい健康のため嫌いな刺身を食べました。

2010年9月25日土曜日

側溝の隙間に朝顔の種を蒔きました

 家庭菜園は里芋、タラの芽、ジャガイモなど収穫物があるもの、食べられるものを植えています。都会の土地は高価で狭い家庭菜園は見て楽しむだけの植物を栽培するような余裕はありません。
 好きな花は、胡蝶蘭、水連、おしろい花、朝顔などです。これらの共通点は色鮮やかということでしょうか。ぱっと見の色の強烈なものです。以前からこの側溝のコンクリートと家の土台である石垣の隙間に雑草が生えてこれを抜くたびに隙間がなかったら草引きをしなくてよいのにと思うことたびたびでした。昨年あたりからジャックと豆の木よろしく、朝顔の種をまいたら天まで伸びるのは無理として数輪の花ぐらいは付けるほど成長できるのではないかと期待しました。側溝の隙間は敷地の西側と東側の二ヶ所にあります。下が西側の隙間です。2本発芽しました。
東側の隙間です。どちらも南側が道路になっているので種を蒔いて1週間で発芽しました。日光の供給だけは申し分ありません。だたこの隙間は丈夫にするためか小石がびっしり詰めています。朝顔の根が入っていけるのか、成長に必要な養分があるのか、花が咲くまで成長できるのか、面積が狭いので保水力がないのではないか、盛夏に石垣とコンクリートで温度が上がりすぎ枯れるのではないかとかなり心配しました。

つい一週間前まで猛暑で一週間に一度ほど3輪の花を付ける程度でしたが、気温が下がった今週は10輪ほど毎日花を付けています。

2階の居住区に上がるための踏み台です。下段のコンクリートの下が側溝です。朝顔をまたいで帰宅ということです。

この金物あたりがお隣さんとの境界です。朝顔が境界侵犯をしていますが大きな花が咲いているなら許してもらえるでしょう。他のご近所さんも見てくださっておりお世辞でしょうが、おおむね好評です。

高校入学直後の躓きと後悔2

春が近い2年生に進級する直前のことでした。水曜日の一時限目はY先生の授業から始まりました。ユーモア溢れる恩師でしたが、どこか笑顔と元気がなかった。「今日みなさんに悲しいお知らせがあります。授業の前に数分の時間をください」から始まりY先生はH君の担任であり、H君は数か月前から骨肉腫という病気で入院していた。若い人は癌の進行と転移が早く、見舞いに行くたびに手足が1本づつ亡くなっていて慰めの言葉に苦労するほど可哀そうだった。今朝お母さんから電話があり身罷られたとのことでした。激しい痛みに耐え虫けらのように手足を切られて彼のことを思い出すのも辛い。どうか冥福を祈ってください。そして健康な皆さんはしたくてもできなかったH君の分まで勉学に励んでください。との訓話があった。自分の先祖と彼の発病を関連付けたくはありませんが、真っ先にこの気の毒なニュースを知りえた偶然は本当に単なる偶然か説明のしようがありません。H君の教室は別棟にありもう何か月も休んでいるならY先生からの悲報がなければ自分の耳に入らなかったでしょう。1年生だけでも1000人近くあるのです。両親を苦しめた農道助成金の(ありえなさそうなのは守秘義務で守られるはずの融資金額と金利まで伝わってきたことです)今にすればこの記憶と重なります。またY先生は、以前短期間教師をしていた祖父の教え子とご自分から私におっしゃいました。私の面影が祖父に似ているともおっしゃいました。祖父という私の先祖と関わりのある方だったのです。

 悔いが残るのはそれでも先祖供養に思い至らなかったことです。祭りの日の刷り込みが影響したのかその時は、ソフトボール大会の躓きから解放された。彼には気の毒だが運がいい。病気の苦しみを想像できないほど健康だった当時、そんな運がいい程度しか感じませんでした。高校1年の終わりならまだやり直しが可能でこの時、祭りの日の刷り込みを払しょくしていれば私の人生も少しは今とは違ったものになっていたでしょう。でも馬鹿だったのです。

高校入学直後のツマヅキと後悔

 思いだそうとしても正反対の思い出したくないという気持ちがより強く働くのが高校時代の記憶です。幼児が発した憶えたての言葉にお年寄りはこだわった「先祖が許さない」事件は太陽がさんさんとあり、まだ歩くときにお尻を振っていた。オムツがお尻をこすりながら左右に移動するのを面白がってさらにお尻を振りながら道普請の現場まで歩いて行ったのをはっきり思い出しました。この記憶は色でいえば黄色、仙人お爺さんの記憶は白色ですが、それから10年以上現在に近付いているのに高校時代の記憶は灰色です。全体にモヤがかかっています。振り返れば後悔が多いのが高校時代です。実家での思い出は祖母が亡くなってからよい思い出は少ないのです。

 高校入学直後の5月の連休に入る前だった気がします。新入生は学区の多くの中学校から集まってきており、お互いの親睦と親交を図るためクラス対抗のソフトボール大会を学校が開いてくれたのです。ゲ-ム中観戦をしていて対抗チームが攻撃の時、野次を飛ばす役目だったと記憶しています。H君が打席に立ったのです。周囲が野次を飛ばすので同じようにしているとH君がボックスをはずしてバットを持ったまま私の野次が気に入らないと言ってきたのです。「ゲームもヤジも遊びだろ」言い返した。こちらがほかに何を言ったのか今では記憶にありません。大勢でヤジっていたのに自分の野次にだけこだわられたのも不満だった。これは喧嘩になると覚悟しました。そんなやり取りをしていると「H君戻れ、次のバッターが待ってる、何をしているんだ」遠くからそんな声が聞こえ、H君はこちらに未練たっぷりで打席に戻った。


 私の出身中学は田舎でH君のそれは地方都市にあり在校生は私の出身中学の10倍はありました。今考えたのですが、私以外に彼をヤジったのは顔見知りの同じ中学出身者で許せたのかもしれません。私の友人は中学校卒業後全員就職したので仲のよい友人はこの高校にはいませんでした。



ソフトボール大会が終わり一人で自転車で校門を出た時、数人のグループに呼び止められた。自転車を止めると周囲をぐるりと囲んだのでした。話があると囲まれたまま暗い通路に連れて行かれ「Hに謝れ」「謝らない」などと言い合いながら寄ってたかって小突かれた。彼らは数人のうち一人を暗い通路の入り口に見張りを立てるという念の入れようだった。殴られた場所も彼らは跡が残る顔は避けたようです。

誰でも経験するようなことですが、その後も集会などで人ごみの中で立っていると後ろからドンと肩をぶつける人がいるので誰かとみるとH君だったということが半年ほど続いたのです。

 その夏休みに隣の高校でふとしたことで知り合った友人が出来たのです。Mは約束したことは守るというのがとても気に入りました。ハッタリなどいい加減なことと無縁だった。後で知った話ですが、入学直後に恐そうな大柄の同級生と大喧嘩をして相手の前歯を折り、顔中を血まみれにしたそうです。その恐そうな同級生は針で縫うほどの大けがをしましたが、警察に行ったり学校の先生に言ったりはしなかった。それなりに恥を知っているのです。Mは大柄でもなく風貌は別に威圧感を感じることはなかった。そして驚いたことに暴力団を恐がらない高校生だった。交友関係は不良グループを束ねたり群れたりはしなかった。彼の学校に遊びに行くとたいてい二三人の女の子とおしゃべりしていた。

 H君が数人を集めるなら私もM一人に相談すれば仕返しはできたが3つの理由で嫌だった。もう済んだことでその後お金をゆすられるような被害はなかった。Mに相談すれば自動的に彼に関係のないことで彼を巻き込むことになるからです。大切な友人をそんなことに巻き込むのは気がとがめました。最後に彼に知られると「けじめの付け方が悪い」と軽蔑されるからです。相談するどころかソフトボール大会の一件が噂でMの耳に入るのを恐れたのです。Mが知ると独特の情報網でH君の住所を聞き出し夕方か夜訪ねて行ってこういうのにきまっています。「○×高校のMだ。お前の学校の×組の○○の友人だ。済んだことはいいがこれ以上馬鹿なことは考えるな。今日から家と顔は憶えた。俺の名前が知らないなら人に聞け」彼は友人なら当然とH君の家に行くのです。そして心では「情けない奴だ」と思うに決まってます。幸い入学直後のことで1年生全員が他校出身の同級生の顔を知らない時期だったのか、私とH君のことは噂にはならなかったようです。ソフトボール大会から半年後後ろから突然ぶつかってくるH君が見えなくなった理由が2年生なる直前に判明しました。あの時一言私が「野次を言いすぎた」と言っておけばよかったと悔いが残ります。
高校入学直後の躓きと後悔2に続きます

2010年9月20日月曜日

先祖供養と手相の変化 もう少しで四直紋完成かも?

4本の手相線変化
1.努力線向上線の発現
最近手相を見てもらうと、「何があってもあきらめないで、コウジョウ線がでているよ」と言われました。勉強不足でコウジョウ線の漢字がとっさに浮かばずあまり嬉しそうな顔をしなかった気がします。先祖供養開始以前はそんなことを言われた例がありませんのでここ何年かに形成され現れたものなのでしょう。夢に向かって努力する程度を表すのが向上線らしいのですが、生来怠け者の自分は夢ばかり描き努力しないのですから、数本出て人指し指に達しない中途半端な向上線であるはずなのですが、1本はS字のようなカーブを付けて人指し指根元に達しています。右手にも1本あります。
 これが努力と云えるかどうか不明ですが、励んでいるのが一つだけあります。先祖供養です。昨年7月先祖供養塔の開眼法要から今年7月までのお墓参りは200回を超えました。御利益があったお礼参りや供花の水を換える必要があったためそうなったのです。実際水が腐りにくい冬より夏に墓参が多かったようです。実家のお墓参りは年間13回墓参しました。伊勢神宮参拝は4回です。そのすべてで内容は先祖の冥福を祈願しました。たった一つのお願い事だけをしました。
2.太陽線の成長
現在太陽線は2本あります。左側が短く青線の補助線を入れている右の長いのですが太陽線は昔から知っていまして一本だけありました。現在の長いほうです。でもごく薄く長さも2cmほどでした。現在の写真のように運命線にくっつくようにはなっていませんでした。薬指の下に垂直に2cmほどで感情線にさえ達していませんでした。これは記憶にあります。
3.運命線
運命線も子供のころから中指に達していました。生命線から枝分かれして中指に向かっているのは同じです。ただ今のように一本の線ではなく鎖をつないだように途切れ途切れでつながっていました。
4.四直紋のもう一本
地丘付近から小指の根元に達すれば四直紋完成です。しかし青色の○のように二ヶ所で切れています。頭脳線と感情線の間に小指に向かう線があります。2つの青色の○の間の線です。これも先祖供養の実践から出てきました。以前はなかったような気がします。 どうもお金に縁が一番少ないようです。株も2005年からうまくいきません。小指の根元に達する線が弱いのは当たっています。
ところで私は人生の半分以上を消費した中年です。自分の将来がしがない年金生活者とわかりきっています。いまさら四直紋が完成してもあまり意味がないようです。10代なら大いに喜びますが。でももし四直紋完成すれば悪い気はしません。
近々私の僅かな昇給を予言して当てた四柱推命占い師に四直紋のことを聞いてみようかと思います。