2009年11月15日日曜日
マイタケとの格闘
ある時カウンターに座り目の前で一品づつテンプラを揚げてくれる天ぷらコースを食べました。天ぷらセットで出されるのでなく揚げたての熱いうちに食べる高級コースです。確か生シイタケの天ぷらの次に出されたと思いますが、マイタケですと和紙の上に置かれた天ぷらを見るとそれまでの失敗のシーンが頭に浮かび美味しいからでなくもったいないから食べようとしか考えなかった。まったく期待しないで口に入れたのにシイタケ以上の旨みがあったのです。その時しみじみと脳裏をよぎったのはそれまでは水を使った料理だった。マイタケはあまりお米がとれない山村の山の幸です。中国のような農産物豊かな大平原でもない日本の山村で昔から照明にも使える高価な油を使った料理が普及していたとは考えられません。安価ななたね油が開発されたのが戦国時代の終わりだそうです。庶民に油料理が普及したのは明治以降かも知れません。昔からあったマイタケ料理は当然味噌汁、吸い物などの水を使った料理のはずです。あくまで山奥い山郷をイメージしてみそ汁などに使って試食したのでした。水を使う料理では60度前後の低い温度でマイタケは旨味を出すそうです。とにかくテンプラがおいしかったので家に帰って真似をしたところ旨みが強く感じられました。
もう一つの販売促進のキャッチフレーズは免疫力アップです。マイタケ成分のなんとかがガンの免疫療法に聞いたかという紹介記事があった記憶がありました。現在の科学ではキノコ、植物に含まれるたんぱく質のすべてを分析するのは不可能なのです。ですから発見できた成分の一つを捉えて免疫力を強めると主張しても他の未知の含有成分で打ち消されるかも助長されるかもわからないのです。たった一つの有効成分に注目するのは意味がないことかも知れません。マイタケは油を使うという新しい発想がこの野菜炒めの作成に役立ちました。
ルーシー原人以来、人類は地上では大戦争の繰り返しでした。動乱→帝国の崩壊→大戦争→新帝国の成立の繰り返しが歴史でした。しかしどんな大戦争による政府、朝廷ができても私のような庶民にはあまり関係のない戦いでした。しかし庶民の体の中では駆逐するか生き残るかの激しい戦いの歴史があったのです。水虫などのように人体と共存できる病原菌以外は、侵入した病原菌、自分の細胞から発生した新生物と免疫との大戦争です。もし私の先祖が子孫を残す前にミクロの決戦に負けていれば自分が存在しないのです。今世間を騒がせている新型インフルエンザにも先祖は何度も遭遇して駆逐したからこそ自分があるのです。既存のインフルエンザも過去には新型インフルエンザであったはずです。欧州で大流行したペストも人類が初めて遭遇した未知の病原菌でした。日本の京都にも流行病(ハヤリヤマイ)という病名で大勢の病死があったといつの時代にも記録されています。テレビなどによると人類が遭遇して抗体をもった歴史が自分のDNAに記録されているとのことです。私も人様より、よりよい暮らしをするという地上での競争からは落ちこぼれましたが、免疫戦争では勝利して今のいのちをつないでいるのは確かです。もともと生まれながらにしてどんな病原に遭遇しても生き残れる素質を持っているのです。そしてほんの少しの栄養などの助けがあればもっと強力な免疫を持つことができるはずです。そのほんの少しの自分で工夫した天然のサプリメントがインフルエンザ感染を予防した野菜炒め(免疫力アップのマル秘レシピ)であって欲しいのです。
2009年11月1日日曜日
インフルエンザ感染を予防した野菜炒め(免疫力アップのマル秘レシピ)
そこで免疫力アップの食事を試行錯誤の結果完成させたのが以下のレシピです。
材料 5品 オリーブオイル 味を良くするため岩塩 ピーマン 玉ねぎ マイタケ
これだけです。これらは年中いつでもスーパーで売っています。玉ねぎは地下の食べ物で中国風に陰陽で分ければ陰です。マイタケも日陰のキノコで陰陽で分ければ陰です。実症陽症の自分の体質を中庸にしてくれると考えました。味に関してはピーマンは苦味 玉ねぎは甘み マイタケは強い旨みと三つそろっており量の調整で自分好みに変えられる。そして大切なのはおいしいと感じるものを食べることです。まずいと思うと継続できません。青ピーマンが苦手な方は黄色や赤に変えるといいかも知れません。
ピーマン 玉ねぎ マイタケを千切りにします。要点は太さを均一にすることです。熱が均一に伝わります。ピーマンだけはアクがあるので穀物酢を入れた沸騰水で湯通しします。
2009年10月24日土曜日
内宮のお神酒をどうぞ
ご先祖にお酒の好きな方がおられたらと供えました。普通のお酒ではなく休憩所で売っていた伊勢神宮のありがたいお酒なのです。明治の神社統合まで代々神武天皇ゆかりのお方を祀った社の氏子であった先祖がきっと喜んで下さると信じてお供えしました。お酒の香りがわかるよう備前焼の口の大きい器に入れました。他のお墓に休んでおられる私のご先祖もお神酒を目当てに遊びに来てくれればよいのです。 備前焼の中のお神酒は透明ですが白い器に入れると黄色です。翌日の夕方にはアルコールが飛んでいて少し酸っぱかった。防腐剤はないようです。撮影の後、口に含んでバケツに吐き出しました。もったいなかったですが、飲み込むと飲酒運転になります。
2009年10月11日日曜日
祖母は仙人と話していた(家の言い伝え)
2009年9月27日日曜日
リサイクルの受益者は自分であった方が長続きする(ペットボトル
ペットボトルの回収ボックスをスーパーで見つけた時は本当にラッキーでした。今もそうですが、その頃は市役所のペットボトル回収日は月2回でした。6畳一間の昭和30年築のアパートに住んでいた住環境では2リットル名水のペットボトルはあまりにも大きすぎた。中に水が入っている分にはまだ我慢が出来たが空のペットボトルを足に引っ掛けカランコロンの音を聞くと情けなくなった。回収ボックス設置によりその大きなゴミが月2回の回収日を待たずに6畳一間から消えるのです。空いたスペースは名水入りの予備のペットボトルに置き換えられたのです。スーパーも小さいマンション、賃貸文化住宅住人の2リットル名水のペットボトルの事情を知ってなんとか来店数を増やすために回収ボックスを設置したと思われます。ラベルはがし、押しつぶして体積を減らせる、ペットボトルを網袋などに移して回収ボックスのスペースを作るなどかなりの維持管理費がかかったと思います。それでも来店数増加のためと耐えたのでしょう。これに刺激を受けたのか近くの2軒のスーパーも競うように回収ボックスを設置しました。
家を購入してからスーパー設置の回収ボックスのありがたみがかなり薄れました。空のペットボトルは空き部屋に一時保存すればこと足りるからです。最近こんなことを考えています。資源リサイクル運動の推進で税制の後押し、石油高騰で純度が高い空の透明ペットボトルは買い上げ価格が上がったのではないか。最初の感謝を忘れて商品を買って儲けさせ空のペットボトルも献上してさらに儲けさせているのではないかとなんとく不公平感を持ち始めている現在です。回収ボックスも最初は入口においていました。回収ボックスの背面は大きなガラスでそこからはレジが見えました。回収ボックスは店員からも見える場所にあったのですが、最近は店員から見えない駐車場の近くに移動させさらに利用しやすくなっています。蓋をつけたままのペットボトル、つぶさないラベル付きのペットボトルで回収ボックスはすぐに満杯になります。それでも来店客の車を誘導するガードマンが知らせるのか3つの回収ボックスが満杯になる前に回収ボックスを空にしてくれています。ますますペットボトル回収ボックスは儲かるのかなとの思いが強まってきました。そこでペットボトルリサイクル再利用の受益者はまずは自分がと、ペットボトルの透明性を利用して生け花の水管理を実践しています。毎日交換するより2リットルの水資源の節約になります。回収ボックスに入れる前にペットボトルをリサイクル再利用する(生け花は蕾を買います)
2009年9月21日月曜日
回収ボックスに入れる前にペットボトルをリサイクル再利用する(生け花は蕾を買います)
花が変色したり枯れるときは例外なく活けている水が濁るということです。左が汲み立てのみずで右が大菊を何日か活けた水です。言いかえれば水を濁らせずに変え続けていると本来花が持っている天寿を全うできる筈です。購入してから枯れる期間が長くなればそれだけ花代を節約できるということです。半年一年と積もれば相当な花購入代金の差となるでしょう。
濁った水に活けていた大菊です。葉っぱが何本か黄色くなっています。放置すればもうすぐ花がしおれます。切り口の先端部分が水に繁殖した微生物でヌルヌルしていますので白線部から手で折ります。花屋の女主人によるとハサミで切るより手で折った方が花が長持ちするそうです。花を痛めた微生物はペットボトルの内面にもついているはずです。ブラシを突っ込んでヌルヌルを取り除くというよりペットボトルを交換します。飲み水を入れていたものですから完全に滅菌されています。使ったペットボトルはリサイクル回収ボックスに戻します。ミネラルウォータを入れていた透明なペットボトルを回収ボックスに返す前にもう2~3回使ってから回収ボックス戻すというペットボトルのリサイクル再生利用です。
生け花は菊にしろカサブランカでもつぼみで買います。それの方が持ち帰り時に花を痛めません。開花から枯れるまで長く楽しんでもらえます。水を濁らせなければ真冬なら大菊で一か月はもちます。毎日水を換えることが出来たらいいのですが、それでも花瓶の内側に付いた微生物まで毎日ブラシで落とす人はいないでしょう。カサブランカは開化の瞬間に最高に香りを放出します。帰宅すると匂いで開花したのがわかります。
自分でつぼみから咲かした花は愛着もわきます。再利用したペットボトルは汚れが目立たないうちに早目にスーパーの回収ボックスに返します。スーパーも大変です。近くに3軒もあるのです。ペットボトルが汚れているからと回収を断れば他店に逃げられかねないのです。便利の良い駅の近くに住むのはありがたいことです。
2009年9月20日日曜日
まっ、まっ、まつたけを買いました 日本産との触れ込みです
ラウスコンブは吸いものと同じく沸騰直前に上げました。野菜は三つ葉か水菜か悩みましたが三つ葉に決めました。
昆布とカツオ、みそ汁用のスープ少々の元のだし汁です。脱化学調味料主義で化学調味料、だしの素、昆布茶など市販の調味料は入れていません。昆布の塩分が上品な塩味を演出しています。三つ葉とマツタケ一本を土瓶に入れました。深底の鍋に入れて20分ほど蒸しました。蒸しあがりです。ダシの色はマツタケからのエキスもあるのか写真よりも濃くなっていました。元のダシはカツオが本物だったのか結構な酸味があり好みでした。この松茸を入れたダシはもっと酸味がきいていてさらにおいしかった。ただマツタケの香りが全くしません。この松茸が日本産なのか外国産なのか見た目では区別がつきません。次回は別の県のブランドにしようと思う。食感も郷里のマツタケはもっと弾力があった気がする。たまたま今回に限りこの松茸だけがが悪かったかもしれない。原因は産地より商人か料理方法にありそうな気がする。
2009年9月7日月曜日
タラの木は里芋と日照権を争っています
次の雨のあと最後の力を振り絞ったのか再び芽を出したのです。最初の発芽より一回り大きかった気がします。希望の芽を守るために工夫をしました。かねてよりたき火の跡を見つけるたびに集めていた木灰を、新芽の周囲にお城の堀のように囲んだのです。雨で木灰が流されるたびに木灰の防衛線を再構築しました。木灰の防衛線は効果がありそれから新芽が食べられることはありませんでした。希望の芽は再び成長を開始したのです。その後みずみずしい緑色の新芽は芽を出すたびに前回の葉っぱより大きな葉っぱに成長しました。梅雨から夏の間その繰り返しでした。水やりは欠かしませんでした。
2009年8月30日日曜日
帰りに振り返ると夜の霊園の灯台のようです(寝る前のお墓参り)
2009年8月29日土曜日
個人でできる大きなリサイクルは新車を乗りつぶすことです(無事是れ名車なり_車のリサイクル)
40万キロ、50万キロだそうです。以前テレビで見たのですが、この数字は日本で廃車になった大衆車を東南アジアでタクシーなどにリサイクルした場合、日本で廃車になった中古車が本当の寿命を迎える走行距離だそうです。たいてい10万キロに達するまでに日本のユーザは廃車にします。私の車も20年乗っていますがまだ走行距離が10万キロにも達していません。40万キロでポンコツから考えると10万キロ未満で廃車にするなんてとんでもない話です。
自動車への考え方はいろいろありましょうが、自分は目的地まで安全に行けることがすべてです。高機能やカッコよさを気にしません。もうひとつは維持メンテにお金がかからないことです。故障しない車が理想です。この前の車、中古車を買い10万キロ以上まで乗った経験によると、部品たとえばダイナモなどが壊れると他の電気部品も寿命を迎えて次々と故障します。度重なる故障に泣いた経験からこの車は日本で一番販売実績のある大衆車種にしました。販売実績はユーザーからのフィードバックに比例しするし、結果故障が改良されて壊れにくい部品の製造でより売れる車へと長年にわたり進化したはずです。よく売れた販売実績と故障頻度は反比例するのではないか。この期待に車は見事にこたえてくれタイヤ、ワイパーなどのどうしようもない消耗品を除くと故障は昨年換えたクラッチだけです。クラッチも大きな高価な消耗品の一種ですが。20年間でメンテナンス費用はこの6万円だけです。
平均7年ほどで買いかえるとすると購入金額が200万ちょっとだったので、自分の車をリサイクルして400万円ほど節約したことになります。大衆車が200万ちょっとは高いでしょうが、フルタイム4WDなのです。フルタイム4WDは高速道路で少しぐらいの積雪や大雨でもしっかりと路面をとらえます。急カーブでも路面をとらえる力が大きいのかタイヤがキューと泣かないのです。欠点もあります。7000キロ程度の走行距離でタイヤ交換しなければならないのです。車のマニュアルに書いてあったタイヤをローリングをしても同じです。車の修理屋さんはまだ乗れるのといいますが走行距離が数千キロになるとタイヤのブレがハンドルに伝わり気になります。タイヤを早目に交換するのは安全運転に貢献するんだと思い泣く泣く修理屋さんに持ち込みました。タイヤはゴムが一番減りにくい硬いつまり一番値段が安いドイツ製のノーマルタイヤにしています。ここ3年ほどは雨ざらしから家のシャッター付きのガレージに入れていますのでタイヤ寿命が1000キロ程伸びたかも知れません。ワイパーの交換時期は雨ざらしをやめてから確実に長くなっています。ゴム類は直射日光と雨に弱いようです。4WDの欠点もありますが次回の車もフルタイム4WDの予定です。 写真は15年以上雨ざらしにした愛車のダッシュボードです。さすがにあまり人に見られたくはありません。高速料金の支払いの時強い視線を感じましたがETCのおかげでそれは解決しました。
今年3月はお金が入り新車購入のチャンスだったのですが、寿陵建立でまだ当分この車にお世話にならなくなりました。ところでお墓参りにとって車は重要なアイテムです。霊園までバスの送迎がありますが、1日数回の本数です。明日の仕事はよくないことが起こりそうだ。こんな夜はトラブル回避のために寝る前にお墓参りをして明日に備えたいと思っても車がなければどうしようもありません。バスの運行は当然日中です。車なら片道10分で真夜中の墓参も可能です。真夜中の墓参で安心して寝れます。
2009年8月15日土曜日
胸が熱くなったのはご先祖のお告げ、ご先祖の啓示でしょうか(ご先祖はいつも私を見ている)
ある時街を歩いていると仏壇店を見つけました。風で消えないローソクを探そうと思って入りました。仏壇店に入って、展示している仏壇が安い物で5万円で買えるとわかったのです。当然外国製です。自分には分相応の仏壇と思い購入を決めました。購入後持ち帰る必要はなく土曜日に配達してくれるのもありがたかった。
2007年8月21日にお金を持って仏壇屋に行きました。そこで少し大きめの仏壇が気になり値段は7万円でした。なんとなくこれの方が2万円以上に優れていると感じたのです。お墓はワンランク上げると50万円差でしたが、2万円ではほとんど悩まなかった。位牌やローソク立て一切のセット7万円を仏壇店の店主に差し出した時です。胸が何の前触れもなく息ができない程、カァーと熱くなったのです。5秒間だと思います。胸が熱いというよりもっと正確に言いますと左右の肺の上部が熱くなったのです。 胸が熱いとは丁度高温のサウナなどで熱い水蒸気を吸いこんだ感覚です。外国のホテルでサウナの室温を上げるために、ヒーターの上に置いている匂い消しの石に水をかけて発生する水蒸気で室内の温度を上げるサウナがありました。日本ならそんなことをすればヒーターが痛んだりフィンランドの石割れたりするのであり得ませんが。その水蒸気を吸いこんだ感じなのです。熱くなったのは左右の肺の上部です。社会人になって墓参りをしない実家の法要に参列しない私が仏壇を買ったのがご先祖を驚かしたのか確かに見たぞというご先祖のお言葉、ご先祖のメッセージかも知れません。仏壇が届いた土曜日さっそく梱包を開けて2階の南東の部屋の腰ぐらいの高さの台に置いたところ仏壇の幅と台の幅がぴったり一致しました。5万円の仏壇は10cm以上幅が狭いので台の幅が余ります。最初5万円に目をつけて7万円の仏壇が気になって目移りしたのもご先祖が教えてくれたともいえます。位牌には戒名も入れてなくお坊さんに頼んでお性根入れもしていません。子孫である私の朝夕の供養で必要ないと考えました。ただこの家で一番最初に朝日を浴びるのはこの南東に位置する仏壇です。
その後実家のお墓参りは月一度程度の頻度で行いました。実家のお墓参りの御利益は確かに仕事をしているとき運が良い、ツイていると感じたことが頻繁に起こりました。実家のお墓参りの御利益の期間は2週間程度でしょうか。お墓の代金は墓地の永代使用料と墓石台とほぼ半分づつを2回に分けて支払いました。1回目は仏壇のこともあり左右の肺が熱くなるのを身構えて待ちましたが何も起こりませんでした。それであの仏壇の時、肺が熱くなったのは体調のせいでご先祖のお告げとはあまり関係がなかったのかと思い直したのです。2回目に残りの現金を支払った時、左の肺の上部が熱くなったのです。右側は何もなかったのですが、やはりご先祖様からの啓示メッセージのようです。だとするとありがたいことにご先祖はいつも私を見ているということです。先祖供養に使った金額とは無関係のようです。
この写真は苔が燃えたご先祖のお言葉により実家の墓から持ち帰った墓地の苔です。捨てるわけにもいかないので家庭菜園に入れました。次回の実家の墓参ではへらを使って徹底的に苔を除去するつもりです。苔を燃やすことでご先祖のお告げを伝えてくれたのです。そう思っています。
2009年8月9日日曜日
手を汚さないでウナギを焼く
さてかば焼きのたれですが、原料はうなぎの骨のダシ、みりん、醤油のようです。うなぎの油も加わって手につけばかなり厄介で、不快な目にあいます。これも手を汚さないで魚の味噌漬けを焼く のようにプラスチックのケースを利用します。
冷凍庫から取り出し常温に戻して、うなぎのかば焼きをケースごと半分に切ります。天然砥石で研いだよく切れる出刃庖丁のお手柄です。
2009年7月25日土曜日
深夜のお灯明は周りのお墓も引き立て役にします。
さて23時の誰もいない墓地です。両側サービスしてもらった石製の灯篭と上二つのガラス製のローソク立てに火を入れました。ガラス製のローソク立ては石製の灯篭が出来たら持ち帰り実家のお墓に移すつもりでした。明るさが断然優れているので残すように決めました。深夜四本のローソクの灯明は自分のお墓だけに明るくともっています。この広い霊園を夜の海に例えれば、ご先祖や船を導く灯台のようです。10代20代とさかのぼれば何百もあるこの霊園のお墓でご先祖様が共通するお墓も必ずあるはずです。どこのどなた様のご先祖様かは存じませんが。他のお墓で休んでおられた古い私のご先祖様もこの明るい灯明でこちらに来て下さるかも知れません。
私の墓の強みはお骨がなく何のしがらみもない新築の家ということでしょうか。供養の回数も真心も自信があります。お墓が外界と赤土でつながっているのは安い小さいお墓ではここだけのはずです。周囲のお墓はコンクリートと分厚い花こう岩で密閉され熱がこもる息苦しいお墓です。真夏の直射日光も赤土の水分で内部の温度を下げるはずです。そんなわけで加護して下さるご先祖を募るためにも大きな霊園を選んだのは良かったかもしれない。すこし気味が悪いですが、他に墓参者がいない分深夜の墓参は功徳が大きそうです。見たことはないのですが火の玉や幽霊が人に危害を加えたという話は聞いたことがありません。おまけに片側2車線で交差点では片側3車線4車線になる高速道路のような霊園までの道路は車が少なく事故の心配がほとんどありません。深夜の燈明と墓参はいいとこずくめです。
下が墓石を立つ前の最後の写真です。何枚も撮りましたが背景が暗くローソクの火が目で見たように強調されている写真はこれ一枚だけでした。ストロボが昼間と同じように背景も明るくしてしまいます。夜の灯明の撮影は難しいです。
誰でも知っている由緒ある大きな寺院に行った時です。先祖をこのお寺で供養したいのでどのような方法がありますかと尋ねると生前の名前か戒名を僧侶が唱えて7日間灯明をあげるサービスがあるそうですが、線香をあげる供養の方法はないそうです。灯明サービスは一人2000円ほどでしたので申し込みました。こうしたことから線香より灯明の方が霊験あらたかということでしょう。
2009年7月23日木曜日
新聞社の善意と使命を装って「号外です。どうぞ」 ひっかかりました。
2009年7月13日月曜日
お墓を覆うコンクリートに息抜きの穴を開けてもらいました
深さをチェックするため金串を用意しました。 長さは30cm少しあります。
基本的には、傾いたら施工業者が無料で修繕するシステム。強度ばかり気にして快適さを考えない。見えないところには手間をかけたくない。安い墓地で面積の小さいお墓。1グラムでも大きい墓石にしたいのか墓石が大きすぎ重い。思うにお墓は墓石より地面(墓地)が肝腎と考えます。こうした事情が息苦しいお墓を作っている原因のようです。お金があればもっとゆっくりできる大きな面積のお墓にできますのに。ご先祖様大金が転がり込むようにして下されば必ずもっと大きなお墓を立てます。これがいま自分にできる精いっぱいなのです。お許しください。
2009年7月12日日曜日
ご先祖のお言葉なのか気になって墓地に行ってみると約束は守られていなかった
下の写真は他の方のお墓の基礎工事です。洋式のお墓のようです。中央はお骨を入れる場所でしょう。これでもかというように墓地全部をコンクリートで固めています。中に入るお骨はいかにも息苦しそうです。
さっそく契約した石屋さんの担当者に電話で文句を言いました。何のために50万円出したか分からない。50万出せば両側に地中に達する赤土が出せてお骨を納める部分は赤土でつなげることができるというお話でなかったのか。石屋さんの立場はコンクリートを詰めなければ強度に問題が出て傾いたらこちらが保証しなければならないので両側に土を詰めるわけにはいかない。工事をお客に見せなかったのも手落ちだといってくれました。少しぐらい傾いてもいい。大きい墓石を売りたいために墓石が大きすぎるのではないかとも言いました。結局全部を赤土にはできないが両側に一ヶ所づつ穴をあけて工事の一部をやり直すということで落ち着きました。両側のスペースがコンクリートとは説明を受けていなかったのです。
2009年7月11日土曜日
見えないところはゴミだらけ。(地表から20cm下の墓地の中)
そんなことがあり表面は小石などが少なかったのですが、墓地の地下が気になりました。常識的に考えて、もしご先祖の御霊がこの墓地に宿って下さるなら赤土以外の小石やゴミが混ざった状態が居心地がいいとは到底考えられません。契約時に石屋さんにスコップで掘り返して赤土の中のゴミを取りたいといいますと、30cm以上掘るのはやめてくださいとのことでした。理由を聞くとあと二か月で重い墓石を立てるので掘り返して基礎がゆるくなると墓石が傾く恐れがあるとのことでした。墓石が傾くと工事した石屋さんがやり直さなければならない契約になっているそうです。20cm程度ならいいだろうと家庭菜園で使う移植ごてで掘り返してみました。土に湿り気があるので、移植ごてを差し込んでこねると大きな赤土の塊となります。その赤土の塊を両手でもみこんでつぶすと土や砂は細かいので指をすり抜けゴミだけが手に残ります。そうして取り除いたのがこの写真です。ゴミだけでなくご先祖様の御為にできる限りのことはしたという満足感も残りました。 土が付いていてわかりにくいのですがゴミは小石だけでなくコンクリートの小片も多かった。アスファルトとコンクリート、道路工事の廃土の疑いが強まりました。あとは溜まるほど水を混ぜ合わせて土を軟らかくして、ステンレスのヘラで表面を整地しました。
2009年7月4日土曜日
あきらめていたのに芽が出ました
渓流釣りをしていた頃大きな山越えをしないと入渓できないヤマメの多そうな渓流を狙っていました。夏のシーズン中はどうしても山越えのけもの道の入り口が分からず秋になって地元の人に聞いて林道から見えにくい入口を見つけたのです。翌春のシーズンに備えて魚影の量の確認とルートの確認のためそのけもの道を上っていました。けもの道から離れた場所にコブシの花のようにぱっくりと開いたアケビの実を見つけました。猿のいる山でどうしてアケビの実があるのだと思って、蔓の巻きついている木に近づくとようやく合点がいきました。30個ほどの熟した実をつけているアケビの蔓は細かい棘が密集したタラの木に巻きついていたのです。猿はこの棘を嫌がったのに違いなくアケビの実を取ろうとすると必ず手足に鋭い棘が刺さる仕組みになっています。タラの木のおかげで30個ほどの実は代わりにいただきました。
2008年2月と2009年2月22日にこの場所5cm程の地中に10cm程の一本の根を植えました。2008年のは夏まで待っても地上に何の変化もありませんでした。枯れたのです。2009年2月22日埋めたのは5月2日に2ヶ月少しでついに地上に芽を出したのです。日本の野山に自生する山菜の王様、民間療法でその根を煎じたのを飲むと血糖値を下げるとかいう植物です。熱帯のグァヴァではありません。タラの根です。
このタラの木は商品袋の能書きによると品種改良して棘のないタラの木だそうです。タラの棘は猿だけでなく私も嫌いです。皮膚に刺さると折れて中に残るからです。直径3cmほどの太さになるには3年ほどかかるそうです。芽が出た以上は山でも育つタラの木のことですから大きなタラの新芽を天ぷらにするのが楽しみです。機会があれば成長の度合いをまた書きます。