
ある時カウンターに座り目の前で一品づつテンプラを揚げてくれる天ぷらコースを食べました。天ぷらセットで出されるのでなく揚げたての熱いうちに食べる高級コースです。確か生シイタケの天ぷらの次に出されたと思いますが、マイタケですと和紙の上に置かれた天ぷらを見るとそれまでの失敗のシーンが頭に浮かび美味しいからでなくもったいないから食べようとしか考えなかった。まったく期待しないで口に入れたのにシイタケ以上の旨みがあったのです。その時しみじみと脳裏をよぎったのはそれまでは水を使った料理だった。マイタケはあまりお米がとれない山村の山の幸です。中国のような農産物豊かな大平原でもない日本の山村で昔から照明にも使える高価な油を使った料理が普及していたとは考えられません。安価ななたね油が開発されたのが戦国時代の終わりだそうです。庶民に油料理が普及したのは明治以降かも知れません。昔からあったマイタケ料理は当然味噌汁、吸い物などの水を使った料理のはずです。あくまで山奥い山郷をイメージしてみそ汁などに使って試食したのでした。水を使う料理では60度前後の低い温度でマイタケは旨味を出すそうです。とにかくテンプラがおいしかったので家に帰って真似をしたところ旨みが強く感じられました。もう一つの販売促進のキャッチフレーズは免疫力アップです。マイタケ成分のなんとかがガンの免疫療法に聞いたかという紹介記事があった記憶がありました。現在の科学ではキノコ、植物に含まれるたんぱく質のすべてを分析するのは不可能なのです。ですから発見できた成分の一つを捉えて免疫力を強めると主張しても他の未知の含有成分で打ち消されるかも助長されるかもわからないのです。たった一つの有効成分に注目するのは意味がないことかも知れません。マイタケは油を使うという新しい発想がこの野菜炒めの作成に役立ちました。
ルーシー原人以来、人類は地上では大戦争の繰り返しでした。動乱→帝国の崩壊→大戦争→新帝国の成立の繰り返しが歴史でした。しかしどんな大戦争による政府、朝廷ができても私のような庶民にはあまり関係のない戦いでした。しかし庶民の体の中では駆逐するか生き残るかの激しい戦いの歴史があったのです。水虫などのように人体と共存できる病原菌以外は、侵入した病原菌、自分の細胞から発生した新生物と免疫との大戦争です。もし私の先祖が子孫を残す前にミクロの決戦に負けていれば自分が存在しないのです。今世間を騒がせている新型インフルエンザにも先祖は何度も遭遇して駆逐したからこそ自分があるのです。既存のインフルエンザも過去には新型インフルエンザであったはずです。欧州で大流行したペストも人類が初めて遭遇した未知の病原菌でした。日本の京都にも流行病(ハヤリヤマイ)という病名で大勢の病死があったといつの時代にも記録されています。テレビなどによると人類が遭遇して抗体をもった歴史が自分のDNAに記録されているとのことです。私も人様より、よりよい暮らしをするという地上での競争からは落ちこぼれましたが、免疫戦争では勝利して今のいのちをつないでいるのは確かです。もともと生まれながらにしてどんな病原に遭遇しても生き残れる素質を持っているのです。そしてほんの少しの栄養などの助けがあればもっと強力な免疫を持つことができるはずです。そのほんの少しの自分で工夫した天然のサプリメントがインフルエンザ感染を予防した野菜炒め(免疫力アップのマル秘レシピ)であって欲しいのです。









生け花は菊にしろカサブランカでもつぼみで買います。それの方が持ち帰り時に花を痛めません。開花から枯れるまで長く楽しんでもらえます。水を濁らせなければ真冬なら大菊で一か月はもちます。毎日水を換えることが出来たらいいのですが、それでも花瓶の内側に付いた微生物まで毎日ブラシで落とす人はいないでしょう。カサブランカは開化の瞬間に最高に香りを放出します。帰宅すると匂いで開花したのがわかります。
自分でつぼみから咲かした花は愛着もわきます。再利用したペットボトルは汚れが目立たないうちに早目にスーパーの回収ボックスに返します。スーパーも大変です。近くに3軒もあるのです。ペットボトルが汚れているからと回収を断れば他店に逃げられかねないのです。便利の良い駅の近くに住むのはありがたいことです。
とりあえず土瓶蒸しにします。土瓶蒸しは経験ありません。カツオの厚削りと奮発した羅臼昆布です。少し千切って口に入れましたが後味まで甘い。贅沢な昆布は贅沢なキノコに合いそうです。
昆布とカツオ、みそ汁用のスープ少々の元のだし汁です。脱化学調味料主義で化学調味料、だしの素、昆布茶など市販の調味料は入れていません。昆布の塩分が上品な塩味を演出しています。
三つ葉とマツタケ一本を土瓶に入れました。深底の鍋に入れて20分ほど蒸しました。
蒸しあがりです。ダシの色はマツタケからのエキスもあるのか写真よりも濃くなっていました。元のダシはカツオが本物だったのか結構な酸味があり好みでした。この松茸を入れたダシはもっと酸味がきいていてさらにおいしかった。ただマツタケの香りが全くしません。この松茸が日本産なのか外国産なのか見た目では区別がつきません。次回は別の県のブランドにしようと思う。食感も郷里のマツタケはもっと弾力があった気がする。たまたま今回に限りこの松茸だけがが悪かったかもしれない。原因は産地より商人か料理方法にありそうな気がする。



目で見た風景はこんな感じです。ストロボで明るくなっている手前を背景の黒で塗りつぶしました。近場で寿陵建立の見返りは確かにありました。精神的にお金では買えないものやるだけのことはした、これでお客に叱られても仕方がないという安心感が得られます。開眼法要後は今のところ仕事はうまくいっています。



この写真は苔が燃えたご先祖のお言葉により実家の墓から持ち帰った墓地の苔です。捨てるわけにもいかないので家庭菜園に入れました。次回の実家の墓参ではへらを使って徹底的に苔を除去するつもりです。苔を燃やすことでご先祖のお告げを伝えてくれたのです。そう思っています。

焼きあがりです。少し焼き過ぎですが香ばしさととろけるような食感は同じです。電子レンジで焼くとアルコールや水分子しか熱くなりません。したがって100度以上にならなくて油が焼ける香ばしい匂いはしないでしょう。電子レンジの高周波は油を温めないのです。ガスコンロにおまけのようについているガスオーブンでもウナギの香りが立ち込めます。うなぎは土用を少し外しても土用うなぎです。土用が過ぎてもスタミナを消費する猛暑は相変わらず続くのです。
下が墓石を立つ前の最後の写真です。何枚も撮りましたが背景が暗くローソクの火が目で見たように強調されている写真はこれ一枚だけでした。ストロボが昼間と同じように背景も明るくしてしまいます。夜の灯明の撮影は難しいです。




別の場所でもチェックしました。問題ありません。






