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手相の本には掌三峰隆起紋 別名億紋とか大層な名前を付けています。それにしても億紋とはあまりにも現実とかい離がはなはだしい。中高年が職を得るのが難しい昨今で失職しないよう、その日食べていくのが精いっぱいの自分が億を手にするとは信じられないです。グーグルで掌三峰隆起紋を検索すれば数件以上ヒットするのでそう珍しい手相ではないのでしょう。手相の本の著者が本に注目を集めるためにかなり大げさな表現をしたのでしょう。1万人に一人とかいうそんな希少な手相なら両手に掌三峰隆起紋がある人間が存在するはずがないのです。確率なら両手で1億分の1ということになります。これに四直紋の確率を掛けると人間の人口より多くなり、私はこの世に存在しない人間となります。1万人に一人が誇張なのは真実に近い表現の写真を載せているこのブログの写真が証明しています
三峰紋は子供時代からあったわけでなく、もともと右手の人差指と中指の間が少し膨らんでいました。運命線の終端が少し凹んでいたのです。
胸が熱くなったのはご先祖のお告げ、ご先祖の啓示でしょうか(ご先祖はいつも私を見ている)に書いているように2007年8月21日に仏壇を購入して半年たった頃でしょうか、右手の太陽線に変化を見つけました。よく見ないと見えないほどの薄い1cmほどの右太陽線がピアノ線に押されたように少し凹みだしたのです。陥没(影の濃さ)は毎年進み一年後目視で影がはっきり見えるようになりました。そして2009年頃(先祖供養塔建立)から下の感情線に向かって成長しだしたのでした。現在は感情線を下に5ミリほど突き破っています。私の場合三峰紋と関係があるのは太陽線の陥没、凹みです。右手太陽線の陥没によって三峰紋が形成されたのでしょう。感情線より上の運命線の中指の根元の凹みも前より沈んだ気がします。
左手の太陽線は運命線に向かって延びましたが気がつくような窪みはなかった。でももう一本の太陽線が出来て中指と薬指の根元の陥没が現在進行中のようです。その証拠に左手の中指と薬指の根元の凹みは、右手の人指し指と中指の根もとの凹みより浅いのです。左手の太陽線(薬指の根元)のへこみがもう少し進めばバランスのとれた三峰紋となるでしょう。右手は手首側から三峰を覗くと運命線と三峰線が同じ程度凹んでいます。左手のためにも先祖供養に励もうと思います。
ところで私の両手に神秘十字線と呼称されるものがありますが、これもその希少性に疑問を感じています。同僚の一人に両手に神秘十字線を持つ方がおられるしあと数人見ましたが全員が片手に神秘十字線がありました。手相鑑定していただいた占い師からも三峰紋と同じく、神秘十字線の言葉は聞いたことがありません。今回の手相鑑定の一番の収穫は凶相がないということでした。
それ以来この手相占い師を信じています。年に1度は見てもらうようにしています。3年前、私の手相や生年月日から性格を論じるだけで手相のことはあまり言わなかった。昨年、手相はよいに変わりました。何がよいか言わなかった。こちらも聞きませんでした。
左手は小指の付け根の財運線が4本ありそのうち右2本が明瞭で長い。そのどれか1本が財運線だそうです。あまりはっきりした財運線ではないとのことでした。よく見れば財運線らしきのが1本あるとのことでした。どちらかが財運線と断言しましたが、忘れました。向上線 運命線 太陽線 財運線4本そろっているので四直紋だそうです。四直紋の太陽線は生命線や運命線にくっつくまで長い必要はないそうです。四直紋の構成要素、財運線も感情線を突破するほどの長さが四直紋の条件にはならないとのことです。とにかく4本揃うのが珍しいとのことでした。特に人差し指に達する向上線、2本ある太陽線が珍しいと言われました。私が一番弱いのは財運だそうです。
財運が弱いのは自分でもわかっています。自分の考えですが、四直紋の定義はなく占いの先生によって私の左手は四直紋でないと言われる可能性がありそうです。
下の右手の写真ですが、間違いがあります。薬指の下に黄色で向上線となっています。以前の画像の字を消し忘れたものです。前回の投稿にも間違いがあります。太陽線と努力線をネットのブログなどから同じように記述していますが、生命線から人差し指に向かうのが向上線。生命線から中指に向かうのが努力線だそうです。これは占い師から指摘されました。私の左手の努力線は向上線とは別に存在します。中指の下で運命線とクロスしているのがそうです。右手の太陽線ですが仏壇を購入した4年ほど前からありました。当時は太陽線が薄く感情線に達していませんでした。1cm程度と記憶しています。仏壇を購入してから、太陽線が陥没しはじめ濃くなってきました。そして凹んだまま下に伸びていったのです。現在の写真は感情線と頭脳線の中間くらいまで太陽線が成長しています。写真はストロボを焚いていますから分かりませんが、右手の太陽線には凹んで影が見えます。先祖供養と手相の変化は時期的には一致します。昨年お墓を建立したので今度は財運線が成長すれば嬉しいです。
確かに先祖の御霊を見たことがないのは事実です。当時の自分には大変説得力のある言葉でした。先祖の御霊は天国に行く前しばらくはお墓にも眠っていると言うと、お墓、葬式、仏壇は先祖のためにあるのではなく残された生きている家族のためにあるんだ。生きている家族の悲しみを癒すための道具立てにすぎないとの理屈を言われました。それももっともな話と思い見たことがない物、つまり存在しないものにすがったりお祈りをするのは迷信でありそうした迷信の助けを借りようとするのは無能の人のすること。自分はそこまで落ちぶれないでおこうという考えにいつしか染まっていきました。そして社会人になってから実家の法要に参加しない、お墓参りはしないなどという取り返しのつかないことをしてしまったのです。仏壇には帰省のたびに線香をあげました。亡父の写真が飾っていたからです。
もし今そのようなことを言われたら相手の身元を聞いて見る(たぶん私の先祖を恐れているとかいう近所のお年寄りの縁者、親戚と思う)。相手が自分の名前住所を明かさないで、酒を飲みたくなったからこの神社に立ち寄っただけの通りすがりの者というでしょう。
「顔は憶えたのでお寺の墓の前で今日こんなことを言われたと報告してみる」あるいは亡父に禁じられた言葉「先祖が許さない」を言ってみるのも面白そうです。
「天国にいるはずのご先祖が宇宙船から見えない」の理由は地球の軌道よりもっと遠くの冥王星の軌道までいかないと見えないと答える。どうして冥王星だといわれると冥福、冥土というから先祖がいる天国は冥王星の近くなのです。あの当時は理路整然とした大人の理屈には抗すべくもありませんでした。祭りの後何度か思い返したのですがその通り正しいというのが何度もたどった結論でした。近所のお年寄りの方針 △わけしり爺さん△ あの祭りの日の3人の男性の行動は先祖供養から遠ざけるための私への刷り込みだった気がします。