2010年12月31日金曜日
2010年12月29日水曜日
手相が変わる人かもしれない。儲けてる人の右手は三峰紋でした。
なんでも注射器を使うもっと違法な薬より保険と路上生活者を使って集めたこの薬のほうが仕入れ価格が格段に安く儲けが大きいらしい。彼の右手が四直紋かは確認できませんでした。左手のほうは全く確認しておりません。でも彼は大変なお金を稼いでいるはずです。私は両手三峰紋ですが収入は株をやめた分だけ減っているのです。
この商売を現在はしていないと言っていましたが、これが嘘にしろいつまでも薬事法に違反するようなことを続けられるわけがありません。彼はいずれ正業につくでしょうが、その時収入が急激に減り手相が変わって三峰紋がなくなってしまうのかと変な心配をしました。下の写真は私の右手三峰紋です。そんなわけで掌三峰隆起紋も神秘十字線と同じくありふれた手相なのかもしれません。だんだんその思いが強くなってきました。
顔が映っていない映像で思い出したのが包丁と砥石に関する有名なこの本です。刺身用の柳包丁の裏を研いでいる写真ですが、手の持ち主の顔は映っていません。写真の主の噂を聞いたのが山手線御徒町から歩いて15分ほどの包丁店でした。
2代目の店主は先代の父親から包丁研ぎを学びそれが最高の研ぎ技術と信じていたらしいが、研ぎに関して全国的に有名な表紙を飾った方から和包丁を仕入れていた。その人が東京に出てきて、お客である包丁の卸先をホテルに集めて研ぎの講習会を開催する案内が来たらしい。卸先とのつながりを強め日頃のご愛顧に応えるのが趣旨だったらしい。御徒町の包丁屋は少しプライドが傷ついたがよいところは受け入れ取り込もうと考えて研ぎの講習会に出席したらしい。どうでしたかと聞くと自分よりけた違いに研ぎはうまいとのことでした。父親の技も捨てがたく両方をミックスしたのが今の自分の研ぎだと言って何とかつじつまを合わせていた。
本の上に置いているのが私の出刃包丁で写真の人に研いでもらった直後の包丁です。その後何度か自分で砥石を当てています。刃道を忘れないようにと記念に撮影しました。顔が映っていないその方は「研ぎが上手な人が研いだ包丁は引いたときによく切れる。誰が研いだ包丁でも押したり突いたりしたら簡単に切れる。あなたの包丁も青砥による自然なハマグリで引いても切れますが、引いても切れるを意識して研いでいない。それでも普通の板前さんよりは上手です」などと意味深なことを言いました。「ではどのようにすれば引いても切れるを意識して研げるのですか」店主は口を濁し話をそらせました。公開するのを惜しんだようです。最近ようやく引いても切れる包丁を意識しながら研げるようになりました。答えは写真の出刃庖丁にあります。名人に教えてもらったのでなくその技を盗んだのです。そのうちブログで公開します。
2010年12月19日日曜日
2010年の里芋は失敗でした 里芋栽培は一年休みます
アブラムシ以外にも恐ろしい里芋の敵が現れました。この気味の悪い虫です。今年何十匹も踏みつぶしました。それでも絶滅しないで晩秋まで出没しました。この南側が道路の家庭菜園が供給源となっているかもしれません。気味の悪い虫は里芋の葉っぱしか食べずこの家庭菜園で代を重ね冬はさなぎか卵で越冬しているようです。絶やそうと思えば1年食糧を絶つのが最善です。南側が道路の家庭菜園から里芋の葉っぱを1年間供給しなければ、絶滅は無理でしょうが相当数を減らせれるかもしれません。
2009年1月にケヤキの落ち葉の堆肥を仕込んでからジャガイモ2代里芋2代連作しました。2009年1月29日「ケヤキの落ち葉のリサイクル」 参照願います。そろそろ落ち葉の堆肥の効果も切れてきたのかもしれません。大きなジャガイモが出来たのも今までの経験から奇跡的だった。そのホクホクでなくモチモチした味もスーパの市売品ではお目にかかれないものでした。カレーに入れれば違いが分からないでしょうが。皮つきのままゆでたジャガイモを食べる食べ方では忘れられないようなおいしさでした。そんなわけで今年は落ち葉のリサイクルを再開します。
2010年12月8日水曜日
種まで愛してリサイクル 風呂桶の再利用
風呂おけに板を張ってフタをしてその上に物を置くのは風呂桶そのものを否定することです。この風呂桶の隣が有機栽培を標榜する南側が道路の家庭菜園という位置関係を利用します。風呂桶はお湯を冷まさないよう二重構造で保温性抜群です。冬でも発酵熱をある程度蓄え効率的に発酵を促進させるはずです。少なくとも発酵を阻害する0度にはならないでしょう。実際真冬に手を入れると暖かい。
風呂桶を否定せず機能と位置を生かしたリサイクル再利用を考えました。写真では有機栽培用のたい肥が季節にかかわらず出来ています。生ごみを地面の穴に入れると切り返しをした時や、家庭菜園に戻す時悪臭がします。生ごみ処理を土の穴から匂いが出ない家の中に変え発酵を促進させました。
2010年11月15日月曜日
Winビスタはメモリを食います
ひらがなから漢字に変更するまで2分もかかるのです。ビスタとgoogleは相性が悪いのか?ビスタは私には不要と思われる機能がたくさんあり、そんな処理にCPUの稼働がとられるのかなどと待つ間に理由を考える毎日でした下のウイルスチェックを多重で実施するともう地獄です。遅いという事態はさらに悪化します。
メモリは1GありWinビスタの許容範囲に入っているのを購入時に確認している。会社のWinXPも確か1Gだったを思い出した。 WinXPで1G OK 自宅のWinビスタでは1Gバイト NG これまでWindowsはバージョンアップのたびに必要としているメモリを増やしているのです。Winビスタで1Gバイトという現実がおかしいという結論に達しました。新しいパソコンは10万円以上2Gのメモリは2万円以内で済む。まずメモリを2Gに変えてみて、それでだめなら冬のボーナスで泣く泣く新しいパソコンを購入しようと思い至りました。
光学カメラの量販店出身の家電量販店に2Gのメモリの安いのを求めると13000円ほどでした。値引きポイントで1万円ちょっとでした。私の画面本体一体型のメモリ交換はかなりハードルが高い。高度な技術がいるからお店の人にしてもらったらどうかと言われました。PCを持参するのも面倒だしお金がないので自分でやってみる。もし無理ならその時はお願いしますと言ってメモリを持ち帰りました。
2010年10月3日日曜日
先祖供養はさらに吉相の手相を刻んでいます
占い師からは三峰紋という言葉は出ませんでした。ネットと蔵書から引用した言葉です。占いにもいろいろ流派があり流派によっては三峰紋という呼称さえないのでしょう。それでもおめでたい相となっています。
右手もそうなっています。手首のほうからみると右手の三峰のほうが太陽線(天祐線)の陥没が深く三峰が高いのです。しかし左手でデジカメを持って手首から右手を取るのはすごく困難であきらめました。
手相の本には掌三峰隆起紋 別名億紋とか大層な名前を付けています。それにしても億紋とはあまりにも現実とかい離がはなはだしい。中高年が職を得るのが難しい昨今で失職しないよう、その日食べていくのが精いっぱいの自分が億を手にするとは信じられないです。グーグルで掌三峰隆起紋を検索すれば数件以上ヒットするのでそう珍しい手相ではないのでしょう。手相の本の著者が本に注目を集めるためにかなり大げさな表現をしたのでしょう。1万人に一人とかいうそんな希少な手相なら両手に掌三峰隆起紋がある人間が存在するはずがないのです。確率なら両手で1億分の1ということになります。これに四直紋の確率を掛けると人間の人口より多くなり、私はこの世に存在しない人間となります。1万人に一人が誇張なのは真実に近い表現の写真を載せているこのブログの写真が証明しています
三峰紋は子供時代からあったわけでなく、もともと右手の人差指と中指の間が少し膨らんでいました。運命線の終端が少し凹んでいたのです。
胸が熱くなったのはご先祖のお告げ、ご先祖の啓示でしょうか(ご先祖はいつも私を見ている)に書いているように2007年8月21日に仏壇を購入して半年たった頃でしょうか、右手の太陽線に変化を見つけました。よく見ないと見えないほどの薄い1cmほどの右太陽線がピアノ線に押されたように少し凹みだしたのです。陥没(影の濃さ)は毎年進み一年後目視で影がはっきり見えるようになりました。そして2009年頃(先祖供養塔建立)から下の感情線に向かって成長しだしたのでした。現在は感情線を下に5ミリほど突き破っています。私の場合三峰紋と関係があるのは太陽線の陥没、凹みです。右手太陽線の陥没によって三峰紋が形成されたのでしょう。感情線より上の運命線の中指の根元の凹みも前より沈んだ気がします。
左手の太陽線は運命線に向かって延びましたが気がつくような窪みはなかった。でももう一本の太陽線が出来て中指と薬指の根元の陥没が現在進行中のようです。その証拠に左手の中指と薬指の根元の凹みは、右手の人指し指と中指の根もとの凹みより浅いのです。左手の太陽線(薬指の根元)のへこみがもう少し進めばバランスのとれた三峰紋となるでしょう。右手は手首側から三峰を覗くと運命線と三峰線が同じ程度凹んでいます。左手のためにも先祖供養に励もうと思います。
ところで私の両手に神秘十字線と呼称されるものがありますが、これもその希少性に疑問を感じています。同僚の一人に両手に神秘十字線を持つ方がおられるしあと数人見ましたが全員が片手に神秘十字線がありました。手相鑑定していただいた占い師からも三峰紋と同じく、神秘十字線の言葉は聞いたことがありません。今回の手相鑑定の一番の収穫は凶相がないということでした。
2010年9月30日木曜日
おまけしてもらって左手は四直紋でした。鑑定結果
それ以来この手相占い師を信じています。年に1度は見てもらうようにしています。3年前、私の手相や生年月日から性格を論じるだけで手相のことはあまり言わなかった。昨年、手相はよいに変わりました。何がよいか言わなかった。こちらも聞きませんでした。
左手は小指の付け根の財運線が4本ありそのうち右2本が明瞭で長い。そのどれか1本が財運線だそうです。あまりはっきりした財運線ではないとのことでした。よく見れば財運線らしきのが1本あるとのことでした。どちらかが財運線と断言しましたが、忘れました。向上線 運命線 太陽線 財運線4本そろっているので四直紋だそうです。四直紋の太陽線は生命線や運命線にくっつくまで長い必要はないそうです。四直紋の構成要素、財運線も感情線を突破するほどの長さが四直紋の条件にはならないとのことです。とにかく4本揃うのが珍しいとのことでした。特に人差し指に達する向上線、2本ある太陽線が珍しいと言われました。私が一番弱いのは財運だそうです。
財運が弱いのは自分でもわかっています。自分の考えですが、四直紋の定義はなく占いの先生によって私の左手は四直紋でないと言われる可能性がありそうです。
下の右手の写真ですが、間違いがあります。薬指の下に黄色で向上線となっています。以前の画像の字を消し忘れたものです。前回の投稿にも間違いがあります。太陽線と努力線をネットのブログなどから同じように記述していますが、生命線から人差し指に向かうのが向上線。生命線から中指に向かうのが努力線だそうです。これは占い師から指摘されました。私の左手の努力線は向上線とは別に存在します。中指の下で運命線とクロスしているのがそうです。右手の太陽線ですが仏壇を購入した4年ほど前からありました。当時は太陽線が薄く感情線に達していませんでした。1cm程度と記憶しています。仏壇を購入してから、太陽線が陥没しはじめ濃くなってきました。そして凹んだまま下に伸びていったのです。現在の写真は感情線と頭脳線の中間くらいまで太陽線が成長しています。写真はストロボを焚いていますから分かりませんが、右手の太陽線には凹んで影が見えます。先祖供養と手相の変化は時期的には一致します。昨年お墓を建立したので今度は財運線が成長すれば嬉しいです。
2010年9月27日月曜日
ブログを利用して好みの鰹のタタキにする
カツオのタタキの嫌いな人読んでください。(私のタタキの流儀) を表示させます。現在おかげさまでトップ表示です。
GoogleBloggerですと自動的に携帯グーグル検索画面に載せてくれます。携帯によっていつでもどこでも自分のBloggerブログを見たり見せたりできます。この便利さを利用しない手はありません。
そして日本料理店の給仕の方に携帯のこの二つの写真を見せます。
2010年9月25日土曜日
側溝の隙間に朝顔の種を蒔きました
好きな花は、胡蝶蘭、水連、おしろい花、朝顔などです。これらの共通点は色鮮やかということでしょうか。ぱっと見の色の強烈なものです。以前からこの側溝のコンクリートと家の土台である石垣の隙間に雑草が生えてこれを抜くたびに隙間がなかったら草引きをしなくてよいのにと思うことたびたびでした。昨年あたりからジャックと豆の木よろしく、朝顔の種をまいたら天まで伸びるのは無理として数輪の花ぐらいは付けるほど成長できるのではないかと期待しました。側溝の隙間は敷地の西側と東側の二ヶ所にあります。下が西側の隙間です。2本発芽しました。
東側の隙間です。どちらも南側が道路になっているので種を蒔いて1週間で発芽しました。日光の供給だけは申し分ありません。だたこの隙間は丈夫にするためか小石がびっしり詰めています。朝顔の根が入っていけるのか、成長に必要な養分があるのか、花が咲くまで成長できるのか、面積が狭いので保水力がないのではないか、盛夏に石垣とコンクリートで温度が上がりすぎ枯れるのではないかとかなり心配しました。
つい一週間前まで猛暑で一週間に一度ほど3輪の花を付ける程度でしたが、気温が下がった今週は10輪ほど毎日花を付けています。
高校入学直後の躓きと後悔2
悔いが残るのはそれでも先祖供養に思い至らなかったことです。祭りの日の刷り込みが影響したのかその時は、ソフトボール大会の躓きから解放された。彼には気の毒だが運がいい。病気の苦しみを想像できないほど健康だった当時、そんな運がいい程度しか感じませんでした。高校1年の終わりならまだやり直しが可能でこの時、祭りの日の刷り込みを払しょくしていれば私の人生も少しは今とは違ったものになっていたでしょう。でも馬鹿だったのです。
高校入学直後のツマヅキと後悔
高校入学直後の5月の連休に入る前だった気がします。新入生は学区の多くの中学校から集まってきており、お互いの親睦と親交を図るためクラス対抗のソフトボール大会を学校が開いてくれたのです。ゲ-ム中観戦をしていて対抗チームが攻撃の時、野次を飛ばす役目だったと記憶しています。H君が打席に立ったのです。周囲が野次を飛ばすので同じようにしているとH君がボックスをはずしてバットを持ったまま私の野次が気に入らないと言ってきたのです。「ゲームもヤジも遊びだろ」言い返した。こちらがほかに何を言ったのか今では記憶にありません。大勢でヤジっていたのに自分の野次にだけこだわられたのも不満だった。これは喧嘩になると覚悟しました。そんなやり取りをしていると「H君戻れ、次のバッターが待ってる、何をしているんだ」遠くからそんな声が聞こえ、H君はこちらに未練たっぷりで打席に戻った。
私の出身中学は田舎でH君のそれは地方都市にあり在校生は私の出身中学の10倍はありました。今考えたのですが、私以外に彼をヤジったのは顔見知りの同じ中学出身者で許せたのかもしれません。私の友人は中学校卒業後全員就職したので仲のよい友人はこの高校にはいませんでした。
ソフトボール大会が終わり一人で自転車で校門を出た時、数人のグループに呼び止められた。自転車を止めると周囲をぐるりと囲んだのでした。話があると囲まれたまま暗い通路に連れて行かれ「Hに謝れ」「謝らない」などと言い合いながら寄ってたかって小突かれた。彼らは数人のうち一人を暗い通路の入り口に見張りを立てるという念の入れようだった。殴られた場所も彼らは跡が残る顔は避けたようです。
誰でも経験するようなことですが、その後も集会などで人ごみの中で立っていると後ろからドンと肩をぶつける人がいるので誰かとみるとH君だったということが半年ほど続いたのです。
その夏休みに隣の高校でふとしたことで知り合った友人が出来たのです。Mは約束したことは守るというのがとても気に入りました。ハッタリなどいい加減なことと無縁だった。後で知った話ですが、入学直後に恐そうな大柄の同級生と大喧嘩をして相手の前歯を折り、顔中を血まみれにしたそうです。その恐そうな同級生は針で縫うほどの大けがをしましたが、警察に行ったり学校の先生に言ったりはしなかった。それなりに恥を知っているのです。Mは大柄でもなく風貌は別に威圧感を感じることはなかった。そして驚いたことに暴力団を恐がらない高校生だった。交友関係は不良グループを束ねたり群れたりはしなかった。彼の学校に遊びに行くとたいてい二三人の女の子とおしゃべりしていた。
H君が数人を集めるなら私もM一人に相談すれば仕返しはできたが3つの理由で嫌だった。もう済んだことでその後お金をゆすられるような被害はなかった。Mに相談すれば自動的に彼に関係のないことで彼を巻き込むことになるからです。大切な友人をそんなことに巻き込むのは気がとがめました。最後に彼に知られると「けじめの付け方が悪い」と軽蔑されるからです。相談するどころかソフトボール大会の一件が噂でMの耳に入るのを恐れたのです。Mが知ると独特の情報網でH君の住所を聞き出し夕方か夜訪ねて行ってこういうのにきまっています。「○×高校のMだ。お前の学校の×組の○○の友人だ。済んだことはいいがこれ以上馬鹿なことは考えるな。今日から家と顔は憶えた。俺の名前が知らないなら人に聞け」彼は友人なら当然とH君の家に行くのです。そして心では「情けない奴だ」と思うに決まってます。幸い入学直後のことで1年生全員が他校出身の同級生の顔を知らない時期だったのか、私とH君のことは噂にはならなかったようです。ソフトボール大会から半年後後ろから突然ぶつかってくるH君が見えなくなった理由が2年生なる直前に判明しました。あの時一言私が「野次を言いすぎた」と言っておけばよかったと悔いが残ります。
高校入学直後の躓きと後悔2に続きます
2010年9月20日月曜日
先祖供養と手相の変化 もう少しで四直紋完成かも?
1.努力線向上線の発現
最近手相を見てもらうと、「何があってもあきらめないで、コウジョウ線がでているよ」と言われました。勉強不足でコウジョウ線の漢字がとっさに浮かばずあまり嬉しそうな顔をしなかった気がします。先祖供養開始以前はそんなことを言われた例がありませんのでここ何年かに形成され現れたものなのでしょう。夢に向かって努力する程度を表すのが向上線らしいのですが、生来怠け者の自分は夢ばかり描き努力しないのですから、数本出て人指し指に達しない中途半端な向上線であるはずなのですが、1本はS字のようなカーブを付けて人指し指根元に達しています。右手にも1本あります。
これが努力と云えるかどうか不明ですが、励んでいるのが一つだけあります。先祖供養です。昨年7月先祖供養塔の開眼法要から今年7月までのお墓参りは200回を超えました。御利益があったお礼参りや供花の水を換える必要があったためそうなったのです。実際水が腐りにくい冬より夏に墓参が多かったようです。実家のお墓参りは年間13回墓参しました。伊勢神宮参拝は4回です。そのすべてで内容は先祖の冥福を祈願しました。たった一つのお願い事だけをしました。
2.太陽線の成長
現在太陽線は2本あります。左側が短く青線の補助線を入れている右の長いのですが太陽線は昔から知っていまして一本だけありました。現在の長いほうです。でもごく薄く長さも2cmほどでした。現在の写真のように運命線にくっつくようにはなっていませんでした。薬指の下に垂直に2cmほどで感情線にさえ達していませんでした。これは記憶にあります。
3.運命線
運命線も子供のころから中指に達していました。生命線から枝分かれして中指に向かっているのは同じです。ただ今のように一本の線ではなく鎖をつないだように途切れ途切れでつながっていました。
4.四直紋のもう一本
地丘付近から小指の根元に達すれば四直紋完成です。しかし青色の○のように二ヶ所で切れています。頭脳線と感情線の間に小指に向かう線があります。2つの青色の○の間の線です。これも先祖供養の実践から出てきました。以前はなかったような気がします。 どうもお金に縁が一番少ないようです。株も2005年からうまくいきません。小指の根元に達する線が弱いのは当たっています。
ところで私は人生の半分以上を消費した中年です。自分の将来がしがない年金生活者とわかりきっています。いまさら四直紋が完成してもあまり意味がないようです。10代なら大いに喜びますが。でももし四直紋完成すれば悪い気はしません。
近々私の僅かな昇給を予言して当てた四柱推命占い師に四直紋のことを聞いてみようかと思います。
2010年8月16日月曜日
天国にいるなら宇宙船から先祖が見えたのか(祭りの日の刷り込み)
酔っ払いの小唄の手伝いのリクエストもなく休憩していたときでしょうか、3人の見覚えのない40前後の男性に囲まれていました。3人は顔が赤く思いつめたような表情でした。我が郷里では子供に暴力を振るような人はなくそうした心配はなかったのですが何か決心したような気迫を3人に感じたのです。私を含めた数人の祭りの行事に参加した者、子供といえども祭りの期間中は一応「神の使い」待遇で大切にされます。
3人の見覚えのない中年男性はいきなり「先祖の御霊などはいない」と言い出したのです。誰も見たことはないというのが彼らの根拠でした。私が「先祖は天国にいるから見えないのだ」と反論すると「天国とはどこだ」上空を指さして「空の上」「ではスペースシャトルなどの窓に映っていたか」などと言い出したのです。さらに戦争をするのにミサイルの発射ボタンを押すだけでいい時代に先祖のみたまなど迷信じみたことを考えるのはおかしいなどと教えられました。
確かに先祖の御霊を見たことがないのは事実です。当時の自分には大変説得力のある言葉でした。先祖の御霊は天国に行く前しばらくはお墓にも眠っていると言うと、お墓、葬式、仏壇は先祖のためにあるのではなく残された生きている家族のためにあるんだ。生きている家族の悲しみを癒すための道具立てにすぎないとの理屈を言われました。それももっともな話と思い見たことがない物、つまり存在しないものにすがったりお祈りをするのは迷信でありそうした迷信の助けを借りようとするのは無能の人のすること。自分はそこまで落ちぶれないでおこうという考えにいつしか染まっていきました。そして社会人になってから実家の法要に参加しない、お墓参りはしないなどという取り返しのつかないことをしてしまったのです。仏壇には帰省のたびに線香をあげました。亡父の写真が飾っていたからです。
もし今そのようなことを言われたら相手の身元を聞いて見る(たぶん私の先祖を恐れているとかいう近所のお年寄りの縁者、親戚と思う)。相手が自分の名前住所を明かさないで、酒を飲みたくなったからこの神社に立ち寄っただけの通りすがりの者というでしょう。
「顔は憶えたのでお寺の墓の前で今日こんなことを言われたと報告してみる」あるいは亡父に禁じられた言葉「先祖が許さない」を言ってみるのも面白そうです。
「天国にいるはずのご先祖が宇宙船から見えない」の理由は地球の軌道よりもっと遠くの冥王星の軌道までいかないと見えないと答える。どうして冥王星だといわれると冥福、冥土というから先祖がいる天国は冥王星の近くなのです。あの当時は理路整然とした大人の理屈には抗すべくもありませんでした。祭りの後何度か思い返したのですがその通り正しいというのが何度もたどった結論でした。近所のお年寄りの方針 △わけしり爺さん△ あの祭りの日の3人の男性の行動は先祖供養から遠ざけるための私への刷り込みだった気がします。