2009年10月24日土曜日

内宮のお神酒をどうぞ

 外宮、内宮でご先祖のご冥福を切願してきました。内宮の帰り道でお神酒を買いました。背景が暗くローソクの火が強調されやけに明るいのは真夜中の墓前だからです。
ご先祖にお酒の好きな方がおられたらと供えました。普通のお酒ではなく休憩所で売っていた伊勢神宮のありがたいお酒なのです。明治の神社統合まで代々神武天皇ゆかりのお方を祀った社の氏子であった先祖がきっと喜んで下さると信じてお供えしました。お酒の香りがわかるよう備前焼の口の大きい器に入れました。他のお墓に休んでおられる私のご先祖もお神酒を目当てに遊びに来てくれればよいのです。 備前焼の中のお神酒は透明ですが白い器に入れると黄色です。翌日の夕方にはアルコールが飛んでいて少し酸っぱかった。防腐剤はないようです。撮影の後、口に含んでバケツに吐き出しました。もったいなかったですが、飲み込むと飲酒運転になります。

2009年10月11日日曜日

祖母は仙人と話していた(家の言い伝え)

実家の西口を上ってきたその老人の外見は、三角に伸ばした長い口髭、額は大きく光っていた。髪の毛がないというわけでもなく白い長髪が両肩に架かっていた。服は老人用のグレー系の和服だった。そうしてアメ色に光る立派な曲った長い杖を両手で持って喋っていた。忘れられないのはそうした容貌より祖母に言っていた内容でした。「〇〇の仏さんは怖いんだ。みんなが怖がっている。〇〇の家から出た者を苛めると〇〇の先祖が何倍も仕返しをする。このあたりの年寄りで知らない人はいない」終始含み笑いを絶やさないで喋っていたようでした。〇〇とは我が家の屋号で同じ在所集落に同じ名字の家が複数あり区別するために使っていたと思われる。近所の人は屋号で呼び合っていました。そのお年寄りが帰ったあと「おばあさんわからない。あの人はホトケって何を言っていたの。何が恐ろしいって」祖母は仏壇の鉦を鳴らしながら「いいんだ。お前はそんなことを考えるな。この家の者に悪さをするとうちのご先祖が代わりに仕返しをするとよそ様が噂しているって私をからかっただけ。お前はうちの子だしそんなことを考える前にこの仏様に手を合わせればいいんだよ」祖母が亡くなったのは小学校に入る前でもしかすると自分が言葉を覚え始めた頃の記憶かもしれないし、どちらにせよ幼いころの記憶としてはかなり古い記憶の部類に入るでしょう。仙人という言葉を知ったのは国語の教科書で小説杜子春を読んだのが最初と思われる。仙人という漢字を知りこの古い記憶が仙人お爺さんと記憶の中でまとまったのでしょう。両親は法事などもお寺がうるさいから嫌々していたような低落で先祖供養には熱心でなかった。亡父は先祖のことなどほとんど話題にしない人でした。今となっては仙人お爺さんが誰なのか知る由もないのです。ところが先祖供養を実践するうちにこの記憶が再び大きくなっていたのです。新宿西口の占い師のお言葉「あなたは大勢のご先祖に強く護られている。心配はいらない」の記憶も膨れ上がってきました。長い間先祖の御霊などは迷信に違いなく、そうした迷信の助けを借りようとするのは無能の人のすることと信念を持っていました。人様のことはいざ知らず、自分のご先祖の御霊は実在すると少しずつ思えるようになってきたこの頃です。仏壇やお墓を買った時、何の感動もないのに胸が熱くなったを書きました。胸を熱くしたのは決して自分の側には原因がなく、感動した事を代替強調表現でもなく、なにかの外的な要因以外に説明の方法がありません。