2009年6月13日土曜日

墓地に生えていた苔が燃えました。ご先祖のお言葉でしょうか

 まだ墓石もなく当然、入魂式、建碑開眼法要を済ましていませんが墓地だけでも遊びに来ていただけるようローソクと線香でご先祖にお知らせしております。ガラス製のローソク立てを買うまでは紙を巻いた風対策用のローソクです。前回お祈りと清掃した後ローソクが地面すれすれまで短くなり炎が風で揺らいだとき北側、写真では右の仮仕切りのロープの方向まで地面が燃えだしたのです。地面には地衣類か苔が生えており胞子をつけています。当然生きているのです。地面からロープに燃え移りさらに大きくなろうとしたとき、止めてくれと心で叫ぶとそれ以上燃え広がらなくなりました。あとは手で消しました。炎の色はローソクとは違っていました白に近い黄色で煤がなかった。純度が高い炭化水素、100円ライターの炎のようでした。
 どうして水気のある生きた苔と地面が燃えたかです。理屈は燃えるものがあったからでしょう。 下の赤の斜線で囲った部分が少し盛り上がっていて他と違うのです。ステンレスのヘラで剥がすとチョコレートの板のように固まっています。善意で考えますと墓地を管理している石屋さんが雑草などが生えないように何か有機物のようなものをまいたのと思われます。そして苔も何かしらの栄養があるのかここだけに生えています。 左側の白っぽい大部分には餌がないのか苔はありません。
 下の写真は赤い胞子をつけた苔です。もうひとつ燃えた理由を宗教的に考えるとご先祖様がこの土と苔を嫌がったとも考えられます。吉相墓などのネット情報を読むと墓石に苔が生えるのが吉とはどこにも書いていません。不幸が起こるとか皮膚病になるとか書いています。そこで居心地よく来ていただけるように赤い斜線の表土をすべてステンレスのヘラで取り除きました。

ジャガイモのリサイクル(収穫)

 予想通り6月に入り葉っぱが黄色くなり枯れ始めたので芋を掘りました。 新聞紙の上にあるのが今日掘ったもの、ボールにあるのが先週掘ったものです。時間をおくと皮が厚くなるようです。種類は北海道産のジャガイモをリサイクルしたものです。今年1月に芋を土に植えたものです。かなりふぞろいのジャガイモです。もっと小さいのがありましたが潰して肥料になってもらいます。次は12月に植えるつもりです。今度こそは芽が出た直後に芽かきをします。鮮度が落ちないうちに茹でて食べます。2月に植えた種イモはまだ掘っていません。毎日茹でたのを食べていますがかなりの量が収穫できそうです。
 2か月分でしょうか。ケヤキの落ち葉と畳のワラの完全有機栽培です。味にくせがありません。甘味は売っているのと同じでしょうか。しかし鮮度が違います。

2009年6月7日日曜日

新宿西口駅前手相占い師の一言

 もう10年前でしょうか。すっかり暗くなった新宿西口駅前を歩いていると10人ほどの占い師がいました。昨年は西口が工事が多く占い師も3人ほどでした。見料が残っているのを確認して一番経験が長そうな大柄の女性に声をかけました。
その手相専門と宣伝していた方に見料を払うと手のひらを見ると同時に言われました。「多くのご先祖がしっかりあなたを護っています。強いご加護です。安心して下さい」忘れられない言葉です。お言葉が「有力な先祖がいました」ならすぐに忘れたでしょう。護るとは動詞です。意思をもった生き物に使う言葉です。人間死ねば頭で考えることができない。死んでしまえば何も考えられない。意志などあろうはずがない。第一自分の先祖を見たことがないのです。ローソクの火と虫めがねを使いながら「最近浪費しています。それは後1年以上続きます。心当たりがあるでしょう」その夜も並木通り8丁目で着物を着た売上さんの見え透いたお追従でいい気分になっていた帰路でした。確かに浪費しているのは当たっています。お見立て通りです。あといろいろ教えていただいたがもう忘れました。
 当時は全く気になりませんでしたが、ご先祖様の強いご加護とは何を根拠にそんなことを言われたのか最近手相の本で調べると手のひらの一番下手首のすぐ上を地丘と呼びここが高くどっしりしていてこの付近の線が太く深い。中指の付け根に延びる運命線がこの地丘から出発している運命線を持つ人はご先祖の加護が厚いそうです。私の運命線は確かにそうなっています。
 今まで振り返ると交通事故、岩場からの転落、水難などで何度か棺桶に入るチャンスがあった。現在プログを書いているのは運良くピンチをかいくぐってきたからにほかありません。今の家購入を見送ろうかと考えたとき確かに何者かに導かれたような記憶もあります。もしご先祖が今まで自分を守って下さったなら当然お礼をしなければなりません。自分のご先祖の御霊なるものが実在すると仮定すれば、この占い師を通して、「俺たちはお前を護っているんだよ。しかるにお前の行状は運は自分で切り開くものなどと思いあがり、実家の法事には参列しない、墓参りもしない。少しは我々への報恩の念を持ってもいいのではないか」などと言わせていたのかも知れません。お目にかかったことがないので実感はないのですが、自分のご先祖の御霊なるものを意識した最初でした。