2009年7月25日土曜日

深夜のお灯明は周りのお墓も引き立て役にします。

 墓石が立ち開眼法要前夜のお墓です。法要式典のためかさらしをまいています。さらしはお坊さんの読経の前に霊園の方に手伝ってもらって下から巻き取りました。墓標の文字には自分の名前を入れておりません。あくまで先祖供養のための竿石だからです。名前は建立者として遠慮がちに左側面に小さく彫ってもらいました。
 さて23時の誰もいない墓地です。両側サービスしてもらった石製の灯篭と上二つのガラス製のローソク立てに火を入れました。ガラス製のローソク立ては石製の灯篭が出来たら持ち帰り実家のお墓に移すつもりでした。明るさが断然優れているので残すように決めました。深夜四本のローソクの灯明は自分のお墓だけに明るくともっています。この広い霊園を夜の海に例えれば、ご先祖や船を導く灯台のようです。10代20代とさかのぼれば何百もあるこの霊園のお墓でご先祖様が共通するお墓も必ずあるはずです。どこのどなた様のご先祖様かは存じませんが。他のお墓で休んでおられた古い私のご先祖様もこの明るい灯明でこちらに来て下さるかも知れません。
 私の墓の強みはお骨がなく何のしがらみもない新築の家ということでしょうか。供養の回数も真心も自信があります。お墓が外界と赤土でつながっているのは安い小さいお墓ではここだけのはずです。周囲のお墓はコンクリートと分厚い花こう岩で密閉され熱がこもる息苦しいお墓です。真夏の直射日光も赤土の水分で内部の温度を下げるはずです。そんなわけで加護して下さるご先祖を募るためにも大きな霊園を選んだのは良かったかもしれない。すこし気味が悪いですが、他に墓参者がいない分深夜の墓参は功徳が大きそうです。見たことはないのですが火の玉や幽霊が人に危害を加えたという話は聞いたことがありません。おまけに片側2車線で交差点では片側3車線4車線になる高速道路のような霊園までの道路は車が少なく事故の心配がほとんどありません。深夜の燈明と墓参はいいとこずくめです。
 下が墓石を立つ前の最後の写真です。何枚も撮りましたが背景が暗くローソクの火が目で見たように強調されている写真はこれ一枚だけでした。ストロボが昼間と同じように背景も明るくしてしまいます。夜の灯明の撮影は難しいです。
 誰でも知っている由緒ある大きな寺院に行った時です。先祖をこのお寺で供養したいのでどのような方法がありますかと尋ねると生前の名前か戒名を僧侶が唱えて7日間灯明をあげるサービスがあるそうですが、線香をあげる供養の方法はないそうです。灯明サービスは一人2000円ほどでしたので申し込みました。こうしたことから線香より灯明の方が霊験あらたかということでしょう。

2009年7月23日木曜日

新聞社の善意と使命を装って「号外です。どうぞ」 ひっかかりました。

  少し大きな駅を出たところで「号外です。どうぞ」といって新聞のようなものを差し出されました。まれに無料で配る号外と聞いてどんな大きな事件が起こったのかと頭は大混乱で新聞らしき紙の文字を読めなかった。読んだ時は受け取った後でただの衆議院選挙のチラシとわかった時はもう遅かった。まんざらの嘘でもなく、最上部に白抜き大文字で「号外」と書いています。手渡された人に返すわけにもいかずゴミを家まで持ち帰りました。くやしくて握りつぶしてゴミ箱に入れる時、ブログのネタにはなると思い直しました。〇〇先生出馬表明などのキャッチフレーズではほとんどの人に無視されるのがオチです。号外ですと呼びかけられるとかなりのインパクトを受けます。多くの人が注視するはずです。背水の陣を発案実践した最初の将軍韓信は寡兵で大勝利しましたが、その後中国の将軍は敵が背水の陣を取ると警戒して損害が多いと決戦を仕掛けなくなったそうです。最初に発明した韓信だけが背水の陣で勝利の美酒を飲めたのです。うろたえて受け取ってしまった負け惜しみですが、選挙期間中号外は警戒して受け取るのは今日だけにしたい。

2009年7月13日月曜日

お墓を覆うコンクリートに息抜きの穴を開けてもらいました

 側面がコンクリートで埋められたのに苦情を言った基礎工事です。このままでは文字通りうわべだけの赤土になってしまいます。見えている赤土が地中深くお骨を納める中までつながっていないと意味がありません。  石屋さんから電話があり、ブロックを割って側面に穴をあけ穴の深さは地面に達していますとの電話をもらいました。気になってその穴はそのままにしているのですかと聞くと、土をかけていますとのこと。後で検分に行くといったのにどうしてそのままにしておいてくれないのかわからない。まだ見られたくない事情でもあるのでしょうか。土曜の朝カメラを持っていくと一ヶ所づつ穴をあけるという約束が二か所開けてくれていた。長さも数センチあり十分でした。
 深さをチェックするため金串を用意しました。 長さは30cm少しあります。

 土を入れた側面に差し込むと金串全部が埋まりました。割りばしも抵抗なく差し込めました。
 別の場所でもチェックしました。問題ありません。

 地面に出ている縁石より穴の深さが、赤枠で囲んだ分だけ数センチ下までの深さに達しているということです。

 基本的には、傾いたら施工業者が無料で修繕するシステム。強度ばかり気にして快適さを考えない。見えないところには手間をかけたくない。安い墓地で面積の小さいお墓。1グラムでも大きい墓石にしたいのか墓石が大きすぎ重い。思うにお墓は墓石より地面(墓地)が肝腎と考えます。こうした事情が息苦しいお墓を作っている原因のようです。お金があればもっとゆっくりできる大きな面積のお墓にできますのに。ご先祖様大金が転がり込むようにして下されば必ずもっと大きなお墓を立てます。これがいま自分にできる精いっぱいなのです。お許しください。

2009年7月12日日曜日

ご先祖のお言葉なのか気になって墓地に行ってみると約束は守られていなかった

 ウィークデーの日中に仕事をしていると墓地のことが何度も頭に浮かぶのです。土の中のゴミまで取り一番きれいな墓地にしている。ローソクと線香で何度も供養したのになぜか墓地が気になりました。石屋さんから連絡はありませんが、家に帰ってもそろそろ基礎の工事が始まるかもしれない。深夜誰もいない霊園で自分の墓地にだけ灯明をあげるとご先祖が喜ぶかもしれない。そんなことを思いカメラを持たないで深夜10時頃車を出しました。自分の墓地に基礎工事をしているのを見つけました。2個のローソク立てはお骨を入れる場所に置いていましたがご先祖によく見えるように縁石巻き石の上に置いて火を付けました。写真は二日後の土曜日早朝に撮影したものです。ローソクの火で確認したのですが、左右両側にある赤土が出せると考えていた溝を見て50万円が無駄になったと失望しました。石屋さんに案内されて赤土を出したい思いで予算から50万円上乗せして購入した部分がすべてコンクリートで塞いでいるのです。これでは墓石の土台で墓地にフタをするのと同じです。晴れた日には水分を蒸発させて温度を一定に保つという赤土の部分が中央や地面とつながっていないのです。1cmほどへこんでいるので、表面だけ赤土をかけていかにも地面とつながっているように見せるのでしょう。お隣の玉石の下は冷たいコンクリートということです。二日前の深夜に見つけた時はまだコンクリートが軟らかかったので基礎工事はその日実施したと思われます。墓地が気になったのはご先祖のお言葉だったかも知れません。

 下の写真は他の方のお墓の基礎工事です。洋式のお墓のようです。中央はお骨を入れる場所でしょう。これでもかというように墓地全部をコンクリートで固めています。中に入るお骨はいかにも息苦しそうです。

 さっそく契約した石屋さんの担当者に電話で文句を言いました。何のために50万円出したか分からない。50万出せば両側に地中に達する赤土が出せてお骨を納める部分は赤土でつなげることができるというお話でなかったのか。石屋さんの立場はコンクリートを詰めなければ強度に問題が出て傾いたらこちらが保証しなければならないので両側に土を詰めるわけにはいかない。工事をお客に見せなかったのも手落ちだといってくれました。少しぐらい傾いてもいい。大きい墓石を売りたいために墓石が大きすぎるのではないかとも言いました。結局全部を赤土にはできないが両側に一ヶ所づつ穴をあけて工事の一部をやり直すということで落ち着きました。両側のスペースがコンクリートとは説明を受けていなかったのです。

2009年7月11日土曜日

見えないところはゴミだらけ。(地表から20cm下の墓地の中)

 墓地表面の苔を取り除いた後、表面に小さい黒いゴミのようなものが2個見つけました。いずれも指で取り除こうとしてもビクともしなかった。雨上がりの後だったので指で赤土をほじくると、小さい黒いゴミは文字通り氷山の一角でした。写真こそは残していませんが、長さ20cmを超えるようなアスファルトの塊だったのです。ほとんどが墓地の赤土に埋まっておりほんの一部だけが表面に出ていたのです。霊園周囲にアスファルトを使った部分はありません。アスファルトは道路以外の使い道が考えられませんので道路工事の際発生した捨てるべき廃土を墓地に使った可能性が高い。

 そんなことがあり表面は小石などが少なかったのですが、墓地の地下が気になりました。常識的に考えて、もしご先祖の御霊がこの墓地に宿って下さるなら赤土以外の小石やゴミが混ざった状態が居心地がいいとは到底考えられません。契約時に石屋さんにスコップで掘り返して赤土の中のゴミを取りたいといいますと、30cm以上掘るのはやめてくださいとのことでした。理由を聞くとあと二か月で重い墓石を立てるので掘り返して基礎がゆるくなると墓石が傾く恐れがあるとのことでした。墓石が傾くと工事した石屋さんがやり直さなければならない契約になっているそうです。20cm程度ならいいだろうと家庭菜園で使う移植ごてで掘り返してみました。土に湿り気があるので、移植ごてを差し込んでこねると大きな赤土の塊となります。その赤土の塊を両手でもみこんでつぶすと土や砂は細かいので指をすり抜けゴミだけが手に残ります。そうして取り除いたのがこの写真です。ゴミだけでなくご先祖様の御為にできる限りのことはしたという満足感も残りました。  土が付いていてわかりにくいのですがゴミは小石だけでなくコンクリートの小片も多かった。アスファルトとコンクリート、道路工事の廃土の疑いが強まりました。あとは溜まるほど水を混ぜ合わせて土を軟らかくして、ステンレスのヘラで表面を整地しました。
 一週間後来てみると周囲のどの墓地よりきれいでした。雑草が一本もなく日光の加減か自分の墓地が光っているようです。じっと見ていて思い出した光景があります。甲子園常連組の有名な野球部の練習を見に行ったことがあります。その時は招待試合で一人の野球部員もグラウンドで見かけませんでした。誰もいないグランドはチリ一つなく白く光っているようでした。さすがに100人以上の部員が何十年も手入れしたグラウンドだと感心したものでした。墓石がないのに線香立てやろうそく立てで供養した跡があり、丁重に扱っている痕跡のある墓地ならお墓の工事をする方も手荒い工事はしないと期待しています。

2009年7月4日土曜日

あきらめていたのに芽が出ました

郷里に野生の猿が生息している豊かな山があります。標高300m以下には普通の白く実が開くアケビも自生しております。山の頂上付近は熟しても実が開かないムベ と呼んでいる木質の蔓をもったアケビが多かった。 しかし人家から離れた場所にあるアケビの蔓に熟したアケビの実がなっているのは見たことがありません。秋の熟したアケビの実はお猿さんには大変な御馳走で熟する前にすべて食べられてしまいます。それほど野生の猿とアケビの実は縁が深いのです。
渓流釣りをしていた頃大きな山越えをしないと入渓できないヤマメの多そうな渓流を狙っていました。夏のシーズン中はどうしても山越えのけもの道の入り口が分からず秋になって地元の人に聞いて林道から見えにくい入口を見つけたのです。翌春のシーズンに備えて魚影の量の確認とルートの確認のためそのけもの道を上っていました。けもの道から離れた場所にコブシの花のようにぱっくりと開いたアケビの実を見つけました。猿のいる山でどうしてアケビの実があるのだと思って、蔓の巻きついている木に近づくとようやく合点がいきました。30個ほどの熟した実をつけているアケビの蔓は細かい棘が密集したタラの木に巻きついていたのです。猿はこの棘を嫌がったのに違いなくアケビの実を取ろうとすると必ず手足に鋭い棘が刺さる仕組みになっています。タラの木のおかげで30個ほどの実は代わりにいただきました。
2008年2月と2009年2月22日にこの場所5cm程の地中に10cm程の一本の根を植えました。2008年のは夏まで待っても地上に何の変化もありませんでした。枯れたのです。2009年2月22日埋めたのは5月2日に2ヶ月少しでついに地上に芽を出したのです。日本の野山に自生する山菜の王様、民間療法でその根を煎じたのを飲むと血糖値を下げるとかいう植物です。熱帯のグァヴァではありません。タラの根です。

このタラの木は商品袋の能書きによると品種改良して棘のないタラの木だそうです。タラの棘は猿だけでなく私も嫌いです。皮膚に刺さると折れて中に残るからです。直径3cmほどの太さになるには3年ほどかかるそうです。芽が出た以上は山でも育つタラの木のことですから大きなタラの新芽を天ぷらにするのが楽しみです。機会があれば成長の度合いをまた書きます。