2017年12月10日日曜日

アンナ叔母はついに老後の面倒は見る約束、家族にする約束を反故にされました。社長夫人は言ってはいけない大ウソをついて嫌がる老舗旅館の女将からアンナ叔母を引きはがしたのでした。

「叔母さん一緒に暮らしましょう。」と言って母がアンナ叔母のタクシーが出発するまで見送った後、「よく言った。満点の受け答えだった」と珍しく大いにほめてくれた。母が言うにはアンナ叔母は食費はまかないの会社持ち、家賃もたぶん取られていないのでは、もしくはごく安い。高価な衣服は着ていないし給料をほとんど貯金して今ではもう大変なお金を貯めこんでいるお金持ちだそうです。お前を育てたわけでないから同居して面倒を見なくてよい。繊維工場を万が一追い出された場合は養老院に入ればよいのです。これでお前は財産の相続人となり時々会いに行けばよいだけでアンナ叔母の何千万円かの現金の遺産を相続できる。私は機会あるごとに相続人が決まったとアンナ叔母の姉妹、甥姪に今日のことを周知する。全部相続できなくとも多くをもらえるはずだ。その代わりアンナ叔母が亡くなった後、位牌は仏壇を買ってお前が管理しなければならない。法要もしなければならない。とのことでした。結局アンナ叔母の遺産は特別養老院の経営者の財テク失敗の担保に入っていたそうで消えてなくなったそうです。
まだ小学校に行く前と思いますが、随分古いお話です。何かの法要で来れないとかいうアンナ叔母を除いた親族の集まりでアンナ叔母が話題になったことがあります。アンナ叔母は家族として寮長として迎えるはずだったが、どうして普通の社員と同じで寮の入り口近くの部屋をあてがわれているのか。家族なら社長夫人と同じ家に住むべきだがという意見でした。誰かがいきなり社長の家に直接入るとほかの社員たちに示しが付かないから会社に何十年か貢献してから引退後に広い社長の家の一室をもらうようになっているとのことでした。今から考えると早くも家族として迎えるは示しが付かないという理由にすり替えられ雲をつかむような引退後の何十年か先以降に、家族にするという約束にすり替えらえていたのです。当然その当時ですらたぶん祖母の法要なので社長夫人が何度も念を押されて老後の保障を約束した我が祖母はお墓の中でした。その後社長夫人から他人がいない時に限りことあるごとに老後は任せておけとか言われて、休暇も取らずに繊維工場のために社員にまかないを作り続けたのでしょう。工場は休みでも社員寮の社員の胃袋は日曜祭日我が祖父祖母の法要の日でも休みなく消化します。その後10歳前後の私に老後の面倒を見てくれという約束を母を立ち会わせはのは祖母と社長夫人の口約束を「そんなことは言っていない」とかいくつかの小さな約束をすでに反故にされていたのでしょう。
 今から20年前頃、母との電話でアンナ叔母の不幸な消息が伝わってきました。社長夫人から65歳になったから辞職して社員寮を出て行ってくれと言われているらしい。話が違う亡くなるまで家族として面倒を見る約束だと抗議すると何十年前のあったかどうかわからない口約束を持ち出されてもそんなものは無効だとか。現在社員総出で「出ていけ出ていけ」と集団いじめを受けているらしい。特にアンナ叔母と仲が良かった同僚が会社に忠誠を見せるためかアンナ叔母を強くいじめるそうです。現在アンナ叔母は頑張っているそうだが臨終まで面倒を見るような契約は無効で反故にされても法律的にはどうしようもないそうだとのことでした。家族にする約束も双方の同意が大前提だそうです。アンナ叔母は頑張っているらしいがいつまで精神的に持ちこたえられるかわからないとのことです。今回もここまでにします。

2017年12月3日日曜日

アンナ叔母は実父の妹で、かつてお会いした仙人お爺さんがおっしゃった「この家から出た人」です。

アンナ叔母と書いていますがお名前は当然日本人によくある和名です。アンナ叔母は一度結婚の経験がありそのご不縁になり一度実家に戻ったらしい。離婚の経緯と理由などは実母を含んだ家族のタブーのようで何も聞いていません。何年か我が実家の農作業を手伝っていたらしい。私が物心ついた頃はアンナ叔母は実家にはいなかったようです。それから祖母が伝手をたぐって実家の最寄りの駅から10前後向こうの駅の駅前にある老舗旅館で仲居として就職していました。上司である女将さん達からまじめな仕事ぶりを認められ何不自由ない幸福な生活を送っていたそうです。当然日曜祝日は休みか代休をもらったそうです。お客はサラリーマンが多く祝日はお客がなかったそうです。辛い農作業に比べれば屋内でする仲居の仕事など農作業で重い米を担ぐか、仲居としてお客の布団をしまうような違いです。体力的には楽な仕事でこんな給料をもらっていいのか、許されるのかと私も初任給をもらった時思いました。当時その老舗旅館の近くに石油コンビナートが操業を開始して周囲は好景気に沸いていました。その結果客足も増えアンナ叔母の雇用が出来たのです。アンナ叔母さんの性に合っていた仲居の仕事をつづけた数年後強引なお話がアンナ叔母さんを襲ったのです。もうだいぶん前からアンナ叔母のいとこ私の祖母の姪が夫婦で創業者となって繊維工場を大都会の郊外で経営していました。社員は多い時で30人以上の堂々たる中小企業です。工場や敷地を創業社長が所有して会社から賃料と夫婦で社長専務などの給料をもらうお金持ちです。そのアンナ叔母の従妹社長夫人が我が祖母に何度も面会して老舗旅館の仲居を辞めてアンナ叔母を繊維工場で長時間残業などが発生したときに使う寮の賄い婦、寮長として雇いたいとしつこくお願いに来たらしい。社長夫人の○○し文句、決め台詞はアンナ叔母はこれから社長の家族として臨終まで給料を出し面倒を見るという申し出でした。普通なら相手にしない信じられないお話ですが、祖母の姪、血縁関係が祖母の判断を狂わせその言葉を信じたのです。以降アンナ叔母は老後のためと言われてそれを信じてほとんど休みなくその繊維工場の社員に尽くしました。寮には独身社員もいて日曜祝日も食事の用意は必要だからです。祖父や祖母の法要で帰ってきても実家にいるのは1日だけでした。多くの親族がもっと休めと言っても耳を貸しませんでした。アンナ叔母にまかないの仕事をしてもらうと食費などのお金を預けなければなりません。血縁者が最高の人材との言い分でした。アンナ叔母は基本無口でした。私が10歳前後の頃法事で帰って来たアンナ叔母がいつになくじょう舌で話題が切れ間なく続いたことがありました。そして夕方アンナ叔母を迎えに来たタクシーが来る時刻が近づくと、アンナ叔母は仏壇の扉を全開にして母に「義姉さん来てください。立ち会って下さい」母が来て私を高い椅子に座らせて「○○さん。私が今の場所を追い出されたりして高齢で働けなくなった場合、私の面倒をみてくれますか?」最初言ってる意味が分かりませんでしたがようやく理解してアンナ叔母の真剣な目をみてその時の自分の感情を言いました。「叔母さん一緒に暮らしましょう」大変喜んでくれましたが、今から思うにアンナ叔母の従妹社長夫人と10年以上の共同生活で何か不誠実なものを感じて信を置けない、最悪のケースを考えて嘘でもよいから血のつながった小学低学年の甥の保証の言葉でさえほしかったのでしょう。アンナ叔母が気の毒でなりません。今回はここまでにします。

2017年11月5日日曜日

夢でご先祖様に再会しました。やはりご先祖様は遠目にも美しかった。

白昼夢でお会いした美しい女性が、赤穂浪士討ち入りの時代、300年前の私のご先祖様と判って以来、もう一度美しいご先祖様にお会いしたいと思っていましたが、秋になって美しい人の夢を見ました。20人近い人が円形になって立っていました。全員手を上げたりして動かしていました。盆踊りのようなものを躍っているようでした。私の視点は人の輪より少し高かったです。奇妙なことにみんな人と認識できますが首から上が一人を除いて強いカスミがかかったようで顔が識別できない状態でした。その中で20歳代と思しき美しい女性が一人あったのです。たった一人クリアにお顔が見えたのです。私以外の余計なものは見るなということでしょうか。服装は現在のものとは違っていました。一人だけお顔が見えた美人は20メートル以上離れているのにこちらを向いて頬を大きくほころばせてニッコリしていらっしゃった。何秒かその状態のまま夢は終わりました。後でこの夢を思い出してもその美しい人が誰かわからないのです。何度か思い出して考えるうちに癌告知の白昼夢を思い出しましたのです。お顔は手が届くような距離だったのに対して、20m近い距離があり遠景に近いそして私をよく知っているかのように笑顔をずっとくれたのです。最初中学高校が同じだった郷里の同級生だったかと少し考えたが、申し訳ないが彼女は容姿は悪くありませんが、彼女は色は白かったが、どう思い出してもあれほど美しくはなかった。夢の美人はヘアースタイルはセミロングで髪は豊かでした。ヘアースタイルは舌癌告知時に観た白昼夢と同じです。笑顔ですがやはり旧滋賀アナウンサに似ています。彼女は大きく笑った写真は少ないのですが、この青と赤紫
のチェックのシャツを着たネット上の旧滋賀アナウンサの写真に似ています。近景の写真でしたが10m以上離れて撮影すると私が夢で見た観た踊っている美しい人に似ています。旧滋賀アナウンサの笑顔もどれを見ても暗さ陰があり前回の朝ドラ主演_梨本さんのような喜びがにじみ出るような心からの笑顔はないみたいです。我がご先祖様同様、旧滋賀アナウンサも子供のように人見知りをするのかな。人の輪の中の美人は抜けるように色が白かったのも白昼夢でお会いしたご先祖様と同じです。白昼夢では3人登場してお顔が見えたのは手が届く距離にいた童顔の美人だけでした。今回も10人以上の人の輪が見えたし、笑顔を送ってくれている美人だけしか顔が映らなかったのも共通点があります。舌癌告知の白昼夢でお会いした美しい人が300年前の私のご先祖様と教えてもらってからお墓参りや仏壇に手を合わせるとき白昼夢でお会いした美しいご先祖様と語りかけています。当時のご近所の人ご親戚の方はあなた様を見て病気が怖くて遠くに去ったかもしれませんが、私はそんなつもりはありません。だから人見知りなさらないで下さい。など言い続けたつもりですが夢で見た大きな笑顔がお返事だったのでしょう。ご先祖様が子供時代から胸の病気で寝たきり状態、いつも咳をしていたなどの情報から家族以外の周囲の人は彼女の顔を見ると逃げるでしょう。実際は踊りの輪の中に入って踊るようなことはあり得ない筈です。彼女が踊りの輪に入った途端、蜘蛛の子を散らすように人々は逃げるでしょう。踊りどころではないはずです。夢の映像は彼女が踊りが好きで彼女の近所の人と踊りたいという願望が映像を作り私の夢に送り込んできたのだと思います。周囲の人が自分を見て逃げて近づかないため対人関係で自信を無くし人見知りが強くなっていったとすればすべてつじつまが合います。私のご先祖様は子供時代から胸の病気にかかりその病気で亡くなったは辻褄が合い真びょう性があります。今後も供養のたびにお美しいご先祖様と呼びかけ自信を持っていただき、私にだけは人見知りしないようにお願いします。実際ご先祖様は北斎など浮世絵のモデルにはなれませんが、現在の感覚では大変な美人なのです。







2017年10月29日日曜日

舌癌は完治と見なすという結果になりました。

2017年08月15日大学病院で頭頚部CTスキャンを実施しました。そして現在のお若い主治医のお望み通りレントゲンなどの画像専門医、画像診断医による今年2月のCTスキャン画像と8月分との比較突合をしてもらったそうです。因みに画像診断医による診断を受けたのは初めての経験です。転勤した執刀医のc先生はすべてご自分で診断なさっていました。2017年08月23日再度仕事を休み大学病院で、画像診断医が出した2月のCT画像と突合した結果の診断結果を聞きに行きました。もし頭頚部に癌再発していれば半年前のCT画像と半年後の8月の画像比較で不一致が出るから舌癌再発転移の確認ができるという理屈です。結果は〇で完全にCT画像が一致して再発なしとのご診断でした。思えば5年前、開業医は神技を使ったなどの助教授発言、神っている白昼夢、神がかりのような癌の発見、確定診断などありまして結果としては今まで命が助かりました。術後5年再発転移なしを迎えたのです。
 そして舌癌は完治とみなすというお墨付きを頂いたのです。先生曰く5年再発なければ90%以上の確率で再発しないのは統計上の事実ですが絶対とは言えない。今後体調で不審な点があれば遠慮なく来診して下さい。もうすぐ11月ですが癌再発なしは8月23日までは確かかもしれませんが、8月23日から今日までに気が付かない微小の癌が育っているのかもしれませんがキリがないので完治と見做すにして以降の予約はなくもう大学病院の耳鼻科を受診しなくてもよいわけですが、あとは厳しい自己責任による自己管理でしょうか。遠慮なく来診と言って下さいましたが今度は予約ないので初診5000円必要です。
舌癌告知時にお会いしたご先祖様の予言通りになったので、舌癌告知にご先祖様に教えてもらった癌は大したことないという白昼夢は、治りたいという強い望みからくる根拠のない自作自演の幻覚なのではなく、まさにご先祖様のお告げだったということでしょうか。
 完治と言われても10%の再発率があるし今も舌癌手術時に飛び散った癌幹細胞が私の免疫が弱るのを待っている状態で、おとなしく分裂しないで免疫に見つからないように息を潜めているのかもしれません。完治と言っても当然、舌癌罹患経験がない人より再発発症のリスクが高いわけですので私にとっては、舌癌は注意すべき生涯の敵です。

舌癌告知の白昼夢でお会いした美しいご先祖様の悲惨な一生

私がお会いしたご先祖様の雰囲気を持っていると考えた朝ドラヒロインが2017年10月で交代します。どちらかと言えば梨村佳澄さんよりブラタモリ出演の女子アナ旧滋賀アナのほうがやはり雰囲気は似ています。旧滋賀アナをもっと強く漂白した感じが癌告知の時にお会いしたご先祖様に近づくといった感じでしょうか。梨村佳澄さんのほうはいつも目じりが緩んでいるような絶えまない小さな笑顔があるようですが、旧滋賀アナウンサは笑顔より機嫌の悪そうな神経質な素顔を見せます。まだお若い(29歳らしいが童顔なのか見た感じ6歳ほど若く見える)のにもうすぐ21時のニュースキャスタに出世するかもわからないほど順調な人生なのに見た感じ大きな不幸に耐えたような暗い表情を見せます。私のご先祖様も旧滋賀アナより更に神経質陰気で不機嫌そうなお顔で梨村佳澄さんのように幸せそうな笑顔は全くありませんでした。彼女は32歳でお亡くなりになるまで絶えず生き地獄のような呼吸困難に苦しんだから当然といえば当然でしょう。2016年夏に縁あり巡り合った霊視能力のある占い師に聞いた情報によると私も白昼夢で一番最初に見た映像が、小さい顔が見えないで髪の毛だけ見えた3歳のご先祖様でした。その動き回るカツラのお化けに見えた幼児のご先祖様に注意を奪われてると手が届くような目の前に美しいご先祖様と対面していました。最初占い師も3歳で亡くなった女の子の陰に隠れて25歳前後に見えた童顔のご先祖様を見つけられなかったそうです。胸の病気がうつると命に係わると思われたためか友人などと交友関係がなく大変な人見知りをするお方だったのでしょう。それでも癌告知という私には大変な事態に人見知り気恥ずかしさを押して手が届く距離にまで会いに来てくれたのは感謝感謝です。きっと大きなご勇気を出してくださったのです。
 霊視できるとかいう占い師によると300年前、その我がご先祖様は幼い子供時代から胸の病気を患い咳などの発作で寝たきり状態だったそうです(お痛わしいです)。体調が良い時もあったらしいが離れの隠居小屋で老い先短い祖父祖母が看病していたそうです。300年前と言えば犬公方様、赤穂浪士討ち入りの時代です。当時胸の病気を患うというと不治の病であった労咳結核の疑いで近所親類縁者さえも寄り付かなかったでしょう。つまり我がお美しいご先祖様は家族以外社会生活の経験がないはずです。年頃になっても独身男性からチヤホヤされたり若い男女の駆け引きなど女性なら誰でも経験するような社会経験がないまま32歳で亡くなったということです。楽しいこともなく時々起こる息苦しさなどの苦しみの多い人生でおいたわしく気の毒な事この上ありません。周囲の彼女に対する恐れは顕微鏡などがなかった時代彼女の病気が人に移らないという保証がないからです。
 平安時代の源氏物語などの美人画ではオカメ・おたふく顔が美人とされていました。ほとんど例外がないようにお多福顔が描かれていました。ありていに言えば下膨れ顔、悪い表現では狸顔です。江戸時代の美人画と言えばお多福顔とかけ離れていました。元禄の北斎などの美人画は私の知る限りは縦長の四角い色白肌で、鼻はカギ鼻、目は細く吊り上がっていました。下ぶくれの目が大きい朝ドラヒロインなどは平安江戸時代の美人とはかけ離れています。しかし舌癌告知時にお会いした我がご先祖様は平安江戸時代の美人とはかけ離れていますがいつの時代でも、少なくとも外見で不快感を招くような醜女ではない筈です。

2017年9月6日水曜日

舌癌告知時の白昼夢は自分がそうありたいとの願いが脳に作らせた映像、自作自演の幻覚ではないか

2012年2月 舌癌告知後、CTスキャン予約などを決めて主治医の部屋を出て帰りの電車の中、最初に考えたのは自分は助からないかもしれない、この病院で再発転移により一生を終えるんだなどと悲観的な想像ばかりしていました。そんなとき、二人の耳鼻科の医師による悪性腫瘍宣告直後に見た神がかった白昼夢を

さらえまか: 開業医A先生の技量は人がなせるものではなく、もう神技です ...

saraemaka.blogspot.com/2012/04/blog-post_2575.html

思い出して暗い考えから少しの間だけ気を紛らせてくれました。25歳前後に見えた女性が鼻先も見えないぐらい横を向いてその奇麗に櫛目を付けた頭頂部の髪の毛の先に額とチョンマゲだけを見せて「舌癌は大したことにはならない」と言って下さった初老の声男性の声らしいお言葉を反芻して再発なしで助かるかもしれないと思おうとしていた。しかし25歳前後の美しい女性の声でなく初老の男性の声だった。どうして手が届く距離に座っておられた女性の声でないのか?要するにご先祖様の声などでなく癌告知に対して自分がこうありたいという願望が舌癌は大したことにはならないという声になったのではないかと結論付けたりしました。すぐに実家の過去帳を調べて明治以降実家で20歳前後で亡くなった女性がないのを確認したのです。お嫁に行って嫁ぎ先で亡くなったご先祖様はいらっしゃるかもしれませんがお嫁に行かれたご先祖様の記録は過去帳にはありません。昨年までこの4年間ご先祖様のお告げなのか、自分だけの念、切なる希望だけで自作自演した幻覚かと折に触れ悩み続けました。5年再発しなければ正鵠を得ているのでご先祖様のお告げにしようと決めていました。昨年までの4年間、占いの看板を見るたびに舌癌告知時に見た白昼夢の手が届くような距離で対面した美しい女性が誰か見てもらいましたが判らないとかいつも胸の病気を病み胸の病気で亡くなったご先祖様とおっしゃる占い師もいたがそれ以上判らないとあまり要領を得ない回答がほとんどでした。昨年2016年夏ごろ霊視できるとかいう占い師に見てもらったところ明治20年前後に3歳でなくなった女児であるご先祖様を連れた女性が私と対面した女性だそうです。霊界を二人ペアーで私の周囲にいらっしゃって、3歳で亡くなったオワキ様を前面に出してその陰に隠れるようにして占い師から見えないようにしていらっしゃるとのことでした。私は白黒の白昼夢でしたがカラーで見えるらしく32歳で胸の病気で亡くなったそのご先祖様の容姿が色白く女優並みとのことでした。

今年の大玉トマトは1本だけです。2017年大玉トマト

今年の大玉トマトは昨年に続き1本だけ栽培しました。
1本だけですが、よく見ると無肥料栽培トマトの性質を備えてます。枝と枝の間隔が短くてずんぐりスタイルです。上に行くほど狭くなり密度が濃くなります。8月の末病気が広がり撤去しました。もう無肥料栽培で数回の連作で今年は数個の収穫で過去最低でした。無肥料栽培2年目の頃(2012年)は1本当たり15個~20個程度の収穫がありました。もっと大玉トマトの木が大きかった気がします。年々悪くなっているのが気になります。無肥料栽培として行き詰ったのではないかと不安で少し自信を無くしています。

2017年8月13日日曜日

無肥料栽培には接木でない普通のピーマン(実生苗)のほうが向いているようです

家庭菜園用の苗には種から育ててた実生苗と同じ仲間の野生種に近いような丈夫な台木に過食部分を沢山収穫できる優秀な枝芽などを接木した接木苗があります。今回購入したピーマンは4本です。内訳は実生苗2本接木苗2本です。接木という手間がかかった分付加価値もついて接木苗のほうが高価です。
接木苗1号です。結実は一番早くすでに数個収穫しました。しかしその後がいけません。葉っぱが十数枚以上秋でもないのに落葉したのです。一部の根が腐っているのかもしれません。収穫が一番早かったのに落葉後花が咲かないのです。黄色い花が咲いて実が成らない山吹より劣ります。現在花が咲かないというのは、将来実が成らないということです。
接木苗2号です。結実収穫は4本の内2番目に優秀です。しかし葉っぱの密度が低く将来あまり期待できそうにありません。左に移って写っているのは次の写真実生苗1号です。
実生苗1号です。これは購入後2週間ほど気温が低いため屋内で水をやりながら育てたのです。その時先端の成長点が腐ったのか枯れたのです。現在の新芽はすべて脇芽から出た葉っぱです。接木苗の半分以下の伸張ですが葉っぱの密度が高く将来が期待できそうです。丈が低いのは時間が解決してくれそうです。
実生苗2号です。実生苗1号と同じく身長は接木苗の半分以下ですが、新芽が下のほうからよく出ており葉っぱの密度がさらに期待でき樹勢が強そうです。結実収穫数はNO1です。購入価格は接木苗が280円前後、実生苗が50円と接木苗が高価ですが購入数が少ないためにあまり気になりませんが来年は実生苗だけにします。この菜園は無肥料の培養土なのです。施肥をする普通の栽培ではないのです。優秀であるはずの接木苗が実生苗に劣っても不思議ではないでしょう。

2017年7月9日日曜日

朝ドラヒロイン、旧滋賀アナウンサーもお目にかかったのは2017年4月です。心霊体験、白昼夢でお美しいご先祖様にお会いしたのは2012年2月です。ズレがあります

茨城県朝ドラヒロイン、旧滋賀アナウンサーもお見かけしたのは今年の4月なのに2012年当時からお二人をテレビで見たことがあるのかとご不審に思われる方がいらっしゃるかもしれない。実際読者におかしいといわれました。
2012年3月舌癌宣告を受け意識が遠のく中、目の前の25歳前後の女性に気が付いた。私のご先祖様は引いていたアゴをゆっくり上げて二人の視線が水平にばっちり合いました。こちらは誰なのか思い出そうとして必死で目の周り中心に見つめました。両目周辺だけで鼻や口、眉お顔の形までチェックできない時点で見知らない女性だが目と目の周辺は誰に似ているか考えると、演歌歌手だった不二恵子さんのお嬢さん光さんの目に少し似ているようでした。彼女のCD1枚だけ買っていて時々歌詞や彼女の写真を目にするから光さんの目を思い出したのでしょう。この写真が光さんの目だけを切り出した写真です。肖像権の問題もあるでしょうが、お金を払って購入したものでお顔の一部をブログに利用させてもらっても大丈夫でしょう。あくまでも目的が白昼夢でお会いしたご先祖様のイメージを説明したいだけです。人気芸能人を利用してクリックを増やす意図はありません。お名前から検索してもヒットしないようにお名前を変えています。彼女の実名を入れてお名前を利用して読者を増やすような意図がないのは明白です。
そんなわけでご先祖様にお会いして似た人を探して見つけたのがこの写真でした。しかし25歳前後のご先祖様のお顔全体はこの写真の主のお顔とは似て非なるお顔でした。25歳前後の私のご先祖様のほうが繊細なお顔だった気がします。共通点は目の周辺の雰囲気とどちらも童顔ということでしょうか。
舌癌告知を受けてから5年以上になり、茨城県朝ドラヒロイン、旧滋賀アナウンサーに似ているといっても記憶的に絶対の自信はありません。ご先祖様にお会いしたのも癌告知を受けたのと一ヶ月以上経験した舌の痛みで食事が減り精神状態及び精神が陰の極みと言った状態でした。そんな状態で見た白昼夢の思い出など頼りなくおぼろげなのは致し方ないでっよう。しかし茨城県朝ドラヒロイン、旧滋賀アナウンサー、不二恵子さんのお嬢さん光さん、心霊体験でお会いした私のご先祖の4人に共通するのは色白で童顔という点です。童顔の強さでは不二恵子さんのお嬢さん光さんが最強でしょう。

2017年7月1日土曜日

カサブランカと言ったから買ったんですけど・・・口頭で確認したがやはりカサブランカと言いました。つぼみではそうでないという根拠は示せませんでした。

カサブランカは純白で大倫の花を咲かせましたが香気がありません、香気がない理由は明白でした。カサブランカではないからです。カサブランカは一度に三輪も開花しません。数日の間隔をもって1本づつ開花します。鼻をくっつけるほど近づけると良い香りがしました。しかしカサブランカなら30㎝で強い香気を感じます。
つぼみの頃からカサブランカにしては花が小さいなんか変だと疑問を持ったが、根付きなので大きくなって大輪の花をつけるだろうと良いように思った?思いたかったのですが、つぼみが成長する間もなく植えてすぐに開花しました。これがカサブランカでない証拠は匂い以外に花びらの内側に花びらと同色の白い大きなブツブツがないのです。カサブランカにはあります。そうしてもっと花が大きいのです。
このユリの株のラベルが残っていましたので再確認。オリエンタルリリー東洋のユリですがカサブランカとは書いてはいません。確認が遅きに失しました。
裏返しましたがカサブランカとは何処にも書いてはいません。店主の説明を信じた自分が悪いのです。でも買ったつぼみの状態ではわかりませんでした。

2017年6月18日日曜日

切り花でないカサブランカを買いました。菜園がなければ無理でしょう。

この季節になると故郷の野山にピンクの花を咲かせるササユリ、郷里ではヤマユリと呼んでいました野生のユリを思い出します。強い香気は離れた場所でもササユリの存在を教えてくれました。小学校などにお花を持ち込む殊勝な生徒がいましたが、私は花に関心はありませんでしたがササユリだけはうれしかった。10本を超えるササユリの香気は教室いっぱいに広がったのを憶えています。現在郷里ではほとんど絶滅したようなササユリを偲んでカサブランカを時々仏壇に供えています。少し変わったカサブランカを買ったのです。上のつぼみの部分ですが全体を映しますと…
 根付きのカサブランカです。切り花は花への養分供給が限られますが、根付きだと葉っぱで光合成された養分が余すところなく花に送られそうです。それだけ良い香気が期待できます。
根付きカサブランカ販売店の店主によると地植えしたほうが良い花が期待できるとのことでしたので地植えに決めました。場所を空けなければなりませんのでこのジャガイモを掘ってここに植えます。
 ジャガイモを掘りました。結果的にはジャガイモは未熟でした。
ジャガイモの跡地にカサブランカを無事に植付けました。肥料は上げれませんが水やりだけは頻繁にするつもりです。うまく咲けばまた投稿します。

2017年6月13日火曜日

収穫できないかもしれない2017年の夏野菜。

先週植えたピーマンです。見た目には枯れそうです。再度水やりをして今週から来週にかけてこのピーマンの運命が決まりそうです。枯れるか生き延びるか心配です。何よりも先っぽの芯が枯れているのが嫌な感じです。先っぽで新芽の脇芽が出たとしても早い時期の枝分かれは良いイメージが湧きません。
全体にシャキットしたピーマンですが先ほど植えたばかりで根付いているわけではありません。昨日まで毎日水やりなどの管理されている店頭にありました。翌日の今日植えたので元気です。最後の5本のうちの2本です。同じようなピーマンの写真2枚もアップできないのでこれだけにします。
先週植えたキュウリです。葉っぱの色が悪いので心配ですが大丈夫でしょう。
これも先週植えた大玉トマトです。家庭菜園の華ですが、今年これ一本だけです。何とか大玉トマトの実を成らせれば最高です。
1本だけのナスです。一番日当たりの悪い場所になってしまいました。ジャガイモを早く収穫して里芋を植えたいです。今年の夏野菜のすべてを披露しました。どうかうまく育ってください。

2017年6月4日日曜日

心霊体験を詳しく書きます。舌癌告知時、何秒か意識を失ってお美しいご先祖様にお会いしたのです。

2012年2月13日大学病院の2人の耳鼻科の先生の診察を受けました。一人目の先生にまぎれもない舌癌と言われ、二人目の主治医様の部屋に入り悪性の腫瘍と宣告を受けたとき、太い青竹の棒で頭を殴られたような衝撃を感じました。
よく臨死体験での体外離脱などで空中から病院のベットに横たわっている自分の肉体を見た。自分の周囲を家族などが囲んでいるのが見えたとのTV番組がありました。私も近いものを体験しました。数メートル四方の腰高程度の低い四角い黒い塀があり、黒い塀の中で一人の男性が両手でムンクの絵のように頭を抱え込んでいるのです。普段と違って梯子の上に立ったように上から下を見下ろしている視点でした。これが幽体離脱、体外離脱などと言われている上からの視界だったかと今振り返っての記憶になっています。その時黒い塀はなんとなくこの世とあの世の結界ととらえていました。ムンクの絵「叫び」のように頭を抱えている人は舌癌告知を受けた自分だとはなんとなくわかりました。それから数メートル四方の黒い塀伝いに小さい子供用の雀の巣のようなカツラがこちらをめがけて動いてくるのです。どうしたと見つめると二歩下がって止まり、しばらくすると三歩近づくというようなジグザグに近づいてきたのです。その時はもう視点が地面近くに戻っていて体外離脱は終わっていました。その雀の巣のようなぼさぼさのカツラも顔が見えなく3歳で肺炎など胸の病で夭折なさった明治20年頃のご先祖様とわかりました。こうした情報は霊視できるとかいう占い師に聞きました。通常より少し高い数千円の料金で霊視してくれます。3歳で亡くなった明治20年頃の女の子の記述は実家の過去帳に名前とともにありました。霊視できるとかいう占い師が観てくれた名前と過去帳の名前が一致したのでその占い師を信じています。
カツラに気を取られ気が付くと25歳前後のうら若い下の写真のような髪型の女性が顎を鎖骨 胸骨にくっつけるようにアゴを大きく引いて上目遣いに目の前、手が届く距離に座っていました。私はお目にかかった覚えがないのですが相手は私を知っているのか少しだけ含み笑いをしていました。それから首を動かさず瞳だけを左右に廻して私の左右を見たのです。まるで女子中学生のようなしぐさでした。それから少しづつ胸骨にくっついていたような顎をゆっくりと上げていって二人の視線が水平にばっちり合いました。こちらは誰なのか思い出そうとして必死で目の周り中心に見つめましたが全く記憶にない女性でした。
誰でもご存知でしょうが、写真は朝ドラのヒロイン梨村佳澄さんです。舌癌告知時にお会いした女性はこの朝ドラのヒロインに似ています。特に髪型など頭部の形がそっくりです。写真では前髪は視界の妨げにならないよう前髪をおかっぱ風に切っていますが、舌癌告知時にお会いした女性は前髪がこの倍ほど長かったです。前髪の曲げやカールもなかったです。4月から始まった茨木県北部を舞台とした朝ドラですが、茨木県北部時代、ヒロインが高校生時代のほうが向島電機の工場時代よりよくご先祖様の雰囲気を出しています。家族と共同でした稲刈り作業の風景、野菜畑の収穫、耕作など農作業を通じた土臭いイメージを醸し出した名演技でした。凛とした女優というより所作もゆっくりとした童顔の田舎くさい感じで親しみが持てるような演技が素晴らしかったです。東京のトランジスタラジオ組立工になってからは垢抜けして少し我がご先祖様と違うかなと思います。それに彼女はほお骨が前に出ておりお顔がなんとなくのっぺりとしていますが、私のご先祖様はそれほど頬骨は出ていませんでした。それに梨村カスミさんは少し日焼けしているようですが、舌癌告知時に白昼夢でお会いした女性はシミもなく色がとても白かったです。霊視できるとかいう占い師によると、舌癌告知時にお会いした女性はまぎれもなく300年前の私のご先祖様だそうです。300年前の私のご先祖様は小さい子供が大好きで明治の初めに3歳で亡くなったオワキ様を膝に乗せたりして霊界を連れ歩いていらっしゃるとのことです。何とか48などアイドルというより、容姿は抜群で女優並みだそうです。子供の時から胸の病がありほとんど寝たきりで32歳でインフルエンダ併発などで酸欠で亡くなったそうです。呼吸が苦しく病気で寝たきりなので野良仕事もしないで日光に当たらなかったのでしょう。享年33なのに二十五六歳に見えたのは色白で童顔だからと思います。胸の病気は結核か父の死因、父の妹の死因であった間質性肺炎か詳しいことは判らないそうです。とにかくこの連続ドラマをビデオで撮りだめして毎日見ています。朝の連続ドラマを見るとご先祖様に会えるような気がして最近の楽しみです。更に言いますと朝ドラのヒロインと国営放送の女子アナで今年4月からブラタモリに出演している童顔の旧滋賀アナウンサーとミックスしたような容姿でした。色の白さと目の大きさは朝ドラのヒロインより目が小さい旧滋賀アナウンサーに似ています。どちらにせよ普通なら私など鼻にも引っ掛けられない高嶺の花のような美しい女性です。
アゴを引いて見上げる視線からアゴを上げて水平視線になって数秒見つめ合った後、突然横を向いたのです。二度とこちらを向くことはありませんでした。髪の毛を遠慮なく観察したのですがあれほど櫛目が鮮やかなのは初めてでした。彼女はどれほど何回髪に櫛を通したのか、どのように髪を梳けばああしたくっきりした櫛目になるのか考えてました。彼女は一言も発しませんでしたが、横を向いてから老人のような初老の男性の声が聞こえました。「お前癌だったのか可哀想にのう。でもたいしたことにならないから、もうそんなに気に病むな。」若い女性の声でなかったので、どこからと横を向いた彼女だけでなく全体を見ると彼女の頭頂部に隠れて額の上だけのチョンマゲが見えました。額から上だけでお顔は見えませんでした。その時両肩を両手でゆすられて「○○○さん。しっかりしてください。聞こえていますか。癌と言っているのですよ。」これで白黒の白昼夢から舌癌告知の現実に引き戻されました。
ところで霊視できると触れ込みの占い師に面会したのは、彼女がどうして横を向いたのか。そして自分の先祖なのか誰なのか。明治以降の実家の過去帳には20歳前後の女性の記録がないのに誰なのか。横を向いたのは自分は嫌われたのでしょうかと聞いてみると「守護霊が守る人を嫌うこともありますが、嫌っていれば白昼夢などで会うことはないです。まず出てこない。顔が見えないように横を向いたのは『まだ私がいるこちらに来てはいけない。戻りなさい。寿命でないのでしっかり生きなさい』という意思表示です。あなたは彼女だけでなく大勢のご先祖に好かれています。常時近くに大勢のご先祖様がいます。近くにいらっしゃるご先祖様は他の子孫係累よりあなたに供養してほしいご先祖様だそうです。それから手が届く距離で守護霊と会うのは危険です。両手で抱き付かれればあの世に連れていかれてしまいこの世に戻れなくなる危険があるそうです。横向いたのは大きな愛だそうです。」白昼夢の登場人物は目の前の若い女性、髪の毛だけが見えた3歳の女の子、チョンマゲだけが見えた初老の声と3人ですが、顔が見えたのは手が届く距離にいた朝ドラのヒロインに面影が似た女性だけでした。機会があればなぜ一人だけ顔が見えたのかこれも聞いてみたい。チョンマゲの人は当然江戸時代の人で隣県出身だが私のご先祖だそうです。
 ところで将来病気で苦しんで、これは死病で助からないと思った時、楽になる方法を思いつきました。これから一層先祖供養に励みいよいよの時、朝ドラのヒロインに似たご先祖様を呼び出します。地面に額をこすりつけてこれまでのお礼を言上して、病気が苦しいので連れて行って下さいとお願いします。あのようなご先祖様に抱き付かれてあの世に行けるなら人生の終わりとしては、大きな幸せかもしれない。

2017年6月3日土曜日

今年の家庭菜園の後悔。遅すぎたジャガイモ植え付けが夏野菜に悪い影響がありませんように

ジャガイモ栽培のブログ記事を読んでいると茎が倒れると収穫の時期だそうです。本当は私のように支柱を立てないで育てることが正しい栽培方法だそうです。しかし私は手間をかけるとお返しがあるのが野菜と信じています。支柱をすると収穫時期がわかりづらくなりますが、倒れるまで待つに比べて支柱でまっすぐの状態を保つと日照を効率よく受けるためジャガイモのためにはいいのだと信じています。
支柱を取り外すと茎が倒れましたので芋の成長を期待しましたが、まだ未熟でした。
この場所の次の主役です。そうです。ピーマンの苗です。
4株分のジャガイモの芋ですが未熟です。未熟とわかっていましたが、ピーマンなどを植えるためには場所を空けなければなりませんでした。ジャガイモの植付は今年2017年は一回目が3月26日で2回目が4月1日でした。例年より半月以上遅い。こうしたずれ込みが茄子トマトピーマンキュウリの植え付けが遅れたようです。これら夏野菜の植え付けは4月に終わっていました。結局ジャガイモ収穫量を増やしたいとの思惑も遅れにつながりました。今年の夏野菜は大丈夫かいな。

2017年5月14日日曜日

三人の敵その1_3(最初に私から仕事を取り上げた上司はうつ発病で出社拒否)

LAN工事のチームから外され備品固定資産の管理の仕事も取り上げられた結果、本当にすることもありませんでした。企画部に引き取ってもらうまでも実質無仕事状態は何年か経験しています。だから仕事がないのに仕事をしているふりをして毎日終業ベルを待つのはそれ自体それほど苦になりません。しかし1998年当時はその数年前と事情が大きく異なっていました。当時は風潮として終身雇用制度が崩壊して、中高年層のリストラ大流行、リストラの嵐でした。同僚の50歳越えの大先輩も人事から君の給料で有名大学卒の新人2人雇えると何度も言われたとのことでした。現在の担当が存続する限り同僚の居場所はありますが、組織再編などを口実にこのまま仕事がないといつ人材開発担当に追いやられる危機感をヒシヒシと切羽詰まるようでした。そこで二三年先退職に追い込まれた時のために人があまり身に付けていないスキルを身に付けようと考えました。具体的には中級レベルだったアクセスの開発能力を上げることです。ビジュアルベイシックVBAなどの付加価値を付けたアクセス技術を身に付ける目標が出来ました。例えば都道府県を選択するコンボボックスがあり愛知県を選択すると次の市町村コンボボックスでは名古屋市や安城市など愛知県に関係する市町村だけを選択投入できるようにするなどです。入力を楽にする機能としてよく使われます。例えば現在は廃刊になっていますが株の業界紙ごとに紙面のコラムのタイトルは違います。その都度手入力では情報入力が大変なので以下のようにマスコミごとに新聞に特化したコメント、コラムなどを過去入力したものに限って表示するようにしています。
こうしたACCESSの技術はこの当時身に付けました。そして会社を辞めざるを得なくなった時、再就職の武器にしようと決めました。とりあえず周囲の情報を片っ端からDB化しました。DB化とは表にしてアクセスにすることです。
アクセスのスキルアップに没頭して1年後2000年2月ごろ新しく赴任してきた人事権のある人からオラクルが入っているサーバが故障したとき修復する業務の担当が人材を募集してる。枠は一人だけで貴方を推薦するつもりだ。断らないでください。貴方にとってこれが最後のチャンスになるでしょう。ここに残っても2年ほどでスキル不足で行くところがなくなります(人材開発担当候補?)。と言われ最後のチャンスに賭けることにしました。サーバトラブルの技術を身に付ければ将来安泰だが出来なくとも故障の原因、状態を申告者から聞き出してて解析部門に回す業務、受付でもできれば生き残れますとのことだった。サーバトラブル解決専門の部門でサーバトラブル解決の技術者として認められた2001年ごろ、かつてのLAN工事の同僚、KさんからMさんの動向が伝わってきました。Mさんは大出世して籍はわが社ですがサラ金業者に何でもできるシステムエンジニアとしてオラクルがインソールされているサーバ保守の仕事を任されていたそうです。Mさんの給料は額面でも50万以内で手取りは何も変わりませんが、サーバ保守の仕事をしているサラ金業者から我が社に100万円ほどの人材派遣料をもらう契約で、部下を2人連れてサラ金業者に派遣していたとのことでした。サラ金業者にすればMさんに月額100万円を払ってもソフトウェア会社にAPの修正改良を依頼するよりもMさんにメンテしてもらったほうが安くつく勘定でした。差額の50万円以上は我が社に入りこのまま仕事を続けると大変な貢献になります。しかしMさんはサーバトラブルを解決した実績もなく、ましてそのサラ金業者が期待したAPの改修メンテ能力など皆無なのは私がよく存じています。DOS窓コマンドプロンプトからサーバやルータにPING試験する以上のスキルはないのです。何でもできるシステムエンジニアと推薦されたのが命取りとなったようです。スキルがないのに多くのAP改修要求を出されて何か月たっても解決してくれないのでサラ金業者が進捗会議でMさんを攻め立てたとのことでした。サラ金業者としては何でもできるシステムエンジニアとの触れ込みで我が社に毎月100万円もの賃金を払っているのだから当然です。Mさんはお客であるサラ金業者からの要求や知りえた情報を部下二人と共有せずに一人で解決策を探り仕事と問題、課題を抱え込んだそうです。そうしてサラ金業者がMさんのスキルに疑問を持ち、激しくなる連日の進捗会議に耐えかねて出勤しない出社拒否になったそうです。病名はうつ病です。現在は病院の神経科に入院中で回復の予定は未定だそうでした。Mさんは病気休暇の最長2年を取り元の部門Kさんと一緒にLAN工事の仕事に復職しました。しかし一ヶ月勤務の後また長期の病休になりました。Kさんも愛想をつかしたとのことでした。Mさんは1ヶ月2ヶ月出勤の後必ず復職委員会の承認を得て病休を取りそのまま退職までほとんど病気休暇で10年前定年を迎えました。あの様子だと一生うつ病は治らないでしょう。家族はお嬢さんが二人いて2人を大学卒業させる目標だと私に語ってくれましたが、長期の病休は給料の減額を余儀なくされ二人のお嬢さんは大学への夢は断たれお気の毒です。私が中学2年まで住んでいた家を出た者を虐めるとわが先祖が虐めた人に何倍も仕返しをするという仙人お爺さんの予言はまた当たりました。ただし我が先祖の御霊がそうしたのかは不明ですが、仕事をすべて取り上げて私を虐めたMさんが不幸になったのは確かです。

さらえまか: 祖母は仙人と話していた(家の言い伝え)

2017年5月7日日曜日

三人の敵その1_2(最初に私から仕事を取り上げた上司の末路)

1998年初秋の頃でした。リーダであるMさんは私の自宅よりこの地域の中心地から3つ向こうの駅に住んでいました。自宅の話になると時々たびたびだったか、3つ向こうの自宅に来てくれ酒は飲まなくてよいから料理を楽しもうと誘われていました。秋になると少ししつこいほど誘うのです。何かの話のついでなく頻繁に自宅に来るように誘われたのです。どうしてそんなに熱心にという思いはありましたが、終業後、同じように会社を出て普段使わないその私鉄電車に一緒に乗ってMさんの自宅に向かいました。とても機嫌よく別れの酒宴とは想像できないほど歓待してくれました。18時前後に彼の自宅に到着、近所の行きつけの飲み屋に入り店を出るとき、精算時は決して私にお金を使わせようとはしませんでした。飲み屋を出た後はまた隣のつけの利く飲み屋での見直す、などと計3軒の行きつけの飲み屋でごちそうしてくれた。その時は歓待の理由は判りませんでしたが、その後すぐにわかりました。深夜11時ごろまで何を話題にしたか20年近い前なのでほとんど忘れてしまったが、包丁砥ぎの話だけは覚えています。まだ私は砥石で砥ぐという技術は身についていませんでしたが、Mさんは海釣りを趣味としており小型の出刃を持っていたそうで海釣りの獲物を処理するのに大変な活躍をする道具だとしつこいほど言っていた。包丁を研ぐという技術を身に付けると料理という素晴らしい世界が待っているとも力説していました。うまく研げた小出刃で刺身のツマのネギを輪切りにすると切り口がペッタンコにならず元の形である円形リングを保つとのことです。ネギの切り口を見れば研ぎの技量がわかるとも自慢げでした。翌日は休日だったので23時まで遊び駅まで送ってくれて3駅向こうの自宅に向かいました。
休み明けに出勤するとMさんは様子がおかしくこちらのあいさつを返してくれないのです。仕事もM&Kコンビで私を誘わず二人でこっそりしているようです。何か話しかけても取り付く島もないように口を閉ざしました。1週間もするとようやく自分は仲間外れにされたのだとようやく気付きました。別れの宴の翌日からLAN工事は私を除いてMさんとKさんの二人でするということが決まったらしい。人事権のある上司も承認した結果らしいとのことでした。仕事自体は前回説明の通り誰でもできるもので、自分がのけ者にされた理由がわからなかったが、私は大いに傷ついたのです。これからどうして時間をつぶそうかと考えていました。本当にすることがなかったのです。しかしLAN工事以外にもう一つ仕事があったのでした。会社の立地はそれぞれの部門が50㎞以内に4つのビルに分散してありました。私の担当が所有する固定資産や備品の数が大きく4つのビルの各階の部屋に分散して保管、使用されており年2回の固定資産備品の棚卸しですべての備品がどこかで適切に保管管理されていることを証明しなければなりません。責任者は管理している担当の人事権がある人なのですが、備品が所在不明となった場合、一番叱られるのは企画部経理です。各担当への指導が悪いということです。当時ACCESSのわずかな知識で備品台帳を作り各備品ごとに移動確認年月日、ビル名、3Fなどの階数、部屋名、部屋棚の位置などの履歴を付けて管理するデータベースを作って管理していました。わが担当の固定資産備品が会社で最大の金額、種類と品数が突出して大きかったので経理の人の悩みの種でした。4つのビルに所在がまたがっているのは私の担当だけだそうです。棚卸しの締め切りが近づくと毎日調査備品の探索依頼に来ています。経理とは同じ企画部だったので気安くしていました。また私の担当はもといた部門で居場所を見つけられず企画部に引き取ってもらった落ちこぼれのような人が多かった。もちろん私も落ちこぼれでした。でも経理の人から見れば私のEXELのスキルが彼らを上回っており、経理の人が目標としているACCESSでアプリを開発して改善活動発表会で発表しているのをご存じなので本当なら経理から馬鹿にされても仕方がない身分なのですが、EXELとACCESSのおかげで時々はありがたられていました。そしてACCESSで履歴機能が付いた備品台帳を開発しているという実績で馬鹿にされるということはありませんでした。それどころか履歴機能が付いた備品台帳が経理の人にとっていかに素晴らしいのか教えてくれました。最後の日付、何年何月何日、Aビル、4階、何々部屋の南東部にあったという履歴から次の移動場所が簡単に推定できるというのです。私に他の担当の備品台帳をACCESSで作成して運用の手順書を作成して他の担当に配ってほしいとの要望もありましたが、Mさんの妨害があったのか立ち消えになりました。EXELで備品台帳を作ると最新の備品の居場所しかわからず、一目で今までの履歴が全部見えるACCESSの入れ子表現にした履歴機能が付いた備品台帳を使って一番困難な私の管轄する備品の棚卸しが終われば、全体の峠を越えたような感覚になるとのことでした。経理からのあの備品を検索してくださいとかの依頼は結構楽しい仕事でした。人のお役に立てているという実感を感じられたからでしょう。私の担当の固定資産備品の移動があると経理の人が移動があった備品のリストを持ってきてくれACCESSのデータベースに登録してくださいとお願いに来たのです。しばらくして経理の人が来て検索で先日の移動備品の履歴がACCESSのデータベースに登録しているのを確認して経理の人は帰っていきました。備品が行方不明になると一番被害を受けるのは経理だと私には正直に言ってくれました。ところがある時期から経理が私に移動があった備品のリストを持って来なくなりました。経理の人に理由を聞くと移動があった備品のリストはMさんに渡すよう私の人事権のある上司から経理に通達があったそうなのです。経理の人は私にACCESSで管理してほしいらしいのですが、そんなことは言えないから仕方がないとのことでした。MさんはEXELで漏れがないように管理するから私に渡さず自分に渡してくれとのことでした。Mさんはとうとう固定資産備品管理の仕事まで私から取り上げたのです。Mさんの理由は判りませんでしたが断れば集団いじめの対象にされるなどの圧力を宴席などで受けたようです。そうこうしていくうちに腹が立つことがりました。出勤がだんだんつらくなっていった当時、うつむいて歩いていると背中をポンと叩くで見るとニヤニヤしたMさんでした。「うつむいて歩くと心の病気になる。胸を張って前を見て歩かないと」などと余計なからかいののような意見をもらったのです。私がうつむくような原因を作った人からのそうした言葉にさすがにむっと来ましたがどうすることもできませんでした。しかし数年後立場が逆転して出勤するうつむいて歩いているMさんの肩を叩いて「前を向いて歩こう」と本当に心の病気になって解雇されないよう出勤してきたMさんに仕返しができる日が来るとは当時は夢想だにしなかった、

2017年4月26日水曜日

三人の敵その1(最初に私から仕事を取り上げた上司の末路)

1998年当時、世間では中高年層のリストラ大流行、リストラの嵐でした。この当時の退職拒否した社員を退職させるための集団いじめや嫌がらせによる精神障害のまま退職、失業保険のあと退職金の食いつなぎの結果、退職金の枯渇、再就職先などあるわけもなく前途を絶望した当時のリストラ被害者のうつ病などを原因として列車の人身事故の遠因と私は考えてます。それにしても数年前から列車の人身事故によるダイヤの混乱が多すぎる。わが社でも代わりがある仕事をしている人には風当たりが厳しくなっていました。生き残るには会社にいないと困る人、必要な人材と認めさせる必要がありました。要するにだれでもできそうな仕事をしているとその仕事がなくなるとお客から重要な仕事を任されている部門からの引き合いがなく人材開発担当などに追いやられて退職を言い出すのを待たれる部門に行かされるということになります。そして正直に申し上げて1998年当時の仕事はスキルも必要なくやる気になればだれでもできる仕事でした。所属する組織、担当がなくなればいつリストラされても不思議でない境遇にいたのです。具体的には私の仕事は作業主任、リーダーであるMさん、Kさんと私の3人で社内向けのLAN工事をしていていたのです。ソフト開発部門に多かったのですが、新しいプロジェクト担当などを新設した場合Windows95がリリースされてから3年経っているのでパソコン、社内のホームページ閲覧機能、メール送受信機能がないと仕事になりません。必要に応じて倉庫に保管しているPCなどを引っ張り出してPCもこちらで用意しました。企画部門の一部なので仕事の環境を整えるのが仕事でした。LAN工事は近くのルータを押さえetherネットLANを伸ばした幹線を床下から追いかけて直径2㎝程の幹線に直行する穴を空け芯線まで届いた穴に先がとがった導電性の金属針をねじ込んでKAN幹線から支線を作りハブにつなげて新担当の各パソコンを集約ルータにつないで電子メールやインターネット環境を構築することです。その担当のためのハブにノートPCを繋いでDOS窓からルータにPING試験が通ればLAN工事めでたく完了です。
十字ドライバーを回したりLANケーブルをつなぐことが出来れば誰でもできる仕事でした。またこの施設を利用するのが社内の部門で何か間違いがあってもごめんなさいで済みます。さすがに毎日LAN工事はないので仕事がない時はネットにつなげている社員のパソコンのトラブル対応です。メールが送信できないとかインターネットに接続出来ないとかの問題解決です。企画部内のPC技術者と相談しながらLANボードのドライバなどを再インストールして解決させていました。暇な時もありますがLAN工事をする前よりはずっと会社に貢献できる仕事で人事権のある上司からも以前よりずっと仕事の内容がよくなり頑張っているとの評価を頂きました。1997年から1998年にかけてはリーダのMさん、先輩のKさんの3人で何とか給料分の仕事にありついていました。現在もそうだと思いますが、実際に給料分の利益を会社のために稼いでいなくても人事権のある上司が給料分の仕事をしていると認めればそうなのです。

2017年3月25日土曜日

舌癌骨転移して、強い痛みへの民間療法的備えがあります

私は先祖返りとかで大臼歯が3つありました。そうして都合の良いことにその一番奥の大臼歯、親知らずと呼ばれている大臼歯が普通の歯のように噛めたことなのです。特にてこの原理か何かで一番かむ力が強く例えばカンロ飴のような特別固いものは一番奥の親知らずで噛んでいました。大臼歯3本は他人もそうだと思い込んでいた。虫歯治療時にお世話になった歯医者で普通の人は大臼歯は2本で私のように親知らずが完全に生えて大臼歯3本は滅多にいないケースと教えてもらいました。その自慢の親知らずが虫歯になり、治療をお願いすると、「親知らずは治療しないで虫歯=抜歯が歯科の常識です。一番奥にあり歯を削る道具が入れず丸い鏡を入れる余裕がないので治療は不可で、あなたの親知らずはまっすぐ素直に生えているので抜歯が容易です。ついでにこの機に将来の虫歯のために4本の親知らず全部抜きましょう」保険の点数が高い抜歯をしたいのかなと考えましたが口に出せず「私の4本の親知らずは無用のものでなく普通に噛めるのです。歯としての仕事をしているため何とか治療していただけないでしょうか」と言いますと赤い紙を親知らずの上に置き噛んでくださいと言われた。そうして4本きれいに生えているだけでなくきちんと嚙める歯なので治療する価値があると納得していただいたのです。「治療してみましょう。しかし私には無理で明日○○先生が出勤しますので明日もう一度来てください」そして翌日きつい麻酔後に治療してもらった。その数年後再び右上の同じ親知らずが痛みだしたのです。その後引越していたので、また別の歯科医院で麻酔薬を綿に含ましたもので拭いたりして痛みを取る治療を受けていました。やはり抜歯を勧められましたが、前と同じように噛んでいる歯と説明して抜歯は免れていました。
 そうこうしているうちにある日曜日の午前、経験したことのない強い痛みが右上の親知らずに出たのです。前回京王線仙川駅周辺の3人の歯科医がいる大きな歯科医院で無理やり治療してもらった右上の親知らずです。強い痛みで明日は抜歯を決心しました。日中は2時間か3時間周期で強い痛みが10分ほど続くの繰り返しでしたが夜になると1時間周期と痛みの間隔が狭まってきたのです。午後11時ごろ痛みがない間隙を縫って寝付いたのですが午前2時か3時ごろ耐え難いような激しい痛みで目が覚めました。朝歯科医院が開く9時まで痛みが遠のいてほしいと思ったが痛みから痛みの間隔が夕方より更に短く10分間隔で強い痛みがやってきます。何とか痛みを和らげたいと必死で考えると以前民間薬などを勉強した枇杷の葉で痛みを取る方法を思い出したのです。そして枇杷の木が近くの通勤途上の公園にあるのも知っているのです。
2枚のビワの葉を取ってきてガスの火より比較的多くの遠赤外線を出す電熱器で枇杷葉を焙り右上の親知らずを狙って右の頬に当てて横になりました。数分で少しづつ痛みが小さくなった気がしました。
2枚目の電熱器で焙った枇杷葉を当てているとき痛みが我慢できるまで小さくなったのか寝入ってしまった。最近気づいたのですがビワの葉には眠気を誘う効果があります。当然私の自覚であってほかの人にも入眠作用があるかは存じません。痛みなく目覚まして通常通りに起きて休暇を申請して歯科医院に行き第一声が「親知らずを抜いて下さい」起床後も痛みは再発しなかったのです。10分間隔で痛みが来ていた午前3時ごろから、枇杷の葉を使った結果、午前9時まで6時間痛みなしです。
 ビワの葉の効用について書かれた本によると温めたビワの葉で痛みを取るのは、普通の痛みではあまり薬効がなく癌が骨に転移したり本当に激しい痛みに効くそうです。もし将来癌が再発して骨転移した時ビワの葉にお世話になろうと思います。

2017年2月13日月曜日

新しい大きなドーナツリングに入りました。最後のつもりだったCTスキャン

2月1日午前09時30分、放射線部CTスキャン室に入ると見たことがないシンプルな大ドーナツが目につきました。CTスキャン撮影は数回経験がありますが、これまでの機械とは違うようです。あいまいな記憶ですが患者から見るとトンネルのようなものに人間が入る筒状のものはなく患者はレールに乗せられて大きなドーナツだけをくぐると良いような構造でした。昨年春には患者がが入る筒状のものの途中にドーナツがあるという感じでした。現在の新しい機械は閉塞感のあるトンネルはなく大ドーナツだけを潜ればよいようです。圧迫感でなく解放感があります。音も静かでした。指示通り横になり仰向くと移動の妨げにならないように体に力を入れて引っかからないように意識する必要はなくすごく撮影が楽でした。リラックスできたのです。狭いトンネルに入るような圧迫感もありませんでした。
あんまり有難かったのでメーカの味方をして宣伝してあげたいと思うのですが、そうもいかないのですが、メーカーは現在米国で原子力発電事業で会社存続の危機にあるような損害を出しています。日本の総合家電メーカです。患者にやさしい大ドーナツ→CTスキャン装置をリリースしてくれてありがとう。米国の原子力事業では大失敗のようですが、CTスキャンやMRIで収益をカバーして頑張ってほしい。別に発行株式数が巨大なので投資的興味がなく株主になった経験が過去一度もなく、将来的にもないでしょう。でもこんな良い製品を出したので日本企業として何とか立ち直ってほしい。
撮影後3人目の主治医に聞きました。2012年ごろは癌と認識できる解像度の限界が5㎜でしたが、この新型のCTの解像度の限界は何ミリでしょうか。先生はそれには答えてくれず、私が観た感じでは癌はないようですが、撮影が今日の今日で、画像解析専門医のコメントを貰っていない。自分一人では自信がない。六か月後の8月に再度CT撮影して1週間後画像解析専門医の判断をもらって、たぶんOKと思うがそれで終わりにしましょう。との結論でした。リンパカクソウ手術をしない判断をしてくれた教授に判断を仰げばよいものをと思いましたが、もう一度CT撮影をすればそれで終わりだからとあきらめました。きっと新任の主治医も教授もCTの機械が新型になり以前の知識が通用しなくなったのでしょう。8月に二度も来るのは嫌ですが、それなりに一生懸命正確な診断をしようとしてくださってるのだから先生を傷つけることを言うのは我慢しました。それに再発癌がないという判断にほとんど疑いを持っていないようです。もし少しでも疑惑があれば成長が早い癌を2月から6ヵ月も放置しないでしょう。そんなわけで完治と見なす判断は8月までお預けのようです。

2017年2月4日土曜日

株の儲け方 ハウツウ、ノウハウ

株を始めたころ専門雑誌で書いていた一文がありました。とてもよいことと感心しましたので記録しておきます。「血のにじむような苦労と努力でもって相場で儲けた人は儲け方の極意を決して他人にもらしたり、教えようとはしないものである。自慢話などはもってのほかと考えている。なぜなら、ゼロサムのゲームである株式投資では、他人が儲けることは、その分自分の儲けが減ることを承知しているからである。」自分の儲け方を人に教えては同じ時期に同じ銘柄に自分と同じ買い注文が入り、売るときでも同じ売りが入るからである。いわゆる邪魔が入りことになり結局安く買って高く売れなくなる。自分が買いたいときは買いたい弱気で相場はさらに悪くなる、中国から土地が輸入されるのと同じで住宅地価はもっと下がるとか言って多くの売りを誘い少ない自分の買いで安く買うのが理想です。

2017年1月15日日曜日

2016年10月31日に新潟など東北地方に出現した緑色の火球はトランプ相場を暗示していた。青い火球にお金の夢を乗せて祈ります

地場証券社長の駒田周平が夕暮れに流れる火球を見て相場の上昇を確信した根拠が火球だった。清水一行の小説の架空の場面ですが、2016年10月31日に新潟など東北地方に出現した緑色の火球が現れテレビに何回も映像が流れたのです。
2016/09/21から2016/11/18までの買い妙味が最高の時期をチャートにしました。そして火球出現と1000円下げて1000円上げたトランプ氏当選のショックのタイミングを書き入れました。
偶然かまことか昨秋は火球が日経平均上昇のキッカケになりました。小説通りということでしょうか。小説は虚構フィクションが大前提ですが、本当に火球が株式相場に影響を与えているような気がしてきた。実際今回の上昇相場では11月中に参戦できました。持ち金がなくなって買いをやめるまで精一杯の参加ができました。参戦へのキッカケは2016年10月31日の青い火球も後押ししてくれました。火球のテレビの画像を見て青い理由を考えた。青い色は銅Cuの色ではないか。人工衛星の軌道には多くの宇宙ゴミがあり、宇宙ゴミの中にはゴミになる前は人工衛星の部品で電気を使って通信していたわけですからIC基板残骸や銅線を含んだ宇宙ゴミが大気圏に突っ込めば青い火球となるでしょう。青い火球とは人間が作った宇宙ゴミの成れの果てで言わば人工の火球ではないか。本来火球は彗星や小惑星などの破片が大気圏に突っ込むとき正当な火球ができるのであって、人間が作った人工衛星の残骸の火球では株式相場へのご利益がないのでは、と一抹の不安はありましたが、火球の原料が人工でも天然でも火球は火球と自分で念を押しました。そして現在のところ買いタイミングはうまくいっています。現在は近い将来利食いができるよう祈っている次第です。天然でない人工衛星を原料とした火球でも火球には違いないのです。現在のところ本当に縁起の良い火球でした。

2017年1月8日日曜日

ケヤキの落ち葉集めを始めました。2013年12月以来3年ぶりと思います。2016_12_04撮影の写真です

自転車で1往復で90cmビニール袋で2袋です。ギュウギュウ詰めにしていますので、1袋5㎏前後でしょうか。最低25往復して50袋、約250㎏は運んで入れようと計画しています。1袋5㎏といっても先週降った雨の水分が完全に乾かずかなりの重量を占めているようです。木の下に積もった落ち葉は表面20㎝程度は完全に乾きますが、そこから下は晴れの日1週間続いた程度ではなかなか乾きません。それでも水分で重さは変わってもギュウギュウ詰めにした体積は変わらないので50袋以上を目標にして頑張ろうと思います。2018年春はこの自宅の菜園以外にジャガイモ畑にも野積みしただけの落ち葉腐葉土を運ぶ計画です。
最初の1袋を投入しました。2016_12_22までに34往復累計68袋運びました。美味しい野菜のためです。今年はケヤキの落ち葉腐葉土は使えず2018年春に菜園に鋤き込むための準備です。農業家庭菜園はたいてい同じことの繰り返しのようです。