2009年11月15日日曜日

マイタケとの格闘

 マイタケの人工栽培に成功したのはそう古いことではありません。秋の山で見つけた人がうれしくて舞い上がったから舞いたけというキャッチフレーズで売り出したらしい。何がそんなにうれしいのかというと強い旨みがあるとのことでした。店頭に並んだ初期の頃その強い旨みとやらをぜひ賞味したいとさっそく味噌汁、吸い物、鍋料理に使いました。1年近く機会があればマイタケを料理に使ってみました。でも結果は強い旨みは出せませんでした。味噌汁に入れれば黒い汁が出て見た目が悪くなり旨みが感じられないのです。ついに料理方法が分からないまま舞い上がるほどの値打ち、強い旨みなどは人工栽培を成功させたキノコ業者の方便で人気を煽るために誇大な表現に走ったのだろうと結論付けたのです。そしてマイタケへの興味を失ったのです。

ある時カウンターに座り目の前で一品づつテンプラを揚げてくれる天ぷらコースを食べました。天ぷらセットで出されるのでなく揚げたての熱いうちに食べる高級コースです。確か生シイタケの天ぷらの次に出されたと思いますが、マイタケですと和紙の上に置かれた天ぷらを見るとそれまでの失敗のシーンが頭に浮かび美味しいからでなくもったいないから食べようとしか考えなかった。まったく期待しないで口に入れたのにシイタケ以上の旨みがあったのです。その時しみじみと脳裏をよぎったのはそれまでは水を使った料理だった。マイタケはあまりお米がとれない山村の山の幸です。中国のような農産物豊かな大平原でもない日本の山村で昔から照明にも使える高価な油を使った料理が普及していたとは考えられません。安価ななたね油が開発されたのが戦国時代の終わりだそうです。庶民に油料理が普及したのは明治以降かも知れません。昔からあったマイタケ料理は当然味噌汁、吸い物などの水を使った料理のはずです。あくまで山奥い山郷をイメージしてみそ汁などに使って試食したのでした。水を使う料理では60度前後の低い温度でマイタケは旨味を出すそうです。とにかくテンプラがおいしかったので家に帰って真似をしたところ旨みが強く感じられました。
 もう一つの販売促進のキャッチフレーズは免疫力アップです。マイタケ成分のなんとかがガンの免疫療法に聞いたかという紹介記事があった記憶がありました。現在の科学ではキノコ、植物に含まれるたんぱく質のすべてを分析するのは不可能なのです。ですから発見できた成分の一つを捉えて免疫力を強めると主張しても他の未知の含有成分で打ち消されるかも助長されるかもわからないのです。たった一つの有効成分に注目するのは意味がないことかも知れません。マイタケは油を使うという新しい発想がこの野菜炒めの作成に役立ちました。
 ルーシー原人以来、人類は地上では大戦争の繰り返しでした。動乱→帝国の崩壊→大戦争→新帝国の成立の繰り返しが歴史でした。しかしどんな大戦争による政府、朝廷ができても私のような庶民にはあまり関係のない戦いでした。しかし庶民の体の中では駆逐するか生き残るかの激しい戦いの歴史があったのです。水虫などのように人体と共存できる病原菌以外は、侵入した病原菌、自分の細胞から発生した新生物と免疫との大戦争です。もし私の先祖が子孫を残す前にミクロの決戦に負けていれば自分が存在しないのです。今世間を騒がせている新型インフルエンザにも先祖は何度も遭遇して駆逐したからこそ自分があるのです。既存のインフルエンザも過去には新型インフルエンザであったはずです。欧州で大流行したペストも人類が初めて遭遇した未知の病原菌でした。日本の京都にも流行病(ハヤリヤマイ)という病名で大勢の病死があったといつの時代にも記録されています。テレビなどによると人類が遭遇して抗体をもった歴史が自分のDNAに記録されているとのことです。私も人様より、よりよい暮らしをするという地上での競争からは落ちこぼれましたが、免疫戦争では勝利して今のいのちをつないでいるのは確かです。もともと生まれながらにしてどんな病原に遭遇しても生き残れる素質を持っているのです。そしてほんの少しの栄養などの助けがあればもっと強力な免疫を持つことができるはずです。そのほんの少しの自分で工夫した天然のサプリメントがインフルエンザ感染を予防した野菜炒め(免疫力アップのマル秘レシピ)であって欲しいのです。

2009年11月1日日曜日

インフルエンザ感染を予防した野菜炒め(免疫力アップのマル秘レシピ)

冬なのに暑いと感じて診察室に行くと「その白線に沿って歩いてください」数歩白線の上を歩いたつもりが「インフルエンザです。すぐにタクシーで帰宅して下さい。電車は危険です。帰宅は健康管理医としての業務命令です。同僚を感染させてはいけません。」そんなわけで対症療法の薬で自宅でインフルエンザの治療に専念することになりました。20代後半の頃です。治療に専念するといっても薬を飲んで寝るだけです。処方していただいた薬を飲むと眠くなりました。床に就くと背骨が痙攣するようにガクガクとなり天井を見ているとまだ日の高いお昼なのに夕方のように視界が暗くなりました。奥歯が鳴るように震えこのまま眠ると二度と目覚めないかもしれないと怖くなった。それから三日三晩食事とトイレ以外は眠り続けました。それまで、今までもそうでしたがどんなに疲れていても睡眠は12時間が限度です。それ以上は寝れないのですがこのときばかりは三日72時間以上連続して眠れました。本当に体の具合が悪い時はいつまでも寝れるものです。そして更に具合が悪いときは永遠の眠りにつくのでしょう。水が飲みたいと目を覚ました時は敷布団とその下マットレスまで汗で濡れていました。そして水が飲みたくて仕方がなかったのです。起きてから半日ほどとても爽快な気分です。体が免疫がウイルスに勝ったのだ。悪い毒素は大量の汗とともに追い出したから気持ちがいいのだと納得しました。大酒の後アルコールが抜けたような爽快感の中で、高校を卒業して10年にもならないのに体力が落ちたのをしみじみ感じた。通学の帰路、見覚えのある場所で立ち止まると朝登校時に咳をして鼻をかんだのを思い出したのでした。朝咳や熱があっても昼には治っていました。風邪は学校で治していました。それが視界が暗くなるようなインフルエンザにかかるほど体力が落ちていたのです。その後これほどひどくはありませんでしたが、二三年に一度のペースでインフルエンザをもらっていました。どうしたものかといろいろ考えました。アフリカ東部で発見された原人ルーシー、アダムとイブなどの祖先から代を重ねていま自分が生きているということは医師の処方箋より優れた副作用のない最高の薬を体内にあることに気が付きました。祖先の一人でも病気でなくなっていれば自分が存在しないからです。細胞は普通役割仕事があり肝臓の細胞なら生きていくために毒素などの分解をして生命維持に貢献する仕事をしています。日頃はリンパ節などに隠れて仕事もしない遊び人の生き物ですが、外敵を見つけると脳に体温を上げる命令を出し筋肉などからATPを奪い取り(背骨が痙攣したのは背筋からATPを奪い取ったのでしょう)爆発的に増殖する免疫のことです。高校生の時代はこれが強くてインフルエンザが増える前に感染した細胞を破壊したが体質が変わり撃退するまで時間がかかるから仕事を休まなければならなくなったのと思い至りました。
 そこで免疫力アップの食事を試行錯誤の結果完成させたのが以下のレシピです。
材料 5品  オリーブオイル 味を良くするため岩塩 ピーマン 玉ねぎ マイタケ
これだけです。これらは年中いつでもスーパーで売っています。玉ねぎは地下の食べ物で中国風に陰陽で分ければ陰です。マイタケも日陰のキノコで陰陽で分ければ陰です。実症陽症の自分の体質を中庸にしてくれると考えました。味に関してはピーマンは苦味 玉ねぎは甘み マイタケは強い旨みと三つそろっており量の調整で自分好みに変えられる。そして大切なのはおいしいと感じるものを食べることです。まずいと思うと継続できません。青ピーマンが苦手な方は黄色や赤に変えるといいかも知れません。
ピーマン 玉ねぎ マイタケを千切りにします。要点は太さを均一にすることです。熱が均一に伝わります。ピーマンだけはアクがあるので穀物酢を入れた沸騰水で湯通しします。
穀物酢を入れた沸騰水で湯通したピーマンをパンチざるで受けてピーマンが暖かいうちにすぐにオリーブオイルを引いたフライパン(フライパンは油蒸気が上がるまで熱します)にぶちまけます。ジューと音が鳴りピーマンの水分を飛ばします。フライパンの温度がピーマン周囲の水で100度前後に下がるはずです。そこで千切りした玉ねぎを30分以上空気にさらしたのとマイタケを入れます。千切りした玉ねぎを30分以上空気にさらすと血液サラサラ効果があるそうです。 このマイタケと玉ねぎの千切りを加えることで100度前後からマイタケの旨みを出す温度60度前後に下がります。フライパンと違って本格的な中華鍋です。1mm程度の薄い鉄板を半球状に加工しています。底に溜められる余熱はほとんどありません、
岩塩で味付けして完成です。夏期も2週間に一度のペースでこれを食べるようになってからインフルエンザにかかったことはありません。ただし他の方に効果があるか、新型インフルエンザに効果があるかは保証の限りではありません。自分はこれで予防できると信じていますが。