2013年11月10日日曜日

起承転結_転2(入社5年目の躓き 晩夏には自分一人が悪者にされた)

時々Jさんは人事権のある人に別室に呼ばれて1時間後に席に帰って来るということが何度かありました。私がプログラムの修正を遅らせて組織全体が困っている。開発設計部の担当としての処分を話し合っている。とりあえず先輩として私を指導しろと言われ続けたとのことでした。「それでもJさんは襟を正して毅然とその必要はないと言ったんですね」この返事はくれず話を逸らされた。その後Nさんは「俺もJさんも仕事に穴を空けるようなことは何もしていない。ただ○○君と話をしただけ」「Nさんは第3の矢を放つ約束では?」Nさんは逃げるように3人組から離れて行った。後から考えるとNさんは切り崩しに屈服したのを教えに来たのかもしれない。
いっそう親密さを増した3人組はHさんの働きもあり職場で孤立を深めました。お盆過ぎだった気がしますが、3人で食事をした後、Nさんは「最近寝付きが悪く精神的に参ったようだ。このままいくと頭がおかしくなりそうな恐怖でもう限界に来た。悪いが明日から3人組から離脱する。」思いつめたような真剣な目つきで言い出した。他人に迷惑をかけていない限り人間の行動、誰と付き合うかなどに制約をかけられるわけではないので「わかりました」これ以外の対応方法はありませんでした。その夜反芻するに、Nさんは、精神的に参っているようなことを言っているが3本目の矢を放つのが嫌で、頭がおかしくなってきたは理由づけで、ていのよい方便と考えた。でも本当はNさんのこの言葉にそんなに嘘がなかったと気が付くまでこの後数年が必要でした。そして3人組が2人組になったのです。Jさんは相変わらず人事権のある人を呪うような悪口ばかりを繰り返していました。
 お昼の休憩時間は行動をともにしていましたが、そのころからJさんはこずるそうな薄笑いを浮かべることが多くなった。返事に困った時などいつも私の嫌いなそういうまっすぐこちらの顔を見ないずるそうな薄笑いをよく見せました。晩夏のころ、「一体○○君(私のこと)に対してSもHもどんな報復をする気だろう。精神病も一種の傷害、障害罪に当たるのに」私に対する脅しとも取れないことはない。「Jさんはどうしてそんなことを知っていのですか。それは夜飲み屋でHさんから仕入れた情報ですか」Jさん薄笑いだけの返事をくれました。
そして2本目の矢を放つとかの9月に入って、Jさんは、聞いてもいないのに「あの9月の初秋の重要な小規模のグループ変更の仕事はする気がなかったが、出来てしまった。それで第2の矢は自動的に延期になった。いずれ放って人事権のある管理者に痛打を与えるつもりだか。しかし今回は期日までに出来てしまった。」最後に薄笑いを付けてこうした説明をしたのです。「要するにJさんもNさんと同じ道を歩むってことですか」「そのように解釈されても仕方がない」「私一人に矢を放たせ悪者にして自分は助かる気ですね」これがJさんと交わした悲しい最後の会話でした。
 3本の矢を1本づつ放つという約束が私の1本だけで私一人が悪者にされ、組織的な集団いじめが始まったのはこれからでした。次の日から朝から昼まで誰も口を聞いてくれないのです。挨拶も返ってこない。以前の仲良しと口を聞いていると彼はキョロキョロとHさんの方を見て逃げるように私から離れていったのです。
10月に入ったある日別の友人から「○○君には猛省を促して反省の態度が確認できるまで無期限に仕事をさせないということが幹部会で全員一致で決定された」と処分結果が伝わってきた。
以前仲がよかった友人に言わせたことにも彼らの悪意が感じられた。彼もそんなことを伝えるのは嫌だが断ると私の仲間と思われたくないのでメッセンジャーを引き受けたのでしょう。数年前までJさんNさんも私の1本目の矢に人事権のある管理者が耐えて簡単に交代する可能性がなくなってから私一人悪者にして自分たちは逃げることにしたと考えていました。最近は春真っ盛りまず私に仕事の穴を空けさせる計画を切りだした時から私一人を悪者にする計画をJさんNさんに持ち込まれたのではないと思うようになった。結局JさんNさんも磁気テープ処理中心のバッチ処理からリレーショナルDB移行などの会社始まって以来の大規模なシステム変更実施には欠かすことのできないキーマンです。会社始まって以来の大規模なシステム変更のために集団苛めなどの制裁で万が一その頭脳にダメージを与えるようなことはできないのです。私は来て3年目だからスキルもないし私がいなくても会社始まって以来の大規模なシステム変更に支障はないのです。これが私とJさんNさんとの決定的な違いでした。彼らは初めから逃げ道が用意されていたのです。

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